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――帝都の南。帝国の〝知〟の集積庫である「帝国恵識廻廊」を擁する街。
学問都市「ソクラン」での学会発表を終えたカインとサージュは、現地で合流したイゼルとシェンナ親子とともに打ち上げをしていた。
「ではではではでは! 無事学会の口頭試問も終わりましたし、乾杯といたしましょうか! いやぁ、サージュ君の斬新な視座から論ずる章の所は皆さんの関心も高く質問が多かったですなぁ! そしてそれを意に介さないサージュ君の主張! 天晴れとしか言えませぬ! もちろんシェンナもよくやってくれました! 君の史料蒐集やフィールドワークは無ければ、この論文は――」
「――はい、カンパーイ‼」
放っておけば話が終わらないイゼルの口上を遮って、カインが乾杯の音頭を取る。
「……かか、乾杯! ですぅ」
「ん! かんぱいっ‼」
今回の論文はイゼルを筆頭著者とする共著論文であり、サージュのほかにもシェンナも名を連ねたものであった。そしてその論文は学会で称賛の嵐を受け、もとより天才児として名を馳せていたサージュ以外にも、シェンナの名を世に知らしめた機会でもあった。
「――パパ」
そして各々舌鼓を打っていると、横にちょこんと座っていたサージュが話しかけてくる。
「んー? どした? なにか食べたいものでもあるのか? メニューいる?」
「んーん、そうじゃない。研究のことでパパにお願いがある」
「え? 今日学会が終わったのにもう次の研究なの? そんなに生き急がないといけないの、学者って?」
もう先を見据えている娘に感動しつつも驚愕し、斜め向かいに座っていたシェンナに問う。
「い、いやぁ……。サージュさんが異常なんですよぉ。普通は一生かけて一つの分野、もしくは隣接領域を研究するのに……。ただでさえサージュさんは文系と理系の同時修得ですしね。天才の頭の中は宇宙ですぅ」
「……ぶい……!」
シェンナの真っ当な評価を受けて、サージュはニマニマしながらカインに向かってピースをしてくる。
「サージュちゃん、頑張るのは良いけど無理しちゃダメだからね? ちゃんと友達作ったり、外で遊んでもいいからね? でも異性とのお付き合いはまだダメ! パパ、許しませんよ!」
「……パパ、あたし魔圏に行きたい」
「――はい……?」
賢くもまだ幼い娘に対し年相応というものを教え諭していると、唐突に突飛なことを言い出したサージュ。
「次の研究――ううん、元からあった構想だけど、あたしは『魔物』の発生原因について調べたい」
サージュは好奇心に駆り立てられながらも、凛々しい瞳で訴えてくる。
「魔物は魔圏から来るとされているけれど、それは何故? 東の国の宗教では魔圏の中央には〝門〟があって、その門は異界と繋がっていて、そこから魔物は来るとされている。でも何故そのような伝承が大陸の西にはないの? そもそも、どうして魔物だけが〝魔法〟を使えるのか。そういったものを、あたしは研究したい」
「……だから、魔圏に行きたいと?」
「……ん!」
カインは腕を組み、目を瞑りながら思案する。
可愛い娘の頼みは聞いてやりたいが、魔物がどこから来るかなんて知ってどうするのか。
確かに門は異界と繋がっている。厳密には〝浄界〟と。そしてこの世界こそが異界。
魔物が魔法を使えるのは、体内に魔力を有しているから。昔は大気にも魔力が溢れており、人間もそれを使うことで魔法を行使できていた。しかしなぜか、今の世界には大気中の魔力が消失している。なぜ消えたかは分からないが、魔力が無ければ人は魔法を使えない。
さらに魔物の大半は浄界で誕生する。
しかしその過酷な生存競争に敗れ、または更なる強者を求めてこちらにくるのだ。魔圏とは比べ物にならないほど残酷な世界。常に重力はそのベクトルを変え、天気など瞬きをするたびに移り変わる。敵も強大……。
それが浄界。名前の割にタフな世界だ。
