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――夢を見ている。
夢だと分かるのは、それが過去の出来事だから。
カインは今、夢の中で揺蕩いながら過去を回想しているのを自覚していた……。
『――あら? あなた生きていたの? ここで助けたら私の評判はうなぎ上りかしら?』
絹のような黄金の髪を後ろで一つに括っても腰まで届き、目鼻立ちはカインの人生で出会った中で一番整っていた。
特に一番魅力的だったのが、大空のように澄んでいて深海のように蒼い瞳……と大きな胸。
――正直言って一目惚れだった。
『……俺と……あんたの手下しかいねぇのに……評判もクソもあるかよ……。いいから水をくれ……死にそうだ』
カインは行き倒れていた。
『いやよ』
『……人でなし……ッ』
『訂正して頂戴! 彼らは〝手下〟ではないわ! 私の愛すべき〝家族〟よ――!』
『……アア? そっちかよ……。悪かった。家族ね。はいはい。……じゃ、水くれ』
『うむ! よろしい! あなた聞き分けがいいわね。――はい、お水』
好奇心が旺盛で、誰よりも国を、民を愛していた彼女。
『――ッ⁉ んぐ……んぐ……ぷはぁ! あ~生き返る……。ありがとう。この恩は忘れねぇ』
カインが礼を言い立ち去ろうとした時、黒い影が地面を覆う。
『――っ、竜……⁉ なんでこんな所に……? いえっ、魔法騎士隊! 迎撃の――』
『――ありゃあ俺が魔圏で戦った奴だ。まだ追って来てたのか……。竜にモテてもなぁ……』
人類の敵の襲来を認識した彼女は直ちに護衛の者に迎撃命令を下そうとしたが、カインのつぶやきによって遮られる。
『……へ? 今なんて言ったの? というかあなた、魔圏に行ってたの?』
『――逆だ。魔圏の〝向こう〟から来たんだ。けどちょうどいいや。ここで水の恩を返すとしますかね。竜の肉でも食やぁ、ちったあ元気になるだろ』
竜が上空で顎を広げているのをよそに、「よっこらせ」と言いながらのんびりと立ち上がり、カインは腰に佩いていた〝黒い刀〟を振りぬく。
すると蒼白い閃光が明滅し、彼女を含めた護衛たちが目を伏せる。
ついでドシィンと大地を揺らす振動によって目を開く。そしてその場にいた者たちはソレを見て驚愕の表情を浮かべ、息を飲んだ。
『――は……?』
そこには斬撃を飛ばし、遥か上空の竜を一刀のもとに失墜させた男が納刀する姿。
『これで恩返しってことで。――じゃあな、ボインの姉ちゃん』
後ろ手に手を振り肩で風を切りながら歩く男の背中に〝光〟を感じた彼女は、カインを引き止めるべく声をあげる。
『ま、待って……!』
『……あんだよ? 肉はやらねぇぞ?』
鬱陶しそうに肩越しに目線を送るカイン。
『……いいえ……いいえ! そんなトカゲの肉なんていらない! あなたが欲しいわっ! 私はエカテリーナ。あなた私の守護騎士になりなさい……っ! まだまだ恩は返しきれていないわよ‼』
そんな彼女の笑顔は輝いていた……。
『ええ~? ……やだ。姉ちゃん、なんか面倒臭そうだし……。それに、誰かに仕えるってガラじゃないのよ――俺様は』
『い~や! 絶対にあなたは私のものになるわ! 〝分かる〟のよ! あなた名前は?』
『……零』
『レイ……? Rainで雨みたいね。私の傍にいるからにはダサいわ、それ』
『人の名前に対してなんてことを言うんだ……このアマ……⁉』
『んんー……? Reignでカインはどうかしら?』
と彼女は地面に指で文字を書いて提案する。
『ダセェ。つぅかこの名前は親から貰ったもんだ。……好きじゃねぇけど、愛着がある』
『カインはこの国の古い言葉で〝君臨〟を意味するわよ!』
『……聞けよ、人の話。けどまぁ……悪くねぇな……!』
――それがカインとエカテリーナの邂逅。
『ねぇねぇ、カインっ! 私、魔法が使えるのよ? 凄くない? 凄いでしょ? 褒めてもいいわよ? というか褒めなさい!』
唐突に彼女がカインの腕に抱き着いて、上目遣いに自慢をしてくる。
『……俺も使えるぞ。炎とかは出せないけど』
『あらっ! そうなの? なら私と一緒ね! 目に見えないから派手さはないけど……』
『姫さんは何ができるんだ? 俺はただ強くなるだけだが……』
『ふふ~ん! なんと私の魔法は〈時間〉です! 固有魔法でね! 時間を止めたりはできないんだけど、干渉はできるのよ!』
『それは……凄いのか?』
『ああ~! しょぼいって思ったでしょ~! すっごいんだからね! 必ずこの力に〝感謝〟する時が来るけど、絶対に許してあげないんだからっ! カインの馬鹿っ!』
カインの空気を読めない意見に気を悪くし、頬を膨らませる彼女。
そして時折口にする、まるで未来のことが分かっているような口ぶり……。
『はいはい。そうですねー。じゃ、剣の修行再開しますよー』
『……今日は愛すべき民の生活を調査することにしたわ!』
『あっ! 逃げるなっ! コラッ!』
――それはありふれた、しかし充実した日々。
『……カイン。私ね……結婚することにしたの。さっき決めたわ』
――急遽、深夜の寝室に招かれ一言。
『はぁ……? ちょっ、えええぇぇ? さっき? 頭でもおかしくなったのか? 大丈夫?』
『相手は隣国の第三王子トライゾン殿よ……』
月明かりを背に負っているため表情は伺いしれない。
