雪の降る街
俺、月岡透が大学進学を機に出ていったはずの富山に東京から十年ぶりに「帰ってきた」のは二〇一一年の年末のことだった。
二〇一一年、すなわち東日本大震災の起こった年である。俺が二十九歳になった年だ。
東京での生活に対して精神的にも疲れを感じていた俺。東京駅から下りの上越新幹線に乗って冬晴れの乾ききった東京の街をあとにする。
そして、何処かの名作のセリフではないけれど、長いトンネルを抜けるとまさに雪国。車窓から見える降り続けてはどんどん積もっている白い雪が都会生活で疲れ切った俺の心を癒やしてくれるかのような、そんな感じであろうか。
これも、毎年毎年、年末に帰省するときに見る光景であるので特別変わったことでもない。北陸方面も冬晴れで雪が少ないという年も存在したが。だが、もう東京なんかには戻るつもりのなかった俺にとっては、特別な思いをもって見る純白の雪景色であった。
越後湯沢の駅での乗り換えを素早く行う。いわゆるほくほく線への乗り換えである。乗り換えに成功すれば地元の富山まで一直線だ。越後湯沢と富山を結ぶ特急はくたかの発車音を聞きつつ、越後湯沢での雪景色を見て「ああ、雪国に帰ってきたぞ。今年一年ももう終わりなんだなぁ」と感慨深げに浸る毎年の帰省途中であったが、今年は余計にそういう思いも強い。
富山駅に着く。雪の降る街、である。北陸新幹線の開業を四年後の二〇一五年に予定している富山駅。その開業に向けての工事は年々進んでいる。それに伴い駅前の風景も少しずつ変わって来ている。富山駅前のロータリーでタクシーを拾って実家の住所を告げ、連れて行ってもらうように頼む。駅前から実家まではほんの四、五キロメートルほどだ。いつものように二千円でお釣りが来る程度の運賃で済むだろう。バスもない、鉄道も通っていない、つまりは交通の便が悪い実家周辺なので自動車での移動が必須というか、そうでもしないと、この雪道を歩いていくしかないのだ。
しかし、今日は特に雪が激しいらしくやや渋滞気味である。少しばかりの時間のロスが発生する。距離だけではなく時間の経過によっても、運賃の数字が上昇する。そこで少しイライラを感じてしまうのは避けられない。
「お客さん、すいませんねぇ。今日はこの冬になっていちばん本格的に降っているんですよ」
タクシーの運ちゃん、いや運転手さんがワイパーの調子をハンドル脇のレバーで調節しつつそう呟いた。運転手さんは続けて呟く。
「お客さんもご実家でお正月を迎えるために帰省されてるんですかね」
「ええ、毎年のことですので」
俺が相槌代わりにそう言うと、運転手さんからまた言葉が返ってくる。
「そうですか。ご家族と一緒に年末年始を過ごして、都会での疲れを癒やしてくださいな。来年またお仕事頑張れるように、ですな」
もう東京に戻るつもりのない俺はそれに対して無言でいた。
やがてタクシーは実家の前に着く。料金は二千円を少し超えるくらいで済んだ。
実家の戸を開ける。今年はお盆には帰省できなかったので昨冬以来一年ぶりの実家だ。高校卒業までの十八年もの年月を過ごしたはずの実家。東京には十年しかいないから実家時代のほうがまだ長いのに、やはり帰って来るたびに違和感を覚える。「ただいま」の挨拶をすると、母親が出迎えてくれた。
学生時代以来、毎年恒例のお土産になっている東京の深大寺そばを母親に手渡す。今年もまた大晦日にお願い、と台詞を添えて。