当然のことながら、まだ幼いサージュを連れて行くことはできないし、俺ですらもう二度と行きたくはない場所だしなぁ、とカインは返答に戸惑う。
なにか理由でもつけて諦めさせようと目を見開き、サージュを見ると、
「……ワクワク……キラキラ……!」
まるで心の様子が口から出ているような瞳をするサージュ。
――てか口でワクワクとか言っちゃってるし……。
だが、いくら愛する娘の願いでも危険すぎる。だから、
「……サージュ。好奇心旺盛なのは素晴らしいことだけどな? 魔圏は危険なんだ……! せめてシャルちゃんぐらいの年になるまでは我慢しなさい……‼」
今は諦めなさい、と告げる。いつか必ず連れて行くから、と。
「パパ、あたし行きたい……。ねぇねのことも気になる……大事な時にポンコツだから」
「……ダメです……っ! シャルティの件は、パパも滅茶苦茶気にはなってるけど! 手を打ってあるから大丈夫だ! 嫌いっていわれたけど、やることはやってるんだ」
「そそそ、そうですよぉサージュさん! 着眼点は素晴らしいと僕も……お、思いますけどぉ、魔圏なんて危険すぎますってぇぇ」
サージュの向かいに座っていたシェンナも、カインと意見を同じにする。しかし、
「――なんとなんと! カイン殿とサージュ君は魔圏に行くのですかな? でしたら是非ともワタクシも連れて行ってはくれませぬかな? といいますのも! 実はワタクシ、一度でいいから魔圏というものをこの目に納めておきたいのですよ! 帝国の歴史を語るにしても、常に付き纏う魔圏とそこから襲来する魔物。ワタクシの歴史家としての矜持という点から見ましても――」
案の定、学問馬鹿のイゼルが乗り気になってしまった。
「ダーメーでーすー! サージュだけならまだしも、イゼルとシェンナっつうお荷物連れていけるほど甘くねぇぞ、魔圏は……!」
「どどど、どうして僕も行く事にぃ……⁉」
「……パパ、お願い……? ねぇねもパパに会いたがってるはず」
サージュが瞳をウルウルさせながら、上目遣いに訴えてくる。
ちゃっかりカインの服を握りしめながら……。
「んぐぐ……。そ、そんな顔してもダメだぞ! たしかに俺もシャルちゃんには会いたいが、これはサージュの事を想ってだな――」
なおも反対するカインに対し、サージュは娘だけが持つ必殺の口説き文句を寿いだ。
「……もし連れて行ってくれたら、将来パパのお嫁さんになる……‼」
「――ぐほっぉ⁉ なななな! なんですと! ササ、サージュちゃん? もう一回言って?」
思いがけない言葉にカインは動揺しつつもお代わりを要求する。
なぜなら一度は娘に言われたい言葉のダントツ一位、「パパのお嫁さんになる」がまさかのサージュの口から出たから! シャルティにも言われなかった言葉を!
「あたしぃ、魔圏に行きたいのぉ。連れて行ってくれたらぁ、サージュ、パパと結婚するぅ」
「ぎゅぼッ……ッ⁉」
場末の飲み屋のママみたいな猫撫で声で、精一杯背伸びして色っぽい――とサージュが思う言い方で、再度告げる。
そしてカインはカインで、以前倒したチンピラのような呻き声を上げる。
「ええぇぇー? サ、サージュさん、その言い方はちょっと……」
なんてシェンナが引いているが、カインは違った。
「――いよっしゃぁぁ! 任しとけぇぇぇ‼ 娘にそこまで言われて動かなきゃパパじゃねぇ! よしッ、サージュ! 魔圏に連れてってやる‼ パパ、頑張っっちゃうぞぉぉ!」
「……ふふ、パパはちょろい……コホン――わぁい! やったぁぁ‼」
「えぇぇぇ? それでいいんですかぁぁ?」
「おお! 話は纏まりましたかな? ではでは、さっそく準備を――」
すっくと立ちあがり宣言するカイン。そして策略が成功し、ほくそ笑むサージュ。それを見て驚くシェンナ。魔圏に行けると喜ぶイゼル。
帝都の南ソクランの酒場の一角で、四者四様の思惑は遥か東――魔圏へと向かう。
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