6
サージュは登院するとき、晴れていればそのまま向かうが、雨の日は帝宮前広場の噴水を眺めて無為の時間を過ごすという習慣があった。なぜなら雨が大好きだから。
――生まれて初めてカインの腕に包まれたのが雨の降る日だった。
誰から生まれて、どうしてそうなったのかも分からない。カインに抱かれてからどうやって育てられたのかも覚えていない。
しかしはっきりと、あの霧雨の中でサージュを見つめる泣きそうな父の顔は覚えている。顔中土と血に塗れ、お世辞にも赤子を抱く環境ではなかった。それでも厳つい顔に浮かぶ、優しくも寂し気な滅紫色の瞳が忘れられない。
だからサージュは雨の日が好きなのだ。雨が自分とカインを繋ぎ合わせてくれたと思っているから。
しかし今日は晴れ渡る空が大きく広がっている。少しだけ気落ちしながらサージュは帝院へ向かう。
文系学会へ提出する文学作品と、イゼルとの共著論文の執筆が残っているが、今のサージュの好奇心を駆り立てるのは理系分野における「竜の息吹」の調査。
ゆえにサージュは門を潜って中央広場を左――右が文系領域「知恵の塔」、左が理系領域「理系の園」――に折れる。
そして成績優秀生に貸与される研究室に籠るのが、サージュの行動様式なのだ。
今日もいつものように安っぽい音を鳴らす引き戸を開けて、
「うわぁぁん! サージュさぁん! 助けてくださいぃぃ……!」
帝院五回生主席にしてサージュの助手である『シェンナ・バーント』が泣いて助力を求めてくる。
「……シェンナ、朝からうるさい。それにまずは挨拶。……おはよう」
サージュより十歳近い年上にも、はっきりと常識を諭す八歳。
「ううぅぅ。おはようございますぅ。それでね! サージュさん! 火炎袋なんですが! 硬くて解剖できないんですぅ。内部から切り開こうにも内部は内部で高温なのでメスが溶けてしまいますし……」
まだ十七歳なのに、父親譲りの濃い緑色の髪の至る所に白髪が散見される。それもこれも真面目な彼の研究に邁進する性格と、サージュの無茶ぶりの賜物である。
日々増えていく白髪がいつ緑色を侵食しつくすのかひそかに楽しみにしているサージュであった。
「武器屋での火炎袋の加工方法は試した?」
「遥か昔は『霓氷』を使用していたそうですが、神話の中の素材ですので信憑性に欠けるかとぉ……。霓が神によって結晶化されたものっていう、あれですう。ですので、どこも火炎袋は加工していないって言われました。そもそも竜の素材自体めったに入手できないものですしね……」
「……困った」
「困りましたねぇ。騎士団の方に協力していただいて切開できても、中は高温。取り扱いが難しいですぅ……」
火炎袋。カインに討伐し解体してもらった竜の素材。
大きな袋状になっており、外は人肌程度の温度だが、中は金属を融解させるほどの高温。まるでまだ生きているかのような生命力を感じる。
当初の計画では、これを解体し袋内部の温度と息吹の温度差を比較、差異が認められるならば喉の部位との複合検証をするはずだった。しかしまさかの初期段階で頓挫しかかっている。
――そこまで考えてサージュは至る。
解体したカインなら切開は可能だろうと。そしてカッコいいパパなら高温であっても触れることができるのではないか、と。
幼い故か、父への絶大な信頼故か、学者でありながら非論理的な含意に支配されたサージュは宣言する。
「パパに手伝ってもらう」
「そ、槍剣の覇王にですか‼ わぁー! そそ、それなら父も呼んだ方がいいですね!」
イゼルを筆頭にバーント家は皆カインの大ファン。
憧れのカインに会えると浮足立ったシェンナは、さっそく父を呼びに行こうとするが、
「でも今日はダメ。お願いするからには事前に伝えておくべき。今日はたぶん冒険者の仕事をしてる」
もし他の女と逢引きをするのなら、朝の段階で髭を剃っているはず。しかしサージュの見送り時点でも髭は沿っていなかった。だから今日は、なにか依頼をこなしているのだろうと推測する。
「……そうですか。なら今日はどうしますか? サージュさんが不在にしている間、考えうる仮説は出し尽くしたんですけどぉ……」
「見せて。午前は仮説の妥当性を探る。午後は〝塔〟に行くけど、付いてくる……?」
「もちろんです! ぼ、僕は、天才幼女サージュさんの助手ですから!」
「ん。よく言った。……むふー」
なんやかんやで、ちやほやされると嬉しいサージュであった。
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