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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

掃除屋の傀儡少女は何を見る

作者: 永久 燿

「掃除屋の傀儡少女は何を見る。」


第一章 プロローグ


第一話 傀儡少女の紐を切る者


ネット社会が促進し、全てのことが電子機器で行われる現世では、個人情報一つで何でもできてしまう時代だった。

だからこそ人々は、本名を名乗らず、別名を使って生活していた。


〜街中にある掃除屋〜


そんな機械仕立ての世界とはかけ離れた小さな掃除屋に、「ホワイト」と言う少女がいた。

もちろん「ホワイト」は別名だが、彼女の心は傀儡人形のように縛られ続けられていた。



「ふぁ〜……んー! よし、今日も生きてるよ、僕!」


明るい朝の光がカーテン越しに貫通してきて、その清々しい朝を知らせてくる。

小鳥の囀りを聞くのはこれで何度目だろうか。

少女は起き上がり伸びをして、そして立ち上がった。

また少女の朝は忙しい。

お手洗いや洗顔を済ませ、朝食にパンを一枚食べ、水を飲んで流し込む。

そして身支度を終え、急いで職場へと向かおうとする。


「あっ、いけない! これを忘れるとことだった!」


そう言った少女は部屋へと戻り、桃色の小瓶を手に取り、手首と首横に霧吹きを吹きかけた。

それは香水であり、ある人から貰ったもので大切に使っていた。

これだけはどんな物よりも暖かく感じ、自分を許してくれるものなのだ。

そうして少女は甘い果物の香りを漂わせながら、部屋を後にした。


「おはようございます、おばさん!」

職場へと着くと、大きな声で挨拶をした。

するとカウンターに座っていた掃除屋の店主の奥さんが、顔を見せて笑顔で挨拶をし返してくれた。


「おはよう、ホワイト! 今日もいい朝だねー! 」


「はい! それで今日のお仕事はなんですか?」


さっそく今日の仕事を尋ねると、おばさんはホワイトに向かって、「今日はカウンターだよ」と言った。

どうやら今日の仕事は「お店番」と言うやつだった。

仕事内容としては、掃除の依頼の受付と、商品の会計だ。

もちろん頻繁にお客さんが来てくれる訳ではないが、一人は絶対に来るはずだ。


その一人とは、このお店に毎日のように現れる、言わば「常連」というやつで、ある意味有名な少年なのだが……。

ホワイトはその少年ことをあまりよく思っていなかった。

何故なら彼は、おそらくホワイトのことが好きなのだろう。

もちろんこれは、ホワイトの自惚れでも勘違いでもなかった。

その証拠に、彼は店に来くる度に、車を洗う洗剤とホワイトのことを毎回尋ねているらしい。

時折、ホワイトが仕事で外に出ていることがあり、その時の少年は残念そうに帰っていくのだとか。

それに加え、彼はよくホワイトに何か欲しい物とか、好きな物を聞いたりして、下手に口を滑らすとそれを買ってきては、すっとそれを置いていくのだ。

もちろん、貰える分には嬉しいが、その優しさがホワイトの心を抉るのだった。

そしてその少年が来たのは昼過ぎのことだった。

店の出入り口が開き、上についていたベルが鳴り響く。


「いらっしゃいませ!」


そう元気に言うが、看板娘という自覚はないものの、一応そうなっているため、笑顔で挨拶をした。

すると少年はホワイトがいることに気づき、あからさまに表情を変えて、ニコニコの笑顔で近づいてきた。


「え、あの! ほ、ホワイトさん! お久しぶりですね。えっと、今日も洗剤の方お願いできますか?」


「はーい。あっ、ルナさんお久しぶりです。今日も洗車用の洗剤ですねー!」


「は、はい! 」


ホワイトが洗剤を用意している間、少年ルナはモジモジとして恥ずかしそうにしていた。

話したくても話せないもどかしさで、お互い気まずい感じになってしまった。

そこから一早く抜け出すように、大きな瓶に入った洗剤を机の上に置いた。


「えーっと……全部で五千円になります!」


「……」


「あのー?」


「……」


「ルナさん? 聞こえていますか?」


「……」


「ルナさん!!」


「うわあ! ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい……」


少し大きな声を出したとは言え、怯える様子を見せるルナに、ホワイトは少し違和感を覚える。

その後、彼はいつものように洗剤を買っていったが、先程の様子がどうも心残りだった。

あれはどう見たって日々暴力を受けている人間しか、あの反応は見せないだろう。

ホワイトの声に、しかも名前に反応して咄嗟に頭を守るなど異常だ。

ホワイトは何をするにも彼のことで頭がいっぱいになり、ため息をついた。

この心を締め付けるような痛みはなんなのだろうか。


「クソっ、だから嫌いなんだよ……」


そう言う彼女を尻目に店主であるおばさんは、「青春だね〜」と暖かい眼差しを送っていた。



夕方過ぎになると、おばさんが店番をやっていた。

すると店のドアが開き、黒ずくめのガタイのいい男が入ってきた。

そして真っ黒なダガーを見せつけて、こう言った。


「裏依頼を頼む。殺してもらいたいやつがいる」


「はぁー、うちは掃除屋だよ! どうしてこうも副業ばかり儲かるのかねぇ。それで依頼の内容と金額を言いな!」



すると男はとある企業の社長の名前を言って、机の上に札束を二つ置いた。

おばさんは札束の数を数えて、ため息をついた後、少女の名を呼んだ。


「キラーホワイト、仕事だよ! 」


「はい、おばさん……」


少女は依頼の紙を受け取ると、すぐに準備を始めた。

彼女の瞳は色を見失い、心は人形のように冷たく、片手には手馴れたナイフを握りしめていた。


〜深夜〜


この街では、ある「黒き女神」と言う噂があった。

暗い真夜中に潜み、現れたら最後、二度とその者は見られないと言う。

しかし、その者は恐ろしいほど美しく、そして甘い良い香りがするらしい。

噂なので真相は定かではない。

そして今宵も黒き女神は闇を徘徊するのだった。


今回の依頼の目標である、電子機器の王手企業の社長は、帰りも遅く、また迎えてくれる伴侶もいない。

その孤独感を少しでも埋めれるように、贅沢な日々を送っているそうだ。

高層ビルが縦並ぶ住宅街の中、一際大きいビルの最上階に、その人物はいた。

彼は今、仕事から帰宅し、衣類や荷物を投げ捨て、常備してある酒を安定剤のように飲んでいた。

部屋の明かりなどもつけず、薄暗い中でも大型タブレットから発せられるブルーライトで事足りるのだろう。


「みーつっけた……さてさてどうしようかな〜」


宵闇に姿を隠した暗殺者は軽い足取りで、高層ビルへと侵入していく。

小柄ながらに黒いフード付きの上着が、夜風にさらされてなびいていた。

「キラーホワイト」そう呼ばれる回数が表の「ホワイト」以上に最近は多くなっている気がする。

皆恨みを知らず知らずのうちに作っているのだろう。

そうしてあっという間にターゲットのいる部屋へと侵入できてしまう。

違和感というものはなかったが、どうも様子がおかしい。

基本的にセキュリティがガバガバで、何一つまともに起動していなかった。

監視カメラも死角があり、普通はそれを埋めるように設置するのだが、カメラも数台しか取り付けられていなかった。


「うーん……まあ、いっか!」


とりあえずはターゲットを殺す方が先だ。

部屋のドアの鍵を開け、徐にドアから入って行くが、特に何もなかった。

中に入ると廊下には電気がついておらず、普通の人であればまず見えないが、ホワイトは特に夜目が鋭いので問題ない。

そしてリビングに繋がるドアをそーっと開き、中を覗く。

するとターゲットはタブレットに目を奪われ、酒に心を奪われていた。

普通に歩いてターゲットの真後ろに着き、銃を脳天へと向けた。


「じゃあ、バイバーイ......」


バン!!


夜中に響き渡る銃声、飛び散った肉片はテーブルを真っ赤に染めあげて、銃先から手にかけては飛び散った血で生暖かく感じた。



「あっ、それじゃあ洗面所借りますねー! 」


そう言う彼女は頬についた血を拭い、洗面所へ行きすぐさま血を水で洗い流す。

他人の血は感染症などの可能性がるため、できれば触らない方がいいのが、仕事上そうもいかない。

なので、家に侵入しての殺しは大抵洗面所を借りている。


「いやいや、洗面所広すぎでしょ! 私の部屋二、三個分くらいありそうなんだけど!」


洗面所にはトイレ、手洗い場、そして三つほどドアがついており、そのドアの向こうはシャワールームとなっていた。

いくらお金が余っているとはいえ、一人暮らしでシャワールームを三つもどう使うのだろうか。

そんなことを呑気に考えながらも、手洗い場の蛇口に手をかざす。

すると案の定、水が出始めた。


「うーん、なかなか人の血って落ちないんだよねー」


手に触れた水滴から、真っ赤に染まっていくその様子は何度も見た光景だった。

徐々に自分の綺麗な手が見えてくると同時に、心の中では「やっと終わったよ」と今日も生き続ける自分に皮肉のような言葉を飛ばす。

そして手を綺麗にした彼女は、侵入してきた道とはまた違う道を使い、さっさと逃げていく。

すると、あるアパートの屋上に足をかけたその時だった。


「ん? 誰かいるの?」


そう言うとアパートの暗がりから、この依頼を持ってきた黒ずくめの男が現れた。

微かに感じた気配だけだったが、相手も素人というわけではなさそうだった。






第二話〜君は人形なんかじゃない〜


「はは、さすがはキラーホワイト! 私の存在に気づくとは、素晴らしい目を持っている」


「それはどうも……ですが、何故貴方がこちらに? 依頼は無事達成しましたよ。それに……まだ隠れてますよね」


「法、気づいているのか。ならば話は早い」


そう男が合図をすると、周囲にはおそらく同業者(暗殺者)が現れ、彼女を囲うように円を描いていた。


「どういうつもりですか?」


「まだ分からないのか? 確かに大企業の社長も暗殺対象だったが、我々はもう一人殺さなければならないのだよ」


「ああ、そう言うことねー。つまり僕を殺しに来たってことかな?」


「はは、理解が早くてッ……」


男が喋り終える前に、周りにいた人間全員に強風が吹き、首元を襲った。

また周囲にいた暗殺者たちは何が起きたのかも分からなかっただろう。

何故なら、たった一回の瞬きだけで、己の首が地面へと落ちていたのだから。


「ねえ、知ってる? 人間って首を落とされても十五秒くらいは生きてるらしいんだ〜。それから僕を殺すなら、もっと速く動いた方がいいよ?って、もう聞こえてないか!」


その声は既に聞こえないはずだ。

裏切りを働き、死んだ者の顔などもう何度も見てきた。

なのに、なのに、何故こんなにも心が痛いのだろうか。



暗い夜道を一人歩いてき、掃除屋へと戻り、ドアを開けた。

しかしそこにあったのは、いつものような暖かい出迎えではなく、血の匂いと静寂の空気だった。


「ただいまッ……はぁ〜、おばさん派手にやられたね」


そう言うホワイトの目の前には、無惨にも殺されたおばさんの姿があり、おそらく私を殺す前に殺られたのだろう。

そっと手を伸ばし、おばさんの頬へと触れるが、氷のように冷たかった。

しかし、不思議と悲しみや怒りといった感情は湧かなかった。

だってこれが日常なんだから。


「おばさん、今までお世話になりました。貴方の次なる人生が良いものになりますように」


そう言ったホワイトは荷物をまとめ、掃除屋へと火をつけた。

本来警察や表の人間に気づかれないように火をつけるのだが、彼女としては弔いとしての意味があった。

そして再び一人、真夜中へと消えていく。

肌寒い風が吹き、暗い夜道は静かだが不気味で、今日の夜は長く続きそうだった。


「とりあえず、ここから離れないと……」


そう思い、次の隠れ家のような職場を探して歩き続けた。

道中、今まで貯めたお金の通帳を握りしめるが、こんなものに価値があるのかとふと彼女は思ってしまう。

お金があってもまともな生活が送れない、これが暗殺者の一番のデメリットだ。

幾ら稼ごうとも、大切な人や家を意図も簡単に奪われるのだから。

彼女の心はより閉ざされていき、孤独感と言う激痛を心の中では感じていた。


そして気づけば、少年の職場である、洗車工場へと立ち寄っていた。

あいつの事は嫌いだし、鬱陶しいのに何故ここに来てしまったのかを理解できずにいた。

何のために私を好き好むのか分からない。

身体が目的の奴らとは違うし、かと言っても下心がないと言うわけでもなさそうだった。

彼が何を考えて、また彼の目にはどう私が写っているのか確認したくなる。

すると、工場からは仕事終わりのヤツらがぞろぞろと出てくるが、彼の姿は見えなかった。


「なんでこういう時だけいないんだ!」


そう心の中で叫ぶホワイトだが、依然として暗がりに隠れていた。

それから五分、十分と待ったが出てくる気配はない。

とうとう痺れを切らしたホワイトは、工場の中へと侵入したのだった。



工場内はそこまで広いという訳ではない。

大きな作業場が大半を占めており、荷物や鉄の破片が散乱し、大きな機械が置いてある。

しかし、彼の姿は見えなかった。

ゆっくりとした足取りで、足音一つなく歩いて行き、工場の 裏庭の方へと出たのだった。

そしてついに少年ルナを見つけた。

彼はもう終わりの時間だと言うのに、一生懸命作業を続けていた。

そんな姿を見てホワイトは呆れたような表情をしてしまう。

どっちかと言えば哀れに思う気持ちが強く、おそらく彼は他の人の仕事までも終わらせようとしているのだろう。


「はぁー、あいつバカにも程があるだろ。なんで他人にあんなにも優しくできるんだ」


ホワイトは静かな足取りで彼の背中の近くに着き、方をトントンとつついた。


「へッ? えっ!? ほ、ホワイトさん!? なんでこんな場所に!」


彼の驚いた表情はどことなく可愛く、不意に笑みがこぼれてしまう。


「あはは、びっくりした? ねえ、ちょっとお話しない?」


そうして少年ルナを連れて、外にある海岸沿いの堤防へと腰掛けた。

彼にこの姿を見せたのは初めてだったので少し恥ずかしかったが、隣に座っている彼はいつも通り優しく接してくれていた。



「あのー、それで話って……」


「そうだねー。あっ……そうそう、掃除屋なくなっちゃったから明日から気をつけてねってことを言いに来たんだ」


「へ!? ホワイトさんはどっか行っちゃうんですか!」


「あはは、僕は今無職だから新しいこと始めようかなって思ってるんだ。田舎の方に行って、ゆっくり暮らすのも悪くないしね!」


「あの、もし良ければ家に来ませんか? もう今日は夜遅いですし……」


「えっ、意外と君って大胆なところあるよね。でも大丈夫! 私がいると多分迷惑になっちゃうから……」


「迷惑だなんて、そんな……。確かにホワイトさんは仕事柄、色々大変なのは知ってますよ。暗殺者なんでしょう?」


そう核心を突くように言う彼の首元に、ホワイトはナイフを向けていた。


「な、なんで知ってる! まさか、君もこっち側の人間?」


彼はナイフを向けられているのに、動じることはなく、逆に君なら殺されてもいいというような表情をする。

そんな表情は卑怯だと思ったが、一応ナイフを下ろし、再び彼の横へと座った。


「実は俺とホワイトさんは昔会ったことがあるんですよ。覚えていませんか?」


「ごめん、分からない。もう何人も殺しているから……」


「えーっと、ホワイトさんがまだ小さかった時、助けた男の子を覚えていないかな?」


「うーん……」


そう言われ、幼き頃の記憶を遡るが、それらしきものは見当たらない。

そもそも殺し専門の彼女にとって、助けることなどまずないからだ。

必死に悩んでいる彼女に少年はあることを言った。


「俺の本名は閃、ホワイトさんが両親を殺した際に車の後部座席にいた俺を助けてくれたんです」


「両親を殺した……もしかして四年前に食品関係の大企業の夫妻を殺したけど、その時の男の子?」


「そうそう! 燃える車から、動けない俺を引っ張り出して、助けてくれたんです!」


「でも、君は僕を恨んでないの? だって両親を殺したんだよ?」


「確かに両親がいなくなって大変だったけど、俺の親は結構厄介でろくに食事もできてなかったから、死んでもなんとも思わなかったんです。それよりも、ホワイトさんがあの時必死に俺を助ける目を見て、なんて綺麗な目なんだろうって思ったんです。あなたを見つけた時は、すぐに気づきましたよ」


「や、やめてよ。そう言うこと言われると照れる……。はあー、与太話が過ぎたね。仕事の邪魔してごめん。僕のことを誰にも言わないなら殺さないから、安心して。それからありがとう。君の家には……行けない。もし僕を狙う暗殺者が来たら君を巻き込んでしまうから」


