一般人
この街には美しい殺し屋が住んでいる。
今から三年前、私は彼の仕事を偶然目撃した。
彼は無邪気に笑いながらその長い手脚を自由気ままに暴力的に振るって、沢山いた白いスーツの男達を楽しそうに皆殺しにした。
美しかった、とても美しかった。
だから、あれを見た私はこう思った。
死に前に見るのならあれがいい。
あの美しい存在に、嬲り殺されて死にたい、と。
三年かけて金を稼いだ、死に物狂いで働いて、お金をたくさん用意した。
思っていたよりも時間がかかってしまったけれど、ようやくあの美しい殺し屋に仕事を依頼できるだけのお金が集まった。
三年の間に色々なことが起こった。
色んなバイトを掛け持ちして、時には犯罪スレスレの危ない仕事もして。
喫茶店で働いてみたら何故かあの殺し屋がいつのまにか常連になっていて、顔見知り程度の仲になってしまったのは完全な誤算だったし、そのせいで最後に見たいものも多少変わってしまった。
私は醜女だけれど多少は稼げるだろうと身体を売ってみようとしたら、何故か猟奇的な殺人事件が発生してその犯人だと疑われたこともあった、それが多分私の人生で一番に不幸なことだったと思う。
結局私に向けられた疑いは晴れたけど、肝心の真犯人が見つかっていないのも後味が悪い。
そんなふうに色々と苦労があったけど、無事目標金額までお金を貯めることができたから、それはもういい。
私はやっと、あの美しい男に殺されるのだ。
とはいっても自分で自分の殺人依頼を出すのはどうかと思った。
だってものすごく不審なことだし、なんか変態じみてるし。
あちらが私のことを全く知らなければ『変な依頼』で済んだだろうけど、中途半端に顔馴染みなのでそういうわけにもいかない。
たまにというか何故かほぼ毎回チップを恵んでくれるのだ、どうも彼は金遣いがとても荒い人であるらしい。
いつもニコニコ笑って楽しそうにしていて、楽しそうな笑顔で私を見てくる。
それでいつもありがとうね、なんて言ってくる。
それが、それがどうにも気持ち悪かった。
どうして彼のような美しい存在が、私のような駄目人間の前であんな親しみのある笑顔を浮かべる?
それが気持ち悪い、こんなものにあんなふうに美しい笑みを向けられる彼の神経が、その感性が気持ち悪い。
彼の笑顔を見ながら死にたいと思った、私を殺して楽しそうにしている彼の姿が見たかった、私の殺害が彼の娯楽になればどれほど幸せなことだろうと思っていた。
けれど、今は違う。
笑わないでほしかった、楽しまないでほしかった。
ゴミ屑でも見るような目で、やっつけ仕事のように、本当に嫌そうな、汚物に仕方なく触れる時のような冷めた顔の彼に、害虫を踏み潰すように殺されたい。
徹底的に汚いものとして扱われながら、死にたい。
そんな歪んだ願望をただ曝け出せばそれだけで気持ち悪いものを見るような目で見られそうだけど、それを素直にあの美しい殺し屋に曝け出せるほど私の精神は図太くなかった。
そういうわけで私は匿名で私の殺人を依頼することにした。
匿名で殺し屋に仕事の依頼をする方法は複数あった。
とはいえ学のない私に取れる方法は顔見知りの情報屋経由で知ったとある仲介屋を介して依頼する、という方法しか取れなかった。
依頼内容は『次の新月の夜にターゲットを惨たらしくゴミ屑のように殺してくれ』みたいな感じにした、殺しだけでなく殺し方まで指定すると料金が割増になったし、仲介料も取られたけどそこまで踏まえてお金を貯めていたのでなんとかなった。
依頼主に関する情報は当然黙秘、多少余裕があると思っていたけど黙秘料を含めたらギリギリだったので少し焦った。
それでワクワクドキドキソワソワしつつ、新月の夜を待った。
いつものように夜遅くまで働いて、ドキドキしながら家までの道をゆっくりと歩く。
この道中で、私の夢はようやく叶う。
そう思っていたのに、わたしが家にたどり着いてしまった。
いつもよりも時間をかけてのんびりと歩いていたのに。
