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カインお手製の愛情たっぷり弁当を味わったのち、サージュはシェンナを連れて「知恵の塔」に来ていた。ここの最上階には文系の雄、イゼルの研究室があるからだ。
「……バーント教授、こんにちは」
「どうもですぅ、お父さん」
「おやおやおやおやぁ? サージュ君とシェンナではありませんか? もう数字と睨めっこするのは飽きたんですかな? ややっ、失敬! 万物須らく数式で解明しようとする杓子定規の理系のことが嫌いとはいえ、君たちにワタクシの思想を押し付けるのはお門違いでしたな。とはいえ、帝院の〝塔〟が誇る秀才が理系に毒されるのを指をくわえて――」
「教授。今日は共著論文の執筆に来た」
「ぼ、僕はそのお手伝いです」
ただの挨拶なのにだらだらと話が止まらない教授を遮って、サージュとシェンナは用件を手身近に伝える。
「――おお! そうでしたか! でしたらですね。サージュ君の第三章の部分に少し論旨が複雑な点がありますので、そこも改善していただけますかな?」
日常会話が壊滅的に成り立たないイゼルだが、こと学問のことになると円滑な会話になる不思議な人間。それがイゼル・バーント。
「三章? 帝国の創成期の所? あれはたしかに史料が少なくて困ってた……」
「この国は圧政を敷く国に革命が起きて成った国ですからな。貴重な史料も戦火に巻き込まれたと聞きます。仮説に対する主張が大きくブレないのであれば、削っても構いませんよ?」
「ん。今日、史料をさらって考える。それ以外は問題ない?」
「ええ。あとは、あとがきと謝辞さえ整えば査読に回します」
「わかった。ということでシェンナ、図書館から文献取って来て」
「……うへぇ……分かりましたぁ」
ここは塔の最上階。下りて図書館まで行って、多くの書籍を抱えてまた階段を上るのが嫌なのだろう。顔を顰めながらシェンナは研究室から出ていった。
そして本の山に囲まれながら論文の執筆に励むサージュ。しかしやはりところどころ不明瞭な点が浮かび上がってくる。どうしたものかと長時間思案していると、世界の誰よりも聞きなれた声が聞こえてきた。
「……こん、にち、はぁー」
「……お、お邪魔します……」
「パパ? ねぇねも?」
そーっと厚い木製のドアを開けて、恐る恐る入室の挨拶をしながら入って来たのはカインとシャルティだった。
「おっ! いたいた! よっ! 勉強捗ってるか?」
「というか、こんな時間までよく本読んでいられるわね……」
「……………………??」
ーーなぜカインが帝院に? というかこんな時間まで?
そう思って周囲を見渡し、窓越しに空を見ると、
「――――夜」
研究室にはもう誰もおらず、すっかり日も落ちていた。たしかに教授やシェンナから声を掛けられたような気もするが、まさかこんな時間まで没頭していたなんて。
「迎えに来たぜ、サージュ。もう少し勉強するのか?」
「サージュ、少しは太陽に浴びないと不健康よ……?」
大きな机に向かって座っているサージュの元に二人が近づいてくる。そしてサージュを気遣う二人に、現状の行き詰まりを伝える。
「……少し分からないところがあって困ってる」
「お、おお。そうか。だけどパパはあんまり賢くないからなぁ……。ちなみに何に困ってるんだ?」
「竜の火炎袋が硬くて切開できないし、中も高温で触れなくて計測ができない」
「なんだぁ、そんなことならちょちょいのちょいよ!」
サージュの悩みを聞いたカインは己の胸をドシンと叩き「任せろ」といった仕草を見せる。
――やはりパパは凄かった、とサージュは改めて感心する。
そしてもはや解決したも同然の理系問題のほかに、午後いっぱい使っても明らかにならなかった事象をカインに問う。
「それと、帝国の創成期について分からないところがある」
「あぁぁ、歴史と来たかー……。ま、とりあえず話してみ?」
「んと……『アングリア=ナハト帝国』のアングリア=ナハトとは、古の言葉で『夜の決意』を意味すると帝宮文書にある。だから帝都アングリアは『決意』の都なのだと。でも帝宮文書以外のどこにもそのことを書いてある文献が見つからない。古の言葉なのに、南の共和国も東の国々の史料のどこにも、そんな言葉の記録がない。皇族を疑うのは罪だけど、信憑性に欠ける……」
「…………ッ」
サージュの言葉にカインは目を瞑り、眉間に皺を寄せている。
偉大な父だが武に特化しているため流石に分からないか、とサージュが諦めていると、思いもよらない答えが返ってきた。
「――アングリア=ナハトは昔、この地域で使われていた言葉で『夜襲』を意味する」
「パパ……?」
いつもの優しい雰囲気とは違う。されど魔物や不審者に対する威圧とも違う。
カインを取り巻く空気はどこか物寂しく、怒りに満ちていた。
「三百年以上前のことだ。元は『グナーデン王国』という名の、代々慈悲深い王が統治する平和な国だった。しかしある時、隣国から婿に来た王配の主導でクーデターが起きた。皆が寝静まった夜中にな。着実に準備を進めていた王配たちは、たちまち王宮に攻め入り、王の権威を女王から簒奪した。〝夜襲〟を掛けて乗っ取った国だから、『アングリア=ナハト』帝国であり、〝攻撃〟によって王家を滅亡させたから帝都『アングリア』なのさ」
「…………っ!」
重苦しく語るカインに、後ろから抱き着くシャルティ。
二人の並々ならぬ様子に、開けてはならない箱を開けてしまったかのような錯覚に陥る。
「そ、そんなこと、どこにも書いてない……! どうしてパパは知ってるの……?」
「…………」
なぜそんなことを知っているのか、それにそんなことは皇族侮辱罪になるのではないかと心配になりカインに問うも、背中に抱き着くシャルティを正面から抱き締め直すのみ。
しばしの沈黙の末、シャルティの頭を優しく撫でながら、
「――なんてな! そんな裏事情があったらおもしろいよなぁ!」
「…………え…………?」
「はっはっは! まったくもう! サージュちゃんもまだまだ子供だな! 戦うことしか脳のないパパがそんな歴史知ってる訳ねぇだろ? ……自分で言ってて空しくなってきた……」
それまでの空気を吹き飛ばすかのような軽口を叩くカイン。しかしそれは空元気だと、聡明なさージュは察知する。
「ねぇねも何か知ってるの……?」
とシャルティに聞くも、カインの胸に顔を埋めながら、ふるふると首を振るのみ。
「シャルちゃんは今日、学校の試合で負けちまったらしくてな、落ち込んでるんだ」
――これも嘘だ。
しかしながら、我儘を言ってもいつも叶えてくれるカインが、あえて真相をはぐらかしたのには意味があるとサージュは考え、潔く引くことにした。
いつか必ず教えてくれると信じて……。
「……分かった。そういう事にしとく」
「…………おいで、サージュ」
カインも、サージュが先ほどの巧言で騙されていないことには気づいているのだろう。
サージュも抱きしめるべく、胸元に呼ぶ。
「――――ん」
そして、シャルティと一緒にサージュをしっかりと抱きしめるカイン。いつもの親馬鹿ぶりが爆発した時のような激しいものではなく、血の繋がりがない儚い家族を繋ぎとめるかのような切実な抱擁であった。
しかしそれでもサージュは、たしかに温かいものを胸に感じた。
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