「じゃあ俺も一緒に逃げます」


「そう言うことだから……えっ? 今なんて言った?」


「だから俺も一緒に逃げますよって言ったんです! 俺はまだ夢を叶えてないし……」


「夢?」


「あれ、覚えていませんか? ほら、ホワイトさんが俺を助けた時、俺が告白して振られたのを!」


「あ、ああ、確かにいきなり好きだって言われた記憶はあるかな。驚いたし、そんな状況じゃなかったから振ったけど」


「そして諦めの悪い俺が、どうしたら告白を受けてくれるか聞いたら笑わしてくれたらいいよって、ホワイトさんが言ったんです」


「ああ〜、確かに言っちゃったかもねー」


「なので俺は全力で貴方を笑わせにいきますよ。だって恩人であり、憧れの人ですから」



そう言う彼の表情には嘘や偽りといった表情は一切なく、純粋無垢で情熱的な視線を感じた。

するとホワイトのここの中では、湧いたことのない感情が溢れ出していた。

人を見て初めて『好き』という感情にいてもたってもいられなくて、今すぐにでもこの場から離れたかった。

またそれと同時に彼を束縛するように独り占めしたくなってしまう。

心の中で葛藤していると、閃が急に押し倒してくる。


「えっ、ちょ! そういうことはまだ……」


「大丈夫ですか! ホワイトさん……」


そう言う彼の肩からは血がダラダラと出ており、銃弾ではなく、おそらく空気銃によるものだった。

ホワイトは理解したように彼を押しのけ、庇うようにナイフを構えた。

そしてどこから情報を手に入れたのか、現れたのは国の正義を象徴する暗殺者対策課の特別捜査隊の連中だった。

一般的な警察よりも格段に機動力があり、武装も並のものではないのが特徴で、よくホワイト自身もお世話になったものだ。

しかし、未だ彼らには捕まえられておらず、どうやら今回は敵の数から察するに本気のようだった。


「動くな! この反社会勢力どもめ! ここはもう包囲されている! 大人しく投降するならば、これ以上危害は加えない」


そうメガホンを使って言われている間にも、閃の肩からは血が止まらず、このままでは危なかった。

ホワイトは覚悟を決め、雄叫びをあげるように、正体を明かす。


「僕が、キラーホワイトだ! 彼はただの一般人で、関係ない! 」


そう言っても誰一人として動こうとはせず、その場で盾を構えて、突っ立っていた。


「な、なんで誰も動かないんだよ! 一般人を殺す気か!」


「我々はキラーホワイトの逮捕が目的だ。正義執行のため、一切の妥協を許さない」


「ふざけんな! 正義のために罪のない一般人を殺して何になるんだよ! さっさと治療しろー!」


「はぁー、大人しく投降すればいいものを。総員構え!」


「はあー!? ふざけんな!」


話し合いもろくにする気がないのか、こちらに空気銃を構えて殺意丸出しだった。

ホワイトも死ぬ覚悟で武器を構えようとすると、倒れていた閃が立ち上がり、突拍子もないことを言い出す。


「お、俺がキラーホワイトです!」


「な、何を言って!」


「彼女は俺の恋人です。だから俺の事情も知ってるし、庇ってそう名乗っただけなんです。彼女に危害を加えないなら、大人しく投降します」


そんな嘘などで騙される相手じゃないのもわかっているはずだ。

ホワイトは彼を止めようと、何度も自分が「暗殺者だ」と叫ぶが誰も聞く気がなかった。

そして背後へとつかれ、取り押さえられてしまい、身動きが取れなくなってしまう。


「は、離せー!!」


「大人しくしろ! こ、この女、意外な握力を……」


ホワイトは武装した警官三人に取り押さえられ、さすがに抜け出せなかった。

そして閃は両手を上にあげ、頭を地面につける。

抵抗する気はないと言わんばかりにじっとしているが、そんな彼に向かってメガホンを持っている警官はニヤリと笑い、おもむろに銃を取り出す。 

そして、再び「構え」と指示をだし、周りの武装した警官も彼に銃口を向けた。


「な、何をして……まさかッ!!」


「総員……」


「閃、逃げて! そいつらはなから殺す気だ!」


そう叫ぶホワイトに閃は振り返り、涙を流しながらも笑顔を作りこう言った。


「幸せになってください」





「撃て!」




それはほんの一瞬の事だった。

たった数秒の間に、何十発もの空気銃が放たれ、彼の身体を蹂躙していく。

地面には絵の具を飛ばすかのように血が飛び散っていき、地面は真っ赤に染まっていく。

その時初めて彼女の心には怒りと悲しみが湧き、それは徐々に膨れ上がっていき、ついには殺意と憎悪に変わっていく。

そして次の瞬間、取り押さえていた警官三人が安堵し力を緩めた瞬間、懐にあったナイフを取り出し、三人の首をかき切ってやった。

普段なら慈悲として痛みもなく殺していたが、今回はそうもいかないようだった。

完全にブチ切れたホワイトは掌から血が出る程ナイフを握りしめた。

すると零れ落ちる血が地面を伝って混じり合い、大きな水たまりのようなりその濃度はどんどん高まっていった。

すると、彼女は暗殺者ではなく生きる殺人鬼と化していた。









「クッ、なあーお前ら……楽に死ねると思うなよ。生きてること後悔させてやる」





第三話〜異世界への片道切符〜


いくら武装した警官であっても殺す分には、一般人とそう変わらない。

あれからホワイトはその場にいた警官を皆殺しにし、特に指示を出していた女警官は念入りに切ってやった。

足から手にかけて数十回、最後に心臓を三回ほど刺してやり、泣き叫ぶ彼女を、何度も刺して殺したのだった。

そして全てを終えたホワイトは虚しさと、悲しさに襲われ、今にも虫の息である閃をゆっくりと持ち上げる。


「ごめん、ごめんね……」


そう何度も謝る彼女に閃は虫の息ながらも笑顔を見せる。


「だい、丈夫……ホワイトッさんが、無事ならそれで……」


「何言っているんだよ! 大丈夫、閃は必ず僕が助けるから……」


「あはは……」


幸い、致命傷となるところは避けており、即死ではないだけ、まだ希望はあった。

止血をしようと着ていた服を破き、出血の多い箇所から順に、キツく縛っていく。

そして涙ながら止血をする彼女の手を閃はそっと止めた。


「えっ……」


「もう俺が助からないのは、自分で分かります。なので……ホワイトさんは逃げてください」


そう弱々しい声で言う閃。

ホワイトは悲しみと悔しさで胸がいっぱいになる。


「やだッ! やだやだやだ! 閃は僕を笑わせるんだろ! こんな場所で死んでいいわけないだろ!!」


「あはは、ごめん……なさい」


彼は再び横になるが、もう起き上がる程の力も出せずにいた。

このまま死ぬのを待つ彼に、ホワイトはあることを言った。


「ねえ、今から閃に僕の本当の名前を教える。だからこれからも好きでいてくれる?」


「え、え……」


閃の耳元で静かな声で彼女は囁いた。


「僕の、本当の名前は……紅楼絵(クロエ


そう言って彼女は目を閉じ、彼の唇にそっと口付けをするのであった。


――――――――――――――――――――――――――


口付けをしている間に、ふと血なまぐさい匂いがなくなった気がする。

紅楼絵は目を開けると、そこは先程までいた場所ではなくなっていた。


「えっ、へ!?」


「ああ、勇者様方がお目覚めになりました!」


そう声が聞こえた方に振り向くとそこにいたのは、ドレス姿の女性と騎士コスプレ?を着た者が数名突っ立っていた。

するとドレス姿の女性が近づいてきて、何をするかと思えば手を差し出してくる。


「だ、誰だ! これ以上近づくなら、容赦は……」


「う〜ん、紅楼絵さーん」


威嚇するように構える紅楼絵だったが、寝言のような声を出す閃に驚き、もう理解が追いつかなかった。


「せ、閃起きろ! 君は生きてる! なんでなのかは分からないけど、傷一つもない! ほら、起きろー!」


「へ!? えっ、あ、紅楼絵さん! 死んでも会えるなんてここはおそらく天国ですね!」


「なっ、馬鹿なこと言ってないで僕の後ろから離れないで!」


「えっ? ……これ現実!? ええええええええええ!!」


「驚くのは分かるが緊急事態……だ…」


「あのー、勇者様方……いきなり召喚してしまって悪いのですが、もしよろしければ詳しくお話しますよ」


言い合う二人を見兼ねたのか、先程のドレス姿の女性が初めから説明してくれた。


「えーっとつまり、僕と閃はそのー……召喚魔法? とやらでここまで来たと?」


「はい、クロエ様は理解が早くて助かります。数千年前に初代勇者様がこの世界を統一し、それからは毎年の祝い事として勇者召喚をしているのです。ですのでクロエ様とセン様のことは既に世界中に知れ渡るよう手配してありますので、近々、各国の王族も来られると思います。その間はこの人国第一王女、セルヴィアがお力になります」


「へー……って! 君、王女様なの!」


「まあ、名ばかりのものですよ。それでは先にお洋服をどうにかいたしましょうか」


そう言われて気づいたが、確かに紅楼絵の服はビリビリに破かれており、閃の方は所々に穴が空いていた。

するとセルヴィアが手を叩くと、近くにいたメイドたちがぞろぞろとやってくる。

そのままメイドたちに連れられて、閃と紅楼絵は各々別の部屋へと案内されたが、紅楼絵の方では問題が起きていた。


「さあ、クロエ様。服を脱いで頂き、こちらの湯船に入ってください。私たちが洗って差し上げますので……」


「えっと……」


「どうかされましたか、クロエ様?」


「これはお風呂だよね。でも僕お風呂は……入りたくないなー。せめてシャワーとかないの?」


「しゃわー? 申し訳ございませんが存じ上げません」


「……」


紅楼絵はそっとその場から逃げようとするが、案の定メイドさんたちは逃がしてくれなかった。


「クロエ様、さあ綺麗にいたしましょう! 大丈夫です。怖いものではありませんので!」


「いや、いやいやいや! 無理! お風呂やだ! 絶対入りたくない!!」


「クロエ様、逃がしませんよ! ほら、入りますよ!」


取り押さえられた紅楼絵は、強制的に服を脱がされ、湯船へと入れられる。


「いやだあああああああああああああぁぁぁ!!!」


その声は悲鳴というより絶叫といった方が正しい。

そんな声が廊下に響き渡り、既に着替え終わっていた閃の元まで聞こえていた。

そしてものの数秒後に紅楼絵のいる部屋のドアがこじ開けられ、閃と数名の騎士が入ってきた。


「ほえ?」


「だ、大丈夫ですか! 紅楼絵さ……ん…」


「あわわわ、閃!?  なでぇええ?」


「ごごご、ごめんなさい!!」



急いで入ってきた閃と騎士たちだったが、紅楼絵の姿を見て驚き、騎士たちは一斉に後ろへと振り向く。

閃は何度も謝っていたが、やってしまったと顔面蒼白になり、見ないように後ろへと振り向いた。

しかし、その後鼻血を吹き出し、そのままぶっ倒れてしまった。

また先程のメイドの人が激怒したような顔をして、声をあげた。


「あなたたち! ……今すぐ、出ていきなさい!!!」


その迫力のある声を聞いた騎士たちは背筋が凍り、倒れた閃を担いでどこか行ってしまう。

まるで蜘蛛の子を散らすようであった。


―――――――――――――――――――――――――

数時間後。


紅楼絵は結局お風呂に入り、着替えを済ませ、再びセルヴィアの元へと呼ばれていた。


「クロエ様、お風呂は怖いものではありませんよ」


「だって、嫌いなんだもん!」


「いけません! これからは毎日入っていただきますからね!」


「ひやー! 王女様は厳しいなー!」


こんな別の世界に来てまで説教をくらっていた紅楼絵だったが、目を覚ました閃が現れ、鼻には丸めたガーゼのようなものを詰め込んでいた。

そして彼は紅楼絵の姿を見るや否や、土下座をして謝罪をしてきた。



「ごめんなさい、紅楼絵さん! まさかあんなことになるとは思っても……」


「別に構わないよ。元々僕が叫ばなければこんなことになってないし……だから、今日のことは何もなかった! いいね!」


「は、はい!!」


そうしてドタバタしていたが、紅楼絵にとっては楽しい時間であったことは間違いないだろう。

今まではこんなにも心を動かした日はなかった彼女にとって、この世界はとても魅力的に感じたのだった。


 その日の夜。

 

閃と紅楼絵は楽しい夕食を終え、後は寝るだけだった。

 寝巻に着替え、温かい布団へと入り「よし寝よう」としてた閃は隣の部屋から鳴き声のようなものが聞こえてきた。

 たしか、隣の部屋では紅楼絵が寝ており、好奇心は猫をも殺すというが、さすがに昼間のようなことにはならないだろう。

 そう考えた閃はこっそりと部屋を抜け出し、差し足忍び足で紅楼絵の部屋に入っていったのだった。

 部屋に入ると先程の声の正体である紅楼絵が苦しそうな顔をして、うなされていた。


「うう、あああああ……」


 悪夢でも見ているのかすごいうなされようで、さすがに見ていられなかった。

 そこで閃は彼女の手を握り、何度も「大丈夫だよ」と声をかけてやっていた。

 そんなことをすれば彼女が起きるなど予想できたが、彼女の辛い顔などみていられないのだった。


「うう、せ……閃? な、なんでここに?」


 寝起きで声が裏返っていたがその表情に辛さはもう感じなかった。

 閃はほっとしてその場で尻もちをついてしまう。


「はあ、よかったですよ。さっきはすごい苦しそうで……うなされていましたから」


「あはは、なんかごめんね。いつも僕こうだから迷惑かけちゃうかもだけど」


 そう言って平然を装う彼女だったが、握っている手は震えており、その恐怖が未だ続いているようだった。

 閃はあることを思いつき彼女に「ついて来て」と一言って、彼女を部屋から連れ出していく。

 彼女は驚いていたが、震えはとまっており、加えて少し嬉しそうに笑っているようにも見えた。

 そして連れ出した場所は城のように広いこの建物の外、簡単に言ってしまえば裏庭のような場所だ。

 なぜそんな場所を知っているかというと、騎士たちに雰囲気の良い場所を聞いていたので知っていたのだ。

 そして裏庭へと出ると夜なので綺麗に整えられた草木や花々は、脇役に徹している。

 今回の主役は前の世界では絶対に見られない、宇宙の神秘、太陽の真の顔と言わんばかりの満月であった。


「わぁあー! 綺麗な星……」

 

「はい。こんな綺麗な星、前の世界じゃ明るすぎて見られませんから」


 彼女は階段に腰掛け星々へと目を向けている。

 閃も彼女の隣に座って、夜風に晒されながらも、触れ合う肩から感じる体温が何とも言い難い。

 彼女の瞳に映る星はその輝きが一層増したようにも見えて、閃も自然と笑顔になってしまう。

 星々は二人の少年、少女に一つの劇を見せるが如く、煌めいていたのだった。


第四話〜影魔法〜


あれから数日が経ち、特に何もすることはなく、閃と紅楼絵は今日も暇を持て余していた。

セルヴィアは勇者召喚にあたっての各方面への書類作成に忙しく、各国の王族も会いに来ることは未だなかった。

ある意味その間は自由なのだが、いかんせんこの世界のことは分からないだらけだった。

例えばこの世界は以前の世界のような電子ではなく、魔法と呼ばれる力を軸に動いている。

例えば蛇口一つ捻る必要はなく、手をかざすだけで水やお湯が思い通りに瞬時に出てくるのだ。

不思議としか思えない技術だが、実際存在しているのでなんとも言えない。

一応紅楼絵や閃にもその魔法の才能はあるらしいが、使い方が分からないのでは意味はないだろう。

そうして部屋でゴロゴロしていた紅楼絵は起き上がり、本を読んでいた閃にある提案をしていた。


「ねえ、閃! 僕と一緒に外に行ってみようよ!」


「いいですね! やはり異世界というのはこう、胸を踊る様な体験をしないと損ですからね!」


そう目を輝かせて言う閃。


「詳しいんだね、閃は……」


「はい、前の世界でよく異世界モノの本をよく読んでいましたから。それによればまさにこの世界は完璧じゃないですか! 魔法ありきの世界なんてワクワクが止まらないですよ!」


そんな風に熱弁する彼を見て、紅楼絵はこれが幸せなんだと、笑ってしまう。

そうして外を見てきたいとセルヴィアに伝えると、快く許可がもらえた。

しかしあまり大勢で動くわけにもいかないので、メイドたちの一人をついて行かせるように手配してくれた。

そして準備を整え、いざ出発。

数日ぶりの外の空気は二人の冒険心をよりくすぐるのであった。


――――――――――――――――――――――――――


外へとやってくると、やはり見慣れない光景が広がっており、その中でも一番の驚きは、人間以外の人もいるということだ。

この国は人種が多く住まう国だが、もちろん獣人や、エルフ、ドワーフといった御伽噺(でしか聞かない人たちが普通にいるのだ。

紅楼絵や閃から見ればコスプレをしているようにも見えるが、やはり本物は雰囲気が違った。


「わぁ! すごい賑わいだね、閃!」


「はい! 色々見てみましょう、紅楼絵さん!」


ここは繁華街のようで、多くの人が集まっていた。

真ん中に位置する噴水を軸に八本の大通りが展開しており、大通りには出店がずらりと並んでいる。

どこに何があるかわからず、閃はメイドの人に聞いてくると言って、紅楼絵は知らないうちに一人になってしまう。

分かりやすいように噴水へと腰掛け、彼の帰りを待っていた。

そんな時だった。


「あの魔力って……フフッ、やっと見つけた」


 閃はなかなか帰ってこず、紅楼絵は噴水へと腰掛け足をぶらつかせながら、何もない空を眺めていた。

 すると急に空が暗くなったと思ったら誰かがこちらを覗くようにして、こちらを見ていたのだった。


「へ!? おわぁ!」


 突如現れた存在に驚いて紅楼絵はバランスを崩し、そのまま噴水へと落ちそうになる。

 

「おっと、危ない危ない。いやー、驚かせてしまったかな?」


 その声は中性的で見た目も少年なのか少女なのかわからなったが、間一髪のところで手を掴んでもらい、紅楼絵は噴水に落ちずに済んでいた。


「えーっと、どうも……」


「あはは、私の方もごめんね。私はクロスグリ。こう見えて魔族なんだよ」


「ま、魔族? あっ、えっと、僕は紅楼絵。あの、助けてくれてありがとう」


「クロエって名前なんだ! うん、いい名前だね。それでクロエって勇者……だよね?」


「へ? なんでわかったの?」


「ああ、君はまだ魔力が感じられないんだね。実は魔力には人それぞれ毛色が違うんだ」


「へー、魔力でそんなこともわかるんだ。そうだよ、僕は勇者召喚でこっちの世界に来たんだ。今は……もう一人の勇者を待ってたんだ」


「そっか、ならこの噴水近くにいるといいよ。多分だけどもう少しで来るから。それじゃあ、私から勇者様に贈り物をあげるよ」


 そう言ってクロスグリは紅楼絵の手にビー玉くらいの真っ黒な塊を手渡してきた。


「これは?」


「それはね、魔道具って言ってとっても便利な機能が付いたものなんだ。それをもって探している人のことを思い浮かべれば、勝手に導いてくれるから」


「へ! これって高価なものなんじゃ……」


 そう言った紅楼絵の目の前にはすでにクロスグリの姿はなく、背後から閃の声が聞こえてきた。


「紅楼絵さーん! お、お待たせしました。ん? 紅楼絵さん?」


「あ、ああ、いやなんでもないよ。それよりもなにか見つかったの?」


「はい! 実はあっちの大通りにですね、おいしいパンケーキのお店があるらしくて……」


 そういう閃は誰よりも楽しそうにしていた。

 あの人がだれで、何のために近づいてきたのかは分からない。

 けど今は、なによりも彼との時間を大切にする方が優先であった。


 ~数時間後~


 あの後、閃と紅楼絵はメイドの人に教えてもらった通り「ぱんけーき」といわれる、甘くてふわふわしたものを食べたり、綺麗な布で作られた服を売る店や、また図書館のような本を沢山扱う店にも立ち寄ったりと、充実した時間を過ごしていた。

 閃の目にはどれもが輝いて見えるのだろうが、紅楼絵にとってはどれも初めてのことや感情ばっかりだったので少し戸惑ってしまうことが多かった。

 しかし、図書館ではこの国の歴史について学ぶことができた。

 紅楼絵と閃はまだ読み書きができないためメイドの人に頼んで読んでもらった本にはこう書かれていたのだった。


~勇者英雄伝~


 昔も昔、この地には人種が暮らしており、また国ができて、戦一つない平和な世の中であった。

 しかしある時、異世界より「六人の大魔王」が現れて、その強大な力をもって人の国は滅ぶ寸前まで追い詰められたそうだ。

 そんな状況で初代聖女である者が「勇者召喚」を行い、それにより現れた勇者によって見事窮地に一生を得たのだった。

 そんな大戦争の最中、突如として大魔王たちは和平を申し立て、初代勇者の力によって今のような世の中になったとされていた。

~勇者英雄伝終わり~

 

 またメイドの人は付け加えて勇者召喚の理由を教えてくれた。

 当時、いくら和平を結んだからと言って、簡単に憎悪の輪が切れることはなく、諍いもたた起きたらしいが、数千年の経った今となれば、誰も当時のことなど忘れてしまっているだろう。

 しかし、またいつ危険と遭遇することになるかわからないため、人々は祝い事兼安寧を願って、毎年勇者召喚を行っているそうだ。

 


 そうして話は終わり、気づけば結構いい時間であったため帰ろうと店を出ると、今度はトラブルに巻き込まれてしまう。

 

「いやー、勉強になりましたね。紅楼絵さん」


そう言いながら満足そうに大通りへと出た二人に、突如一人の男が猛スピードでぶつかって来たのだった。


「ったく痛ってーな! 邪魔なんだよ。ガキ!」


低いガラガラ声で大柄の男は閃を下敷きにしたまま暴言をはいてくるのだった。

 すると頭にきた紅楼絵は大柄の男の首根っこを持ち、思いっきりなげ飛ばしてしまう。


「ぶつかって来たのはそっちでしょ。周りを見てなかったこっちも悪いけど、暴言をはかれる筋合いはないよ」


 しかし、投げ飛ばした男は立ち上がり、今度は懐から大型のナイフを取り出して脅すように向けてくる。


「ちっ、生意気なガキだぜ、まったく。こっちが大人しくしてりゃあ、つけあがりやがって! ぶっ殺してやる!」


 相手も激昂していたが、突如息を荒げた女性が現れ「その人盗人です!」と叫び、周りには野次馬が集まって来ていた。

 さすがに分が悪いと考えたのか男は紅楼絵にナイフを向けて、こう叫んだ。


「いいか、お前ら! 俺に歯向かうやつは殺すぞ。このガキは人質だ!」


「紅楼絵さん、逃げて!」


 目を覚ました閃が危険を察知し咄嗟にそう言い放つが、紅楼絵は怖がるどころか、ナイフの先が服に掠るくらいの距離まで近づき、笑いだしてしまう。


「あははははは……」


「て、てめえ、何がそんなに可笑しいんだ! 変な真似したら本当に刺して」


「いやいや、貴方根は優しいんだね。だって、貴方人を殺したことないでしょ?」


「あ!? なんで、そんなことがわかんだよ!」


「まずは、刃先が僕に触れた途端、小刻みに震えていたね。それは人を刺したことがない証拠だよ。それにそのナイフ、人を殺しているには綺麗過ぎると思うんだ。人の血って刃に付いたらなかなか落ちないんだよねぇ」


