第九話
とても戦闘が起きたとは思えないほどの静寂が空間を支配している。
そう、海竜にとっては戦闘ですらなかったのだ。
海竜の黄金の瞳がサージュを突き刺している。どうして浅瀬に海竜がいるのか。あの巨体を持ち上げているのは筋力なのか魔法なのか。どうやって出現したのか。
様々な疑問が浮かぶものの、それらは霞の如く消えていく。
ーーこわい。
生物として根源的な恐怖を初めて体感する。シャルティが話していたことがやっと理解できる。
動くことすらできない。
幸い生来の頭の速さは損なわれてはいないが、体が動かない以上風前の灯火には変わりない。
「……パパに会いたい」
やっと口から出た言葉は、命の嘆願でも悔恨でもなく、ただ愛する父に会いたいという純粋な願い。
だからこそ、その純粋な願いは確かに届いた。
「だあああぁぁぁぁ!」
「ーーっ」
咆哮が木霊する。それは海竜に非らず。それは人だった。
サージュの視界の端ではブリジットが膝に手を置き立ちあがろうとしていた。
「なに……寝てるんだい……ッ! お姉さんらは『ブレイド』だろうッ! ただ仲間の頭文字を集めただけかい!?」
ブリジットの激励にイシュバーンが盾を杖代わりにして立ち上がり応える。
「……そうだ。我らの名は、カイン殿から授けられたもの」
横ではレティも弦の切れた弓を抱えて膝をつく。
「"決して忘れるな"と自戒を込めるために……!」
服の端切で右腕を吊ったドイルが脂汗を吹き出しながら続く。
「"そうであってくれ"と願いを込めたんすーーあの英雄が!」
ブレイドの四人がそれぞれ胸元から首飾りを引き出す。それはサージュもよく見たことのある、赤銅色をした水晶の首飾り。
四人の八つの瞳が燃え盛る。
命に換えても海竜を討伐してやると決意を込めて!
「「「「ーーーー逆境を切り裂く刃であれと!!!!」」」」
パリィン、と四つの水晶が砕け散る。
刹那、四人の体表に赤銅色のオーラが纏わりつく。
外見だけではない。醸し出す雰囲気が一転する。
ーー冒険者のものから強者のそれへと。
「「「「…………『四覇臣凱』」」」」
それはまるで王に付き従う忠義溢れる臣下を彷彿とさせる。
「……お姉さんらの王から下賜された一度きりの切り札だよ」
「我らの王が往く道を塞ぐものあらば、切り伏せ押し通るための力」
「わたしたちが憧れ、恋焦がれた景色の再現」
「…………パンピーの俺らでは"命をかけても"模倣すら烏滸がましいっすけどね」
ブリジットが槍を、イシュバーンが盾を、レティは弦の切れた弓を、ドイルは利き腕とは反対の腕でダガーを高く掲げる。
それぞれの掲げた武器に赤銅色のオーラが纏い始める。辺り一面は震え、足元の海水は波立つ。
「……え、命をかけるって……?」
うつ伏せに倒れていたシャルティが顔だけ上げて苦しげに呟く。
それを近くで聞いていたブリジットが歯を輝かせ答える。
「……てなわけだ。お姉さんらが命をかけても海竜を仕留める。あとの脱出は任せたよ」
「そんな……ッ!?」
息を飲むシャルティ。
「大丈夫さ。基礎がしっかりしてるシャルティは、足りてなかった"経験"を得たんだ。護衛をするお姉さんがいうのは間違ってるがーー」
ーー妹たちを頼んだよ。
その言葉は吹き出す風圧にかき消された。
四人が掲げた武器を強く握りしめる。
それはまるでカインが剣を振り下ろさんとする姿。
海竜ですら警戒心を露わにして低く唸っている。
一歩足を踏み出す。バシャッと音が鳴る。
全身の筋一本一本が切れるほど力を込めた文字通りの最後の攻撃。
四人が振り下ろしながら叫ぶ。
「「「「ーー『憧剣・覇王の一刃』!!!!」」」」
それは忠義の一太刀。
槍に込められた"炎"が、盾に込められた"衝撃"が、弓に込められた"風"が、短剣に込められた"拘束"が、王の力添えによってこれまでとは一線を画す領域にまで洗練され、収束され放たれる。
散らばっていた四人の攻撃は互いに引かれあって一塊の"刃"となって海竜に襲いかかる。
「「「「いっけえええええ……ッッッッ」」」」
三つの属性と一つの概念が混じり合った決死の斬撃が海竜を切り裂く!
