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彼の置土産は猫  作者: 知香
8/15

8.幸い子猫は寝ている

忙しい年度末を乗り越え、四月になった。彼からの連絡は無い。あの短い電話から一ヶ月が経っていた。


「今年の新入社員、どう?」


「どうって?」


「有望そうな子いるかな?」


「どうかな」


今日も同期とランチタイム。話題はフレッシュな新入社員だ。

新入社員と直接話す機会はまだ無い。なので私には何も分からない。


「あんまり業績が良いとは言えないからさ。営業目標達成率も結構ヤバかったみたい」


「みたいだね」


「凄い子入ってこないかな」


「営業部に入って来ると良いね。でも管理部には今年も配属される子は居ないだろうからちょっと羨ましい」


お陰でいつまでも私が下っ端なのである。


「そう言えば、週末合コン行ってくる」


「おお、今度はどんなメンバーなの?」


「目黒さんのお友達」


「目黒さんって、この間一緒に行った合コンの人だよね?『楽しそうでしたね』の人」


「そうそう。友達を紹介し合いましょうって言ってたけどお互いに年度末で忙しかったから出来なかったんだ」


「良い人と出会えると良いね」


「ねー」


「何だか、出会いの春だね」


「何それ」


「合コンで新しい出会いがあって、新入社員とも出会いがあってさ」


私なんて合コンも無ければ管理部に配属される新入社員も居ない。


「ああ、まあ、単なる人との出会いという意味ではね。私は年下の男に興味は無いので異性との出会いという意味では合コンだけだね」


「年下、駄目なの!?」


ちょっと吃驚した。年下と言っても三歳位しか違わないのに。


「そんなに驚く事?私は年上が良いの」


そうなんだ。好みは人のそれぞれであるとは分かっていても、何だか否定された様に感じてしまうのは、私が気にし過ぎているからだろうか。


彼は年下だ。私とは四歳離れている。同期にとっては三歳下でも対象外なのに、私と彼は四歳離れている。対象か対象外かなんて深く考えたことは無かった。ただ、彼にとって私はオバサンなのではと不安には思っていた。



***


台風の日、困惑しながら私に連れられてアパートにやって来た彼は、子猫の歓迎を受けた。私が帰ってもお腹空いた位のアピールしかしてこないのに、彼には構ってくれなのか会いたい人に会えた喜びなのか近寄って激しく鳴いていた。でもびしょ濡れだし臭いしなので、子猫には近寄らせること無く風呂場に押しやった。


『取り敢えずシャワー浴びてしっかり体を洗ってください』


それ大事。さすがに密室空間にこの臭いをさせた人と一緒に居るのは辛い。


『あ、でも、着替えも濡れてしまって』


手荷物はリュック一つだけ。そのリュックも布製でこの台風の雨で濡れてしまったらしい。


『近くのコンビニで男物のパンツ買って来ますよ。着替えは……お兄さん細いから私のスウェットでも着られそうなのでお貸しします。お兄さんの服や着替えは後でまとめて洗濯しましょう』


『なんか……すみません』


『いえ。他にコンビニで買って来て欲しい物ありますか?』


『……無いです』


『歯ブラシとかは?』


『一応持ってます』


一応って……。使い古しだったりするのかな。これ、偏見かな。


『直ぐ買って来ます。シャンプーとか使って大丈夫なので。あと戻るまでゆっくり湯に浸かっててください』


そう言い残して給湯器のお風呂を沸かすボタンを押してから、レインコートのフードを再び被って部屋を出た。見知らぬ人、と言うか、よく知らないホームレス風の人を部屋に残して出掛けるなんて無用心かもしれないけれど、拾っちゃったもん(人)は仕方無いし、どうせ家に現金は置いていないし通帳だってインターネットで確認するデジタルのものだから、盗まれたら困る物は何も無い。


コンビニに着いて下着売り場を探す。と、そこで問題発生。男性物のパンツ、トランクスかボクサーか、どちらが良いか分からない。元彼はボクサー派だった。お父さんは確かトランクス。でもこればかりは好みなので何も参考にならない。そしてサイズも分からない。細いから一番小さいサイズで良いかもしれない。ボクサーはピッタリしているからサイズ間違うと履けないだろうか。そうなら多少大きくても問題無さそうなトランクスにでもしようか。


そんなことを考えていたら私の後ろを通り過ぎた男性客が私を見て行った。台風の日にびしょ濡れのレインコートを着た若い女性が男性物のパンツをじっと見ているのがおかしな光景だったのだろう。恥ずかしくなってトランクスと肌着を素早く手に取りカゴに入れた。


それから食品棚を見たけれど、台風だからかお弁当やパン、カップ麺の類は品薄だった。買い込みかもしくは入荷出来ていないのか。

彼がこれまでまともな食事を取っていたかどうか分からない。胃に優しい物の方が良いかもしれない。ゼリーやヨーグルトをカゴに入れてレジに向かった。


彼の食事の心配までしてしまうなんて、私はお人好しなのだろうか。拾ったからにはそれなりに責任を持つという保護猫への対応と同じと捉えているのかもしれない。


雨風の中、急いでアパートに戻った。玄関の扉を開けると男物の濡れたスニーカーがちゃんとあった。立ち去ってはいない様だ。疑っている訳では無いけれど、何か盗んで出て行ったなんて事が無さそうでホッとした。


