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彼の置土産は猫  作者: 知香
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6.額縁猫のアパート

三月は年度末で色々と忙しい。この時期だけの業務もあるし、会社の売上目標を達成する為に今期中に追い込みで売上計上するのに巻き込まれ業務が増えたりする。勿論会社の業績が良い方が良いのでそこは協力したいし理解もしている。けれど、もうちょっと前からやってくれてたらこんなギリギリになって慌てなくて済むんじゃないかとか思ってしまう。こちらの都合だけでどうにか出来ることでも無く先方にも事情はあるのだろうとは分かっちゃいる。けど、この年度末の忙しさをどうにかして欲しい。


そしてこんな時だからこそ些細なミスをしでかしてしまうものだ。はい、経理に注意されてしまいました。


「情けない……」


ランチの時間、しっかり落ち込んでいた。

勿論私が悪い。でも経理も忙しくて少しピリついた雰囲気だったから、言葉が見事に刺さってしまい落ち込んでいた。余裕があればもっと優しい言い方での指摘だっただろう。でも今回は注意だった。私は謝ることしか出来なかった。

些細なミスをした自分が情けないし、同じ管理部としてこの時期の経理の忙しさは察することが出来るのに余計な時間を取らせてしまったことへの負い目もある。そして注意されて私への評価が下がってしまったであろうことへの悲しさで落ち込んでしまっていた。


「元気出しなよ」


「うん」


「管理部は全然マシだって。営業部なんてしょっちゅうミスして突き返されてるよ。あまりに酷くて経理課長自ら怒りに来たことあるよ」


それはそれでどうなんだ。


経理課長の普段から抱えているストレスが爆発してしまったんだろうか。


「慰めありがとう」


いつまでも落ち込んでいては業務に差し障りがある。いろいろ分かっちゃいるけど溜め息もつきたくなるものなのだ。どうせなら思いっ切り落ち込んでしまえばあとは意外にもスッキリして気分は浮上するだけになれる、気がするので、今だけは反省の意味も込めて落ち込んでいたい。



「ねえ、ちょっと聞いて欲しいんだけど」


同期が真顔で言う。


「いいよ、聞く」


私の失敗話を聞いて慰めてくれたのだから幾らでも聞こうではないか。


「前一緒に行った合コンの人の話なんだけど」


「おお、『楽しそうでしたね』の人?」


「何それ」


「気を遣ってドリンクのオーダーとかしてくれた人だよね?一緒にご飯行くって言ってた人」


「そうそう。行ったのよ、ご飯」


「どうだった?」


取り敢えず落ち込みタイムは終了して前のめりで話を促した。恋バナは回復薬かもしれない。


「ご飯は楽しかったよ、普通に。でも、また合コンしましょうって。今度は友人を紹介し合いませんかって」


「おおっと、それは、つまり」


「女を紹介しろと」


「ナシってこと?」


「声掛けたけどやっぱり私はナシで、友達を紹介して欲しいってことかな」


「わー。合コンするの?」


「お望み通りしようかと。イケメン連れて来てって言っといた」


この二人は進展しなかったらしい。


「付き合ってくださいって言われたらどうするとか言ってごめん」


「いいよ。私もどうしよっかなって考えてたくらいだから。自分、マヌケだな〜と思っちゃうよね。勝手な思い込み。相手にそれを気取られてたら恥ずかしいなって思ったよ。懺悔の気持ちも込めて可愛い子連れて行くつもり」


「そっか」


同期は良い子だなと思った。

女性との出会いの繋がりをキープする為に利用されたとは思わないらしい。私だったら断ってしまうだろう。もしかしたらそれすらも分かっててその男の人は同期に声を掛けたのだろうか。

本当のことは分からないけれど、まあ、同期にも新しい出会いのチャンスが出来たという意味では良いのかもしれない。


大人はそうやって出会いを広げていくのだろうか。

私は仕事に行って帰っての繰り返しで、新しい出会いなんてほぼ無い。多分、求めてもいないのだろう。




忙しい平日が過ぎ、休日になった。まだまだ忙しさの本番はこれからで、家でのんびりダラダラしようかと思い、おこもりする為に食材を買いにスーパーに出掛けた。

スーパーはお弁当コーナーが賑わっていた。美味しそうだし作るの面倒だし、今日の分は惣菜や弁当にしてしまおうかと、私も人の賑わいの中に入って行った。


スーパーの帰り道、公園の中を通った。桜が少し咲いていた。見頃は来週位だろうか。気の早いグループや家族連れがレジャーシートを敷いて楽しそうに過ごしている。


この公園はこの辺りでは桜で有名だ。比較的大きな公園で沢山の桜の木が植えられているし、公衆トイレもあるので花見をするのに人気がある。しかし人で賑わうのは今の花見の時期だけで、遊具の無いこの公園は普段はそこまで人がいない。犬の散歩やジョギングをしている人、私の様に近道をする為に公園を横切る人くらいだ。


