13.素直な猫のヤキモチ
GWの新幹線はとても混んでいた。座れそうに無くて、車両の間のデッキに立っていた。
同期に今日の遊園地に行けなくなったと連絡をし、とにかく謝ってまた説明すると伝えた。同期は「いいよ。仕方無い」とあっさりしていた。ねちっこく「なんで?信じられない」とか「ドタキャンなんてありえない」とか非難する様なタイプでは無く良かった。
ハチは何とか動物病院に預けられた。今日は病院が休みで無かったので助かった。猫用キャリーに入れるのはやっぱり大変だったけれど。
新幹線に乗る前、彼に連絡をした。彼に言われた駅に到着する予定の時間を伝える為に。彼はちゃんと出てくれた。
彼から電話を貰ってからずっと落ち着かない。荷物は一応まとめてきたつもりだけれど、持って来忘れているものがある気がして仕方が無い。アパートの部屋の鍵を締めたか何度も確認してしまったし。新幹線に一人乗って窓からの景色を眺めてみてもただ流れていくだけ。
本当に彼に会えるのだろうか。
嬉しいけれど久し振りで緊張する。
わざわざ岩手まで呼びつけてする話とは何だろうか。
どんな顔をして会えばいいのか。
どんな言葉を掛ければいいのか。
ぐるぐるぐるぐる、どうしようと考えている。落ち着かなくて胸が苦しくて、落ち着かせようと息を吐くけれどそれも上手く出来ない。吐きながら吸っている様な感覚。
新幹線に乗っているだけなのにすっかり疲れてしまった。そして駅に着いて新幹線を降りた。
今度は乗り換えだ。合っているのかなと不安になりながりも案内表示を何度も確認してなんとか在来線に乗車した。初めての土地を一人で行くのはソワソワしてしまう。それも夕方までにと時間制限があると余計にだ。彼のことだから乗り間違えて遅れたとしても元彼の様に私を責めることは無いだろうけれど。
東京と違って乗り遅れたら次の電車まで暫く待つ。それに一駅一駅の間が長く、目的の駅までかなり掛かる。一人電車に揺られながら、またぐるぐるぐるぐると考えてしまう。折角旅をしているのだから景色を楽しみたいのに、見慣れない景色が余計に私を不安にさせてしまう。
電車が彼と待ち合わせをしている駅に近付くと、チラホラと浴衣を来た人が電車に乗ってきた。GWだし、どこかでお祭りでもあるのだろう。可愛い浴衣。帯もいろんなデザインで、結び方もいろいろ。髪型もヘアアクセサリーも可愛い。美容室でセットして貰ったのか、それとも動画を見ながら自分でアレンジしたのか、どの子も可愛かった。
私は彼から貰ったシュシュで一結びにしているだけ。可愛いシュシュだけれど、気合いが入った髪型に埋もれている。しかも破れてほつれて縫った物だ。
今更彼から貰った物を身に着けて会いに行く事に不安になった。デートなら良いだろう。でも私達はデートでは無い。
そもそも彼がこの存在を忘れていたら?それはそれで悲しいけれど良いかもしれない。身に着けていたら“可愛い”と言って欲しいと強請っている様だから。無理に言わせても嬉しくは無いし申し訳無い。
(クリスマスの時は、言わせてしまった様なものだけれど)
それでも照れながらも“可愛い”と言ってくれたあの言葉は嘘では無いと思えた。
髪を解きたいけれど、今髪を解いたら跡がついてしまっていることだろう。彼がこのシュシュを忘れていてくれたらと思う反面、忘れていて欲しく無いとも思う。
そして不安を抱えながら電車が駅に着いた。
皆が降りて行く流れに乗って、改札まで行った。沢山居る人の中、私一人が浮いている様な感覚になってしまう。何処に行ったら良いのか分からない。彼に電話しようと思った。
「もしもし」
『司さん?駅に着いた?』
「着いた。何処に居たら良い?」
『今何処に居る?改札出た?』
「出た所の隅っこに居る」
『……あ、居た』
その言葉が電話越しと前からの両方から聞こえた。顔を上げると彼が居た。
