第五話
ピラミッドまで跳んだカインは、一段一段ゆっくりと登っていた。
足を動かしながらも、意識は三百年前の過去に馳せていたからだ。
あれはまだカインが十九歳かそこらの頃。エカテリーナに拾われグナーデン王国に来て一年ほど経ったある晴れた日。
「今日聖女ちゃんが来るけど口説いちゃダメだからねっ」
「……ったく、人をなんだと思ってんだよ」
「性欲に忠実な剣士……?」
「くっ、否定できないっ」
「とにかく! 聖女ちゃんはおっぱい大きいけど、口説くの禁止だから」
「へいへい」
唐突に告げられた聖女の来訪。聖女そのものの意味すらわからず、カインは王宮から飛び出し街をプラプラしていた。正直興味がなかったからだ。
すると道の真ん中でチンピラに絡まれている芋臭い青年と、顔が見えぬほど目深にローブを被った女を見かけた。
女だとわかったのはローブの上からでもわかるほど胸が大きかったから。
そうとなれば話は早い。カインは即座にチンピラを蹴散らした。あとはキメ顔をすればメロメロになるはず。
「ふっ、危ないとこだったな。もう安心だぜ」
いいながら女の肩に手を置こうとして、
「その方に触れるなあ!!」
芋臭い青年が殴りかかってきた。まだ若かったカインは条件反射で青年の頬に拳を突き刺した。
歯が折れ、口から血を流しながらもその双眸は死んでなかった。だから問うた。
「なんだお前。チンピラじゃねえのか」
「俺はその人を守ると決めたんだ! お前こそなんだ! 急に現れてその方に触れようとして!」
「守りてぇならしっかり守りやがれ。驚かせることすらさせるんじゃねえ」
「うるさい!」
叫びながらがむしゃらに突っ込んでくる青年。それは生意気でも可愛く感じた。だからカインも応じ、二人はーーというより一方的ではあるがーー拳を交えた。
そうして青年が地面に伏した頃合いになって初めて、ローブの女が口を開いた。
「……失礼ですが、貴方様はわたしをお助けになってくださったのですか?」
それは少し舌足らずでありながら、心地よい響きの声だった。
「ん? ああそのつもりだっだんだが……。悪いな、こいつあんたの知り合いだったんーー」
「素晴らしいです!」
「……だろ……へ?」
熱くなりすぎてすっかり女の存在を忘れていた。連れを血まみれにしたことを謝ろうとして、なぜか賞賛された。
「か弱いわたしを助けるために悪を挫き、さらには男同士の熱い戦い! やはり血湧き肉踊る肉弾戦こそが愛ですね! これが慈愛です!」
「お、おん……」
一人で盛り上がる女。ちょっと頭がアレな人なのかもと思い距離を取ろうとしたら、後方より聞き知った声が耳朶を叩いた。
「ーーあらカインじゃない。なに? 早速口説きにきたのかしら?」
「あ? 俺が巨乳に弱いからってーー」
「お久しぶりです! エカテリーナ!」
「おっひさ〜アンジュ」
「……はい?」
もうついていけない。急にローブを脱いだかと思うと茶色い髪が特徴的な美少女が現れ、さらにはエカテリーナと抱きしめ合っているのではないか。
まさかこれが例の聖女? と頭を捻っていると、今度は地面を抱きしめていた青年が顔だけ上げて叫んでくる。
「エ、エカテリーナ様!? ということは、その方と親しい貴方はもしやーー"色狂いの剣鬼"!?」
「……他にあるだろ、もっとカッコいい二つ名」
カインの呟きは空気に消えていった。
「弟子にしてください! 俺はこのお方をお守りしたいんです!」
「そもそもお前誰なんだよ……。この人の護衛か?」
「いえ、その男性は旅の道中で一緒になっただけです」
聖女がピシャリと言い切る。
「護衛ですらないのかよ。つか俺もまだ道半ばだ。弟子なんざ取ってられるかよ」
「なら兄貴と呼ばせてください! 俺が勝手に学ばさせてもらいます! 俺の名はセルヴァ! いつか聖女様をお守りする男っす!」
「ーーて、いってるけど……?」
話を聖女に振る。
「ふふふ、このような馬鹿を愛するのが慈愛だと、わたしは思いますので」
「……ったく、勝手にしやがれ」
「うす! よろしくお願いします! 兄貴!」
それが出会いだった。
それから一年間、共に王国で過ごした日々は笑いと喧騒に包まれた日々であった。
だからこそ過去に残してきたことに思うところもある。しかしもはや過ぎた時間は巻き戻らない。
ーーどうか棺とやらが無関係の人でありますように。
そう祈りながら頂上に登る。
その場には蓋を開けられた石製の棺。
中には人の形を保った遺骨が安置されている。チラリと蓋に目を向けると、そこには古王国の文字が刻まれている。
『聖女の愛する人ーーセルヴァ。ここに眠る』
「…………っ」
嫌な予感が的中してしまった。足元が揺らぐ感じすら覚える。
わかりきっていたことだ。エカテリーナによって未来に送られるということは、すなわち過去との別離を意味する。
セルヴァだけではない。聖女もそう。ともに飲み明かした居酒屋の酒飲み友達も口説き落とせなかった美女も。
ーーエカテリーナも例外じゃねえ。
みな等しく死んでしまっている。
瞳が潤むのを自覚しながら、棺の中をじっくり見ていく。
骨になっても芋臭さが抜けていないような気がする。そしてその側頭部には何かで穿たれた孔がある。それをそっと撫でながらか細く呟く。
「……なにがあったんだよ」
明らかに戦いの跡を匂わせる傷。骨となった弟の頬を撫で、涙が溢れるのを堪える。
するとなにか違和感を覚える。それは追憶の彼方。セルヴァとの邂逅。
「……歯が、欠けてねえ……?」
聖女とともに王国から出発した時も、セルヴァの前歯は歯抜けになっていた。それがさらに芋臭さを助長させてもいたのだ。
それがない。
健康的な青年男性の骨格をしており、歯並びも綺麗に揃っている。
違和感を確実なものとするため頭蓋骨を持ち上げてみると、棺の中ーー頭蓋骨の真下ーーにも文字が刻まれているのを見つけた。
それを見てカインはついに涙を溢し、顔を綻ばせる。
「……ああ! 必ずだ!」
涙を袖で拭い、その場から大きく跳躍!
愛する家族の元へ帰る。
ーーもうここには用はねぇ!
暗い海底神殿に似合わず、カインの顔は晴れ晴れしていた。
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