はい、守ります。
「月岡君。私を守ってくれないかな?」
俺が介護の仕事に就いてから半年経った秋晴れの日。その日は職場のデイケアセンターも月に二度の定期閉所日で、お互いに休日だった。
そんな貴重な休日に、話があるから、と日野さんに職場近くの喫茶店に呼び出された俺は、突然そんなことを言われたのだ。
純喫茶を謳っているその喫茶店。自然豊かな山奥をイメージした心地よいBGMが店内に流れている。メニューといえるものも店主おすすめの紅茶が三種類あるだけ。それも一般的な喫茶店よりかなり高価に価格設定されている。この店の店主もよほどおすすめの紅茶に自信があるのに違いない。別の席にもカップルと思われる男女が互いの対面位置に座って他愛ない会話を交わしているようだ。
「えっ? 突然何を言い出すの?」
突然の「守ってくれないかな」という言葉に対しただただ驚愕した俺はそう言った。日野さんは語気を強めながらもテンポを保ちつつ言う。
「あの夜のこと忘れてないよね。実は私のお腹の中に月岡君との子供がいるのよ」
実はというとだ。学校の夏休み中、日野さんの二人の子供が学童保育の泊まりがけのキャンプに行っていて居ないという夜、俺は日野さんに誘われて、日野さんの家に上がり込んで、関係してしまっていたのだった。
まさかそのときに? いや、あのときだってゴムぐらいつけただろう、俺も動揺しながらそのことを言った。
「さすが童貞君ね……。お勉強はできたけど、やっぱりバカなのね。ゴムってそれだけで完全に避妊できるわけではないのよ」
そう、あの夜が俺にとっての初体験のときでもあったのだ。誘われるきっかけとなったのも、普段の他愛ない会話がいつの間にか下世話な話に発展してしまっていたからである。「月岡君、もういい歳なのにまだなの? 私でよければ筆下ろしさせてあげる」などと誘われたのだった。
いい歳なのにまだだった俺。日野さんからとはいえど誘いにのったのは浅はかだったな。己の心の弱さを恥じ、誘いに乗ったことを心から後悔する。
黙っている俺に対し、更に語気を強めながら日野さんは言う。
「とにかくあなたはもう私の子の父親なの。その自覚を持ってほしい」
しかし、突然のことで、頭の中が混乱状態にある俺。日野さんは語気を少し戻しつつも聞いてきた。
「もう一度聞く。透。私を守ってくれないかな?」
「……うん、守る」
「……私、だけじゃなくて、私の二人の子も、守ってね」
「……はい、守ります」
そういうわけで、バツイチの愛美と予想外のかたちで結ばれることで「身を固める」ことになった俺。三十歳の誕生日を翌月に控えた秋の日のことだった。
後日改めて会ったとき、薄い紙を渡される。婚姻届である。「守る」という重い言葉と共に薄い紙への捺印をすることになる。愛美のお腹の中の子はもちろん、愛美の二人の子もこれからは俺の子ということになる。
実家からは呆れられ半分ながらも、結婚を祝福された。俺の両親は婚姻届を出す際には証人にもなってくれた。しかし、選りにも選って二人の子連れととは、さァこれからがタイヘンだゾ、と釘を刺されたりはしたが。
愛美の元旦那との二人の子の体面上、俺が姓を変え日野姓を名乗ることになった。俺は「日野透」になった。
同時に俺も愛美の家に引っ越すことになる。公営住宅の一角だ。家族四人、お腹の中の子を含めて五人で暮らすには少しばかり狭いものの。まるで婿入りである。