髪は短く、服装も普通で、清潔そうな様子。生活に困っている様子では無いことに少しほっとした。
彼も緊張をしているのか、少しぎこちない笑顔。その笑顔が真っ直ぐ見られなくて下の方を見てしまう。
何も言葉が出て来ない。どう接したら良いのか分からない。
「荷物、持ちますね」
「え」
私の返答を聞く前に私の手から旅行鞄を奪ってしまった。そして私の手を握った。
「この後バスに乗りますよ」
「え、そうなの?」
彼に手を引かれながらバス乗り場へと向かった。駅の外には沢山のバスやタクシーが停まっていた。電車で見かけた浴衣を着た人達もバスに乗る列に並んでいる。
久し振りに繋いだ手は、緊張からか手汗をかいてしまっていた。それでも彼はその手を離すことは無かった。バスに乗っている間もずっと握ってくれていた。
***
クリスマスイブに想いを伝え合って、もうそれでいっぱいいっぱいになった私達は、それぞれの場所でそれぞれの布団の上でドキドキしながら、眠るに眠れない夜を過ごした。
翌日私はネックウォーマーを買いに行った。彼は最後のケーキ屋さんのバイトへと行った。朝、変に照れていつも通りをお互いが装っていた気がする。
想いを伝え合ったけれど、私達は恋人同士なのだろうかと疑問に思う。
でもキスをした。彼が私の事を好きだと言ったのは紛れもない事実で、あのキスの感触が夢でもなく本当の事なのだと思わせてくれる。
それでいいじゃないかと思う。抑え込んでいた想いを伝え、それを受け止め好きだと伝えてくれた。幸せなことだ。それなのに、一つ満たされると次の新しい疑問や不安がやってくる。
人間とは何て面倒な生き物なのだろう。私が女だから?いや、私だからかもしれない。
雑貨屋で千円程のネックウォーマーを買った。彼が気にしないようにあまり高くない物にした。ラッピングも断った。
私は何でもかんでも気にし過ぎなのだろうか。
夜、彼がバイトを終えて帰ってから、買ったネックウォーマーを渡した。私が吃驚する位驚いていた。
『ええっ!貰っていいんですか!?』
『うん。貰ってくれないと、私が使うことになってしまう』
『嬉しいから貰いますっ!』
神物にでも触れる様に、はたまたレアアイテムでもゲットしたかの様に安物のネックウォーマーを受け取るものだから、申し訳無くなってしまう。
そして早速ズボッと頭からネックウォーマーを被って首に巻いた。
『温かいです。凄く、温かいです。これつけて明日の清掃頑張ります。ありがとうございます!』
うん、そりゃあ、今は室内だから温かいでしょう。安物だから真冬の外ではどのくらい防寒として役立つかは分からない。
そうツッコミたかったけれど、本当に嬉しそうな顔でお礼を言ってくるから止めておいた。私まで嬉しくなって笑みが溢れてしまう。
そして昨日残したクリスマスケーキを食べた。いつもと変わらない穏やかな会話に、いつもと変わらない空気だった。
いつもそうしている様に二人で食器の片付けをする。でも途中でふと彼の視線を感じて彼の方を見ると、視線が合った。
『どうかした?』
『あの……その、髪のやつ。使ってくれてありがとうございます』
洗い物をするのに邪魔になる髪を纏める為に、昨日彼から貰ったシュシュを使っていた。
『うん。使わせて貰ってます。ありがとうね』
お礼を伝えただけなのに、彼は口元を押さえるとそっぽを向いてしまった。何で?と思ったけれど、耳が赤いので恐らく照れているのだろうと思った。彼はもしかして恋愛事に関して物凄く純情なのではなかろうか。もしそうなら私達が恋人として進展するには、私が頑張らなければならないのかもしれない。……いや、私もそんな経験値は高くないんだけどな。
『家で使わない方が良い?』
『いやっ、全然そんなことはっ!使ってください!』