彼と初めて会ったのもこの公園だった。



***


私は大学進学を期に上京をして一人暮らしを始めた。一人暮らしをしたくて東京の大学を受けた様なものだった。家を出たかったんだ。親と仲が悪い訳では無い。ただ、息苦しかった。

私は家族にも気を遣ってしまう性格で、逃げ場所を求めていた。高校生の時に、年上の従姉妹が一人暮らしを始めて楽しくて仕方が無いと話してくれたのを聞いて、羨ましくて憧れて、私も逃げたくなった。親や祖父母の顔色を窺って良い子でいる芝居から解放される良い口実になると思った。田舎の人間にも名の知れた有名大学なら志望しても反対されないとも思った。

勉強は良い子でいたこともありそこそこ出来たので、その通り誰にも反対されることなく志望大学に受かり、晴れて自由を手に入れた。少し遅れて来た反抗期だったのだと思う。


大学は楽しかった。良い子でいることが当たり前だったのでどこかでブレーキが掛かり、真面目さは失うことなく学業を疎かにせずに程々に遊んだ。それで良かった。いきなり金髪で帰省でもしたら家族は倒れていたかもしれないから。家を出てもどこかで家族に気を遣ってしまう。それでも日々気を遣って疲れてしまうよりずっと良い。


彼氏も出来た。初めは楽しかった。お互い一人暮らしだったのでお互いの部屋を行き来していたけれど、段々と私の部屋で過ごすことが多くなった。そして今度は彼氏に気を遣ってしまう様になった。彼を優先してお節介な位に世話を焼いてしまった。所謂、尽くしてしまったんだ。彼は実家の母親以上に世話焼きで都合の良い私に対して次第に横柄になっていった。だからまた気を遣う日々に戻ってしまった。自由を手に入れた筈の部屋も心が休まれなくなってしまった。


そんなある日、彼の浮気が発覚した。ショックだったのに、これを理由に別れられるとも思った。ショックを受けたのも彼を好きだったからでは無く、自分を軽く見られ裏切られたということに自尊心を傷つけられたからなのだと思う。これまで彼に尽くした時間や労力やお金は何だったのだろうかと悲しくはあったが、そんな彼に縋る気にはなれなかった。私達はすんなり別れた。


それでもどこか心が空いてしまった感覚はなかなか消えなかった。そんな感覚を抱えたままフラフラと散歩をしていたある日、今住んでいるアパートの前を通り、部屋の窓辺に猫が数匹並んで窓の外を眺めているのを見つけた。動物を飼ったことは無いし、犬と猫どっちが好き論争に参加したことも無い私だったけれど、色々な猫が色々な格好で色々な方を見ている様子は窓自体が額縁の様で、絵画か写真かジグソーパズルでも見ているみたいで驚くのと同時に、可愛いと心を奪われた。また、窓の前の低めのフェンスに這っている紫のクレマチスが、余計にお洒落な雰囲気を醸し出していた。


写真を撮りたい、けれど勝手に人の家の写真を撮っては駄目な気もすると、私の真面目な面が理性として欲求を抑えてきた。でも可愛いから目に焼き付けようとじっと見て、可愛くてニマニマしてしまう頬を我慢出来ずにいると、突然声を掛けられた。


『猫、好き?』


敷地からホースを手にした女性が出て来て、ニコニコと優しい笑顔を浮かべていた。年齢は母より少し上の六十代位に見えた。


『は、はい!すみません、勝手に……』


『いいのよ。通りすがりに見て行く人多いから』


そう言ってホースから水を出して植栽にかけていく。アパートにはきちんと手入れされた花や低木がお洒落に植えられている。


『猫が並んでいてとても可愛いですね』


『いつの間にかどんどん増えちゃって。近所の方が入院したり施設に入所したり亡くなったりして飼ってた子を飼えなくなったからって引き取っていたら、家の前に勝手に捨て猫を置かれてしまってね』