だがその声色は――どこか覚悟を決めたもののような……。
『……あのデブ野郎と⁉ やめとけ! 国が終わるぞ……!』
『いいえ。貧しい隣国を見捨てたら民の信頼を失ってしまうわ。そうなったら、それこそ国の終わり……』
『だからと言って結婚はないだろ! 結婚以外にも他に方法が――』
『……だからね、最後にお願いがあるの……私を抱いて頂戴』
『人の話を聞けって……ッ! この我儘姫……! ん? 今なんつった……?』
綺麗な満月の夜のこと。
スルリと肩からドレスをはだけさす彼女。カインはその白磁のような肌に目を奪われ……。
――それが最初で最後の逢瀬。
『――ッ! 生まれたか……! 母体は⁉ 子供の事なんざどうでもいい! 姫さんは無事か?』
『――お待ちくださいカイン守護騎士……! 王配以外の男性は――』
『うるせえ!』
――扉を開ける。
『……私の愛しい娘――シャルティ。ふふ、私にそっくり』
『カーチャ……。大丈夫か……?』
『ええ。母親になれたのですもの。感慨深いわ……。良ければ抱いてあげてくれない?』
赤子をその腕に抱いた彼女の表情は、〝女〟から〝母〟に変わっていた。
『……良かった! ……けど俺には――無理だ……ッ! いくら姫さんの娘でも、半分はあいつの血だなんて……』
『……そう……よね。ごめんなさい……』
今までカインの知っていた彼女は、アイツによって変えられてしまった……。
だがそれでも彼女が幸せならば、とカインは人知れず奥歯を食いしばる――強く、強く。
王配が面会に来るという事で退室させられたカインの後ろで、豪奢な扉が無機質な音とともに閉まる。
――どこかでボタンを掛け違えたのだ。
『流石ね、カインっ! 〝双剣の覇王〟は伊達じゃないわね! たった一人で北の国の精鋭をやっつけちゃうなんて!』
『姫さんから貰ったこの〝剣〟が良いんだよ。抜けねぇけど……』
黒い刀と白い直剣を用いる王国最強の懐刀――双剣の覇王。
名付けたのは愛する主君。
『ふふふ! それには秘密があるのよ! でも陥落させるのはやり過ぎよ……っ!』
『向こうの将が〝カーチャはデブ専だ〟って言うからよ……』
『……カイン』
――戦績を称えるためのパーティーにて、女王となった彼女と臣下としてのカインがひと時のよもやま話に花を咲かせていると、
『デュフフフぅぅ! カイン殿は我がエカテリーナにご執心ですなあ……! これからも奮闘の程、よろしく頼みますよぉ』
見るからに醜悪な王配が闖入してくる。
『……死ね。トライゾン。エカテリーナ女王は民のものであって、決してお前ぇのものじゃねぇ。……俺のものでもな……』
――それが不協和音の序章。
『おかしいだろ! なんでこんな平時に派兵されなきゃいけねぇ! それに俺は姫さんの守護騎士であって軍人じゃねぇ! 姫さんの元を離れる道理も義理もない! ここは愛と慈悲の国! 無益な殺生は誰も好まねぇぞ、トライゾン……!』
『デュフフぅ。そうは言われましてもなぁ。僕チンはあくまで助言をしただけ。決定を下したのは我がエカテリーナですので……? デュフ』
『…………ッ……エカテリーナ! 本当にお前の意思なのか……?』
『……ええ。これは王命よ』
『――くッ……!』
『と、いうことですのでぇ……? 双剣の覇王殿には更なるご活躍を期待しておりますよぉ』
『……カイン。あなたは己が心に従って、すべきことをなさい。分かりましたね?』
『……姫さんの命令とあらば……ッ』
――そして王国は陰り……。
『――ふざけんなッ! 俺はアンタの守護騎士だ! 主を置いて逃げる守護騎士がどこにいんだよッ! 姫さんは黙ってついて来い! 逃げるぞ!』
『だめよ。王たる私が、民に背を向けることなんてあってはならないわ』
女王の死――という予定調和が訪れる。
派兵中、不吉な予感に襲われたカインは心に従い、すべてを投げ出してエカテリーナの元に戻った。しかし既にトライゾンのクーデターによって、美しい白亜の城は戦火に燃えていた。
そしていくつかのやりとりと刹那の愛を交わし、奇跡の言葉を紡ぐ。
『これから、あなたたちを未来に送るわ。どうか幸せになってね』
遠い昔に教えてもらったエカテリーナの固有魔法――〈時間〉。
その命を懸けた奥義によってカインは、愛するカーチャと憎きトライゾンの娘――シャルティとともに未来に飛ばされる。
――嫌だった。死ぬのならともに死にたかった。
しかし最愛にして敬愛していた彼女から、願いを託された。
娘を護ってくれ――と。
彼女の願いはこれまですべて叶えてきた。
だからここで断るのは――一度でも抱いた女の願いを無碍にするのは覇王の名折れ。
カインは愛する者のために、娘を護る決意をした。
『俺は……ッ! 姫さんに出会えて幸せだった……ッ! ありがとう……ッ!』
言いたいことは山ほどあった。
したいことも海ほどあった。
疑問も残った。
なぜ未来でなければならなかったのか――と。
ともに逃げる選択肢が、なぜなかったのか――と。
だけど述べたのはエカテリーナに出会えたことへの感謝のみ。
……最後の彼女の顔が頭から離れない。
あの――悲しくもどこか満ち足りた顔を……。
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