 状況としてはガタイのいい男の方が圧倒的に有利なのに、紅楼絵が相手となった今では彼女の方が優勢に見えてしまっていた。

 閃は助けようと頑張って立ち上がるが、ぶつかった際に足を挫いてしまったようで、痛そうにしてその場に座り込んでしまう。

 見かねたメイドの人が閃に肩を貸し、安全な場所に行こうとしたその時だった。


「チッ! あっ、いいことを思いついたぜ。だったら人質を変えるまでだな!」


 そう言って邪悪な笑みを浮かべた男は、閃とそれを助けるメイドの元へと走っていき、人質にでも取るつもりなのだろう。


「あっ! くそ、待て!」


 一瞬判断が遅れた紅楼絵は急いで閃の元へと走っていく。

 しかし、男の方が数歩速く、このままでは閃とメイドが殺されてしまうと彼女の頭の中でよぎった。

 それは前の世界の最後と何も変わらない結末で、紅楼絵は己の命を懸けてでも避けたい未来でもあった。

 間に合わないとわかっていながら走る、この数秒間はとても長く、同じ一分でもまったく別のものに感じていた。


 もう繰り返したくない結末を変えるために……。

 

「いやだ、もう誰も大切な人を失いたくない」


 そう心の叫びが次第に激痛となって全身に襲いかかってくる。

すると暗殺者としての本能が目覚め。

人を殺めることに慈悲はなく、永遠なる冷酷へとその姿を変えていく。


「く、紅楼絵さん、だめだー!」


彼の叫んだ声も虚しく、紅楼絵の周りからは黒い蝶のようなものが溢れ出るように飛び散り、また体には黒い風のようなものを纏っていた。

そして己が風の如く速さで男に追いつき、瞬きも許さない一瞬の時間で、男の首は地面へと転がり落ちていった。


「へ? 僕はいったい何をして?」


正気に戻った彼女は自分の手を見て、その場に崩れ落ちるように座り込んでしまう。

 あの頃から忘れられないこの人を殺した時の感覚が再び彼女を襲った。

 血なまぐさい匂いに、生暖かい掌の感触、そして目の前に転がる死体と、その生首が恨んでいるかのような視線を送っていた。


「ああ、僕はまた……人を殺してしまったのか」


 彼女は堕ちていく、どこまでも深い心の底なし沼へと。



第五話~暗殺者から少女へ~


 周囲にから送られる視線。

 夕暮れ時であること知らせるようにモヤがかかったようなオレンジ色の太陽。

 そして鼻が曲がりそうな程の強い血の匂い。

敷き詰められたレンガの地面には血抜きをした後のような血だまりができていた。


 紅楼絵は放心状態で、心ここにあらずといったように、ピクリとも動かなかった。

 そんな彼女の手を握り、現実へと呼び戻したのが閃だった。


「紅楼絵さん! 聞こえていますか? 紅楼絵さん!」


 閃の声にかろうじて反応するものの、その反応は薄く壊れた人形のようになってしまっていた。

 

「あっ、閃。僕またやっちゃった。また人殺しになっちゃった……」


そう弱々しい震え声で呟く彼女に閃は「大丈夫」と何度も言って励ました。

 しかし彼女の震えは止まるどころか段々大きくなっていき、ついには泣き出してしまう。

 閃の手を強く握り、視界を塞ぐように彼の胸へと顔をうずくめていた。


 その後、メイドの人が近くを巡回していた騎士を呼びつけ、すぐに駆け付けてくれた。

 死体は撤去され、もちろん紅楼絵は無実と判断されたが人殺しは人殺し、奪ってしまったものはもう戻らない。


――――――――――――――――――――――

 

夕方過ぎ、館へと戻った閃と紅楼絵だったがことを知ったセルヴィアが平謝りで何度も頭を下げてきた。

もちろん誰も彼女が悪いなんて思っていないし、今回は運が悪かったとしか言えない。

そして紅楼絵は部屋に戻った後、部屋から一切出て来ておらず、食事もろくにとっていなかった。

困り果てたメイドの人たちを見かねて、閃が紅楼絵の部屋へとやってきていた。


「紅楼絵さん、俺です。閃です。夕食持ってきました」


 一応ドアをノックするが、紅楼絵から返事が返ってくることはなかった。

 静かな廊下に自分の声だけが響き渡っていたが、必ず彼女の耳にも入っているはずだ。

 諦めの悪さなら誰にも負けないのが閃という男で、彼女が何かしら反応するまで続ける気持ちだった。


「ほ、ほら紅楼絵さん、お腹すいてますよね。温め直してもらったので絶対美味しいですよ! だから出て来て、一緒に食べましょうよ」

 

 閃の説得も虚しく、紅楼絵からの返事はなかった。

 立っているのがしんどくなってきた閃はドア前で座り込み、彼女が自分から出てくるのを待つことにした。

 その待つ間にも独り言のように話しかける閃。


「紅楼絵さん、少しお話聞いてもらえますか」


 そう言って閃は話し始めた。


「実は俺、自分が嫌いなんです。昔から体が弱くて、泣き虫で、頼れる人がいないと何もできない、無能。だから俺は悔しいんです。紅楼絵さんを守るどころか、貴方を傷つける結果になってしまったことが。異世界に来たら変えられるかもしれないなんて、甘い期待を抱いた罰ですかね。意外と人は簡単には変われない。身をもって実感できましたよ。だから今も話しかけることしか俺にはできないんです。紅楼絵さん、どうやったら貴方を守れますか? 強く、俺は守れるだけの強さが欲しい。大切な人を失なわないように……」


 最後の一言を言い終えた次の瞬間、背を向けていたドアがガチャっと開き、閃は後ろ向きに倒れてしまう。

 そして倒れた先には紅楼絵が立っており、顔は泣いた後のように目元が赤くなっていた。

 また彼女は覗き込むように倒れた閃に顔を近づけ、何かと思えばクスリと少しほほ笑んでいた。


「もう大丈夫だよ、閃。それより泣いたらお腹すいちゃった。ご飯食べさせてほしいな」


 そう告げる彼女は普段と何も変わらず、けろっとした表情をしており、落ち込んだ様子は一切感じなかった。

 こちらが心配し過ぎだったのかもしれないと思えてしまう程には違和感がなかった。

 もし、目元が赤くはれていなければ気づかなかったかもしれない。

 閃はゆっくりと返事をして、すぐさま夕食を彼女の部屋に運ぶのだった。


「よーし。それじゃあ、閃! 食べさせて!」


 そう子どもっぽく大きな口を開ける紅楼絵に閃は銀色のスプーンを手に取り、乳白色のスープを一口差し出した。


「それじゃあ、いきますよ。はい、あーん……」


 すると雛鳥のように口をパクパクさせていた彼女は、閃の持つスプーンへとかぶりついた。


「あーん…もぐんぐ…んふー! このスープ甘くておいしいね! じゃあ、次はどれを食べさせてもらおうかなー」


「えっ! まだこれやるんですか! さすがに恥ずかしいんですけど俺」


「ダメだよ。だって、閃は僕を守ってくれるんでしょ? なら甘やかすのも君の仕事じゃないか!」


「やっぱり聞いているじゃないですか! ああ、もうわかりましたよ! 次はこれですか? はい! どうぞ……」


「やったー! それじゃあ、いただきまーす!」


 半ば投げやりになる閃は顔を赤くしながらも一口、また一口と料理を食べさせてくれた。

 そうして夕食を終え、紅楼絵はセルヴィアやメイドの人たちに心配かけたことを謝りに行き、心配させた罰としてお風呂に入れられていた。

 相変わらず紅楼絵の風呂嫌いは直っていなかったものの、その表情からは暗いものは感じられなかった。


 

 寝間着姿の紅楼絵が部屋へと再び帰ってくると、中には死んだように眠っている閃の姿があった。

 今日はトラブルに巻き込まれたり、人混みに行ったりとで、さすがの彼も疲れて眠ってしまったのだろう。

 紅楼絵はそんな彼の頭を自分の膝上にのせて、頭を撫でてやる。


「ふふ、かわいい寝顔だね。……って起きてないよね?」


 そう呟くが反応のない彼は気持ちよさそうにぐっすりだったためおそらく寝ているだろう。

 すると、紅楼絵はそっと彼の耳元で囁くように思いを告げるのだった。


「ねえ、閃。さっき君が言っていたことだけど。僕は君が弱いとは思わないよ。だって……君には人を助けられる力があるんだから。僕にはその力はないし、いつかはそうなれるようになりたいと願っているけど、多分無理かな。閃、君は僕を救い出してくれるかい。僕を……」


感情の高ぶりに合わせて、涙が零れてきて彼の頬を濡らしてしまう。

 涙ぐんだ声を無理矢理抑えて、紅楼絵は本当に言いたかったこと口にした。







「僕を……愛してくれるかい」





 そう言って流れるように紅楼絵は閃の額へと、そっと口づけをするのだった。


第六話~バーサーカープリンセス~


翌日、眩しい太陽の光がカーテンを貫通し、紅楼絵の目覚めを刺激した。

もう朝かと起き上がる紅楼絵は横に視線を移すと、そこには大切な人のかわいい寝顔を拝むことができた。

小鳥はいないが囀りが耳鳴りのよう聞こえて気がした。


「ほわぁ~……おはよう、閃。ほら、起きて! 朝だよ、閃!」


「う、うーん……」


少し彼の体を揺すって起こそうとするが、意外にも彼は寝起きが悪いみたいで、紅楼絵は新しい彼の一面が知れて朝から機嫌がよくなっていた。

 そして起こすのを諦めて寝巻から着替えようとする。

 クローゼットを開けて、黒色の下着と無地のシャツと短パンを取り出し、寝巻を脱いで放り投げた。

 そして産まれた時と何一つ変わらない姿で、地面に散乱する下着を手に取り素早く身に着けていくが、ここで問題が発生してしまう。

 

「う、嘘でしょ!? 胸が入らない! 昨日はきつかっただけだけど、一日で入らなくなるなんてありえないでしょ。いくら、寝る子が育つからって!」


 悪戦苦闘する紅楼絵だったがすっかり彼の存在を忘れており、入るはずもないのに無理矢理押し込んでいると、彼が目を覚ましてしまう。


「ほわぁー、むにゃむにゃ……。あれっ? ここ俺の部屋じゃない。それに……なんだろうこれ? 薄い……布?」


 閃は自分の顔に乗っていた一枚の布を手に取るが、寝起きではそれがなんなのかは分かっていなかった。


「三角形の黒くて薄くて少し暖かい……これってパンツじゃん!?」


 寝起きの頭でももう理解できただろう。

 赤を真っ赤にしながら脱ぎたてパンツを手にしていた彼は、ほぼ素っ裸の状態で着替えている紅楼絵を発見してしまう。


「あ、ああ紅楼絵さん!? ごごごごめんなさい! 俺何でここで寝て……」


「ほえ? ああ、おはよう閃。今日もいい天気だね! それに、昨日は相当疲れていたみたいだね」


「え、え? なんか予想と違いますけど。と、取り敢えず着替えたら言ってください。俺、後ろ向いていますから」


「あはは、別に裸くらい見たっていいのに。閃だって男の子なんだから……」


「何言っているんですか! この間は恥ずかしそうにしていたじゃないですか!」


「それは……ほら、閃のことはよく知っているからあんまり気にしないよ。でもあの時は他の人も多かったから……」


 そう言って思い出したように恥ずかしがる紅楼絵。

 手をつなぎたくてもつなげないような、もどかしさも去ることなく、まだ二人の間には壁があるようにも感じていた。

 そうして紅楼絵が着替え終わると閃は何度も謝りながら自分の部屋へと戻っていった。

 紅楼絵は手を振りながら見送り、部屋には唐突に静寂とした空気が充満しだしたのだった。


「はぁー、大丈夫……僕はまだ生きている。鼓動も聞こえる。大丈夫……」


 そう自問自答を繰り返すのは、幼き頃からやっている癖のようなものなのだ。

 しかし、生きていたいと口先では言えても、本心では死にたいと思う強さが日々を重ねるうちに段々強くなっていることに気づいていなかった。

 無駄に長く動き続ける鼓動にも彼女は嫌気がさしていたのだった。


 紅楼絵はメイドの人に朝食の準備ができたと伝えられ、すぐさま朝食の並んでいるであろう食堂へと向かった。

無限のように続く廊下と食堂までの距離が遠く、移動だけでも一苦労だが見方を変えれば軽い運動くらいにはなるだろう。

なんてそんなことを考えているうちに気づけば食堂へとたどり着いていた。

食堂の入り口は二枚ドアになっているのだが、毎回引き戸ということを忘れており、押してしまうが開きはしない。

このひと手間までがこの世界に来てからの朝のルーティンとかしていた。


「おはようございまーす!」


勢いよく元気を装い、食堂へと入るが既に閃とセルヴィアが楽しそうに笑い合っている姿が目に入った。

イラっとしたようなモヤモヤが心を締め付ける。

 するとあちらも紅楼絵の存在に気づき、社交辞令のように挨拶を変えてしてくれた。


「あら! おはようございます、クロエ様。今日も良い天気ですね。こんな日に飲むお茶は格別ですよ」


 そう嬉しそうに言うセルヴィアだが、確かに雲一つない晴天の日の朝に飲む一杯は格別だろう。

 それは朝の清々しさに拍車をかければ一日のスタートとして完璧と言える。

 そうして紅楼絵は閃とセルヴィアの間の席へと座ると、せっせとメイドの人によって朝食が運ばれてくる。

 贅沢な暮らしとは思うが、風呂が何個もあるよりはこちらの方がいい気もする。

 そして暖かいティーカップを手に取り、フルーツのほんのり甘い香りに鼻を喜ばせながら、口へと運び啜るように呑み込んだ。


「うん、おいしい!」


「そうでしょう、そうでしょう、何せ当家自慢の料理人が手間暇かけて作ったフルーツティーですからね! あっ、それからフルーツは香りのよいオレンの実を皮ごと使っております」


「皮ごとつかえるんだー! あっちの世界じゃフルーツの皮なんて薬品まみれで食えたもんじゃなかったからね―」


「そういえばですが。クロエ様たちのいた世界はどんな世界だったのでしょうか? 私、すごく気になっておりました」


 そう興味津々に話す彼女だが、紅楼絵も閃もまともな人生ではなかったため、自然と嫌な顔をしてしまう。

 しかし、お世話になっているし教えたところで問題もなさそうので、紅楼絵は話し出した。


「うーん、僕たちのいた世界はここよりももっと醜くて、冷たくて、暗いそんな場所だよ」


「つまり、温度が低い世界だったのですか?」


「ああ、いやそうじゃなくて。人のぬくもりやこの世界みたいな活気あふれた場所なんてなくなっちゃったんだ。例えばこの世界には魔法があるけど、あちらにはない。あるのは電子という名の嘘つきの塊だけだよ。つまり聞こえはいいけど、騙されたら終わりってことかな」


 そう紅楼絵が告げた横で閃も一緒になって頷いていた。

 できれば御伽噺のような華やかで夢のある世界だと言ってやりたかったが、現実は騙し合いの世界であり、紅楼絵に関しては暗殺者といういわば、闇の住人だ。

 その後も何度がセルヴィアから質問があったが、どれも彼女を満足させるものはなかっただろう。

 

「なんて言えばいいのかわかりませんが、大変なのですね」


「そうだね、生きるのが精一杯の人が多すぎるんだ。昔はもっと輝いていた世界だったんだけどね。それじゃあ、この話はお終いってことで! それで今日は何をしようかな」


 半ば空気が重くなったため、紅楼絵は話を中断させて別の話題を振ろうとする。

 するとセルヴィアが今日の予定について一つ提案をしてくれた。


「もし皆さまがよければですが、運動などはいかがでしょうか? 私もやっと書類整理が終わりましたので、久しぶりに体を動かしたい気分でして……」


「運動かー、僕は全然いいよ! 閃はどうする?」


「もちろん俺も参加しますよ!」


「わかりました。それでは後ほど動きやすい服装を準備させていただきますね」


 そうして紅楼絵も閃も賛成し、朝食を食べ終えると早速始めることになった。


 メイドの人からいただいた動きやすい服装に着替えた紅楼絵と閃は同じ服装のセルヴィアに連れられ、ある場所に案内された。

 移動までは少し距離があったため、馬車で移動したがさすがは王女様の住まう豪邸なのでその敷地の広さに驚きつつも、使いきれないだろとツッコみを入れたくなった。

 しかし、風呂が何個もあるよりかはマシかとあの時の衝撃が忘れられずにいた紅楼絵だった。


 そうして着いた先は館から少し離れた同じ敷地内にある大きな会場?のような場所で、中は闘技場のように真ん中にステージのようなものが用意されていた。


「皆さま、ここは普段当家の騎士たちが使う、模擬戦闘を行うための訓練場です。ですからこのように……わあっ!っと大きな声を出しても外には聞こえません」


 確かに反響するセルヴィアの声が何度も聞こえてくるが、外に待機している護衛の騎士たちが現れる様子もない。

 しかし、なぜこのような場所に案内されたかは謎で未だ紅楼絵と閃は理解できていなかった。

 するとセルヴィアは急に笑いながら紅楼絵を指さして、こう告げた。


「フフフ、紅楼絵さまどうか私と戦ってくれませんか?」


「へ? 急に何を言って……」

「ええ、実はですね。私、戦うのが大好きなんです。なのでクロエ様が魔法を発現させたと知らされた時はここの底から興奮しました。どうか紅楼絵さま、私と一戦交えようではありませんか!」


 そう言って不気味な声で笑うセルヴィアは、今まで見てきた彼女とは違い、だいぶテンションが高まっていた。

 王女様に模擬戦を申し込まれるとは思わなかったがこうなってしまっては仕方がなく、受ける他ない。

 一度閃と顔を見合わせると「頑張ってください」と応援してどうやら止める気はないらしい。

 そうして、ステージへと上がると横には様々な形をした木製の武器が並べられていた。

 正直どれを選べばいいかわからなかったので、ナイフくらいの大きさの短剣二本を選び手触りや空振りなどをしてみて、重さとリーチを確認する。

 その後、お互い準備ができたところで再びセルヴィアが説明を始めた。


「クロエ様、準備はよろしいですか? それではルールの説明をしますね。今回の模擬戦は一対一で行います。また勝敗はどちらかの気絶もしくは自己宣告のみとします。安全を考慮して、魔道具を展開させていただきます」


「魔道具?」


 そう呟いた紅楼絵は不思議そうな表情をしていると、セルヴィアは緑色の球体を地面に投げつけ、ガラスが割れるような音が会場内に響き渡る。

 割れた球体からは緑色の光があふれ出し、ちょうどステージを覆うように広がってその場にとどまっていた。


「き、綺麗! オーロラみたいだね!」


「おーろら?が何かは存じ上げませんがこれは特殊な結界魔法でして、常に体が回復している状態になります。まあ、物は見ものですね」


 そう言い放ったセルヴィアは懐からナイフを取り出すと、いきなり手を切りつけた。


「な! なにやって……」


 驚いたことにセルヴィアの手はもちろん切られて血が出るが、瞬時に傷口が塞がり血も止まっていた。


「いきなり驚かせてすみません。ですがこれで安全性の信用は得られましたでしょう。さあ、クロエ様。存分に私と殴らいましょう! フヒヒ……」


 完全に目がいっているセルヴィアに圧倒されつつも、ついに模擬戦は始まってしまった。

 開始の合図は閃の掛け声で始めるため、今はお互い一定の距離をとり、武器を構え合っている。


「えーっと、それでは始めてください!」


 閃がスタートの合図を送ると同時に紅楼絵はまず立ち止まったまま動かなかった。

 こういう相手がどんな力量なのかもわからない状況では無理に攻めずに、守りながらカウンターをした方がよい。

 しかし、相手も素人というわけではないらしく、同じように攻めてはこなかった。

 お互いピリピリとした緊張感に包まれながらも、相手の出方を待った。

 すると先に痺れを切らしたのはシルヴィアの方で、大きな盾を前に出しながらこちらに突っ込んでくる。

 相手の獲物はおそらく直剣のみで、盾で防ぎながら一撃を入れてくる気なのだろう。


「やあッ! ふん! はッ!」


 盾を前に突き出し、こちらの視界を遮りながら三連続攻撃を仕掛けてきた。

 ほんの一瞬の遅れが命取りになりかねないが、紅楼絵は易々とかいくぐった。

 セルヴィアには悪いがこの勝負もらったも同然だ。

 彼女攻撃はパワーこそあるがスピードが圧倒的に足りない。

 逆に紅楼絵は高速戦闘を得意とする分、一撃一撃は弱いが手数で押してしまえば問題ないだろう。

 そしてついに紅楼絵は動き出した。


「それじゃあ、いきますよ!」


 そう言ったと同時に姿を消す紅楼絵。


「なっ!? どこにきえ……」


 瞬きも許さないようなスピードで紅楼絵はセルヴィアの背後を取り、持っていた二本の木製ナイフで首元に衝撃を与えた。

 体制を崩したセルヴィアだがそのまま倒れることはなく、また気絶もしていなかった。


「あれっ? 確実に入ったと思ったんだけどなー」


「え、ええ、確かに凄い速さと衝撃でしたがこれだけでは私は落とせませんよ」


「へー、舌を噛んで衝撃を無理矢理消したんだ。意外と恐ろしいことをするんだね」


 セルヴィアの口からは大量の血が吐き出されるが、魔道具のおかげで傷は治っていた。

 紅楼絵はこれは骨が折れそうだなと覚悟しつつ、再び姿を消した。


「ハハ! いいですね。ええ、とてもいいです! 私ですら追うことが不可能なその速さといい。これほどまでに追い詰められた気持ちはいつぶりでしょうか」


 そう興奮気味のところ悪が、紅楼絵は再び背後に現れ一撃を入れようとする。


「よし、取った!」



 ガシン!



