アフターストーリー・リップル
「ーー暇ですわね」
見た目は豪奢ではないものの上質なものに満ちていることが感じ取れる寝室で、リップルはベッドの上で独り言ちた。
なぜ、まだまだ太陽が高い時間にも関わらず彼女が横になっているかというと、先日の魔圏で起こった魔物襲撃に端を発するアロガン皇子の叛逆事件に巻き込まれたからである。
"虎王"トライデントタイガーの無慈悲なる一撃によって至る所の骨が折れてしまい現在療養中なのだ。
「強くならないといけませんのに、これでは剣のお稽古もできません。……口惜しいですわ」
窓から差し込む光を浴びながらリップルが回想するは先の一件。暴力の化身としか言い表せない歴史上の魔物に相手もされず瞬きの間に無力化させられた。これまで帝校で培ってきたのはなんだったのかと歯噛みする。なまじ総合訓練で上手いこと同級生たちを指揮できていたからこそ、己の戦闘面での実力不足に腹を立てる。
しかし問題はそこではない。
問題はーー地面に伏せ、指の一本も動かせない状況でアロガン配下のサイモンに殺されかけ、さらには記憶に名も残らないほどクラスで空気であったアンバーに助けられたことだ。
"民に慕われ、民を率い、民の為に事を成せ"
これはフォグガーデン家の家訓である。片田舎の自警団から伯爵家にまでのし上がったフォグガーデン家は、護られることよりも、護ることこそ貴族の務めであり第一義としている。
だからこそ力で劣るアンバーに護られ、ひいては足手纏いになったことが不様極まりなく、リップルにとっては敗北感が津波のように押し寄せているといえる。
ーー後悔しかない。
もっと研鑽を積み重ねていれば、もっと周りに目を配っていれば、もっともっと……。
考え出したらキリがないが、不幸にも時間はたっぷりある。リップルは未来のことよりも過去に縛られ、眉間に皺を寄せる。なにも今に始まった話ではない。家の力を十全に使い傷跡一つ残らず完治する見通しがついてから、いやつく前から、リップルは後悔し続けていた。
そうしていよいよ唇の端から血が出ようかというほど悔やんでいると、寝室のドアを遠慮がちに叩く音が耳に入った。思わず口角が上がるのを自覚する。リップルが寝ている事を想定した、優しいノックをする人間なんて1人しかいない。
「起きてましてよ。お入りになって」
そう声をかけても恐る恐るドアを開ける件の人物。もっと自信をお持ちになればいいのに、と思いながらも鬱屈とした時間が終わりを迎えたことに感謝しつつ挨拶をする。
「いつもいつもありがとうございますわーーシャルティさん」
「こんにちはっ、フォグガーデン様。体調はいかがですか?」
「もう治りかけのようで痒みが出てきましたわ」
「良かったです! でもまだまだ安静になさってくださいね。骨が折れちゃってるんですから」
「はいはい、分かってますわよ。毎日毎日聞かされてるのでわたくしすっかりお耳にタコができてしまいましたわ」
「だって放っておいたらお稽古始めちゃうでしょ? まずは治すことに専念しないと!」
シャルティは魔圏から帰ってきてから毎日お見舞いに来てくれている。話すことなんて帝校での出来事ぐらいしかないのだが、暇を持て余しメンタルが病むほど落ち込んでいるリップルにはいい気晴らしになっていた。
しかし未だに名前で呼ばれず家名で呼ばれることは納得いっていない。確かに貴族と平民という差はあれど、共に戦った仲間ではないか。口ぶりが若干柔らかくなったのみでまだまだ敬語で話してくる。
「シャルティさん? わたくしもあなたのお耳にタコができるほど言ってますけれど、もうそろそろ名前で呼んでくださらない? なんだか距離を感じてしまいますわ」
「……そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど私は平民なので」
「もうっ、焦ったいですわね! なんですの? 焦らしプレイですの?」
「焦ら……っ!?」
唐突なリップルの物言いにシャルティは顔を赤らめる。彼女も興味津々なお年頃。言葉に詰まる。
「確かにあなたは平民ですけれど! 共に戦い、背中を預け合った仲ではありませんか! それにあなたはあの英雄カイン様の娘。平民であって平民ではない立ち位置です。もっとご自身に自信をお持ちになりなさいな!」
リップルの言葉に目が覚めたように見開くシャルティ。右手を顎に当てて呟く。
「……確かにお父様もフォグガーデン様の事を"絵に描いたような自信満々ツンデレお嬢様で存在が面白い"って言っていたような……?」
「まあっ! カイン様が!? ああ……なんと素晴らしき我が生涯……もはや悔いはありませんわ」
と言いながら胸を押さえて悶絶するリップル。先ほどのまでの後悔なんて知らない。そんなものはなかったのだ。
ベッドの上で"イヤンイヤン"と妄想の彼方へジャンプしたリップルを見ながら、シャルティは照れつつも己の考えを述べる。
「フォグガーデン様は素敵な方です。最初は平民に当たりが強いイケすかないお貴族様だと思っていましたが、それは庇護すべき対象なのであって共に机を並べる存在ではないというお考えからだと分かりました」
シャルティは瞳を閉じて思いを語っていく。
「その考えは傲慢だと思います。平民だって一緒に学んで、一緒に汗を流したっていいじゃないですか。でもあなたは違う。あなたにとって平民は護るべきもの。なぜなら民がいるからこそ貴族は存在していられるから。そう思うとフォグガーデン様の発言や態度にも納得がいきます。貴族としては崇高な理念とも。ちょっと過激な気もしますが……」
シャルティは己の言葉を咀嚼し、一度頷いてから瞼を開ける。そこには親愛の感情が宿っている。
「"民が全て"。私の尊敬する『王』も常々語っていました。その人と被るんです。だから私はあえて"フォグガーデン様"とお呼びするんです。あなたの根底には私の理想とする哲学があるから」
シャルティがそう告げるとリップルは体を起こし口を開く。
「あー、骨が折れてるの忘れていましたわ。痛い痛い。で、なにか仰いまして?」
リップル、あまりの悶絶具合にシャルティの話を一切聞いていなかった。
「うそーん……私結構真面目に話したのに」
グスン、と落ち込むシャルティにリップルは背中を向け、肩越しにあるお願いをする。
「それよりもシャルティさん。今日もわたくしの髪を解いてくださるかしら?」
「はいはい、分かりましたよお嬢様」
「うふふ、よろしい」
いつもドリルツインテールだが、病床ということもあり髪を解いているリップル。腰よりも長い髪をシャルティに解いてもらうのはメイドにしてもらうよりも気持ちがいいから。
毎日のお見舞いの最後にはこうして髪を解いてもらっているのだ。髪を解かれながらリップルが一つの言の葉を漏らす。
「……ありがとうございますわ」
「どういたしましてですっ」
そうして髪を解き終えたシャルティは部屋を後にする。
「それじゃ私は帰りますね! また明日も来ますから」
「ええ、お気遣いありがとうですわ。お気をつけて」
一人になり静けさを取り戻した寝室でリップルはある疑問を口に出す。
「それにしても"尊敬する王"ですか。この国は皇帝ですし、一体誰のことなのかしら?」
シャルティの言葉が気になったからか、それとも髪を気持ち良く解いてもらったからか、リップルは横になり意識を手放していく。
もう心は沈まなかった。
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