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――突如、太陽が目の前に現れた。
いや、実際には太陽ではない。しかし太陽と見間違うほどの光量と熱量を内包した炎の塊が迫っている。
「天災」ではないが、非力な人類にとっては天災と言っても差支えない不条理の具現。
しかるに――竜の息吹であった。
この世界を形作る生態系の頂点――竜種。
その牙は山を剔抉し、その爪は大地を裂き、その鱗は万物を拒絶し、そしてその息吹は世界を灰燼に帰す。まさに化け物。
「――その化け物の猛威が今まさに、か弱い幼女と反抗期の娘、そしてかっこいい『パパ』を襲う。三人の運命やいかに⁉」
「っっ! ちょっと『サージュ』! あなたこんな状況で何解説してるのよぉぉ‼」
「……今度の文系学会に提出する作品のキャッチコピーを考えてた」
「そんなこと家に帰ってからしなさいよ! ていうか家に帰れるかも分からないのに‼」
「……ねぇね、うるさい。パパの邪魔しないで」
「邪魔ってなによ! 邪魔って⁉ だいたいねっ! こんな状況で――」
竜の息吹が人の命を掻き消そうとしている状況にありながら、口論に精を出している幼女と少女。
幼女――サージュと呼ばれた娘は十才に満たないような小柄な体型でありながら、体よりもかなり大きいローブを身に纏い、眼鏡を掛け、片手に革張りの本を抱えており、茶髪のツーサイドアップの髪形も相まってちぐはぐな外見をしている。
他方の少女――ねぇねと呼ばれた娘は、十代中頃特有の少女から大人になる過渡期のような可愛らしさと美しさが共存している。プラチナブロンドの長く麗しい髪を後ろで纏め、抜剣している姿から騎士を彷彿とさせ、蒼い瞳も彼女の気の強さを表しているようだ。
そしてそのような竜の息吹を前にした彼女らの後方に、座して作業をしている「男」がいる。
「よっし! 『シャルティ』! 上着のほつれ直したぞ! まったく、年頃の女の子なんだからもっと身嗜みをだな――」
「お父様! 竜! 竜の息吹‼ に、逃げないと……っ!」
「んー? なぁサージュ、言ってた竜はあの程度の大きさでいいのか?」
〝ねぇね〟ことシャルティは、背後で服のお直しをしていた彼女たちの父親に助けを求めるが、男は危機に瀕した様子もなくサージュに問う。
「……ん。あまり大きいと持って帰るの大変でしょ? あれでだいじょぶ」
「そうかそうか! サージュはパパ思いのいい子だなぁ」
「……っ! むふー!」
父親に褒められ鼻息を荒くする娘と、青ざめた顔をしながら剣を竜に向ける娘。
二人の頭を雑に、しかし愛情をこめて撫でた〝パパ〟や〝お父様〟と呼ばれた男は娘達を護るように前に出て、左腰に佩いていた白い直剣を鞘に入ったまま右手で抜き放ち、娘に迫る敵に文句を述べる。
「……ったく、トカゲ風情が……。俺の可愛い娘がびっくりしてるじゃねぇか」
男は右足を一歩前に踏み込む。ジャリッと土を踏みしめる音が鳴る。右手に持った直剣を左腰に構え、滅紫色の鋭い瞳を竜に向ける。右腕の筋肉が盛り上がり、刹那、男を取り巻く空気が変わる。
――温かく柔和なものから、〝圧〟としか言えないものへと。そして右上に向かって掬い上げるよう、一息に振りぬいた!
「――――むんっ!」
その瞬間、世界から音が消えた。
次いで瞬きを一度したほどの時間の後、轟音と暴風が吹き荒れる。
「きゃあっ!」とシャルティが、
「……むぅ」とサージュが身を固くする。
男の天災の如き御業に起因する衝撃が収まると、シャルティが閉じていた瞼を開いて一言。
「……うそ……でしょ……⁉」
暴風から護る為、抱えていた本で顔を覆っていたサージュも目を輝かせ一言。
「……やっぱりパパはかっこいい……!」
そこには、三人に迫っていた竜の息吹が掻き消されたのみならず、遠くに浮遊していた竜までもが切り裂かれる光景があった。
「ま、こんなものだな」
神話の如き大事を片手で成したのにも拘わらず、さして疲れた様子も見せないこの男、『カイン』は、剣を腰に差し戻しながら二人の娘に向かって問う。
「――つーか二人とも怪我してねぇか⁉ 特に顔とか! 小石が飛んできて擦り傷とかできてないか? 跳んできた小枝で指とか刺さってないか? なんなら昨日食べたシチューで腹壊してない? ちゃんと今日お通じあったか……⁉」
竜の息吹よりも焦った様子で娘たちの安否を心配するカイン。シャルティとサージュの顔をべたべた触って確認し、手を取って娘の指を確認し、終いにはお腹に耳を当てて腸内環境まで心配する始末。
「――っ! お父様! 私に年頃うんぬん仰るんでしたらデリカシーを持ってください……!」
過激な父親に対し頬を赤らめて叱責するシャルティ。
「……パパ。もっとお顔むにむにして……?」
思いの外、父親に頬を触られるのを気に入ったサージュは追加注文を行う。
「まったくもう! 照れるシャルティも正直なサージュも可愛いなぁ!」
眦をだらしなく下げながら、カインは娘二人を同時に抱きしめ頬を擦り付ける。
「痛い痛い! お父様! お髭ぐりぐりはもうやめてくださいってば!」
「……パパ、あたし届かない」
「でへへへへ……! じゃあ次はサージュちゃんだぁ~!」
「まったくもう……っ! お父様の親馬鹿!」
「……親馬鹿なパパ、おもしろい」
黒い髪、筋骨隆々な体躯、滅紫色の瞳をした端正な顔をしながらも無精髭を生やしたカインを中心に、血の繋がりがないこの家族はしかし、竜の息吹よりも熱い愛情を持っていた。
カインのことを知っている者は、皆が皆口をそろえてこういうのだ。
――「あいつは親馬鹿だ」と。
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