「へ!? ちょ、ちょっと噓でしょ!」


 紅楼絵の刃がセルヴィアの首筋に届くと同時に、刃が首をそぎ落とすよりも先に剣を被せて攻撃をそらしたのだった。


「ハハ! 捕まえましたよ、クロエ様!」

 攻撃を弾かれた紅楼絵はそのまま態勢を崩されてしまい、横腹に蹴りを入れられてしまう。


「ぐはっ!」


 吹き飛んだ紅楼絵は何とかして受け身を取るがさっきの一撃は致命的で、振り返るともう次の攻撃が来ていた。

 大振りの一撃だったのが数少ない救いで、紅楼絵は紙一重で躱しきり、若干の距離を取った。


「これも避けられますか。素晴らしい身体能力と動体視力ですね! 私、ゾクゾクしちゃいます」


「そっちも、さっきの一撃は凄かったよ。確実に取ったと思い込んでいたからね」


「クロエ様の動きは追えませんので、諦めて心眼を使わせてもらいました。私も初めて使いましたから上手くいってよかったです」


「はは、天然の天才はこれだから……普通は防げないんだけどなー」


「はい?」


「うんうん、何でもないよ。それじゃあ、そろそろ終わらせようかな」


 紅楼絵は姿勢を低く保ち、深く深呼吸をした。


「スー……ハー」


 すると、再び緊張感が空気を張り付かせ、観客席で応援していた閃も息を呑み込んでしまう。

 そして次の瞬間、誰もとらえられない強風となり動き回る紅楼絵に、シルヴィアはとっさに盾を構え応戦する。

 しかし、これ以上盾を使われては消耗戦となり、こちらに勝ち目はない。


「しょうがない。壊すか」

 

 そうぼそっと呟くと同時に、紅楼絵はナイフの柄の部分に持ち替え、思い切り盾をついた。

 すると、円盤型の木製盾はものの見事に砕け散り、地面にその破片が転がり落ちた。


「よし、これで本当に終わり!」


 盾を壊されたセルヴィアは突っ立ったまま、動きを見せない。

 紅楼絵は再びナイフを持ち替え、彼女の首筋へと最後の一撃を加えようとする。

 しかし、紅楼絵は途中で攻撃を中断し、再び距離を取った。


「あっぶな! あのまま突っ込んでいたら負けていたよ!」


 紅楼絵の予感は正しかったようで、シルヴィアは少し残念そうな表情をしていたがすぐに笑顔へと戻り、壊れた盾を放り捨てる。

 木製ではあるが、少し鈍い音が会場内に響いた。


「それでは、私もお行儀のいい王女様はこれにて終わりにしましょう。幸い、ここは人の目につきにくい場所ですので。これより見せる私は王族ではない……戦士だ!」


「第二形態みたいなのはきいてなーい!」


 そう宣言するセルヴィアからは物凄い覇気が放たれ、物凄いプレッシャーに並の人間であれば押しつぶされてしまうだろう。

 そして彼女は持っていた直剣を背中に背負っていた鞘のような物に差し込むと、ガシャンと音がしたと同時に直剣は大きな大剣へと姿を変えていた。


「それ仕掛け武器なの!? 変な物背負っているなとは思っていたけど、どんだけ勝ちたいんだよ。この王女様は!」


 そう驚く紅楼絵だが休んでいる暇などないことに今更になって気づく。

 とっさに横へと飛び込んだ紅楼絵の真横を大剣の刃先が体すれすれに通り過ぎたのだった。

 つまり紅楼絵の高速戦闘に引けを取らない速さでセルヴィアが動いていたのだった。


「え、ちょっと速すぎじゃない!」


「さすがに、普段のままではクロエ様ほどの速さでは動けないですよ。なので、魔法を使わさせていただきますよ! さあ、クロエ様の限界を見せてください! フハハハハ!」


「もー、やだぁ! この王女様!」


そう言う紅楼絵も紅楼絵で常人では追うことのできない速さで動いているため、もう見ている側からすれば化け物同士の戦いでしかなかった。

 しかし、守りを捨て攻撃全振りのセルヴィアに対しスピードのみの紅楼絵ではさすがに分が悪すぎだ。

 高速戦闘の末、消耗していた紅楼絵はさすがに息を荒々しくしており、徐々にだが速度も精度も落ちてきてしまっている。

 

「は! 紅楼絵さん危ない!」


 観客席にいた閃の声が聞こえると同時に、目の前には大剣の刃先が迫っておりガードの構えを取るがもう遅かった。

 そしてついに紅楼絵はガードの上からではあるがセルヴィアの攻撃がクリティカルヒットしてしまう。


「ぐはッ! ゲホゲホ……さ、さすがにこれはきついかも。はあー」


「ふー、それはそうとクロエ様は魔法を使わないのですか? このままではじり貧でしょうし、影魔法……私見てみたいのです。えへへ」


「もう僕、限界なんだけど……。それに魔法って言っても使い方がわからないんだけど?」


「あら、それならわかっておりますよ。報告書を読んだ際に私なりに考えましたから」


そう言うセルヴィアが指を鳴らすと同時にメイドの人が現れ、観客席にいた閃を取り押さえる。

「え、ちょ、ちょっと何をするんですか! は、放してください!」


最初は抵抗を見せる閃だったが女性のメイド二人に肩をガシっと掴まれ、身動きすらできなくなっていた。

 

「あはは、閃があそこまで非力だと僕心配だよ。それで、なんで閃を捕らえたのかな?」


「少し乱暴ではありますが、クロエ様が影魔法の発動した状況を再現させていただきました。つまりセンさまには今から危険な状況遭ってもらいます」


「つまりメイドに捕まえられた、あの状況が危険ってことかな?」


「いえいえ、そのような生ぬるいものでは発動しないでしょう。ですので、あそこをご覧ください」


セルヴィアが指さした方向には檻のようなものが用意されており、中には獣人らしき姿が見えた。

獣人は興奮状態なのか息を荒げており、まともな状態ではなかった。


「あのー、どうみてもやばそうなのがいるけど……まさか、あの中に閃を入れたりはしないよね」


「はい、そのまさかです。クロエ様ぁ!」


紅楼絵はこの時になってやっと気づいたのだった。

この戦闘狂のお姫様は戦うためなら手段を択ばないらしい。

 そしてついに紅楼絵の頭の中で考えうる、最も恐ろしいことが現実に起こってしまう。

 メイドたちが閃を持ち上げ、興奮状態の獣人のいる檻へと放り投げた。


「あっ! 閃!」


 出られるはずもないステージ上で、紅楼絵は立ちはだかる半透明の壁を、思い切り殴りつける。

 殴りつけた個所には赤い血が付着していたが、手の傷は塞がってしまう。

「う、うわあああ! 食われる! これ、本当に食われそうなんですが!」


「ご安心ください。そちらの獣人は当家がしっかりと躾てありますので、私の命令がない限りは危害を加えません」


「本当ですかね!? 既に凄い力で押さえつけられているんですが!」


「あらあら、どうやら発情期のようですね。そうなった獣人は歯止めが利かないので、もしかしたら本当に危ないかもしれませんねー……クロエ様?」


 そう煽るようにして振り向くセルヴィアに、紅楼絵は壁にもたれかかって黙り込んでいた。

 すると、紅楼絵の周りには黒い蝶が飛び始め、体を覆いつくしていく。

 刃は冷たくて暗い、闇へと刀身を変えていき、体は影のように揺らめいていた。



「す、素晴らしいです、クロエ様! それが報告書にあった影……」


「もういい……黙れよ」


 紅楼絵はセルヴィアの会話を遮り、そして異様なまでの死のオーラを放っていた。

 それは生物が無意識的に恐れを抱くもので、例えるなら猛スピードで走ってくる車が目の前を通り過ぎた時のような、体が震える感覚が常に感じられた。

 その場にいたメイドの人たちは皆気絶し、閃に馬乗りになっていた獣人の少女は閃を庇うように唸り声を紅楼絵に向けていた。


「別に僕と戦いたいなら戦ってあげるよ。でもね、閃を巻き込むってなら、さすがの寛容な。それに僕の……堪忍袋の緒が切れちゃうよ」


 そう言った次の瞬間、彼女はその場から消え去る。

 セルヴィアは相変わらず顔をニマニマさせていたが、握っていた大剣を構えて待ち構えていた。

 そして目を閉じ再び心眼を使い、紅楼絵の位置を把握しようとしたが既に遅かった。

 セルヴィアは攻めてこない紅楼絵を不思議に思い、目を開けるが突如として全身を切り刻まれ、大量の出血で意識を失くしてしまう。

 そして模擬戦は終了し、セルヴィアの傷が癒えたところで、半透明の壁と緑色のオーラは消え去ってしまう。


「はー……そうだ、閃! 大丈夫!?」

 

 急いでステージから駆け降りて檻を破壊する紅楼絵。

 その様子を見ていた閃は口をパクパクさせて、改めて彼女の強さに関心、いや本当に同じ人間なのかも怪しくなっていた。

 そして紅楼絵が閃に触れようとすると、先程の獣人が前と立ちはだかり、閃を守っていた。


「待て! それ以上、勇者様に触れるな!」


「はー、さっきからなんなの君は?」


「ガルルルル! 私はフォン! そんなことよりも、さっきの覇気……人間の出せるものじゃない!」


 そういうフォンと名乗った獣人少女の後ろで、閃も首を縦に振って賛同していた。

 閃はどっちの味方なのかとツッコみを入れてやりたかったが、今はそんな空気でもないので、わかっていることだけを説明する。


「僕もどうしてあんなことができたかわからないけど、閃が危ない目に合うのは嫌だって強く思っただけだよ。その原因は紛れもなくそこのお姫様と君じゃないか!」


「ガルル……信用できない! 勇者様は私が守る!」


 相変わらず威嚇をするので、少しだけ力ずくでもと手を伸ばす紅楼絵の背後から声が聞こえてきた。


「フォンさがってください。クロエ様はセンさまと同じく異世界より召喚されし、勇者ですよ」


 その声のした方に視線を移し、紅楼絵は驚いた表情をした後、あきれたように手で顔を覆ってしまう。

 

「はあー、君はどれだけタフなんだよ。あれだけ切られたら普通は死ぬような傷だったと思うけど!」


 そう言った紅楼絵に落ち着いた表情のセルヴィアがニコニコとしていた。


「傷はありませんが、少しばかり血を出し過ぎましたね。まあ、この後寝ていれば直るでしょう」


「いや、だから普通の人間だったら死んでいるって!」


「それから、セン様もご協力ありがとうございました。良い演技だったと思いますよ」


「は? ちょっと待って……それはどういうことかな、閃?」


「いや、その~……実はメイドの人から演技をしてくれって耳打ちでいわれまして……」


「つまり閃が危ない目に合うことはなかったってことかな?」


「あのー、はい。まあでも、獣人演技は迫力がありましたね」


「はあーーー……」


 紅楼絵は持っていた木製の剣をポンポンと片方の掌へと打ち付けながら、満面の笑みでじりじりと近寄って来ていた。


「あのっ、紅楼絵さん? まさか、それで殴ったりはしないですよね? あっ、ちょっと待って!!」


 その後、閃の悲鳴とともに頭には小指くらいのたんこぶができたそうだ。



第七話~閃の決意と新たなる出会い~

 

 模擬戦闘を終えた紅楼絵は汗を流し、服を着替えて再び会場へと戻ってくると、今度は大きな声で「お願いします」と聞こえてきた。

なんだろうと思いながら会場へと戻ると、閃がセルヴィアに土下座をしていた。

 また何をやらかしたのか考えたくもなかったが、セルヴィアも困った表情をしていたので、一応仲裁へとはいった。


「閃、何しているの?」


「はあ! クロエ様、ちょうどよいところに来ました。実はセンさまが稽古をつけてくれと申しておりまして。その、実は私教えるのが苦手でして……」


「ふーん、稽古? なんで今更そんなことを頼んでいるんだよ、閃。別に君は強くならなくたっていいんだよ」


「それじゃあ、ダメなんです! 俺は紅楼絵さんを守るって約束したのに、今の俺じゃ足手まといでしかない! 今までは紅楼絵さんの言葉に甘んじて、自分を厳しく見てこなかったんです。だからこそ、この世界でできるなら変えたいんです、自分を……弱い自分を!」


 どうやら彼の意志は固く、紅楼絵も少し顔を赤らめてだまってしまう。

 すると、ついにセルヴィアが観念したようだった。


「はい、わかりました。セン様のお心を尊重して、当家の騎士とフォンが今度から稽古をつけてくれるように手配します」


「あっ、そういえばあの獣人っ子! あの子はなんなのさ。様子がおかしかったのは演技だろうけど、閃を守ろうとしていたのは本物だった」


「ああ、フォンのことですね。彼女は昔、勇者様に助けられたことがありまして、その際の恩を返したくて勇者の従者を願い出ていたんです。なので、セン様の獣者(従者)として紹介がてら一芝居させていただきました」


「なっ! そ、それは反対だよ! 閃の近くには僕がいるから従者なんていらないだろ。そうだろ、閃?」


「そんなことない。お前の方がよっぽど危険」


 そう言って閃の手を取り、突如あらわれる獣人のフォン。

 まるで自分のものだと主張するかのように閃の腕をがっしりと掴み、紅楼絵に向かって含みのある笑みを向けた。


「なっ! 閃から離れろ。毎回毎回近すぎるんだよ! ほら、何閃もニマニマして鼻の下を伸ばしているんだ!」


「いや、鼻の下なんて伸ばしてないですよ! ただ、紅楼絵さんが笑っているのを見ると嬉しくなっちゃって……」


「僕が笑っている?」


 そう彼に言われるまでは、自分でも気づいていなかったが、どうやら笑っていたようだ。

 紅楼絵は自分の口元を押えて確認したが、確かに無意識に口角が上がっていた。

 あっちの世界でも楽しいことの一つや二つはあれど、心の底から幸福な気分になったのはいつぶりだろうか。

 紅楼絵と閃はお互いの顔を見合い、突然吹き出すように笑い合った。

 そしてお互いこの幸せな時間を大切に思いながらも、忘れぬようにと噛みしめていた。

 手を取り合って笑い合う二人の間で、不思議そうに見るフォンと暖かい目で見守るセルヴィアは、邪魔をしないように黙っているのであった。



 そうして翌日から閃の願い通り、彼身体強化及び戦闘訓練が始まった。

 最初は体力づくりからだとセルヴィアの保有する騎士団の団長様が熱血指導をしていた。

 閃はもちろんだが他にもフォンや新人らしき騎士たち数名が敷地内を無限に走らされていた。

 閃は三週目あたりから疲れが見え始めたが、他の連中はどんどん追い抜かしていき二桁を超える者現れていた。

 一定時間を超えると再び団長が号令をかけ、休憩を指示する。


「勇者殿、息が荒そうだが大丈夫か?」


「はあ、はあ……だ、大丈夫です! こ、これくらいで弱音なんてはいてられませんから!」


「はっはっはっ! 勇者殿は戦闘経験がないと伺っておりますが、よいお心をお持ちだ。この第一王女騎士団団長エメラルドが必ずや立派な勇者に育てましょう」


 そう大きな声で笑っている彼女こそ第一王女騎士団の団長であり、長い耳が特徴のエルフ族の戦士でもあった。

 彼女の性格はまさに騎士道そのもので絶対に不義を許さず、正義のためなら真っ直ぐな人なのでその人望も厚い。

 彼女を陰と陽で例えるならまごうことなき陽の人だ。

 そうしてその後も訓練は続き、いくら無理難題を押し付けようとも諦めない閃に騎士団長は好印象を抱いていた。


「よし、今日はこれにて終わりだ。各自明日に備えて体を休めるように!」


 訓練が終わったのはお昼過ぎでまだ太陽が顔を出している時間だった。

 新人の騎士たちは「お疲れさまでした」と一言言って、続々と場を離れていった。

 そうして残ったのは閃と従者のフォンだけになっていた。

 閃は疲れのせいでフラフラとしており、気を利かせたフォンが肩を貸してくれていた。


「大丈夫ですか、セン様。危ないですから、ほら私の肩に掴まってください」


「あはは、すみません。ちょっと足に力が入らなくて……」


「フラフラじゃないですか! 明日もあるんですからあまり無理は逆効果ですよ」


「でも、俺は人一倍努力しないとすぐにおいて行かれちゃいますから。多少の無理もしないといけないんです」


「それもあの人のためですか? セン様には悪いですが私にはあの人が恐ろしく見えてしまいます」


 それはおそらく紅楼絵のことだろう。

 確かに出会ってすぐにあんな姿の彼女を見れば誰だって怖がるはずだ。

 しかし閃にとって彼女は掛け替えのない存在であり、また憧れでもあった。

 それに彼女は見た目に反して弱々しい姿を見せる時がある。

 そんな彼女をみていると同じ人間なんだなと思えるし、彼女を一人にしてはいけないとも思ってしまう。

 誰も彼女を愛さないのなら自分が、手を差し伸べないのなら両手を使ってでも彼女を助けたい。

 だからこそ、閃は今も生きていたいと心の底から思えるのであった。


「大丈夫です! 絶対にフォンさんも紅楼絵さんと仲良くなれますから!」


 そう笑顔を見せる閃はまるで折れない聖剣のように輝いて見えたのだった。



 その頃、セルヴィアの元にはとんでもない内容の手紙が一枚届いていた。


「おおお、お嬢様! 大変です!」


 そう焦りに焦って現れたのは、幼き頃からの付き合いであるメイドのソラだった。

 彼女は冷静で気配りが完璧なところが取り柄だが、たまに出る焦りはそれだけ大事のことが多い。


「どうしたのですか、ソラ。ノックもしないのは失礼ですよ。まあ、私だから許して……」


「それは申し訳ございません。ただいま六大魔王の一人、クロスグリ様から来訪のお便りが届きました」


「へ? クロスグリ……へえ!? あの六大魔王の一人の!?」


「はい、なんでも今回の勇者には興味があるそうで……」


「どどどど、どうするのです! はっ、そうだ日時はいつですか?」


「それが……三日後です」


「も、もう一度お願いします」


「三日後です」


「えっ、ええええええええええ! いくら何でもそれは早すぎます! こうしてはおられません! ソラ、大至急会議を開きますので権力者たちを集めて! あとは一流の料理人の手配とそれから……」


「落ち着いてくださいお嬢様。まずは一つずつ終わらせましょう。まずは街の権力者たちをお呼びしますので会議で報告の方をお願いします。それから騎士団、冒険者団に街の警備を要請し、各方面からの協力を仰げば三日もあれば十分です」


「さすがソラ! ではそのようにお願いしますね。私は先に会議室へと向かっておりますので」


「はい、お嬢様」


 そうして突拍子もないことにセルヴィアは焦りつつも会議を開き、各方面の有識者や権力者に協力を仰ぐとすぐさま皆動いてくれた。

 警備に関しては騎士団と冒険者団の協力により安全はもちろん、市街地への見回りもいつもの倍となっていた。

 次に物資の方面では商業団が総出で物資を調達できるよう手配し、お出しする料理や贈り物にはそれこそ沢山の人の協力が得られた。


 そうして会議も終わったのは夕方ごろで、セルヴィアはさすがに疲れてぐったりしていた。

 廊下ではメイドたちが慌ただしく行き交っているのが見える。

 自分も手伝いをしようと立ち上がるが、フラフラとして目の前が揺らめいた。

 

