2.猫に二日酔いは分からない
「もう良いんじゃない?次の恋をしようよ」
バレンタインデーも終わって、結局彼が戻って来ることも無く猫のチョコレートを全部自分で食べてしまった頃、同期に言われた。
「そんな簡単に恋が出来るものかって」
「恋するぞって前向きな気持ちを先ずは持つことが大事だと思う。て、ことで、合コン行こう!」
「えっ!」
彼と同棲していたこと、その彼が急に居なくなったこと、そしてそれ以降全く音沙汰無しだということを知っている同期は、私を元気づける為にか合コンに誘って来た。行く気なんて更々無いけれど、同期のその好意を断るのも申し訳無い様な気がしてオッケーしてしまった。
もしかしたら自分でも彼はもう戻っては来ないだろうと確信に近い思いがあることを受け入れるべきだと分かっているから、何かしらの行動をしたかったんだろう。
合コン当日、そこそこに気合いを入れてお洒落をしてみた。私なりに。いつもはしないブレスレットも着けた。仕事ではパソコンのキーボードに当たってしまうのが嫌で普段は着けない。
前のめりの気分では無かったけれど全くお洒落をしないというのも逆に目立ってしまう気がして、普段通りはやめたのだ。相手にもちょっと失礼かなとも思うし。やる気が無い雰囲気を醸し出してしまうと場の空気も悪くなってしまうかもしれない。
そんな風にあれこれ考えて合コンに参戦したものの、ビックリする程お呼びでなかった。
「やられたわ……」
同期が生ビール片手に溜め息をついた。
「凄いね」
「こんな合コンに誘ってごめん」
同期が“こんな合コン”と言った男女の出会いの場を眺める。俯瞰する様な立ち位置になってしまったのも、“こんな合コン”のど真ん中で笑顔を振り撒いている一人の女子が原因だった。
彼女は同じ会社の営業の子だ。年下の二十四歳。会社の中でも人気のあるとても可愛い子。
もともと彼女が取引先の方に誘われた合コンだったらしい。彼女が私の同期を誘い、そして同期が私を誘った。
華があり話上手で甘え上手な彼女は男性陣のベクトルを独り占めしてしまった。もともと彼女とお近づきになりたかった取引先の方が合コンに誘った彼女を特別視するのは仕方の無いことだろう。
周りに気を遣うタイプの方が時々私達に話を振ってくれたり、またドリンクの空き状況をチェックして飲みたい物を確認して代わりにオーダーをしてくれたりはするけれど、基本皆彼女を中心に盛り上がっている。
「あの子がこんなタイプだったとは」
同期が生ビールを飲みながら呟いた。この生ビール、確か四杯目。完全に合コンを諦め、飲み楽しむ方にスイッチしたらしい。まあ、飲み放題だしね。
「彼女にはこれが通常なのかな」
「みたいね。初めて一緒に合コンに来たから知らなかったわ。普段の部での飲み会とかはここまでハーレムじゃないからね」
「職場は気を遣ってるってこと?」
「どうかな。社内恋愛は噂になるから対象外とか、女性からのやっかみを気にしてか、かな」
彼女のことはそんなによくは知らない。いつもニコニコしていて可愛らしい子といった印象だ。男性陣に囲まれてチヤホヤされて嬉しそうに見えてしまうのは、こんな私にもやっかみの気持ちがあるからだろうか。
彼女は年下といっても一つしか違わない。若いからモテているのでは無い。可愛いからモテている。単純なことだ。
気合を入れてお洒落をしてきたのが急に恥ずかしくなる。無理してお洒落してきて男性に相手にされていない可哀想な先輩だと彼女に内心馬鹿にされていたらショックだ。お洒落なんてしなくても、キチンとした格好で良かったのかもしれない。ブレスレットは取り敢えず要らなかったなと思った。
まあ、結果論だけど。
「二人で飲みを楽しもうじゃないか」
「そうしよう」
気を遣ってくれる方がドリンクを聞いてくるよりも前に二人でテーブルのタブレットからドリンクをオーダーした。同期は五杯目の生ビール、私は三杯目のレモンサワー。その後も同期と他愛も無い職場の話をしながら何杯か飲んだ。私の上司は飲み会の前必ずデスクの下で足をスプレーしてから行くんだって話したら、同期は上司のネクタイがいつも変わっていて今日は数式柄なのに“I am just an idiot.(私は馬鹿)”ともプリントされていて、英語全然出来ない人だから絶対意味分からずに着けてるよって教えてくれ、二人で大笑いした。
「ううっ、気持ちわるっ」
お酒は決して弱い方では無い。けれどもさすがに飲み過ぎたらしい。何杯飲んだのか記憶に無い位……と言うか、いちいち数えていない。
家に着いて、餌をくれとニャーニャー言いながら足に絡みついてくる猫を無視してトイレに駆け込む。猫は甘えていた筈なのに吐いてる私からは距離を取り始めた。驚かせてしまったか、もしくは臭いが苦手だったか。でも吐いたら少しスッキリした。
いつもより遅くなってしまった夕飯を猫にあげた。今日もカリカリと良い音を立てて食べているのを聞きながら、私はコップに水を注いで飲んだ。そして飲み過ぎたなとちょっと反省した。同期に流されバンバンアルコールをオーダーして飲んでしまった。
