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7.篝乃庭とシクラメン



 タワーベルのある本館を出てすぐ左の小道を抜けると、マリア像が迎える庭園にたどり着く。アリサが初めて舞白と出会った庭園で、学校の公式的な呼び名は『バージン・ガーデン』だが、一部の純桜生の間にはまた違った愛称が存在しているという。


「――『篝乃庭(かがりのにわ)』、と呼ぶ生徒もいるとのことです。なぜだか分かりますか?」


「悠芭ってほんと、そういう話が好きなんだね」


 呆れと感心が半々な声で菊乃が言い、


「生徒会がよく催しものをするからとか? 確か篝乃会とか言うんでしょ」


「外れです。もっとよく考えましょう」


「なんでそんな上から目線なのか」


「ヒナ、分かったかも! 生徒会の人たちが作ったお庭だからじゃないかな?」


「違いますが、可愛さが満点なのでよしとします」


「やったー! 菊乃ちゃんに勝利!」


「してないと思うけどね。ていうか悠芭、あんまりヒナを甘やかさないで」


 不審者から子供を守ろうとするように小雛を引き寄せる菊乃。

 これには悠芭も苦笑いを浮かべ、


「小雛さんに対する菊乃さんの愛情には勝てそうもないですね。でもこちらの方が私には眼福です。ねえアリサさん?」


「なぜわたくしに?」アリサは戸惑い気味に答える。


「先ほどから黙っていらっしゃるので。お二人の美しい友情を堪能されていたのかと」


「友情はともかく、悠芭さんのせいで菊乃さんがお気の毒なのは聞こえていたけれど」


「これはまた手厳しい。では閑話休題です。アリサさんはお分かりですか? なぜ篝乃庭と呼ばれているのか」


「さあ、どうかしらね」淡い笑みを返すのみに留める。


 舞白とセイラのことで頭がいっぱいで、庭の愛称について考える余裕などなかった。


(本当にお姉さまと一緒なのかしら。もし見かけたら、なんて声をかけたら……)


 同級生や下級生を呼ぶ時は『さん』を付けるが、上級生の場合は『さま』を付けるのが慣わしとなっている。けれどスリーズの上級生は『お姉さま』と呼び、ほかの上級生と区別しなければならない。

 実の姉であっても同じで、『清華さま』ないしは『セイラさま』と呼ぶことになる。

 それだけでも抵抗があるが、それ以上に気がかりだったのは、舞白がセイラを『お姉さま』と呼ぶこと……当然の成り行きと理解していても、想像したくない光景だった。


 四人が到着した頃には、バージン・ガーデンは多くの生徒で賑わっていた。

 夜にもかかわらずマリア像や桜が鮮明に見えるのは、庭園のそここに立ち並ぶ篝火のおかげだった。


「わぁ、すっごい綺麗!」


 小雛がいの一番に声を上げる。


「見て見て菊乃ちゃん! 火があちこちにあるの!」


「ちゃんと見てるから。袖引っ張らないの」


 嗜めるように言う菊乃も、篝火で照らされた庭園に目を見開いている。

 息を呑むほどに美しく、アリサも夢中になって幻想的な夜桜を見上げていた。


(これが、瑠佳さまが仰っていた花篝……本当に、綺麗だわ)


 三脚の上に乗った鉄籠の中で、温かなオレンジ色の炎がぱちぱちと小気味のよい音を立てながら燃えている。

 一つ一つの篝火は淡い光を放つだけの灯火ながら、整然と並べば手を繋ぎ合ったように頼もしく辺りを照らし、桜や花壇の花々を鮮やかに映えさせていた。


「純桜女学院、春の名物『花篝の(れい)』……美しいとは聞き及んでいましたが、これほどの絶景とは。眼福の極みです」


 悠芭は大仰な感嘆を漏らすと、頬に手を当ててうっとり見蕩れている。

『花篝の礼』というのがこの催しの名前で、篝乃会主催の恒例行事だという。

 入学式がある日の夜に篝火を焚いて夜桜を堪能するもので、庭園にいる生徒たちは柔らかな炎の光に瞳を煌めかせ、桜を眺めたり歓談に花を咲かせたりしている。中には敬虔なクリスチャンのように、マリア像の前で拝跪している上級生も見受けられた。


(シスターだけじゃなくて、生徒にも受洗されている方がいらっしゃるのかしら。それにしてはみなさん、次々に拝んでいらっしゃるけれど)


 マリア像の前で代わる代わる跪き、なにかを唱えているように見える上級生たちの姿がアリサには少し不思議だった。


「あっ! もしかして菊乃ちゃんが言ってたのって、あの火があるから?」小雛が閃いたように訊ねる。


「篝乃庭のことですか? そうですね、あの篝火も無関係ではないというか、そう考えても間違いではないかもしれません。ただ私が知っている由来は、様々な理由や歴史が絡んだ複雑なものです」


「持って回った言い方だね。もっと簡潔に言えないものなの?」菊乃が不満げに訊いた。


「ご尤もです。では簡単な由来というか、一番ポピュラーなものからご紹介しましょうか……あちら、マリアさまのお足もとに咲く白い花々ですが、その名前はご存知ですか?」


 小雛と菊乃が顔を見合わせる。どちらもあまり花に明るくないらしい。


「ガーデンシクラメンよね」仕方なく、アリサが横から答える。


「さすがはアリサさん。実はこのシクラメンですが、和名だと『篝火花』と呼ぶのです。これが最も有名な由来の一つですね」


「へえ、じゃあもしかして、あのお花も光ったりするの? それとも火が点くとか?」


 小雛の奇想天外な問いに、菊乃が「ふっ」と、珍しく噴き出して笑った。


「そんなわけないでしょ。まあ、火は点けようと思えば点くかもだけど」


「和名は、初めてシクラメンを見たとある貴婦人が、篝火のようだと形容したことが由来だそうです。ちなみに『豚の饅頭(まんじゅう)』なんて別名もありますが、こちらはあまりエレガントではないというか、私好みの名前ではないので聞かなかったことにしてください」


「じゃあなんで言ったわけ」


「ひけらかし癖を抑え切れず。ペダントリーです」


「そういう言葉も、なんかひけらかしてる感あるけどね」菊乃が手厳しく言って、「篝火花だけで充分な由来に思えるけど、ほかにどんな由来や歴史が絡むわけ?」


「よくぞ訊いてくださいました。これには聖なる山岳よりも気高く、母なる滄海よりも慈しみ深いわけがあるのです」


「なら訊くんじゃなかったかもね」


 軽く後悔する菊乃をよそに、得意げな顔の悠芭が嬉々として語り始めている。

 小雛はおとぎ話を楽しむ子供のように耳を傾けていたが、アリサは聞く気になれず辺りを見回した。篝火が照らす庭園には和やかな空気が漂い、さんざめく生徒たちの清らかな微笑みで満たされている。


 そんな中、アリサは庭の隅にいる制服姿の舞白を見つけた。

 たった一人でベンチに座り込み、煌々と照らされた桜をぼんやり見上げている。長い前髪の隙間から覗く眼差しはどことなく寂しげに見えた。



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