「危ないですよ、お嬢様。少し休みましょう。紅茶をお持ちしました」


 ソラは本当に気配りができるのだと改めて実感するセルヴィア。

 彼女は紅茶の入ったカップを手に取り、一口カップへと口をつけた。


「ふー、ありがとうソラ。このお茶、とてもおいしいですよ」


「それはよかったです。それでは、私は仕事に戻りますので、お嬢様はお休みになっていてくださいね。これ以上はお体に毒ですから」


「ふふ、それではお言葉に甘えて休ませてもらいます。後でクロエ様とセン様にこのことを伝えませんと」


「ああ、そういえば勇者様方はフォンと一緒にお出かけしているそうですよ」


「もう仲良くなってくれるなんて、さすがですね。フォンは今まで誰にも興味を示さなかったのに、少し嫉妬しそうです」


「そうですね。あの人たちは今までの勇者様よりも何か特別な感じがしますから」


「こら、ソラ。それは失礼ですよ」


「はいはい、それでは失礼します」


 そうして会議室にはセルヴィア一人となってしまう。

 カップに入った紅茶を啜りつつ、今までの勇者たちにことを思い出していた。

 もちろん中には気の合わない人もいたが、悪人だった人は見たことがない。

 セルヴィアは残っていた紅茶を一気に飲み干し、カップをテーブルへと置いた。


「特別……ですか。確かに今までよりも近い感じはしますね」



~三日後の朝~


 魔王訪問当日、朝日が昇る前に目を覚ました紅楼絵は、隣で寝ていた閃を見て頬をつつく。

 すると彼は「うーん」と優しい唸り声を出して反対向きへと寝返りをうっていった。

 紅楼絵はそれを見てかわいらしいなと思いつつ、今日の一大イベントに備えて綺麗な服を用意してもらっていた。

 そのドレスのような服は軽くて少し透明度の強いものだが、大事なところは色が濃くすべてが透けているわけでもなさそうだった。

 そうして着替えてみると、まるで御伽噺のお姫様になったような感じがした。

 またこれは内緒なのだが、このドレスはもともとセルヴィアのものだったものを、貸してもらったが、胸のあたりがきつかったことは到底本人には言えなかった。

 なので、こっそりとメイドの人に頼んで大きくしてもらったのだった。


 そうして朝からおめかしをした紅楼絵はそのまま食堂へと向かうと、セルヴィアの姿があった。


「うーん、おはよう。今日は晴れてよかったね」


「あら! おはようございます、クロエ様。やっぱりそのドレスにしてよかったです。クロエ様は黒が似合いますから。 ん? そのドレス、胸元はそのようでしたか? なぜか少し大きいように見えますが……」


「そそそ、そんなことないよ! そ、それよりも、本当に僕たちはいるだけいいんだよね?」


 危うくドレスの胸部を変えたことに気づかれそうだったが、何とかしてはぐらかすことができた。


「あっはい、それに関しては軽い挨拶だけしていただけたら問題はないかと……」


「ん? なにかあるの?」


「いえ、ただ私も魔王様と直接会うのは初めてでして失礼がなければよろしいのですが」


 そう言う彼女の手は少し震えており、相当緊張しているのだろう。

 そんな彼女に気を利かした紅楼絵は冗談交じりの言葉を言った。


「大丈夫だよ! いざとなったら僕が影魔法で守るからさ」


 そう言って笑う紅楼絵に驚きながらも、セルヴィアもつられて笑っていた。


「ふふ、それは頼もしい限りですね」


 そう言ってお茶を啜る彼女の手はもう震えていなかった。


そうしてついに六大魔王の一人、クロスグリの派遣団が到着し、大量の物資が運びこまれていた。

 派遣団の大半は魔族で構成されており、立派な角や恵まれた体格、肌の色の違いなどはまさに十人十色だ。

 そして奥から現れた黒い鎧を身に着けた魔族の軍勢。

 その先頭に立っていたのは小柄で華奢な少女で、紅楼絵はどこかで見た気がするが思い出せなかった。


「クロスグリ様、ご無沙汰しております。本日は兄に代わりこの第一王女のセルヴィアが挨拶させていただきました。そしてこちらが今回の勇者一向でございます」


「本日はお招きしていただきまことにありがとうございます。私は六大魔王の一人、クロスグリと申します。そしてお久しぶりだね、クロエちゃん」


 クロスグリと聞いて紅楼絵はやっと思い出したようで驚いた表情をする。


「もしかして……街に出かけて行った時、噴水に落ちそうになった僕を助けてくれた人!」


「あはは、思い出してくれてうれしいな。それでこっちがセン君だね。よろしくねー」


「あっ、はい。よろしくお願いします」

「うんうん、君の魔力もいい色だね。今年の勇者は本当に面白いな」


「えっ! お、俺にも魔力があるんですか?」


 そう言う閃はまるで子どものように目を輝かせていた。

 何故ならここ数日、彼は強くなるために多くのことを学んでいるそうで、特に魔法に関しては食いつくように学んでいるそうだ。

 そんな彼に身に秘める魔力があると言われることはどれだけ安堵したことだろう。


「あはは、その感じだとまだ覚醒していないみたいだね。私はクロエちゃんの魔力の方がすきだけどね。セン君は焦り過ぎかな」


 その一言で場が凍り付いたように静かになってしまう。

 すると気を利かしたセルヴィアが館の中へと案内しようと声をかけるのだった。


「あっ、あの~、立ち話もあれなのでどうぞ中へお入りください。おいしい茶菓子も用意しておりますので」


「あはは、お言葉に甘えてそうさせてもらうかな。それにしてもセルヴィアちゃんはお兄さんと違って礼儀正しいね」


 そうしてセルヴィアが魔王クロスグリを部屋へと案内していくが、閃はあからさまにしょんぼりとしていた。

 そんな彼を元気づけるまでとはいかないが、紅楼絵は彼の手を取って握るようにして連れていった。

 館の中ではメイドたちが慌ただしく動き回っていた。

 紅楼絵と閃は邪魔にならないように通路の端っこを通って、クロスグリとセルヴィアがいるはずであろう部屋へと到着した。

 ドアを開けると目の前には掃除され綺麗になった部屋と色彩豊かなお菓子が並んでいた。

 クロスグリの近くにはセルヴィアが座っていたので、紅楼絵たちは反対側の席へと座った。

 会話を聞いていたがセルヴィアは社交辞令のような硬い言葉を使い、そのせいか会話はあまり続かずクロスグリの方も気まずそうにしていた。

 お互い初対面ではないだろうが、ここまで深く会話するのは初めてなのだろうと紅楼絵は勝手ながらに思っていた。


 そうして何気ない会話も終わったようで、クロスグリは席から立ち上がると何やら魔法陣を空中に浮かべた。

 紫色に輝く光が消えると同時にその魔方陣が描かれていた場所には空間がゆがんだような次元の裂け目が出現し、クロスグリはその裂け目へと手を突っ込んだ。


 「えーっと、これじゃなくて……そうそう、これこれ!」


 そう言って取り出したのはビー玉くらいの白い塊と、一冊の本だった。

 クロスグリはそれを持ってこちらへと運んでくる。


「それじゃあ、これ二人の勇者様にプレゼントだよ!」


「えっ、あのこれって……」


「えっと……クロエちゃんにはこっちの魔導書で、セン君にはこの魔道具をプレゼントしまーす! 魔導書はクロエちゃんの得意な影魔法のことが書かれているし、セン君の魔道は無属性魔法を強化する特別なものだから大切にしてほしいな」


 そう言って受け取ると閃も紅楼絵も感謝を伝えた。

 

「あはは、今回の勇者は本当に礼儀正しくて用意した甲斐があったよ。前の勇者なんて比べ物にならないね」


「前の勇者……そんなに酷かったんですか? 俺たちとはまた違う世界の人なので何ともいえませんが」


「うん! 私は魔力を見ればその人がどんな人間なのかもわかるからね。それで言えばセン君は真っ直ぐで正義感が強いね。クロエちゃんは……どこか暗くて孤独な感じがするかな」


 そう言ったクロスグリは見事に二人の素性を見破っていた。

 閃は正義感というよりは紅楼絵を守りたいという意志が強く、また紅楼絵は暗殺者としてずっと孤独であったため今でも少しその感覚が抜けていないのだろう。

 すると今度は閃が無属性魔法を強化する魔道具について聞いていた。

 クロスグリ曰く、閃の中に眠っている魔法は無属性魔法らしく、例えば強化魔法と言えばわかりやすいだろう。

 だからもし閃に覚醒が起こり、閃の中に眠る魔法が目覚めた時その真価を発揮するらしい。

 それを聞いた閃は頑張りますと言って意気込み、魔道具を握りしめた。

 その後はクロスグリと少しお話をして、彼女は帰っていった。

 いきなり来て一日もせずに帰っていくとは誰も思っていたかった。

 本当に嵐のような人だった。

 そう思う紅楼絵は自分の部屋に戻っており、もらった本に目を通すがもちろん読めなかった。

 この世界に住んでいて話すことができても、読み書きは自分で学ばなきゃいけないようだ。

 後でセルヴィアにでも相談しようと、紅楼絵は持っていた本をベッドへと投げ捨てる。

 それにしてもまだお昼頃だというのに、することがなくなってしまった。

 閃は獣者のフォンと一緒に訓練を受けに行ってしまったし、セルヴィアは魔王と会った偉人として色々な書類の整理に追われていた。

 そして紅楼絵は暇ですることもなく、またしたいことなんてもっとなかった。


「はあー」


 紅楼絵はため息をつきながらも、ベッドへと自身も寝転がり目元を隠した。

 肉体的には疲れていなかったが精神的には少し疲れていたようで、十分も経った頃にはうとうととして眠ってしまいそうだった。

 それに先ほどまで慌ただしかった廊下側も今ではすっかり静かになっている。

 そして紅楼絵は眠りにつくのだった。

 孤独で深い眠りへと誘われるように……。

 

 翌日、紅楼絵と閃が話していると、セルヴィアが神妙な顔をしてやってきた。


「あれ? セルヴィアさん、おはようございます」


「あはは……おはようございますセン様、それからクロエ様」


「うん、おはよう。それよりもなんか元気ないけどどうしたの?」


「いえ、それがクロスグリ様が帰られた後、兄から一通の手紙が届きまして……」


「へー、セルヴィアのお兄さんからの手紙が届いたんだ。よかったじゃないか」


「はい、別に手紙が届いたことには問題がないのですがその……」


 そう言って何か後ろめたいことでもあるのかセルヴィアは言いにくそうにしていた。


「何か問題でもあったの?」


「実は兄からもらった手紙はパーティーのお誘いが来ておりまして、今回の勇者もご同行願いたいと書かれていたのですが……その、セン様の分の招待状が届いていないのですよ」


「招待状がないと参加できないの?」


「はい、おそらく兄の失態です。こればかりは私ではどうにもできなくて……」


「ふーん、じゃあ僕も行かないや。また今度閃のも含めて招待状とやらを送ってくれたら行くからさ」


「は、はい! 私から兄にはそう伝えておきます。今回はこちらの不手際で申し訳ありません」


 セルヴィアはそう言って何度も謝っていたが、閃も特に気にしていなかったので、今回は多めに見てあげようと思う。

 またセルヴィアはその件で、数日ほど家を空けるらしく、帰ってくるのは三日後だそうだ。

 その間は彼女には会えないが、メイドたちはいるので、基本的な生活はあまり変わらないだろう。


――――――――――――――――――――


 そして今日は、昨日の反省を踏まえて紅楼絵も閃と同じ訓練へと、参加する予定だ。

 期待を胸に訓練場へと入ると、そこにはたくさんの騎士たちが、集まっていた。

 すると少し高い台へと昇った騎士団長のエメラルドが、大きな声で話をするようだった。

 

「騎士団諸君集合! 今日は閃殿に加えて、紅楼絵殿も参加なさる予定だ。勇者殿には十分、無礼のないように気を付けろ。 それでは今日の訓練内容を発表する」


 そう言って訓練の内容としては、面白い内容で、外にある森へと向かい魔物とやらを狩るそうだ。

 一応魔物とは簡単に言えば、害獣や害虫とったものに近く、中には人に危害を加える個体もいるらしい。

 しかしそれも気になるが、一番は外へと出ることだった。

 外と言っても単なる街中ではなく、大きな壁で覆われたこの街の外を意味する。

 そこには大きな世界が広がっているだろうが、閃も紅楼絵も初めてなのでどんな世界が広がっているのか楽しみだった。

 そして各自は装備を整え、木製の武器ではなく本物の金属でできた武器をぶら下げていた。

 加えて紅楼絵と閃にも武器が渡されたが、団長のエメラルドには決して騎士団から離れないようにと、口を酸っぱくして言われた。

 それだけ危険があるということだろう。

 紅楼絵はいざとなったら、閃を守ろうと心に決めるのだった。



青々としている草原に、奥に広がるは未知の世界。

 あたりを見渡してもどこにも遮るような人工物はなく、奥には森や川が広がっていた。


「総員傾聴! これより予定通り魔物の討伐と森の警備を行う。もし変異に気づいたらすぐさま私に知らせるんだ。いいな!」


「「「はい!」」」


 団長のエメラルドと数十名の騎士たちは、紅楼絵と閃を真ん中に挟むようにして森へと入っていくのだった。

 森へと入ると辺りは、静まり返っており、騎士たちの緊張感にもいい影響を与えていた。

 そんな中でも、紅楼絵はひょいひょいと歩いて行き、しかも地面に落ちている草木を踏まないように、上手に避けていた。


「ん? スンスン……なんか血の匂いがする。でも人間……っぽくないなー」


 紅楼絵がそう呟くと、騎士団長が驚いた表情をしながらも、すぐに騎士たちに指示を出していた。


「総員、密集陣形!」


 騎士たちは先程からでは考えられないほど、俊敏に集合していき、大盾を持つ重装兵が円を描くように並んでいた。

相変わらずおどおどとしていた閃だが、周りに合わせて帯剣していた剣に手を付けていた。

 また閃の近くにいたフォンも、警戒しているのか毛が逆立っていた。

 しかし一向に何かが現れることはなく、ピリピリとした緊張感が、心地よく肌に伝わってくる。


「何も……来ないですね」


「いーや、閃……来るよ!」


 そう紅楼絵が言ったと同時に、草木がガサガサと揺れだし、森の奥彼はドタドタと足音のようなものが複数聞こえてきた。

 そしてついにその正体を現したのは、子どもくらいのサイズで肌が緑色の小鬼、いわばゴブリンだった。


「ゴブリン!? いや、今は……総員抜刀!」


 団長の声通り剣を抜いた騎士たちは皆、盾を構えなおして、何をされても殺すような鋭い眼光を飛ばしていた。

 正直どれほどの強さかわからないが、警戒するに越したことはない。

 しかし、なぜゴブリンたちは血だらけなのだろうか。

 狩りの途中で失敗したのか、それとも食事の最中だったのか、いやどちらにせよ逃げるように現れた理由にはなりえなかった。

 するとゴブリンたちは「ギャーギャー」と鳴いていたが襲ってくる様子はなった。


「気をつけろ! あいつらは非力だが賢い! 総員カウンターに集中するんだ」


「「「承知!」」」


 騎士団は、ゴブリンたちが攻撃を仕掛けてきたと同時に、カウンターで攻撃する気なのだろう。

 しかしゴブリンたちは、なにやら焦ったような行動をしており、紅楼絵はどうも怪しく思っていた。


「血だらけで……焦り……はっ! え、エメラルド、早く撤退した方がいい!」


「どうかなされたかクロエ殿。安心してください。我々がゴブリンごときに負けるわけがありません」


「違う! 多分あれは……」


 紅楼絵がそう言ったと同時に、ゴブリンたちの後ろからは、鈍い足音が聞こえて来て、大きな木々が倒れてくる。

 そして現れたのは全長四、五メートルくらいある巨大な人型の魔物だった。


「と、トロール!? なぜこんな森の浅い場所にいるんだ! あれは指定危険種としてランク指定のある魔物だぞ!」


 団長も突然で、予想外のことに指示を出すことを忘れ、騎士たちは震えながらも無駄な正義感のせいで逃げずにいた。


「はあー、本当にこの世界の人は楽観的で呆れるなー。 閃、少し離れるけど危なかったら逃げてね!」


 そう言った紅楼絵は、徐に魔法を展開し、黒い影を身に纏っていく。

 すると団長もやっと現実を受け止められたのか、急いで指示をだしていた。


「さあ、君は、僕を殺せるかい。化け物さん」


 紅楼絵は一人、密集していた場所から飛び出し、トロールの方へと距離を詰めていった。


「グアアアアアアアアアア!!」


 トロールの咆哮により、ゴブリンたちは散らばるように逃げていくが、紅楼絵は一歩も後退りせず、それどころかより近くへと寄って行った。

 するとトロールは自らの攻撃が届く範囲に紅楼絵が入ったとわかると、容赦なくその拳を振り下ろした。


「紅楼絵さん!?」


「クロエ殿……」


 トロールの拳は地面を軽く割る威力で、人間など簡単に潰せるものだったが、地面に

紅楼絵の姿はなかった。


「あはは、遅い! 遅い! そんな速さじゃ、僕には追いつけないよ!」


 その声はトロールの上空から聞こえて来て、皆上の方へと向くが、既に紅楼絵はいない。

 彼女の高速戦闘はもはや見えない領域に達しており、騎士団だけでなくトロール自身もきょろきょろと周りを見渡すが、その姿をとらえることはできなかった。

 

「はあー、もう飽きちゃったし、お遊びもこれくらいにしとこうかな。それじゃあ、化け物さんばいばーい……」


 そう言った次の瞬間、トロールの首筋から大量の血が噴き出し、無残にも頭を落とされていた。


「ふうー、終わった終わったー。 どうだった、閃? 僕、だいぶ強くなったでしょ?」


「紅楼絵さん! 大丈夫なんですか!? もし怪我でもしていたら……」


「怪我? ……うーん、それといったものはないけど……それでこれからどうするの?」

 

「クロエ殿、セン殿、今日は一度街に戻りましょう。戻って騎士団を再編成して、森の調査を行います。どうも森に何か起きているのでしょう。でなければ、この浅い場所までトロールが逃げてくることはないでしょうから」


「へえ、こいつそんなにおっかないやつなんだ。セルヴィアの方がよっぽど強かったけどね」


「王女様は名のある戦士ですので、トロールであれば問題ないでしょう。しかし、そんな王女様を倒したクロエ殿の方が、私からすればすごいと思いますよ」


「あっ、本当! えへへ、ほめられちゃった! それじゃあ閃、帰ろうよ!」


 そうして一度街へと帰ってきた、騎士団と紅楼絵たち。

 帰って来て早々にエメラルドは騎士たちを集め、森への調査隊を編成しており、その間紅楼絵と閃はゆっくりとメイドさんからもらったお茶を優雅に啜っていた。

 今はセルヴィアが不在のため、彼女に手紙を送り、騎士団を動かす許可を待っていた。

 さすがに数日はかかってしまうので、今日は各自で休むように伝えられる。

 そうして部屋へと帰ってきた紅楼絵と閃だが、閃はあからさまに落ち込んだ表情をしていた。


「はあー……」


 長めのため息をつきながら、ベッドへと腰掛ける閃。

 そんな彼が何故落ち込んでいるのか、紅楼絵は薄々、気づいていた。


「閃、何度も言うけど君は無理に強くなる必要は……」


 そう言う紅楼絵を遮るように彼はこう言った。


「紅楼絵さんは凄いですよね……。俺なんていくら努力しても、紅楼絵さんみたいにはなれません。今日だって、結局紅楼絵さんがいたから僕は今もここで、息をつづけられているんですから……」


