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彼の置土産は猫  作者: 知香
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3.焦げても猫は食べない

卵をボールに割り、箸で溶いて卵焼き器に液を流し入れる。ジュッと良い音がして液がフツフツと気泡を作る。いつもの通りに卵液が固まる間にお弁当箱に白米を詰めた。もう良いかなと卵を巻いてやっと気がつく。


「あー……失敗した」


私の独り言に猫がピクリと耳を動かす。いつもは話し掛けても無視されるけれど、声のトーンで異変は感じたのかもしれない。でも餌を食べるのを止めることなくカリカリと今日も良い音を立てている。


失敗とは、卵に見事な焦げが付いていた。火力を弱めるのを忘れていた。慌てて弱火にしてさらに卵を巻いてみた。焦げは付いているけれど食べられない程では無さそう。残っている卵液を流し込んでこのまま卵焼きを作ることに決めた。


「久し振りにやってしまった」


焦げ色ののの字が入った卵焼きをお弁当箱に詰めながら、軽い反省を口にした。一人暮らしなのだから誰かに聞かせる言葉では無いので、完全に独り言だ。


料理は得意でも無ければ苦手でも無い。それでも節約の為にお弁当は余裕があれば作っている。卵焼きは定番だから作り慣れている筈なのに、こうして失敗してしまった。慣れが原因かもしれない。いや、ただのうっかりか。まあ、一緒に食べる同期にしか見られることは無いのだから、何も恥ずかしいことは無いけれど。




そんな失敗した卵焼きをランチで食べている時、同期から聞かされた話に驚いて食べかけの卵焼きをぽとりと落としてしまった。


「いつの間にそんなことに」


「ねぇ。驚くでしょ」


驚くのもその筈、なんと先日の合コンで知り合った一人からデートに誘われたと言うのだ。そう、あの後輩の子に全て持って行かれたと思って同期と一緒にアルコールを飲みまくり、見事に二日酔いになってしまったあの合コンだ。


「え、どの人?」


「気を遣ってドリンクのオーダーとかしてくれた人」


「帰り際に話し掛けてきた人?」


「そうそう」


まさかの『楽しそうでしたね』の人だった。この人に同期は嫌味を言ったのでは無かったか。それがどうしてそうなるのだろう。嫌味に受け取らなかったという事だろうか。あれを嫌味に受け取ってしまった私の性格が悪いだけだろうか。何か悲しい。


「いつの間に連絡先を交換したの?」


「神田と途中で別れたでしょ。その後彼が追いかけて来て連絡先を教えて欲しいって」


「わあ、そんなことが」


もう落とした卵焼きも放置で同期の話に集中してしまっていた。どうせ卵焼きはお弁当箱の中に落ちたのだし、戻ったと考えて良いだろう。


「その時はまた連絡しますって言っただけで別れたんだけど、何度か連絡をしあって、それで一緒にご飯行きましょうって」


「行くの?」


「まあ、ご飯だし」


「えー、わー、凄いね」


「ねー、吃驚だよね」


「私達、放っておかれて飲んでただけだよね」


「何かね、それが良かったっぽい」


「何で?」


「私も不思議で何故私なのか思い切って聞いてみたの。そうしたら裏表の無い素直で楽しい人だろうなと思ったって」


まあ、あれだけ笑い合って上機嫌だったから“楽しい人”に見られても可笑しくはない。

二人で笑い合っていたのに声を掛けたのは私では無く同期だった。何故か。同期が好みのタイプだったからか、同期の方が面白いからか。

お互いに上司の話をして笑っていた。それも取引先の方の前で。私の上司は管理部だから面識は無いだろうけれど、同期の上司は営業部だ。面識があっても可笑しくはないし、無いとしても今後会う機会があるかもしれない。それなのにベラベラと飲みの席で暴露してしまった。直接伝えた訳では無いにしろ、直ぐ側に居たのだから聞こえていても可笑しくはない。実際聞こえていたのだろう。だからこそ“裏表の無い素直な人”だと思ったことだろう。


「そこで付き合ってくださいって言われたらどうする?」


「えー。まだ分からないな。良い人だとは思うけど、ね」


同期の表情は少し照れているように笑っている。満更でもないのだろうな。誰かに好意を示されたら、そりゃあ嬉しいだろう。それが苦手な人とかでなければ。


「また続き教えてね」


「はいはい」


二人でどんな連絡のやり取りをしたのか詳しく聞きたいところだけれど、ランチの時間は長くはない。お弁当を食べることを優先しなければと、落とした卵焼きをまた箸で掴んで口に運ぶ。やっぱりちょっと焦げた苦味を感じた。