簡単に濡れた体を拭いて、着替えと買って来た下着、そしてタオルを風呂場に持って行った。子猫が風呂場の扉の前で待っていた。どれだけ懐いているんだか。


『遅くなってごめんなさい。着替え、ここに置いておきます』


『あ、すみません!ありがとうございます!』


彼が出て来てしまう前に私もちゃちゃっと着替えてしまう事にした。



お風呂場から出て来た彼はサッパリしてホームレスにはもう見えなかった。臭いも無くなって私のボディーソープの香りがした。子猫が彼の後についてかまって欲しそうにしている。この子猫、あの臭いが好きで彼にすり寄っていたんじゃないかと思ったりしたけれど、どうやら違うらしい。一安心。

彼の髪の毛はそんなに長く無い。散髪してからさほど経っていないのだろう。以前が坊主だったとかなら別だけれど、そんなに伸びていない髪や清潔そうになった様子から、つい最近までは普通の暮らしをしていたのではないだろうかと思った。


『あの、ありがとうございました』


『いえ。下着のサイズが分からなくて適当に買ってしまったんですけど、大丈夫でした?』


『全然問題ありません!この費用はいつかどうにかしてお返しします』


何事も期待しない方が裏切られなくて良い。なので『気にしないでください』と苦笑いして返した。


『お昼の時間もかなり過ぎてしまってますけど、何か食べますか?』


『いやっ!食べ物までは、ほんと、大丈夫です!こうして屋根のあるところに居られるだけで充分なのでっ!』


『でも私だけお兄さんの隣で食べるのも気不味いので』


『どうぞ気にせず食べてください』


食事にありつけるとは思わないらしい。もう少し図々しくなった方がホームレスとしては生きやすくなるのではないだろうか。完全に勝手にホームレス認定してしまっているけれど。


『ちなみに、何を食べて過ごしていたんですか?』


『……基本水と、シロツメクサ』


『シロツメクサ!?た、食べられるんですか?』


『食べられました』


予想以上の回答だった。本当か、と思ってスマホを取り出して思わず調べてしまった。


『食べられるみたいですけど、毒があるから食べ過ぎは良く無いみたいですよ』


『ええっ!』


食べられると知識があって食べたのでは無く、食べてみたら食べられたから食べ続けていたのだろうか。


心配になってきた。


だから卵粥を作ってあげた。申し訳無さそうにする彼に命令と称して強制的に食べさせた。あと、買って来たゼリーも。

彼に合わせてかなり柔らかいお粥にしたから直ぐにお腹が空いてしまうかなとも思ったけれど、『温かいご飯なんていつ振りか』なんて感動しながら食べるものだから、まあいっかと思えた。


急に胃に食べ物を入れたからか暫くお腹が痛いと言っていたので、ソファでゆっくりするよう伝えた。子猫はちゃっかり膝に乗って撫でて貰っていた。その時にいろいろと聞いた。


『お兄さん、いくつですか?』


『……二十一、です』


おっと、やっぱり年下だった。


『学生さんでは無いの?』


『……そう、ですね。ニートってやつですかね』


でしょうね。

年齢を言いにくそうにしていたのは、ニートであることに恥ずかしさを感じているからだろうか。


『いつからあの公園に?』


『この子猫とお姉さんに会った日です』


『実家とかは?』


『かえ……れない、ので』


実家はあることにはあるらしい。まあ、何かしらの事情があるのだろう。


『今後どうするつもりなんですか?』


『……何か仕事をしたくて求人を見て応募してみたんですけど、スマホが無いので連絡先が無くて、身分を証明するものも何も無くて、断られてばかりで』


ホームレスに求人活動は難しいらしい。


力になってあげたいけれど、私には解決策は思い浮かばない。家のパソコンで求人検索位ならしてあげられるけれど、私のスマホを連絡先として登録してもずっと彼に貸し出すなんてことも無理だし。


思い悩む人間なんて気にもせずに、子猫は彼の膝の上で眠り始めた。呑気でいいなぁと思ってしまう。外は台風の雨風が強さを増していく。こんな台風の日に行くところもない彼に、私は同情しているんだろうか。こんなにもお節介をして。小さな子猫を撫でるのに彼の手では大きいからか、指で優しく撫でてあげている。表情はとても優しげだ。優しい人なんだろうなと思う。


『この猫、名前はつけましたか?』


『なんとなく、サバトラって呼んでます』


『サバトラ?』


『こういう柄の猫のことです』


『美味しそう』


鯖だからかな。


『名前、つけますか?私よりもお兄さんに懐いているので猫も喜ぶと思います』


『名前……』


彼は暫く子猫をじーっと見て考えているようだった。


『……銀蜂』


『え?』


『ハチなんてどうでしょう?』


『ハチ!?』


どういうセンスなんだろう、この人。


『ハチって、犬っぽい名前ですね……』


渋谷にとても有名な犬居ますよ。


『猫の体、銀色で格好良いから銀蜂が頭に浮かんで』


この人には銀色に見えるらしい。私にはグレーに見えるけど。色彩感覚は人それぞれ。


『銀蜂って、ロックな感じですね……』


横浜辺りの。


『針の無い蜂のことなんです。でも銀蜂だとオスっぽいのでハチにしようかと』


『……猫、喜ぶと思います』


以前飼っていた茶白のハチワレ猫の方がハチっぽいと思ってしまったけれど、彼はそんなの知らないので言葉にはせずに名前を受け入れることにした。平和的解決は理解し受け入れることだ。幸い子猫は寝ていて喜んでいるかどうかは分からない。起きてても子猫の気持ちは分からないけど。



その後私のパソコンを使って求人情報を見てみた。途中で子猫が起きてかまってくれと彼の手を甘噛みするので、オモチャで遊んだ。子猫が全力で暴れ回りながら遊ぶ様子が面白くて私達は思わず笑ってしまっていた。今日が台風だということも忘れてしまうくらい、賑やかに楽しく過ごした。


***


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