「そ、そんなこと、どうだっていいじゃないか! だって君は僕にとって……」

「はは、どうだっていい……ですか。そう、ですよね。俺がどれだけ努力しても追いつけないのはわかっています。でも紅楼絵さんには、俺の気持ちなんてわかりませんよ」


 その言葉を聞いた紅楼絵は、彼から突き放されたような心の痛みを感じた。

 すると彼は「ごめんなさい」と一言呟き、部屋から飛び出して、どこかに行ってしまった。


「あっ、待ってよ閃!」


 紅楼絵は止めようとするが思うように体が動かなかった。

 そうして唐突に訪れる静けさに、紅楼絵はその場で、尻もちを着くように座り込んでしまう。

 自分が彼を止められる権利などないことはわかっている。

 しかし彼から捨てられると思うと無性に恐怖を感じたし、心が痛くなった。

 

「焦っているだけだよね、閃。でも君はもう十分強いよ。だって君は僕を救ったんだ」


 そうボソッと呟くが、彼にその言葉が届くはずもなく、紅楼絵は一人涙を流すのだった。

 翌日、閃と何度か出会うが、彼は紅楼絵を見ると避けるようにいなくなってしまう。

 紅楼絵自身も話しかけようにも上手くいかず、もどかしさが残るばかりであった。


 そうしてお昼過ぎになると今度は、フォンが紅楼絵の元を訪ねて来ていた。

 ガチャっとドアが開けられ、焦った表情で現れたのは閃の獣者、フォンだった。


「どどど、どうしたの! 急に来るからビックリしたよ!」


「はあ、はあ……ご、ご主人様がみ、見当たらない。に、匂いもしないからどこにいるかわからない」


 そう言ったフォンは息を荒くして、相当な距離を走ってきたのだろう。


「ご主人様? ……ああ、閃のことか。それで閃がどうしたの? 彼なら今頃訓練でも受けている時間でしょ?」


「うん、いつもならそう。でも今日来てない! だから探し回っているけど見当たらない」


 紅楼絵はそう言われ、なぜか嫌な予感がよぎって仕方なかった。

 フォンと一緒になって探したが結局見つからず、団長のエメラルドやその他騎士たちに話を聞いたが、誰も見ていないと言われ、手掛かりとなるものもなかった。

 その後騎士団の協力もあって閃の捜索が始まったが、結局見つからない。

 街中にも捜索隊が派遣されたが、いまだ情報はゼロだった。

 紅楼絵は一度部屋に戻り、閃の部屋へと訪れていた。

 閃の部屋のドアを開けると、中は相変わらずシンプルなままで、目の前には木製の机と椅子が置いてあるだけだった。


「何か、手掛かりになりそうなものは……」


 机の中には何も入っておらず、特にこれといったものは見つからなかった。

 すると引き出しの奥の方に何かあることを発見する。


「ん? これは……」


 取り出してみるとそれは、この国とその周辺の地図だろうか、また赤いペンのようなもので道がなぞられていた。

 引かれた線をたどっていくと森を抜けた先にある、神殿のような場所に丸印が書かれており、紅楼絵は頭にはてなマークを浮かべていた。


「クロエ殿、ここにおりましたか! 何か手掛かりになりそうなものは見つかりましたか?」


 ちょうどいいところに、騎士団長のエメラルドが来たので、彼女にも地図を見てもらった。

 すると、彼女は一瞬悩んだがすぐに答えが返ってきた。


「うーん、おそらくですが初代勇者様が訪れたとされる神殿があったように思います。聞いた話ですが、その神殿で祈りを捧げた初代勇者様は、覚醒し魔法を得たとされています」


 彼女がそう言い終えると紅楼絵はすべて理解していた。

 おそらく閃はこの神殿に向かったに違いない。

 そう確信した彼女は騎士団長に、森へ行くと一言伝え、その場から消えてしまう。


「えっ、クロエ殿!?」


 そう驚くように言った彼女の周りには、もう紅楼絵の姿はなかった。


第八話~魔法~


 森は天候のせいもあってか風で大きく揺れ動いており、ザワザワと草木がこすれ合う音は、奥に行けば行くほど強くなるばかりか、恐怖心や焦燥感といったものを刺激していった。

 紅楼絵は走った。

 魔法も使い影を纏った彼女は影が揺れ動くように森を駆けていく。

 しかし、彼女の心は焦りを覚え、消えてしまった宝物を探すように必死だった。

 幸いなことに魔物との戦闘には未だなっていない。

 見かけなかったといえば嘘になるが、紅楼絵の速さは自然の風とそう大差ないものだ。

 そのお陰もあって魔物の横を通り過ぎるが反応することもなく過ぎ去ってゆく。

 そうして走り続ける彼女のもとに、お便りが届くようして魔物の血の匂いが鼻孔をくすぐった。


「あっちか……」


 そう呟いた彼女は急いで匂いの強い方へと向かった。

 すると草木の生えていない道に出ることができ、その道を真っ直ぐ奥へと向かうと、魔物に囲まれた閃の姿を発見する。

 閃は剣を片手に戦っている様子だったが、相手は狼のような魔物で、三匹ほど目視で確認できる。

 彼は目の前の敵で視野が狭くなっており、背後に回られているのに気づいていない様子だった。

 そして背後にいた一匹が閃にとびかかろうとするが、牙や爪が彼の肉を引き裂くよりも先に、紅楼絵が魔物の首を飛ばしていた。

 切り口から血が噴き出し、返り血で片腕が真っ赤に染まってしまう。

 すると魔物は驚いて逃げ出し、閃はその場で尻もちを着いて紅楼絵の顔を伺っていた。

「ねえ、閃。さあ、帰ろうか……」


 そう言った彼女の声にはいつものような明るい雰囲気はなく、無慈悲な暗殺者の時と同じように感じてしまう。


「ごめんなさい。でも、俺……まだ帰れません」


 そう頑なに拒絶する閃の頬を、紅楼絵は気づけばひっぱたいていた。


「ッ~! いい加減にしてよ! 僕がどんな気持ちでここまで来たと思っているの! 急にいなくなったと思ったら森に一人で出かけて、もし怪我でもしたらどうし……て……」


「ごめんなさい。それでも俺は行かなきゃいけないんです」


「わかった。なら早く行こう」


「え?」


「どうせ君は言っても聞かないんだ。ならせめて怪我だけはしないように僕もついていくよ」


「いやでもついてきたら紅楼絵さんも怒られて……」


「だから何、僕は君と一緒にいたい。それにこの先の奥に行きたい場所があるんでしょ。

ならどうやって襲ってくる魔物を追い払うの?」


「それは……えーっと……」


「はあー……ほら立って閃。さっさと行って、帰るよ」


 そう言って紅楼絵は閃に手を差し出す。

 すると閃は先程とは違い、笑顔で紅楼絵の手を取るのだった。


「は、はい! 紅楼絵さん!」

 そうして紅楼絵と閃は森のさらに奥を目指して歩いていた。

 森は相変わらず静かで、魔物さえいなければいい場所だと思える。

 しかし魔物は存在し、いつどこで襲ってくるかもわからないため、警戒は緩めなかった。

 数十分ほど歩き続けているとついに閃の目的地である神殿のようなものが見え始めた。


「本当に存在したんですね」


 そう言った閃に対して紅楼絵は、ここがどういう場所かわからなったため、彼に聞いてみた。


「ねえ、閃。結局ここはなんなの? 古い建物みたいだけど……」


「えーっとですね。ここは初代勇者が訪れた神殿で、魔法を授かったのもこの神殿らしいんです。それじゃあさっそく、入りましょうか紅楼絵さん」


 神殿にも草が生い茂り、壁や柱にはコケのようなものが生えていた。

 だいぶ時間がたっており、誰も手を加えていないのだろう。

 しかし雰囲気としては忘れ去れた神殿といった感じで、冒険心的にはよいものだった。

 紅楼絵と閃が神殿へと入ると、目の前には下に続く階段があり、どうやら地下へと行かなければならなかった。


「ゴクリ……」


「ね、ねえ閃。本当にこの先に用があるんだよね」


「はい、おそらくですが……すこし不気味ですね」


「だいぶ不気味だよ! この世界のことだから幽霊とか平気で出てきそうなんだよねー」


「大丈夫です。この先には二つの女神の像が立っているとしか、本には書いていませんでしたから」


 そう言いつつも閃も恐怖を感じているのか手が震えていた。

 紅楼絵は彼の手を取って先行するものの、内心ビビり散らかしていたのは内緒だ。

 地下へと向かう階段の手前はギリギリ見えているが、奥の方は暗くてよく見えなった。

 手を取り合って一段一段、ゆっくりと確実に降りていくが、やはり奥の方は視界が悪かった。

 階段を降りる音が響く中、ついに階段の終わりを迎え、今度は目の前に現れたのは黄金に輝く、装飾の施された扉だった。 

 扉を開けようと押してみるがびくともしなかった。


「うーーーん! っはあ、だめだ! 古びて動かなくなっているみたいだよ」


「一斉ので、思いっきり押してみましょう。それじゃあいきますよ!」


 今度は閃も加わり、彼の掛け声で一斉に押すことにした。


「いっせいのーで!」


 力一杯押してみると、二人分の力があったので、扉は少し開いたようだった。

 そして次の瞬間、扉は急に軽くなり、いきなり扉が開いたため、紅楼絵も閃も勢いのまま前に倒れてしまった。


「うわあっ、ぐへ!」


「いててー、大丈夫ですか! 紅楼絵さん!」


「うん、なんとか大丈夫……」


 二人は起き上がり、辺りを確認すると、そこは本当に地下とは思えないほど明るい場所で、青いガラスから発せられる光はどこから照らされているのかはわからない。

 さらに目の前には二つの女神像が立っており、片方は真っ白な像で、もう片方は真っ黒な女神像であった。

 不気味な雰囲気ではあったが、どこかの教会の中にでもいるようで、神秘的な美しさが感じられた。


「ね、ねえ閃。本当にここであっているの?」


「あっ、はい。白と黒、太陽と月の女神像が並んでいますが、確か勇者は太陽の女神に祝福を願ったそうです」


「ふーん、でもなんかあの太陽の女神?……だっけ、僕はあまり好きじゃないな。だってあの女神様、人を台にして踏んでいるし……」


「この世界の宗教に詳しくないですけど、見方を変えると残酷で悪趣味に見えますね」


「だよね! それで閃は本当にあの女神像に祈りを捧げるの?」


「ここまで来て後には引けませんから。それに紅楼絵さんを巻き込んでしまっていますし……」


「わかった。じゃあ、僕はあの黒い女神像の方に挨拶してこようかな」


 そうしてお互い別々の女神像の前へと歩いていき、目の前で手を合わせていた。

 神社やお寺参りにでも行くような感じがあって、どこか懐かしさを感じるが、所詮は人々が作り出した空想に過ぎない。

 だからこそ紅楼絵は本当に神社、お寺参りといった感覚で願い事と勝手に入ってきたことを謝罪する。

 手を合わせたまま目を開けると、目の間には真っ黒な女神像の一部が見えるが、どこかこの女神様は可哀そうに思えて来てしまう。

 同じ神という位でありながらも、二つの女神像には差があるようにも見えてしまうのである。

 気にしすぎなのかもしれないので口には出さないようにしていた。

 そうしてお参りを終えた紅楼絵は、ふと閃の方を見ると驚いてしまう。


「せ、せせ閃!? なんか体が輝いているけど!」


 そこには祈る姿の彼の周りを覆うように光が包み込んでいた。

 紅楼絵の声を聞いてやっと彼は自分の置かれた状況に気が付き、驚き焦りだした。


「えっ、え、どどどうしよう紅楼絵さん!」


 何とかして彼を落ち着かせようとするが、正直紅楼絵自身も何が起こっているのかわからず、焦っていた。

 すると閃を覆っていた光は次第に収まっていき、まるで体の中に吸収されていくようにも見えた。


「あ、あれ? お、おさまっ……た?」


「あー、もう! ビックリしたよ、閃! 急に光らないでよ!」


「自ら発光したくて、していたわけじゃないですよ! でも……」


「でも?」


「なんかさっきより体調がよくなったきがします! それに気分も上がってきました!」


「はぁー、とりあえず元気ならもう帰るよ! 早く帰らないとみんな心配しているしね!」


 紅楼絵と閃は来た道を戻って行き、再び森へと足をつけていた。


「お邪魔しました!」


 そう言って本当に気分の良さそうな彼を見ていると、少しだけ心が安心してしまう。

 先程まで彼を見ているとどこか一人で抱え込んでいる、そう昔の自分自身を見ているようで心配していたのだった。

 孤独は彼には似合わないと紅楼絵は思った。

 すると彼が近寄って来て耳元でこう囁く。


「紅楼絵さんも、ありがとうございます」


 急にそんなことを言われても困惑してしまうが、悪い気はしなかったし、何よりうれしく思った

 しかし素直にその感情を表すには、もう少し時間が必要なようだった。


 二人は森へと再び入り、今度は街を目指して歩いていた。

 森は依然として落ち着いた雰囲気を取り戻せておらず、不安だけが残っている。

 紅楼絵と閃は急いでいたがかなり森の奥の方まで来ていたらしく、なかなか見覚えのある道へと出ることができなかった。

 そんな時、地面の一部が血だまりのようになっている箇所を閃が発見し、伝えてくる。

 最初は紅楼絵も閃も魔物同士の争いで起こったものだろうと思っていたが、戻るにつれてその考えが甘かったことに気が付かされることになる。



「あ、あの、紅楼絵さん!」


「どうしたの、閃?」


「さっきから、あの血だまりみたいなのをちらほら見かけるんですが、やけに多くなっていませんか?」


 そう閃に言われた紅楼絵は確かに血なまぐさい匂いが強くなっていることに気づいた。

 彼に言われるまでは気づかなかったが、よくもまあ見逃さないでいたものだ。

 あの光のこともあるので、彼の体になんらかの変化があったのかもしれないが、今はそれどころではなかった。

 戻るにつれてどんどん匂いは強くなっていき、本格的に鼻が曲がりそうなほど匂いは強くなっていた。

 

「くさい……」


「やっぱり匂いますよね。紅楼絵さんほどじゃないですけど、俺の鼻でもわかるくらい匂いが強く、多くなっていますね」


 ここからは慎重に動こうと言って木の陰に隠れながらも、移動していく二人だが、後ろの方から魔物の足音がしてきたので木の上へと昇り、息を殺して待っていた。

 すると案の定、魔物のゴブリンが数匹逃げるように走っていくが、その後から追いかけるようにして現れたのは驚きの生物だった。


「なにあれ……黒い泥?」


 紅楼絵はそうボソッと呟くが、目の前の生物はゴブリンを捕まえると捕食しているのか、ゴブリンの血が噴き出し「ギャア、ギャア」と悲鳴のようなゴブリンの鳴き声が聞こえてきた。

 捕食を終えた謎の生物は逃げていったゴブリンたちの方へと進みだし、その場からいなくなってくれた。


「も、もう大丈夫ですかね、紅楼絵さん」


「うん、多分残りを追っていったんだと思う。僕たちも急ごう」


「は、はい!」


 再び地の足をつけ、急いで街へと戻って行く。

 黒い謎の生物に見つかるのだけは不味いので、追っていった道とは少し離れた道を歩いていく。

 それにしても森全体から血なまぐさい匂いが漂っており、多くの魔物が死んでいるであろう。

 そこからあの黒い生物が一匹出ない可能性が高く、二人はより警戒心を強めて進んでいった。

 

「紅楼絵さん! やっと森を抜けられますよ!」

 

 そう言って嬉しそうにする彼だが、紅楼絵はなぜか胸の疼きが収まらずにいた。

 そうして森を抜けると、見おぼえのある道と街が見え始めた。

 しかし閃は突如足を止めてしまう。

 どうしたのだろうと前を向くとそこには、先程の黒い生物を従えている一人の少女が道を歩いていた。

 しかもその少女からは殺気、ではなく死の恐怖が感じられた。

 案の定、閃は足を震わせてその場で尻もちを着いてしまう。

 その際に音を立ててしまい、あちらもこちらの存在に気づいたようだった。


「ねえ、そこの人。すこし魔力の毛色が違うけどもしかして……勇者?」


 そう言う少女は死のオーラを放ち続けているにも関わらず、どこかおしとやかで、気品のある振舞からは想像もできなかった。

 閃は恐怖のあまりか震えが止まらなかったが、紅楼絵はいたって平気であった。

 すると少女は気づくと目の間におり、笑顔を向けてくる。

 いったい何者なのかわからないが、ただ普通の人間ではないことはわかる。

 少女は笑顔のまま閃に「大丈夫?」と言って手を差し伸べるが閃は恐怖に抗えずにいた。


「やっぱりだめなのかな」


 確かに少女はそうボソッと言って悲しそうな表情をしていた。 

 紅楼絵は必死に考えたが、彼女はただ手を差し伸べているだけで危害を加えたわけでもない。

 それに勇者という名ばかりのものでなければ、少女に話しかけられることもなかった。

 そして少女は残念そうに手を引っ込めようとするが、突然起き上がった閃はその手をがっちりと掴んでいた。


「えっ……」


「す、すみません。ちょっと疲れていたみたいで……ふー、もう大丈夫です。そうです、俺と紅楼絵さんは少し前に異世界召喚された者です」


 息を荒くしていた閃だが次第に震えもなくなり、今では立派に営業スマイルの表情をしていた。

 すると少女の瞳には涙が零れ落ちる。

 そして次の瞬間。

 

「やっと、やっと見つけた。私の王子様ぁ!」


 そう言って少女は徐に閃へと抱き着いてくるのだった。


「なっ!?」


「え、えええええええええー!」


 二人とも何事かと驚いて声をあげるが少女は閃に抱き着いたまま離れようとしなかった。

 そうして二人は一向に離れようとしない少女に話を聞くと、さらに驚きの事実が判明するのだった。


「えっ! じゃあ貴方は六大魔王の一人、死王様なの!?」


 そう紅楼絵が声を上げると、死王は閃の腕を組みながら嬉しそうに肯定してきた。


「うん! 私、人の街だとそう呼ばれてるかな。多分、魔力のせい」


「魔力のせい?」


「私の魔力怖くない? 私の魔力は、生物はもちろん植物にまで恐怖を与えてしまうから……。そういえばなんで二人は平気なの?」


 そう言って不思議そうな顔をする死王に、閃と紅楼絵は顔を見合わせるがその答えなどわかるはずもなった。

 しかし紅楼絵はなんとなくだが自分なりの答えがあった。


「僕は……多分死に近い場所にいたから鈍感になったんだと思う」


「そっか、でもそれなら貴方はなんで私の手を取れたの?」


 そう言って閃の方を見る死王。

 閃は必死に考えていたがその時に思った感情を率直に伝えていた。


「正直、めちゃくちゃ体が震えて恐ろしかったですけど、死王様は俺たちに何もしていませんし、ただ挨拶を求めているだけなのにそれを振り払うなんてできませんよ」


「そう……なのかな。普通は気絶したり心が折れちゃったりする子も多いから、あまり外には出ないようにしていたけど、この本の続きが読みたくて……」


 そう言って見せてきたのは「百年物語」と書かれた本だった。

 古そうな本だが状態はよく、紙の日焼けや破れなどは一切見えなかった。

 死王にとってその本がどれだけお気に入りなのかはよくわかった。

 そうして三人は街を目指して歩き続けてついに森を抜けるのだった。


「フフッ、そうなんだ。センとクロエのいた世界は魔力のない世界なんだ。私もそんな世界なら恐れられずに済んだのかな」


 そう呟いた死王はどことなく孤独感に襲われていた。

 死王と聞けば恐ろしい感じがするが、彼女からはそんな恐ろしさも今はなくなっていた。

 どちらかと言えば、普通の女の子で優しい子というイメージだった。

 そんな時閃は何かひらめいたような顔をして死王にこう提案していた。


「なら俺と紅楼絵さんがお友達になりますよ!」


「えっ」


 突然そう言われた死王は驚いた表情をしていたが、すぐに嬉しそうに涙を流しながら笑っていた。


「本当にいいの?」


「はい! 俺は構いませんよ!」


「ぼ、僕も別にいいよ」


「えへへ、ありがとう。それじゃあ私たちお友達だね! あっ、そうだ! お友達の印にこれ二人にあげる!」


 死王は二人の手に宝石のような花びらがある花を渡してきた。


「こ、これは……」


「それは私の領地で取れたクリスタルフラワーって言って……。千年に一回しか咲かないんだー。それに、その花には最愛って意味があるって本で読んだことがある。だから二人には持っていてほしい」