同期の恋の予感にときめきを分けてもらった様な気分だけれど、落ち込む自分もいた。私にはまだ新しい恋なんて訪れそうに無い。


「珍しいね」


考え事をしていたせいか、同期の言葉にクエッションマークが浮かんでしまった。


「何が?」


「卵焼き」


「卵焼き?いつも入れてるよ?」


「そうじゃなくて、焦げてるのが」


まさかの焦げ指摘。良く見てるな。同期に見られても恥ずかしく無いと思っていたのに、指摘されると恥ずかしくなる。


「火を弱めるのを忘れちゃって」


「そうなんだ。いつも綺麗な卵焼きだからさ」


突然の褒め言葉。ちょっと嬉しい。今日失敗したのにそれが褒めに繋がるとは人生って不思議。


「ありがとう」


「前も焦げた卵焼きの日があったよね。これは中だけだけど、前は外回り全部が茶色かった」


同期の言葉にすうっと頭に思い出のイメージが浮かんでくる。秋の肌寒い空気が漂う部屋の窓から、朝の日差しがイメージをぼやかしている。



***


茶色の卵焼き。人によっては焦げた卵焼き。私にとってはギリギリセーフの卵焼き。



『無理して食べなくても』


申し訳無さそうに私の健康の方を気にしてくれた彼は、やっぱり優しかった。


***



「……砂糖を、入れ過ぎて、焦げちゃったんだよね。あれから砂糖を入れるのやめたんだ。今は味付けは出汁だけ」


「そうなんだ」


いつもは出汁の味がする卵焼きも、今日はちょっと苦い。焦げたせいだ。

でも昔の焦げた卵焼きは苦味もあったけれど甘かった。卵の味がしない位に甘かった。


「彼とはどんなやり取りをしてるの?」


「えー、どんなって……」


もう卵焼きの話をしたく無くて同期に話を振った。惚気までは行かない話をその後ランチの時間が終わるまでずっと聞いていた。





仕事が終わって家に帰り、いつもの様に猫に餌をあげてからシュシュで髪を纏めて簡単な夕食を作り、缶チューハイで晩酌をした。


私は同期に一つ嘘をついた。

卵焼き、あれから砂糖を入れるのをやめた訳では無い。もともと入れないタイプだった。母が砂糖を入れない出汁巻き卵を作る人だったので、その味に慣れた私は自分でも砂糖を入れずに作っていた。


砂糖を入れて卵焼きを作ったのは彼だった。料理をあまりしたことが無いという彼が手伝うと言うので、卵焼きを作って貰ったのだ。彼の母親は砂糖を入れる人だったらしい。でも作ったことがない彼はどの位入れるのか分からずに山盛り入れていた、らしい。ちょうどその場面を見ていなかったのだ。卵の巻き方とかを見ながら教えてあげれば良いと思っていたから、私は彼が卵を溶いている時白米をお弁当箱に詰めていた。

溶け残った砂糖がザラザラとした卵液を卵焼き器に流し、手慣れていないせいでモタモタと卵を巻くから見事に焦げたのだ。



***


『わー、焦げてる』


『巻いて巻いて!もう火を止めちゃっても良いよ!』


二人で慌てながら朝から賑やかに作っていた。誰かに料理を教えるというのはなかなか難しいのだなと思った記憶がある。


『何でこんなに焦げたかな』


『俺の手際が悪いから?』


『それにしても焦げ過ぎじゃない?火力は落としたし』


そんな事を言いながらも卵焼きを切って冷ましてからお弁当箱に詰めた。残りを朝食で食べてやっと判明する。


『甘っ!?』


焦げた苦味はあったけれど、とにかく甘かった。大袈裟に言えばカラメルを食べたような気分だった。


『砂糖入れ過ぎた』


『どの位入れたの?』


『スプーン二杯』


『すり切れ?山盛り?』


『……山盛り』


どうりで甘く焦げやすい訳だ。


『焦げてるし甘過ぎるから食べなくて良いですよ』


『でも初めて作った卵焼きなんだから仕方ないよ。食べられなくは無いし』


『無理して食べなくても』


『無理じゃないよ』


『体に悪いですよ』


『作ってくれたことが嬉しいから』


『猫だって食べませんよ』


『焦げてなくても猫は卵焼きを食べないよ』


『……次はもっとマシに作ります』


失敗してもう作りたくないとか、自分には向いていないとか諦めてしまうのでは無く、次こそはと努力しようとする姿勢が何だか嬉しかったから、思わず私は笑顔になってしまったんだ。


彼は翌日も卵焼きに挑戦した。今度は砂糖を入れずに作った。お陰で焦げにくくなり、色は悪くなかった。でも箸で卵を巻くとき何度か破いてしまい、表面を焼き固めて形を誤魔化して何とか仕上がったけれど、切ったら真ん中がちょっと生焼けだった。生はお弁当に入れられないなとレンジで加熱したら、歪に膨らんでしまった。でも気にせずお弁当箱に詰めた。


研究熱心なのか彼は何が悪かったのか考えては翌日改善するよう努めたお陰で、直ぐに上手く作れるようになった。焦げはしないし生焼けにもならない。きっと元々器用なのだろう。彼は箸の持ち方も綺麗だから。


それからお弁当を持って行く日はほぼ毎回卵焼きを作ってくれた。料理自体楽しくなって来たと言って、夕食を作って私が帰ってくるのを待っててくれる様になった。失敗しないようにとレシピをしっかりと見て分量も作り方もその通りに作るから美味しく無い訳が無かった。帰宅した時に玄関に入って直ぐご飯の良い香りがしたのは幸せだった。


今はもう自分で準備をしなければならないけれど。


***



同期に嘘をついたのはどうしてだろう。未だに彼のことを引きずっているのを指摘されたく無かったからだろうか。彼との思い出を口にして返される反応が怖かったからだろうか。


やっぱり私にはまだ新しい恋は訪れそうも無い。



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