仕方がないので家の中に入って、彼を待つ。
何もせずにただ待って、ひたすら待って、朝が来た。
騙されたのか、金を持ち逃げされたのか、怒り心頭で仲介屋の事務所に早足で向かう。
そうしたら、何か様子がおかしい。
何故か人が集まっている、何があったのだろうかと人混みの合間からその中心を覗き込んで、後悔した。
仲介屋の事務所の入り口の真ん前に、挽肉が山のような形に盛られていた。
そしてその挽肉の上の方に、仲介屋の首が逆さまに埋まっていた。
仲介屋という職業は多くの人から恨みを買う職種であるので、おそらくそのせいであんな目に遭わされたのだろう。
それが何故このタイミングになってしまったのか、人生というのは世知辛い。
多分私の依頼が仲介される前に彼は殺されてしまったのだろう、だから彼は来なかった。
そして当然のようにお金は返ってこない、また一から稼ぎ直しということになってしまったようである。
この際なんでもいいから手っ取り早く稼げる仕事がないかと顔見知りの情報屋に聞いてみた。
犯罪でもいいし死ななければ身体だろうが内臓だろうが売っていい、とヤケクソのように呟いたら、十年以上付き合いのある情報屋は深々と溜息を吐いた後、本当に言いたくなさそうな顔でこんなことを言ってきた。
「若い女を一晩、滅茶苦茶にしたいって、金はいくらでも出すっていうとある紳士を知ってるんだけど」
「……いくらでも、ということは若い女以外にも当然条件があるのでは?」
「いんや、若い女ならそれでいいってさ。絶対に殺さないとは言っていたけど、正直言ってだいぶ酷い目に遭うと思う。それでもっていうんだったら紹介するけど、どうする?」
私は当然のように首を縦に振った。
情報屋に指定された高級ホテルに向かったら、身なりのいい人に「お待ちしていました」と案内されてホテルの最上階、多分スイートルームに通された。
客は多分結構お金持ちな人なんだろうな、と思いつつ「お邪魔します」と室内に入る。
窓際のソファに情報屋がいうところの『紳士』らしき人物が腰掛けていた。
『紳士』がどんな人物であるのか最初は分からなかった、部屋の中が薄暗かったのもあるし、その『紳士』がこちらに背を向けていたせいでもある。
ただ、背が高そうな人物だと思った。
『紳士』がこちらに顔を向ける、歪んだ口元は肉食動物のそれのようで、黄金の瞳が爛々と輝いている。
「――え?」
どうして、なんで、これは一体どういうこと?
新月の夜に私を殺すはずだった美しい男が、そこにいた。
美しい男は何も言わずに獣のように私を貪った。
ひょっとしたら私が誰であるのかわかっていないのかもしれなかった、そりゃあそうだ、ただの喫茶店のアルバイトごときをこの人が認知しているわけがない。
全身が痛かった、この美しい男が自分のような汚らしい存在に触れているというだけで気が触れそうになった。
だから最初は逃げようとした、すぐにあの長い腕に捕まって組み敷かれた。
何をしても無駄だった、抵抗しても力では敵わず、言葉も全て無視された。
だから、どうしようもなかった。
痛み以上の何かが私の精神を蝕んでいる、この人にこんな汚いものに触って欲しくなかった、そんな絶望と肉体の苦痛が混ざって、もう何が何だかわからない。
それでもこの一晩で、この一晩だけでお金が貯まる、そうすれば彼に殺してもらえる。
彼から貰う予定のお金で彼に殺してもらうのは少しばかり滑稽だけど仕方がない。
この際金さえもらえればそれでいい、それでゴミ屑のように無様に殺してもらえる。
だから一晩だけは、我慢するしかない。
美しい男と目が合った、どろりと蕩けたような黄金の目が自分を見ているのが少し怖くて、気持ち悪い。
男はくすくすと笑いながらどこからともなく取り出した何かを私に見せてくる。
毒々しい色合いの、ラムネのようなものだった。
男の長い指が、その何かを半開きになっていた私の口の中に放り込んだ。