第零話
第二部スタートです!
よろしくお願いします!
「……本当にいいの? もう二度と顔を見ることも声を聞くこともできないのよ?」
ーー白亜の荘厳な聖堂。その中の祭壇に女王はいた。
傍には聖職者のローブを纏った女もいる。
女王は鎮痛な面持ちをしており、もう一人は諦めの色を顔にのせている。
「ええ、よいのです。腕の中で可愛がるだけが"愛"ではありませんもの……」
その声を一度耳朶に収めたならば感涙し、膝を折り、祈りを捧げる。
ーー女王の傍に佇んでいるのは「聖女」であった。
聖女はその腕に抱いた赤子の頬をつつき、ぎこちない笑みを浮かべ、眠っている赤子に問いかける。
「……それにあなたも後ろ指を刺されながら生きていくよりも、遠い未来で誰もなにも知らない世界で生きていく方がよいでしょう?」
赤子はふがっと鼻を鳴らす。
「ふふっそうよね?」
「……もう一度問うわよ。本当にいいのね?」
「何度も聞かないでください。決心が鈍ってしまいます」
「この程度で鈍るならそれは"決意"ではなく"自棄"というのよ」
「ならどうしろというのですか!?」
聖女は声を荒げて女王に詰め寄る。常に凛々しく、民の心の拠り所として万象ことごとく慈愛をもたらしていた顔はすでにない。
「どうして聖女が子供を産んではいけないのですか! どうして愛を説く聖女が一人の男性を愛し、子を成してはいけないのですか! どうして子供を産んだだけで世界から否定されなければならないのですか!!」
「…………」
聖女の悲痛な叫びは聖堂内に虚しく霧散していく。
この聖堂には二人しかいない。
されどこの聖堂から一歩外に出れば、無数の聖騎士たち、信徒たちが群衆をなしている。
ーーみな一様に武装して。
大陸中に雷名を轟かせた慈愛の聖女はいま、教会から破門され「堕ちし聖女」として迫害を受けている。
頭を垂れていた信徒の顔は憤怒に転じ、聖句を述べていた口は罵りを、祈るために結ばれていた手には武器を携えている。
敬虔であればあるほど民衆の聖女に対する失望や怒りは大きかったのだろう。老若男女問わず聖地の大聖堂に集い、聖女の断罪を求める声は高らかに謳われている。
「……経典には"人を愛し、人に愛されよ"と記されています。姦淫を禁じる文言はおろか、子を成してはいけないなんてどこにも書いていません! それなのにどうして聖女はダメなのですか……」
「あなたの大きすぎる名声が仇になったのかもしれないわね」
「……であれはこんな世界は間違っています。誰にだって愛し、愛される権利はあるはずです。そこに肩書きなんていらない。"意思"さえあれば、そこには道が開かれなければならないのです」
「あなたの神はなんと……?」
「沈黙してますよ。都合の良いときだけ啓示をくださるのですから、神ほど勝手なものもないですね」
とても神に使えてきたとは思えぬ発言をする聖女。その顔には諦め以外にも冷笑を滲ませる。
女王はそんな聖女に向かってーー厳密には聖女の腕の中の赤子に向かってーー手をかざす。
「安心なさい。遠い未来では私の愛する守護騎士が親馬鹿してるはずよ。きっとその子の面倒も見てくれるわ」
女王は聖女の憂いを祓うべく明るい口調でそう告げる。
「……カインさまですか。もしお会いするのが早ければお慕いしていたかもしれません」
「あら、いうじゃない。カインは誰にも渡さないわよ?」
「大丈夫です。もうわたしには愛する方がいますし、こうして最愛の娘もいます」
赤子の前髪をかきあげ額に一度だけ唇をおとす。
「カインさまをお慕いするのは娘に任せます」
「そう……じゃあ、送るわよ」
女王の眉間に皺が寄る。
体からは白銀の魔力が溢れ出し、大聖堂は悲鳴をあげる。
赤子を中心に幾重にも重なった魔法陣が光とともに立体的に浮き上がる。その光が徐々に光量を増していく。
「……さようなら、わたしたちの愛する子。頭なんてよくなくてもいいから、元気に生きてね……!」
大聖堂内に太陽が現れたかと錯覚するほど眩い光が満ちる。後にはーー、
涙で顔を濡らした聖女が床に座り込んでいた。
啜り泣く音だけを残してーー。
「あなたも同じ思いをされたのですよね……。どうやって立ち上がったのですか?」
聖女は目元を腫らしながら女王を見上げながら問う。
「私にはこれがあるから」
そう言って女王は腰に佩ている黒い刀を握る。
「それはカインさまの……羨ましいですね。お互い離れていても……ということですか」
ゆっくりと、されど確たる足元をもって立ち上がる聖女。その顔にはいまだ涙で溺れているが、双眸には覚悟が宿っていた。
「ならわたしも覚悟も決めましょう。未来の娘のためにこんな世界壊して差し上げます」
「とても聖女の口から出る言葉ではないわね」
女王が口角をあげながら抜刀する。
「もう聖女ではありませんので」
「じゃあなに? 愛するもののために戦う戦士かしら?」
「いいえ、わたしはーー」
聖女はその頭に被っていたベールを脱ぎ捨てた。
「ただの母親です!」
はらり、と長い髪が解かれ腰元でなびく。
その色は透明感のある茶色だった。
「世界から魔力を消し去るのでしたっけ? いいでしょう。力添えいたします。こんな力があるから民は頼り、縋るのです。魔力なんて、魔法なんて頼らなくても人は生きていける。そんなに人は弱くありません!」
「……悪いわね、付き合わせちゃって」
聖女の両手には淡い緑色の魔力が宿る。
「構いません。愛する子供のためです。お互い様でしょう?」
「私には愛する男もいるけどね」
「こんな状況で惚気ですか? 結構ピンチですけど」
「だいじょーぶ! この刀とあなたの回復魔法があればなんてことないわよ!」
白い歯を輝かせながら宣う女王に聖女は嘆息する。
「……まったく。"奔放姫"の名は伊達ではありませんねーーエカテリーナ」
「もう姫ではないけれどね。あなたも聖女ではなくなったし、私たちいいコンビだと思わない? ーーアンジュ」
「いいか悪いかはこの場を切り抜けてから決めましょう」
「それもそうね!」
二人は正々堂々と大聖堂の門から出ていく。
その後の女王と聖女の足取りは不明である。
これ以後、教会の歴史から"慈愛の聖女"の記述は一切見当たらない。
さりとて、世界の各地では人に貴賤なく施しを与える美しい女性の伝承に枚挙の暇がない。
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