「そんな貴重なもの……絶対に大切にします!」


「あはは、でもいっぱいとれるから、もし枯れちゃったら言ってね。また持ってくる」


 そう聞いた紅楼絵は千年に一度という言葉が一瞬頭をよぎったが、今はどうでもよかった。

 この世界で初めての友達が喜んでいるのだから、それを害する必要はない。

 そうして三人は再び歩き始めるのであった。

 


第八話~帰還~


 夕方頃、街へと着いた三人は街の入り口である門前に騎士団の姿と、笑顔ではあるが内心ぶちギレていそうなセルヴィアの姿があった。

 セルヴィアは確かパーティーに呼ばれ不在であるはずだが、もしや事を聞きつけて帰ってきたのかもしれない。

 あの笑顔の裏に隠された怒りが今にも爆発する可能性があったため、三人は草むらからこっそりと様子を伺っていた。

 紅楼絵はどうしようかと悩んでおり、死王様は眠そうにしている。

 またその時閃が立ち上がり「なんとかなりますよ!」と言って、ご主人を見つけた犬のようにセルヴィアの元へと向かっていった。

 

「あーあ、死んだなあれは……」


 なんて呟きながら呆れている紅楼絵の目の前では、騎士団に見事に拘束されセルヴィアの指示のもと街中に運ばれる閃の姿があった。

 もうこうなってしまえば仕方がないと悟った紅楼絵は、眠そうな死王様の手を引いて堂々と歩きだした。

 セルヴィアもこちらの存在に気づくと、即座に死王様に一礼し、貴族としての意地を見せつけていた。

 幾ら死王様の魔力が今弱まっているとはいえ、その魔力は依然として生物の恐怖の対象でしかない。

 その証拠にセルヴィアの後ろに構えている騎士たちは平然を装っているが、足元は小刻みに震えていた。

 しかしセルヴィアはその強さから来る自信故なのか、それとも何かしらの魔道具なのかはわからないが、恐怖など感じていないようにも見えた。

 そして死王様も眠そうな状態から覚醒し、出会った時のような魔王の風格?が現れ始めていた。


「長旅ご苦労様です、死王様。私はこの地の責任者であるセルヴィアと申します」


「うん、セルヴィア覚えた。それでセンはどこに行ったの?」


「ああ、あの勇者様には大切なお話がありますので館の方へ連行……いえ、ご案内しております」


「そっか……クロエも連れていく?」


「いえ、クロエ様には特にお話しすることはありません。それでは立ち話もあれですし、お部屋を用意しておりますのでご案内させていただきますね。ソラお願い」


「はい、お嬢様」


 セルヴィアがそう言って手を叩くと、そそくさと現れたメイドのソラが死王様の案内をしていった。


「クロエ様……」


「ひゃ、ひゃい!」


 死王様の案内の流れで騙せると思っていたがどうやら逃がしてくれないらしい。

 恐る恐るセルヴィアの方へと寄っていくが、彼女の笑顔がまた怖く思ってしまう。


「今回はセン様に非があると聞いておりますが、一人で森に行かれては困ります。緊急事態なのはわかっていますが、今度からは騎士団の人かフォンをお連れください。それから後で二人での冒険譚を聞かせてくださいね」


「あはは、手強いなぁ。でも森には何もなかったよ。気づかない内に閃が色々追い込まれていたのは事実だろうけど、ちょっとは気晴らしになったんじゃないかな」


「そう……ですか。私どもとしても彼の精神状態に気が付けづ申し訳ありませんでした。いきなり別世界に来させられているのに、配慮が足りませんでしたね」


「いいや、セルヴィアが謝ることじゃないよ。僕からよく言っておくよ。心配をかけるなーってね!」


「はい、ありがとうございます。それではクロエ様も一度館にお戻りください。お風呂と食事の準備をしておきますから」


「確かに血なまぐさいままはいやだなぁ。仕方ないけどお風呂はいるかー」


「相変わらずお風呂は嫌いですね」


「まあね、でも最初の時よりはマシになったかな」


「それは喜ばしいことですね。……それではクロエ様、また館にてお会いしましょう」


 そう言ってセルヴィアと別れた紅楼絵は、館へと戻るとすぐさまお風呂へと入った。

 湯船に浸かるのはまだ少し抵抗があったが、血なまぐさいままは嫌なので、シャワーで髪を洗った後、肩までゆっくりと浸かっていた。

 またお風呂を出た後、着替えと髪を乾かし、自分の部屋で寝ころんでいた。

 このようなぐうたらな生活をしていては暗殺者としての自覚が消えそうだが、お風呂上りはどうしても何もやる気が起きないのだ。

 紅楼絵はため息をつきながら今日のことを振り返る。

 今思えば今日はとても色々なことがあったなと思ってしまう。

 閃がどうして、あんなにも焦っていたのかは未だにわかずじまいだが、異世界に早く馴染もうとしているだけに違いない。

 しかし紅楼絵の胸の疼きはとまらず不安だけが居残りをし続けていた。

 そんな状態で紅楼絵は食事の準備ができたとし知らせが入り、メイドに連れられるまま、食堂へと来ていた。

「あらクロエ様、先程ぶりですね!」


「クロエも来たんだ。一緒にご飯食べよ」


「あっ、はい。それで……そこにいるミイラみたいなのは閃?」


 紅楼絵の目の前には綺麗な料理の数々が並び、死王様とセルヴィアは対面するようにして座っていた。

 また死王様の隣には絞られまくった雑巾のような顔をしている閃がおり、元気がなさそうに食事をしていた。

 一体あの後何があったのだろうか。

 そんなことはさておき紅楼絵も食事をしようと閃の隣の席に座った。

 するとメイドの人たちが続々と料理を持ってきてくれる。

 静かな食卓ではカチャカチャとナイフとフォークが擦れる音が響き渡り、心の休まる食事時だというのに微妙に緊張感が背筋を立たせていた。

 そんな時ふと紅楼絵が閃の方を見ると、彼は赤い実をパクパクと美味しそうに食べていた。

 紅楼絵も同じようにお皿から赤い実を取り分け、そのままひょいっと一口で赤い実を食べた。

 すると次の瞬間だった。

 口の中は針を刺されたような激しい痛みで覆われたのである。


「もぐもぐ……ん? んっ!? かっらああああああああ!!」


 静寂な空気をぶち壊すように紅楼絵は悲鳴のような声を上げ、食べていた実を吐き出した。

 周りにいた全員が驚いた表情で紅楼絵を見ており、メイドの人とセルヴィアが急いで駆け寄ってくる。


「く、クロエ様!? どうかなさいましたか! ……って、それは装飾品として置いてある、アカシャの実じゃないですか」


「ゲホゲホっ! ご、ごめん。食べちゃまずかった?」


「いえ、そうではなくてですね。大体、その実をそのまま食べる人なんていませんよ。なんて言ってもその実一つで大きな鍋の水を辛くできるくらい、刺激が強いんです。ですが見た目は綺麗ですのでこうやって装飾品として、置かれていることが多いのですよ」


「そ、そうなんだ。知らなかったよ。……待って、閃はこれを食べても平気なの?」


 そう言って閃の方向を見ると、彼は笑顔で「はい!」と返事を返してくる。

 彼はもともと甘い物が好きなイメージだったが、意外と辛い物の方が得意なのかもしれない。

 その後の食事の味はさっぱりわからず、ずっと舌がヒリヒリとしていた紅楼絵であった。


―――――――――――――――――――――――


 食事を終えた後、死王様は満足したのか帰るらしく、紅楼絵と閃は館の外までついて来ていた。


「セルヴィア、美味しい食事をありがとう」


「いえいえ、死王様のお気に召したのなら幸いでございます」


「うん、本当においしかった。それからクロエとセンもばいばい。また遊びに行くね」


「は、はい! 俺も楽しかったです!」


「うん、じゃあ気を付けてねー」


「ふふ、お友達はやっぱり楽しいね。じゃあ皆、今日はありがとう。また会いに行くときは知らせるから」


 そう言って死王様はお目当ての本を片手に夜の闇へと消えていった。

 

「は、はぁー!」


 すると緊張が切れたようにその場で座り込むセルヴィア。

 そんな彼女に手を差し伸べたのは紅楼絵だった。

「す、すみません。急に腰が抜けちゃって……」


 そう言う彼女の手に触れると若干震えており、死王様の魔力が影響しているようだった。

 死の恐怖など生物であれば皆感じること、それを我慢していた彼女はやはり強い人間だ。


 その後、他のメイドにも手伝ってもらいセルヴィアを自室へと運ぶとすぐさま寝てしまった。

 彼女のことはメイドの人たちに任せればいいだろう。

 そうして紅楼絵も部屋に戻り、ベッドで寝ころんでいると、ドアがノックされ入ってきたのは閃であった。


「どうしたの、閃?」


「紅楼絵さん! 多分なんですけど、俺魔力が覚醒したかもしれないです!」


「へ?」


 唐突に彼にそう言われた紅楼絵は変な声を出して首を傾げていた。


第九話~強さの代償とダンジョン攻略~


 あれから一か月の時が経ち、閃はついに魔力を覚醒させ、その頭角を現していた。

 彼の魔法は身体強化を行い並外れた力を発揮でき、騎士団はもちろん、ついにはシルヴィアまでも倒していた。

 そんな彼は今、ダンジョンと言われる迷宮に通い、今では引っ張りだこの新人として、新聞の一面にもなっていた。

 そんな頃、紅楼絵は相変わらず暇を持て余しており、何もない窓の外の空をずっと眺めていた。


「はぁー、なんか閃が遠くにいちゃった気分だよ」


 そう呟く彼女はベッドに横になり、昼間から怠惰な生活を送っていた。

 ダンジョンなどという危険な場所に行く必要が感じられず、閃自身も怖いとは言っていたが、自分魔力で人助けとでも思っているのだろう。

 しかし現実、ダンジョンでは死亡者も出ているため、安全とは言い難いが閃は、長年ダンジョン攻略をしているベテランたちやフォンと一緒に攻略しているため、比較的安全ではあるはずだ。

 

「無事に帰って来てくれればそれでいいんだけどね」


 そう思いながらも紅楼絵は、彼の帰りを待つばかりであった。


~数時間後~

 

 二日ぶりに閃がダンジョン攻略を終えて帰ってきた。

 

「ただいま、クロエさん! 今回もダンジョンの攻略が進みましたよ! なんとついに九十七階層まで攻略できたんですよ!」


「へー、それはすごいね! この半月で三十階層も進めるなんて……もしかしたら表彰ものなんじゃない?」


「まあ、表彰だけならチーム全体か代表者が表彰されるでしょう。それよりも明日からは九十八階層の攻略なんです!」


「もう次の階層に行くの! 少し早すぎると思うけどなー、僕は」


「そうでしょうか?」


「だっていつもなら階層を攻略する度にレベル上げは欠かさず行っていたじゃないか? 焦りは禁物だよ、閃」


「はい、わかっていますよ。では明日は偵察だけにしてもらうよう提案してみます」


「うん! 頑張ってね、閃」


 そう言って彼は自分の部屋へと帰って行った。

 紅楼絵は彼がいないことを確認し、フォンを呼んできて現状を報告させていた。


「フォン、今回のダンジョン攻略もお疲れ様! それで閃の様子はどうかな?」


「ご主人はあまり変わらない。最近は魔力にも慣れて来ていて、単体の強さであれば敵う者はそうそういないと思う。例外と言えばクロエくらいだし、今のところはなにもない」


「まあ、確かにこの間摸擬戦をやったけど、すごく強くて驚いちゃったよ。でもあんまり無理はしてほしくない」


「そんなに心配ならついてくればいいのに……」


「ついて行きたいよ。でも……」


「でも?」


「また彼の居場所を奪ってしまいそうで怖いんだ。僕がもし活躍しちゃったら、また彼は何をしだすかわからない。だから彼の居場所は絶対に奪わないし、誰にも奪わせない」


「そう、なら私がよく見張っとく。それともう寝ていい? 疲れた……」


 フォンは眠そうにして目を擦りながら、ベッドの中へともぞもぞ入っていく。

 最初に会った時よりも今は、かわいらしく思うが、相変わらず閃にべったりなので、嫉妬してしまいそうな時もあったが、今は彼女に任せる他ななかった。

 そうして紅楼絵は夜行性なため、夜の廊下を一人で歩いていると、ふと落とし物を見つけてしまう。

 

「ん? これって……」


 それは閃がよく持っている手帳で外が皮でできた、ちょっとお高いやつだが、書き心地がいいとかなんとか。

 大切なものなら落とすんじゃないと言ってやりたかったが、今は既に真夜中、明日にでも渡してやろうと、胸ポケットへとしまう。

 夜風が肌をかすめて熱を奪っていくが、それがなんだか心地よく、やはり夜の方が性に合っているようだ。

 誰もいない景色や空気は独り占めし放題であり、なんでも閃と一緒に見たあの空が忘れられずにいたのだ。

 孤独で寂しくて冷たかったあの時を、壊してくれた彼には感謝してもしきれない。

 だからこそ彼にはこの世界でよい人生を送ってもらいたい。

 紅楼絵は館の庭にある草原で寝ころび、風や虫の音を聞きながら、目を閉じるのだった。


~翌日の朝~

 

 紅楼絵はベッドから飛び起きると、その日は曇りで、太陽が隠れていた。


「んーーー! はあ、さっと着替えて顔を洗わないと……ってあっ! これ渡すのを忘れていたよ」


 そう言って胸ポケットから取り出した閃の手帳を片手に、昨日の自分を殴ってやりたくなる。

 既にダンジョンへと出かけたのであろう形跡があり、フォンも布団をくちゃくちゃのまま姿を消していた。

 紅楼絵はしょうがないと思いつつベッドの布団を直し、綺麗にする。

 その時持っていた閃の手帳を落としてしまい、中が丸見えになってしまっていた。

 できるだけプライベートな部分は守っていきたいので中身を見ないようにしていたが、これでは嫌でも見てしまうだろう。

 しかし手帳には長い文章は一行もなく、淡々と短い単語が書かれていることに気づく。

 不思議に思った紅楼絵は、手帳を手に取り、何が書いてあるのか見てしまう。

 

「う、うそ……なにこれ」


 そこに書いてあったのは人の名前ばかりで、メモの内容としては異常だ。

 次のページにもその次のページにもずっと名前が書かれており、何度も同じ名前が書かれていた。

 しかも身近な名前ばかりである。

 しかし最後のページだけは文章が書かれていた。


ダンジョン九十五階層突破日

『今日も沢山戦ったし、ダンジョン攻略も順調だ。でも最近物忘れがひどい気がする。それに食べ物も味がしない。特に人の名前なんて聞いても半日もすれば忘れてしまっている。なぜかわからない。また一人そしてまた一人と忘れていく気がする。紅楼絵さんやフォン、セルヴィアさん……、大丈夫まだ覚えている。』


九十六階層突破日

『今日はついに九十六階層を突破した。ボスは変ななめくじのような見た目で帰ってきたときに紅ロエさんに怒られしまった。そんなことよりも明日はどんな敵がくるのだろうか。楽しみで夜も眠れない。最近頭痛がずっと続いているきがする。それに物忘れが本当にひどくなってきた。メンバーの顔をみても名前がおもいだせない。そうだ、このメモに書いておこうかな。明日フォンに聞いて書き記しておこう。』


九十七階層突破日

『九十七階層も突破し、あと少しで百階層だ。魔力の使い方もだいぶ覚えてきた。でも意識がなくなったように記憶がない。昨日何食べたっけな……。だめだ、思い出せない。もう明日に備えて寝よう。クロエさんの言っていた通り明日は偵察だけの方がいいのかもしれないな』


 紅楼絵は書かれていた内容に驚きつつ、さすがに看過できない状況であった。 

 閃が帰って来次第、このメモ帳の真偽を確かめようと思っていた。

 しかしその日から閃は帰らなかった。



 ことが分かったのはその日の夜だった。

 閃とフォンが帰ってきたと思うと、メイドたちの悲鳴の声が聞こえてくる。

 急いで向かうとそこには傷だらけで倒れているフォンの姿があり、ダンジョンで何かあったに違いなかった。

 取り敢えず、フォンの手当てをして、回復を待っているとセルヴィアに今度は呼び出される。

 そして告げられたのは閃がダンジョン内で行方不明になったということだった。

 なにが起きているのかわからない彼女だったが、今はフォンの回復を待つばかりだった。


 フォンが目覚めたのは朝方の太陽のまだ昇っていない時間だった。

 その間眠らず待っていた紅楼絵は、彼女が目を覚ますと同時に飛び起きる。


「大丈夫、フォン!?」


「ん、大丈夫。死んでないよ」


「そっか……起きていきなりだけど何があったのか話せる?」


「ん、話す。昨日はいつも通りダンジョンの九十八階層の偵察を行った。でもそこで事故があった」


「事故?」


「ん、ダンジョンの中から出られなくなった。一歩でも入ったら、最後出られなくなる」


「そんなこと今までなかったんじゃ……」


「そう、今までなった。だから前に進むしかなくなったからボスを倒すことにした。でもボスが意外と強くて、メンバーもご主人もいっぱい怪我をしてた。皆、瀕死だったんだけど、突然ご主人の魔力が跳ね上がったの。そしたらボスを一撃で倒してた」


「うんうん、なら皆帰って来て……」


「違う、ご主人が急におかしなことを言い出して、下の階層に姿を消した。皆、消耗してたし、危険な状態だったから帰還する他なかった……ごめんなさい」


 そう言ってフォンは悲しそうに耳を垂らして頭を下げていた。


「大丈夫、フォンのせいじゃない」


「でも私が見張っていれば……」


「その体じゃ無理だよ。それじゃあ後はゆっくり休んでいて!」


「待って! クロエはどうするの?」


「もちろん、あのバカを連れ戻しにいくんだよ。はあー、手間がかかるから嫌んだけど仕方ない」


「あっ、待ってクロエ」


 紅楼絵はその声を無視し、部屋を後にする。

 そして訪れたのはセルヴィアの部屋だった。

 ドアをノックすると綺麗な音が部屋に鳴り響く。


「失礼しますよー。セルヴィア、閃の情報は……その様子じゃなさそうだね」


 セルヴィアの目の下にはクマができており、おそらく寝ていないのだろう。


「あら、クロエ様おはようございます。ごめんなさい、セン様の情報は未だつかめていません。ですが今日の昼には捜索隊が……」


「そうそう、その捜索隊に僕も参加するよ」


「な! 何をおっしゃるんですか! ダンジョンの未踏エリアですよ! もしクロエ様に何かあれば……」


「セルヴィアの気持ちも分かるけど、僕は行かなきゃ。だって閃にダンジョンを進めたのも勇者として何かさせたかったからでしょ? なら僕も勇者だ」


「……クロエ様。わ、わかりました。すぐに手続きをしますのでお待ちを……」


「待って、私も参加する!」


「フォン、ついてきたの?」


「私もご主人を……」


「フォン、今貴方は重傷者なんですよ。そんな貴方をダンジョンに行かせられるわけないでしょう。すぐに部屋に戻って休んでください……」


 セルヴィアがそう言うと、メイドたちを呼び、フォンを連れて行こうとする。

 しかしフォンは懐から小さな小瓶を取り出し、中に入っていた緑の液体を飲み干してみせる。


「ゴク……ゴクッ!」

「フォン、貴方まさかそれは……万能(エリク)(サー)じゃないですか! 貴方の亡くなった両親からいただいた大切なもだとおしゃっていたではありませんか……」


「そんなことどうでもいい。これも大切だけど、ご主人を守れないなんて嫌だ。私はもう失いたくない」


 そう言ったフォンの全身の傷は、完全に治っており、痛々しかった傷跡もなくなっていた。

 そしてメイドを振り払い、頑固な子どものようなそぶりで、セルヴィアに頼み込んでいた。

 すると徹夜明けのセルヴィアがついに折れて、フォンも参加することになった。


 その後すぐに捜索隊が組まれ、紅楼絵とフォンを入れて総勢十人の猛者たちが集っていた。

 ダンジョンに潜るのは、これが初めての紅楼絵は、最初冒険者組合の方から許可が下りなかった。

しかし組合の方に行って、この世界で一番硬い素材と言われる竜の鱗を切り裂いてみたら、すぐに許可が下りた。

 この世界の基準が個人の強さであったことを感謝する他ない。

 そうして紅楼絵とフォンは捜索隊へと加わり、そのまますぐにダンジョンへと向かうのだった。


「へー、ダンジョンの入り口ってこんなんなんだー」


 そう言ったのは紅楼絵で、これがダンジョンに入る初めての試みだった。

 また何に感心していたかと言うと、ダンジョンとはてっきり洞窟のようなイメージを持っていたが、実際は神秘的で出入口はすべて魔方陣による転移となっていた。

 魔方陣の上に立つと少しして、魔方陣が輝きだし、姿がどこかへ消えていく。

 恐る恐る魔方陣の上に立つ紅楼絵を見たフォンが気を利かせて、手を握ってくれた。


「私も最初は怖くて震えていたけど、ご主人が手を握ってくれて安心した。だからクロエもそんなに怖がらなくていい」


「そ、そっか、ありがと」


 紅楼絵とは犬猿の仲だったフォンも今では仲の良い友達だ。

 そしてついに魔方陣から光が発せられ、紅楼絵はダンジョンへと入っていくのだった。


~迷宮一階層~

 紅楼絵は目を開けるとそこは知らない場所の草原で立っていた。

 風でなびく草たちがサワサワと音を立てており、空気は澄んだようにきれいに感じた。

 そして皆ぞろぞろと歩き出し、それについて行くように紅楼絵たちも歩き出す。

 