いや、同期のせいにするのは違うか。きっと私も飲みたい気分だったのだろう。
二人して良い気分で飲んで店を出た。他の合コン参加者には引かれていたことだろう。そんな空気を読むという気遣いをする気が起きない程に上機嫌になっていた。とにかく二人で笑っていた。
気を遣ってドリンクのオーダーをしてくれていた人が帰り際に「楽しそうでしたね」ってニコニコしながら話し掛けてきた。同期が「うちら同期で仲良しなんで楽しかったですよ」なんて言いながら腕を組みながら私達の仲良しアピールをしていた。何の得にもならないアピールなのに、取り敢えず私達は上機嫌だった。同期はきっと嫌味を込めて言ったのかもしれない。あの言葉の前には「あなた方に放ったらかされていたけれど」があった様な気がする。本当にあったか、それとも無かったか同期に確認してないので分からないけれど、そんな風に思ってしまう時点で私もなかなか意地が悪いのかもしれない。でも同期のあの言葉でちょっとスッキリして楽しくお開きになったのだから良しとしよう。
後輩の彼女や男性陣が二次会に行ったかどうかは分からないけれど、私と同期はその一次会のお店でさよならをした。
そこまでは良かった。まだ元気だった。
なのに電車に揺られて最寄り駅に着いたら酔いが回って気持ち悪くなってしまったのだ。
(チョコレート、残しておけば良かったな)
何かで二日酔いにはチョコレートが良いと聞いた事がある。バレンタインデー用に買ったチョコレートを残しておけば良かった。そうすれば明日苦しまなくて済んだかもしれない。今吐いて少しスッキリしたと言っても、こんなに気持ち悪くなったのなら明日は二日酔い確定だろう。
いや、でも確か飲む前に食べるんだったかもしれない。気持ち悪くなってから食べても吐いてしまうだけだろう。
***
『二日酔い?大丈夫ですか?』
ふと、彼の声を思い出した。優しい声だった。
『ココア飲みます?作りましょうか?あ、材料無い?自販機かコンビニで買って来ますよ』
いつだったか、私が飲み会で今日みたいに酔って帰って来た翌日に見事に二日酔いになり、頭が痛すぎてベッドから起き上がれない私を心配してくれた。何でココアなのか聞いたら、彼の父親が二日酔いにはココアだと言って母親に作って貰っていたのをよく見たのだそうだ。
彼は家の近くの自販機にはココアが無かったのでコンビニまで行ってスティックタイプのココアを買って来てくれ、ホットココアを私に作ってくれた。ココアを飲んだからと言って二日酔いが直ぐに治った訳では無いけれど、とてもホッとした。渇いた喉に優しく浸透していく感じだった。胃に入っても吐き気は起きなかった。その後彼が薬と水も用意してくれ、それを飲んで寝て起きた時にはすっかり治っていた。
『司さん、飲み過ぎ、気をつけてください』
彼が私の額を撫でながら言っていたその声は優しかったし、撫でる手も温かくて優しかった。
『竜泉くん、迷惑掛けてごめん』
その時の彼は柔らかな笑顔を返してくれた。本当に優しい人だった。
***
そんな彼が何故詳しい話もせずに姿を消してしまったのか。未だに信じられない。
もしかして何処かで事故にでもあったんじゃないかと、不安にもなった。けれどそれを確かめる手段は思いつかなかった。彼の両親と面識は無かったから、何かあってもわざわざ私のところに連絡は入らないだろうし。
それとも私は騙されていたのだろうか。
優しい人は演技で詐欺師だった?
でも私はお金を騙し取られたり結婚詐欺にあったりした訳では無い。
この部屋に住まわせてあげてはいたけれど、私にとって不利益になるようなことは何も無かった。多分。
恋は盲目だなんて言うけれど、彼との暮らしが心地良くて気がつかなかっただけだろうか。
考えても考えても答えは見つからない。私では見つけられないのだろう。彼に聞かなくては分からない。でもその彼と連絡が取れないのだ。
お洒落をしたところで合コンで全く見向きもされない女。そんな女なんだから彼に愛想をつかされて、でも直接振ることが出来なくて何も言わずに出て行ったのだろうか。そんな優しさは嫌だなと、思ってしまう。
ふうっと長めに息を吐いた。猫はいつの間にか餌を食べ終わり、いつものソファの座布団の上で毛づくろいをしていた。足をピンと伸ばして、丁寧に舐めている。私が同じ動きをしたら足がつりそうだ。
結構吐いてしまったので脱水症状にならないようにと、またコップに水を注いで飲んだ。そして酔いに任せて眠った。酔っていて良かった。酔っていなかったらきっと更に彼のことを考えてしまって眠れなかっただろう。
翌日猫に起こされ目が覚めると、やっぱり二日酔いになっていた。
地を這って何とか猫に餌をあげた後、彼が買ってくれたココアがまだ残っていたので頭痛に耐えながら自分でホットココアを作って飲んだ。喉の渇きに優しく浸透していくのは変わらなかったのに、虚しさを感じてしまっていた。
温かく優しい彼の手で私を撫でることは無いし、体の心配をしてくれる優しい声も、何も無かったから。
ただいつも通りに叩き起こしに来る猫がいるだけ。