『勝手にですか!?』


『そうなの。でも保健所に持って行くのも可愛そうで結局ウチで面倒を見ているの』


そんなことがあるんだ。

勝手に家の前に捨てて行く人は一体どういう人なのだろう。どんな事情を抱えてそんなことをしたのだろうか。

相手に説明もお願いもせず、身勝手に押し付ける。自分では何も出来ず、やってくれるだろうと責任転嫁をする。


やってくれるだろう、は、勝手だ。


信頼関係の下に成り立つこともあるかもしれない。でも、頼まれた訳でも無いのに勝手にやってくれるだろうと思われ、何も頼まれていない私は気がつかずにやらないでいると、後で何故やっていないのかと怒られ責められる。そんなことが元彼とあったなと、思い出してしまった。

私ならやってくれる、それは元彼の甘えだった。でもそうさせてしまったのは尽くし過ぎた私だ。


『もし猫が好きなら親にならない?』


『え、私ですか!?』


急に言われて戸惑ってしまった。正直、猫が好きという訳では無い。ただ、この猫達が並んでいる様子が可愛かったのだ。


『私は、ペットの飼える部屋では無くて……』


『ウチ、一部屋空いてるわよ。勿論猫オッケー』


『え』


『私が家主だから。このアパートの』


アパートを眺め見た。賃貸の部屋が四部屋ある隣に猫が並ぶ窓のあるファミリータイプの部屋がくっついている。そちらにこの方、家主さんが住んでいるらしい。


『学生さん?』


『は、はい』


『ウチは駅から少し離れているし少し家賃も安いのよ。ちなみに1DK』


『ペット可物件って、高くないのですか?』


『学生さんだしお安くするわよ。Wi-Fiも完備』


なんと心惹かれる言葉達。


『とても魅力的ですけれど、私、ペットを飼ったことが無くて』


『不安なことがあればいつでも相談に乗るわ。旅行とか行く時は代わりに預かってあげられるし』


この家主さんの言葉が巧みなのか、話の間合いが絶妙なのか、ペットを飼うという不安はあっても心はグラついていた。


元彼と別れて空いてしまった心に、窓からこちらを眺めている猫達が温かな感情をくれている様な気がしてきてしまう。

人とは気を遣って上手く暮らせないかもしれない。でもペットなら程良く一緒に暮らせるかもしれない。世話は焼かされるかもしれないけれど、言葉や態度で傷つけられることは無いのではないか。


『……前向に、考えさせて欲しいです』


そう言ってしまった瞬間から、胸がドキドキとした。未知のことへの興味、不安、期待。新しい一歩を踏み出す様な感覚。


『嬉しいわ』


『今会ったばかりの私で大丈夫ですか?審査とか』


『それを聞いてくる時点で人が良さそうだから。それに、猫達が招いてくれた縁だとも思うし』


家主さんは嬉しそうに微笑んだ。ここの猫達はリアル招き猫らしい。


その後空いている部屋を見せてくれた。まだ前の住民が引っ越して行ったばかりで、クリーニングもリフォームもされていなかった。でもまだリフォームをしていないからこそ、壁紙やフローリング材は好きなものを選んでも良いよと言ってくれた。何だか至れり尽くせりの様だ。

家賃は今の部屋より少し安い金額だった。駅からは少し歩くけれど、スーパーやコンビニも近いしバス停も側にあり便利そうだ。それに家主さんが丁寧に管理をしているアパートはとても綺麗だし植栽もお洒落。そして額縁の様な窓に佇む猫達。


即決はせずに持ち帰ったのに、もうそこに住む気になっていた。直ぐに親に連絡をして引っ越したいと伝えた。親は勿論渋った。だけれど今の物件よりも良いありとあらゆる情報を与え、説得をした。家賃が安いよとか、家主さんが直ぐ側に住んでいるよとか、防犯性の高い鍵でさらに2ロックだよとか。

そして親の説得に成功し引っ越しが決まった。同棲をしていた訳では無いけれど、元彼と過ごした部屋を出て新しい暮らしが始まった。


それから家主さんが出してくれた候補の中から私が親となる猫を選んだ。茶白のおじいちゃん猫にした。ハチワレと少し短い尻尾が可愛い。そしてとても大人しいらしい。

家主さんのお家の猫は基本おじいちゃんおばあちゃん猫なんだそうだ。近所の方が飼っていた子を引き取ったかららしい。家の前に置かれていた猫はまだ若く、ヤンチャで手を焼くこともあるから初心者の私はやめておいた。


この茶白猫との新しい暮らしはとても穏やかで優しい時間だった。



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