「ここ、本当にダンジョンなの? なんか思ってたのと違うような」


「ガハハ、安心しな、嬢ちゃん。これから嫌という程ダンジョンだとわかるからよ」


 そう言ったのはドワーフの冒険者で、トレードマークの長い髭に、長命種でもあり頼りになりそうだった。

 

「それでフォン、僕たちはどこに向かっているの?」


「この近くに魔方陣がある。そこ使えば短縮できるから」


「短縮?」


「ああ? なんだ嬢ちゃん、そんなことも知らずに来たのか! よく上から許可が下りたな」


「まあ、こう見えても一応勇者だし……」


「ガハハ、勇者ってお嬢ちゃんのことだったのか。だがまったく、強そうじゃないな」


「僕が得意なのは対人戦闘だから、魔物相手じゃ弱いかもねー」


「そんじゃあ、人型の魔物は任せたぞ。ああ、言い忘れていたがワシの名はジェムだ。タンクからサポートまでなんでもできるぞ」


「そっか、僕は紅楼絵だよ。よろしくね!」


 上手くやれているか心配だった紅楼絵だが、ダンジョンを進める中で、その人間関係も良好になっていった。

 道中魔物に何度か襲われたが、やはりベテランということもあり焦ることなく、冷静に対処していった。

 特に驚いたのは一階層にいるスライムに襲われた時も、彼らは絶対に油断を見せなかったのだ。

 ジェムに色々聞いたが、弱い魔物に油断して命を落とすなどよくあることらしく、ベテランになればなる程、警戒心を強めるらしい。

 またダンジョンは階層ごとに場所の条件というのは異なるらしく、特に九十階層に入ってからはその状況がより過酷であった。

 大まかにわかけると……。


一から三十階層は同じく平原で、下の階層に行く程、魔物の種類が増えていった。

 三十一から六十階層は周りが岩に囲まれたまさにダンジョンという形で、トラップといったものも出てくるようになった。


 六十一から九十階層は地面に水が張っており、足首が浸かるくらい水が張っていた。

 そして九十一階層からは各階層でその様子がまったく違った。

 九十一階層は火山のエリアで、暑さは異常であるため、メンバーの魔法使いが対策として水魔法を体に纏わせて進んだ。


 九十二階層は海のエリアで空気は魔道具を使えばいいのだが、魔物は水生のモノばかりで、紅楼絵は必死になって泳いだそうだ。

九十三階層は空のエリアで地面が空に浮いているという、なんとも不思議な場所で魔物も皆翼をもっていた。


九十四、五階層は地続きになっており、無重力のエリアでまるで宇宙にいるようだった。

 またこの階層だけは特殊で魔物の一切いないエリアになっていた。

 九十六階層ではボスエリアといものが追加され、その場所はコロシアムのよう場所で、ボスはミノタウロスと呼ばれる牛の頭に人間がくっついた気持ちの悪い生物であった。


 九十七階層は真っ暗なエリアで物理攻撃の効かない魔物が多く存在し、ボスも物理が聞かない死神(デス)とよばれる魔物で、倒すのに時間がかかったが紅楼絵の影魔法で真っ二つにされていた。

 

そして今、九十八階層へと進んでおり、大きなジャングルのようなエリアだった。


「あーあ、もう疲れたよ。この階層広すぎない?」


「ああ、この階層は迷路みたいになっているからなぁー。それに外の時間だともうまる一日は経っているだろうよ」


「ええ! もうそんなに経ったの!」


「おう、ダンジョンと外の世界じゃ、時間の流れが違うからな」


 確かにダンジョンにいると、時間が流れているような感じはあまりしなかった。

 例えば時間を忘れて熱中している時のような、そんな感じだった。

 そして歩き続けていると、奥の方には大きな神殿が見えて来て、その神殿を見ているとどこか見覚えのあるような気がしたのだった。


「よし! 皆、ここがボスのいる部屋だ!」


 そう一人の冒険者が言った。

 神殿の出入り口は大きな門によって閉ざされており、中は確認できなかった。

 森には似つかわしくない神殿だが、まるで人が手入れをしているに綺麗で、紅楼絵は終始不思議だと思っていた。

 各自で休息をとり、寝る者がいれば食料を食べる者もいる。

 そんな中紅楼絵は周りの冒険者たちを観察し、ポツンと座っていた。


「クロエ、ご飯食べる」


 そう言われ振り向くとそこには、干し肉とパンを差し出すフォンの姿があった。

 彼女はせっせと自分の分も用意して、パクパクと食べ始めていた。


「ありごとう、フォン」


「ん、構わない」


「あっ……そうだ、フォン。この神殿にはどんなボスがいるの?」


「おっきな竜がいた。でもボスは倒されてから三日しないと復活しない。だから今は何もいないと思う」


「閃が倒したって言っていたね。やっぱり閃は強いなー」


「クロエなら倒せる。私にはわかる。クロエは強い」


「買いかぶり過ぎだよ。僕が強く出られるのは、人間相手だけだから」


「そんなことない。クロエはボスを今まで倒してきてる。前回のボスは正直、クロエがいなかったらやばかった」


「物理の効かないなら魔法で殴ればいいって、結構単純に考えただけなんだけど」


「でもそれをすぐに実行に移せるのはクロエの強さ。ん、招集がかかった。行こ」


 そう言われ紅楼絵は持っていたパンと干し肉を口に押し込んで、急いで向かって行った。

 そして全員集まったところで神殿の中へと突入する。

 神殿の中は涼しく、外とは大分寒暖差があった。

 また神殿内は広い円盤状のステージになっているが、先程フォンが言っていた竜はいない。

 代わりにあったのは転移用の魔方陣と、帰還用の魔方陣の二つだった。

 もちろん転移用の魔方陣に足を踏み入れ、次の階層へと目指す。


「クロエ、次の階層は私も未知の世界。気を付けて行こう」


「う、うん、わかった」


 転移の魔方陣に全員が踏み入れると、転移が開始する。

 目の前が段々眩しくなり、意識がなくなるような感覚がしてくる。


「待っていてね、閃。必ず助けに行くから」


 そう呟くと同時に紅楼絵たちは未踏の地へと向かうのだった。


~九十九階層~


 目を覚ました紅楼絵たちは目を開くと同時に、その目を疑ってしまう。

 何故なら目の前にあったのは、全てが結晶でできた世界であったからだ。

 草も木も、その木の実もすべて結晶でできており、幻想的でなんとも美しい世界だった。

 

「あれって……街なの?」


 紅楼絵がそう言って指をさした方向には、家や建造物すべてが結晶でできた街が広がっていた。

 タンクを前に街へと侵入していくと、家やその中の様子は細かく結晶でできているが、人や魔物の姿が一切見えなかった。


「な、なあ! お前ら、ここって王都じゃなぇか?」


「いや、王都にないものがいくつもあるぞ。特にあんな像なんて見たことない」


「確かに。あれってなんの像なんだ」


 そう言い合う冒険者たちの目線の向こうには、大きな二つの女神像が立っていた。

 紅楼絵はその像を見ると同時に今までのモヤモヤがやっと納得がいった。

 

「やっぱり、あの時の女神像だ。それにあの神殿は前にも来たことがあると思ったけど、多分あの神殿も同じ……ってことは、ここは勇者にまつわる場所? いや、そんなはずは……」


「クロエ、大丈夫?」


「あ、ああいや、大丈夫だよ。ちょっと考え事! それよりこれからどうするの?」


「うーん、ご主人がこの階層にいる可能性は薄い。あれだけの魔力量だったらすぐに気づくと思うから」


「それじゃあ、またボス部屋を探さないとね。うーんでもどこだろう?」


「なあに嬢ちゃん、今から手分けして探すんだよ。三人人組だ」


「三人かー……それじゃあジェムとフォンでいいや」

「ん、わかった」


「おいおい、強制かよ。まあいい、どうせ俺はソロの冒険者だからな」


「他の人は違うの?」


「もちろんだ。あいつらは有名チームの二軍かそこらだろ。それなら俺らに見せられないことある。ここはお互いで助け合おうじゃねえか」


「ふーん、そうなんだ。それで僕たちはどっちを探すの?」


「あっ? うーん、ちょっと待っていろよ」


 ジェムは他のグループの所に行き話し合っていた。

 そして話し合いが終わり、彼が戻ってくるとすぐに方角を伝えられる。


「よし、俺らも行くぞ!」


「りょーかい!」


「ん、頑張る」


「はあー、これじゃあ子守だな。ガハハハッ」


「子どもじゃないぞ!」


「へいへい……」



 三方面に分かれての捜索が開始して早数時間、何も見つけられずにいた。

 もし何か見つけた場合や、万が一魔物と遭遇した場合は魔道具での連絡が必須で、それ以外にも十五分おきに報告をしていたが、どこの方面も何も見つけられていなかった。


「魔物一匹もいないなんてな! 不気味な場所だぜ、ここは」

「うーん……ねえ、待って! 何かある」


 紅楼絵がそう言って結晶の木々を抜けた先には、崩れ落ちた時計塔?のような残骸を見つけた。


「でかしたぞ、嬢ちゃん! 今、他の連中に連絡してくるからな」


 ジェムが連絡している間、時計塔の近くに寄ってみると、不思議な感じがした。


「クロエ、一人で動くのは危ない。皆が来てから……クロエ?」


 フォンは周りを見渡すが、どこにも紅楼絵の姿はなかった。


~???~


「ん、んん……えっ、ここどこ?」


 紅楼絵が目を覚めた場所は、一面中砂だらけの世界だった。


「あれ? 僕、皆とダンジョンにいたはずじゃ……」


 あたりのどこを見渡しても砂ばかり、太陽ではなく月が顔を出しており、まるで夜の砂漠であった。

 とりあえず歩いてみると、踏んだ箇所からは砂のザクザクとした音が聞こえてくる。

 

「フォン! ジェム! 皆ぁー!」


 大きな声で叫んでみるが、もちろん返事が帰ってくることはなかった。

 永遠のように続く砂道を一歩また一歩とあるいていく。

 するとどこからか塩水の匂いがしてくる。

 行先も分からないのでとりあえずのその方向に向かうと、目の前には砂浜とその奥には海へと続いていた。

 

「き、綺麗……」

 海には水晶のようなものが輝いており、月明かりと相まってか、より幻想的な景色を演出していた。

 水に手を浸すと決して濡れることはなく、水に触れているような冷たさもなかった。

 すると背後から急に声をかけられる。


「不思議な世界だよねー、ここ。 見た目だけは美しいけど決して触れられない世界」


「貴方は……クロスグリ」


 その声の主は六大魔王の一人、黒き魔王クロスグリだった。


「やっほー、クロエちゃん! 久しぶりだねー」


「な、なんで貴方がここにいるんですか」


「まあ、とりあえずついて来て。話は歩きながら話すよ」

 

 青白い砂浜を何も話さず一定の距離を保って、二人分の足音が聞こえてくる。

 するとクロスグリは何気ない感じを出しながら話し出した。


「ねえ、クロエちゃん。異世界は楽しい?」


「楽しい? ま、まああっちの世界よりはマシかな」


「そっか。クロエちゃんのいた世界よりもマシかー。じゃあ、今はどう?」


「今……は、そんな感情はないかな。だって、僕の喜びは閃が幸せでいることだから」


「……」


 紅楼絵がそう言うとクロスグリあからさまに嫌な表情をする。

 何か彼女の気にさわることでも言ってしまっただろうか。


「それで何故貴方がここにいるの?」

「ふふ、その答えはね。この先いる彼に聞いてほしい」


 そう言って目の前にはいかにもボス戦のようなステージが存在しており、その中心にいたのは紛れもない閃の姿だった。


「せ、閃!」


「……」


 閃は黙ったまま一歩も動かずその場で直立不動であった。

 それに彼は返り血で両手が赤く染まっており、以前の戦闘の激しさが伝わってくる。

 

「閃、なんで返事してくれないの! ねえ、閃!」


 何度も彼に問いかける紅楼絵だが、彼がそれに答えることはない。

 瞳の奥には光が失われ、意識そのものがここにはない感じがした。

 するとクロスグリが口を開いた。


「無駄だよ、クロエちゃん。だってこれは勇者の呪いなんだから」


「勇者の……呪い?」


「そう。クロエちゃんは初代勇者を知っているかな?」


 紅楼絵は首を横に大きく振った。


「初代勇者はね。彼と同じ強化魔法の使い手だった。でも私たちとの戦争も終われば、勇者はどうなったと思う?」


「身を隠して生きたとか?」


「うん、それもいい案かもしれないね。でも勇者には女神から受けた寵愛という呪いがかけられていてね。魔物を殺すだけの機械でしかなかったんだよ。だから初代勇者は家族も友人も恋人も全部を忘れて、魔物を狩るだけの機械となってしまったんだ。そう、今の彼のようにね」


 そう言ってクロスグリは閃の方を指さした。

 その間も閃はピクリとも動かず、表情一つ、瞬き一つしていなかった。

 紅楼絵はそんな彼を助けるためにはどうすればいいかを、クロスグリに聞く。


「どうすれば彼を助けられるの? どうすれば閃を……」


「あはは、まあそんなに焦らないでよ。そろそろかな……」


 クロスグリがそう言うと、海の方から何やら黒い靄のようなものが集まって来て、その黒い靄は閃の中へと入っていく。


「ああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 閃の悲鳴が聞こえて来て、咄嗟に耳を塞いでしまう紅楼絵。

 そして閃の体からは青白い魔力が溢れ出ており、蝶のような羽を模した形に変わる。


「さあ、クロエちゃん。彼を助ける唯一の方法を教えよう。それは……」


 クロスグリはこちらを見てニヤリと邪悪な笑みを浮かべ、こう言った。


「それは! 彼を殺すことだ」


 そう高らかに宣言するクロスグリに紅楼絵は絶望したような表情をしていた。


「こ、殺す……でもそんなことをすれば閃は……」


「死こそ解放なんだよ。この勇者の呪いは終わらない。だからこそ君が彼を殺して終わらせるんだ」


「いやだ!」


「なぜ拒絶するの? 君は彼を助けたいんだろ? なら彼をあの呪縛から解放し……」

「黙れ! 僕は彼を死なせない。例えどんな結末だろうと、閃から幸せを奪うなら僕が! 全部排除する!」


「何を言って……」


「それがたった一つの恩返しだから……」


 そうして紅楼絵は隠し玉であった、ある呪文を唱える。

 それはクロスグリからもらった影魔法の書を読んだ際に得たものであった。

 

「我は、夜巫女なり、肉体は影へと沈み、影は肉体へと形を変える……」


「待ってクロエちゃん。なんで君がその魔法を……」


「明日も希望も夢もなく、あるのは己が心、顕現せしは夜なり!」


 詠唱を終えた紅楼絵にクロスグリは驚いた表情をしながら、止めようと走って来ていたがもう遅い。

 紅楼絵はもう後戻りができないと察し、最後の詠唱を終えた。


常世シャドー影衣装コスチューム!」



第十話~少女は何を見る~


 月明かりが照らすは一人の乙女。

 全身が影へと姿を変え、纏いし影はその形を映し出していた。

 それこそは暗殺者でも、ただの少女でもない、紅楼絵そのものであった。


「僕はホワイト、貴方を葬り去る者!」


「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 敵意を向けられた閃は影となった紅楼絵に襲い掛かるが、もうそこは彼女の世界。

 幾ら体を強化しようと無限にある影には太刀打ちできるはずがない。

 影そのものが彼女の一部であり、影がなくならない限り彼女が尽きることはない。

 お互い攻防を繰り広げるが、紅楼絵に閃の獲物が当たることはない。

 そして紅楼絵はゆっくりと歩き出し、閃の翼を切り裂く。


「グああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 翼を失くしたところで閃の動きが止まるわけでない。

 なので紅楼絵は影を使い、閃の中にある闇を切り裂いていく。


「ぐ、グああああ……」


 影の刃は無数にある闇を葬り去るように切り裂き、撤去していく。

 

「あ、ああ」


 そして紅楼絵は最後に、閃の首元に会った白い水晶の魔道具を破壊した。


「ああ、俺は一体なにを……」


 そこにはもう闇など一つもなかった。

 切り離された闇は再び海の底へと戻っていき、水晶が黒く濁るようして出てくる気配はなかった。

 そして一人の少女は倒れこんだ。

 彼女に残された時間はもう少ないこともわかっていた。


「えっ、く、紅楼絵さん? はっ! 紅楼絵さん!」


 元に戻った閃が倒れた少女を抱きかかえ、消えていく体を必死に掴んでいた。

 少女は目を開けた。

 空は青く、雲一つない晴天であり、夜の世界の終わりを迎えていた。


「なんで……なんで紅楼絵さん! 俺のために、なんで……」


 閃は今までのことを全て思い出し、今にも消そうな彼女に涙を見せる。

 すると少女は話す気力もないのか、閃の頬を撫でて笑っていた。

 まるで泣かないでと励ましているかのように思えた。

 しかし閃はどうにかして彼女を助けようと必死に考えるがそんな方法など見つかるはずがない。

 幾ら己が強くなろうとも魔法を覚えようとも関係ない、大切な人一人守れぬのだから。


「ごめん、ごめんなさい。紅楼絵さん、俺は貴方を守ろうとして……俺は馬鹿だ! 守りたいものを見失って、自分が強くなる理由なんて見つかるわけないのに……」


 閃がどれほど己を憎もうと失った代償は大きい。

 謝ることしかできない彼はポンポンと肩を叩かれる。

 振り返るとそこにはクロスグリが立っており、一つだけ提案をしてきた。

 それは……。


「彼女を助ける方法が一つだけある」


 そう言ってくる彼女に、閃は藁でもすがるようにして、助けたいと強い意志で伝えた。


「わかった。でも君が失うのは個性まりょくだ。それでも君は彼女を助けたいかい?」

 閃はそんな問いに答えが決まっていたかのようにこう答えた。


「彼女を、紅楼絵を助けたい!」


「そっか、じゃあ手伝おう」



―――――――――――――――――――――――――

 

 あれから一か月が経った。

 俺はあの後捜索隊に発見されて、無事にダンジョンから帰還することができた。

 皆泣いて喜んでくれたし、俺も正直帰ってこられてよかったと思う。

 セルヴィアさんにはその後めちゃくちゃ怒られたし、過去で一番反省した。

 フォンもあれから俺を見放さないように前よりも監視が厳しくなった気がする。

 ダンジョンの仲間たちも、死王様もクロスグリも皆、元気で仲良くやっているよ。

 俺は魔力を失った。

 でももういい。

 守りたいものがあるなら強さを求める必要はないんだ。

 魔力はその守り方一つでしかない。

 そうですよね、紅楼絵。



『って! 勝手に死んだみたいに日記に書くなよ、閃!』


「あはは、ごめんなさい紅楼絵。そうだ、今日のお昼は何食べようか?」


『まあ、なんでもいいよ。僕は体がないから味なんてわかんないし』


「セン様、セルヴィアさまがお呼びです」


「あ、はーい! 今行きます! それじゃあ行こうか、紅楼絵」


「はーい!」


 俺は魔力を失った。

 その代わりに得たのは彼女の存在。

 肉体を持たない彼女の仮の器として、二人で世界を見て行こうと思う。

 そしていつかまた二人であの空を眺めてみたい。


終わり。


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