「GYAAAAAAAAAAッッ!?」
巨体を覆い尽くす蒼鱗を裂き、肉を剔抉することにより大量の血が噴き出す。
戦闘にもならない弱者と侮っていた海竜も驚く。顎を大きく広げ天を向いて絶叫する。
しかしそれだけだ。
「……これでも、倒れない、のかい……ッ」
ブリジットの悔しそうな声は、その場にいた全員の心境を代弁していた。
叫び終えた海竜は、キッと瞳孔を広げた目を一行に向ける。
次の瞬間、水の刃が四人を切り裂いた!
「ーーガハッ!?」
「……意趣返し、てことかしら……ッ」
ストンと膝を折り、膝立ちになり恨みがましい目線を向けるもののそのままバシャッと沈んでいくブレイドの四人。
さらに傷を負った海竜の行動は早かった。後方で棒立ちになって呆けていたサージュに狙いを定め、弾けたように肉薄し噛み砕こうと強襲してきた。
「…………あ」
凶悪な牙がサージュの視界を支配したかと思うと、今度は姉の声が耳朶を刺す。
「ーーサージュっ!!」
視界の端より飛来した姉は、剣を上手いこと牙に添えさえ、返す形で海竜の牙撃を捌く。
「……初めてだけどできた! 『四斬護剣・秋の型ーー秋雨穿暮』……!」
いくら経験を詰んだといえどシャルティのうっかりは治らない。
捌けたことで、技を決められたことでホッとしてしまった。
だから尾の攻撃に気づかなかった……。
「ねぇねうしろっ」
「へ? ーーきゃあっっ!?」
こちらを向いてドヤ顔しながらも心配そうな瞳をしていたシャルティの背後より、鋭い尾が巻きついてくる。
そのまま持ち上げ、地面ーーというより水面ーーに叩きつける。
「……やだ。やだよ……」
ーーねぇねはポンコツだけど優しい。お姉さんはカッコいい。お兄さんも頼れる。でもみんなやられちゃった。
小さい手を血が出るほど強く握りしめる。
自分が幼いことはわかっている。だから守ってもらうのは、お世話をしてもらうのは当たり前だと思っている。
そうして成長し、今度は自分が幼い者を守るものだと思うから。
しかし今この瞬間以上に、己に力がないことを悔やむ時はなかった。
一緒に戦う力があったなら、せめてみんなを連れて逃げるだけの何かを持つ賢者であれば。
頭でっかちではなにもできないことを痛感し、胸が熱くなるのを実感する。
それは怒り。それは悔恨。それは恐怖。それは絶望。
涙で溺れた視界には血に塗れ倒れる家族の姿。
サージュは胸の熱い気持ちを吐き出すが如く、腹の底から声を出す。
脳裏にはカインの背中を浮かべて……。
「あたしの家族をいじめないでっっ!!」
その言葉が、その行為が、その感情が、その状況が、全てがキッカケだった。
人生で初めて大きな声を出し、初めて感情を揺さぶられた。
ーーここに聖女は誕生する。
サージュの体から眩い光が発せられる。まるで深海に浮かぶ太陽。様子を伺っていた海竜でさえ瞳を閉じ顔を背けるほどの光量。
光が収まるとそこには……、
肩甲骨にかかるほどまで髪が伸び、純白のベールを被ったサージュの姿。
ーーなにをしないといけないのかわかる。
瞳には星が煌めいている。両腕をゆっくり広げ、唇を震わせる。
「ーーーー癒しを」
それだけで淡い緑色の魔力が空間を支配する。それは負傷した者たちに降り注ぎ傷を癒す。
「……くっ、え? き、傷が……?」
「治ったんすか?」
「……あんたサージュなの?」
皆の疑問に答えようとすると、再び海竜が襲いかかってくる。放置していてはマズイと本能で感じ取ったのだ。
しかしシャルティはまだ動けず、ブレイドたちは離れていた。
だからこそ、いや、そうであるために、
「せいや〜」
騎士団の役割なのだ。
腑抜けた掛け声とともにアドラーが海竜の首元を蹴り飛ばし攻撃を逸らす。
そしてミニョンとアドラーはサージュの前に拝跪する。
「お初にお目にかかりますなのーー聖女様」
「ーー僕たち『穢れなき慈愛の騎士団』、三百年お待ちしておりました〜」
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