零前、或いは零後 3
苦しい。
足が重い。
視界がぼやける。
共和国軍を湿地から追いやったカインは一人、大樹にもたれかかりながら休息を取っていた。
霧雨に抱かれながら、項垂れ、地面をぼんやりと見つめている。
魔力はなく、純粋な武力のみで大軍を押し戻した。
もちろんエルキュールの罠も敵に対し有効打となった。
しかし流石のカインも不眠不休で戦い続けるには一月が限界であったのだ。
今は泥水を啜り、木の実を食んで飢えを凌いでいる。
もうここまで戦えば、あとは湖を渡り撤退しても大丈夫だろうと思う。部隊も十分立て直したはず。
幸い、クイーン湖はこの一カ月、湿地帯に幻出し続けていた。
ーーもうお役御免だろ。
そう思い瞼を閉じようとすると、視界の端で天まで連なる一筋の光の柱が現れた。
敵の新たな攻撃かと予想するも、なぜか温かい気配を感じるカイン。ゆえに震える足に喝を入れ、光源へと向かうことにする。
雨足はだんだんと強くなっている。
「……おいおい、嘘だろ……?」
果たしてそこには、泣き声に包まれた赤子の姿。
周囲には誰もいない。
さらにこの一カ月、ここは戦場であった。
ゆえに近隣の集落の子供ではないだろう。
加えて、光を伴った唐突な現出。
この現象には見覚えが、いやーー経験したことがあった。
「エカテリーナが……?」
そう。未来跳躍の現象とそっくりだったのだ。
ゆっくりと一歩ずつ赤子に近づいていくカイン。
赤子の周囲のみ雨は小粒になっている。
バシャッと膝をつき、赤子の顔を覗く。
茶色い髪が僅かに生えた、まだ幼い子供が泣いている。
エカテリーナの子供かとも思ったが、眉の形が違うことに気づく。
「……へっ、シャルティ以外も子育てしろってか? まったく。過去からでも我儘言ってくるなんてな」
口ではそう言うも、カインの双眸は潤いを帯び始める。
ーーまるでエカテリーナに発破をかけられてるみてぇだ。
もう死んでもいいと思ってた。愛する人と離別し、友も知人もいない世界で一人、子供を育てていくことに言いようのない不安を感じていた。
だからシャルティをこの時代の人間に任せてもいいと思ってた。
ーー無責任極まりねえな。
そんなカインのことをエカテリーナは慮って、この赤子を送ったのかもしれない。
それも戦地のど真ん中に。
「お前えが誰の子かは知らねえが、お互い苦労するよな」
赤子へかけた言葉が聞こえたのか。泣くのを止め、瞼を開けてカインと視線が交わる。
すると眦を下げ、笑みを浮かべたではないか。
それを見て、つられてカインも口角を上げる。だが涙を流さんと堪えていることもあって、ぎこちない笑みなのが己でも分かる。
「ーーーーーーはじめましてだな、お嬢さん」
小雨から霧雨に変わった戦場で、英雄と赤子は邂逅した。
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