『目を背けたくなる程似合わないとか?』
『ごめんなさいっ!恥ずかしくて見られないだけですから!とても……似合ってますから』
彼は手を翳しながら再び向き直ってくれた。やっぱり耳が赤い。こんな反応を見せてくれるとは。ちょっとからかってしまった。
洗い物を終えてソファに座ると、ハチがいつもの座布団では無い所で丸くなっていた。よく見れば私があげたばかりのネックウォーマーの上だった。
『こらっ、ハチ!』
彼が慌ててハチを抱っこして退かせた。ハチを膝に乗せたままネックウォーマーを手に取り救助した。
『うわ……毛がついてる』
一本一本毛を綺麗に取りながら、ハチに『乗ったら駄目だよ』と注意していた。ハチは居心地悪そうにしながらも、耳を伏せて所謂イカ耳の状態で固まっている。
その二人の、じゃなくて、一人と一匹の様子が面白くて思わず笑ってしまった。
ハチにネックウォーマーが温かそうに見えたのか。でもきっと彼の新しい物にマーキングしたかっただけかもしれない。もしくは、私から貰って嬉しそうにしていたのを見てヤキモチを焼いたのかもしれない。ハチは彼のことが大好きだから。怒られても膝から降りない位だ。
からかってないで私も彼に素直になるのが良いのかもしれない。
お風呂に入って寝る準備万端になってから、彼に勇気を出して言った。
『今日、一緒に寝たい』
彼は驚いた顔をしていた。彼の返答がくるまで胸がドキドキして、その音が喉から響いて聞こえてしまうんじゃないかと思う程だった。
『……良いんですか?』
『竜泉くんが嫌じゃなければ』
『嫌な訳無いです。でも……その……多分、ただ眠るだけは無理です。我慢出来ないと、思います』
それはつまり、私に欲情してくれるということだろうか。性的に求めてしまうということだろうか。
彼は恥ずかしそうに横を向いた。彼は恥ずかしい時、顔を見られたくないのか、それとも単に見られないだけなのか顔を逸らす仕草をする。照れながらも本音を言ってくれたということだろう。
願ってもない……いやいや、下品な言い方だ。
そんなことを見据えての一緒に寝たいというお誘いなのだから嬉しいことなのだけれど、準備が足りていないことに気がついた。
『それは……良いんだけど。アレが……アレが無いから』
無いのに誘うって、やっぱり駄目だよなぁ。ただ隣で眠るのって難しいのかもしれない。特に今ぐらいの時期は。元彼とは付き合って数ヶ月して私の部屋に転がり込んで来た頃には体を重ねる回数も減っていたけれど。お互いに触れたい気持ちが強い状態では、つまり生殺しってやつなのだろうな。
『アレって、アレですよね。ゴム……ですよね』
『それですね』
恥ずかしくて敬語になってしまった。
『……あります』
『え?』
彼は鞄から箱を取り出した。コンビニで見た事あるやつだった。
『……持ってたの?買ったの?』
『……買いました、今日。もし、万が一、必要だったら、なぁ…、なんて、思って……』
コンドームの箱を手に恥ずかしそうに暴露してくれる彼。
『……ふっ』
吹き出してから私は笑ってしまった。期待していたのかと思ったら面白くなってしまった。嘘がつけないのか暴露しちゃうのも可愛らしい。
『あんまり笑わないでください』
『ごめんごめん』
『でも俺、経験無いんで、上手く出来る自信は無いです』
そこも暴露してくれるんだ。
『私があなたのハジメテを貰って良いの?』
『それ、男が女子に言うやつじゃないですか』
その後彼は私に『抱き締めて良いですか?』と聞いてから抱き締めてくれ、『キスして良いですか?』と聞いてからキスをしてくれた。
私がリード出来たら良いのに、経験豊富でも無いし性格上難しい。出来ることは良いよって言うだけ。
『キスしたい時、して良いんだよ』
お姉さんらしいことはそれ位しか出来ない。彼は私の頬に手を当てると優しくキスをしてくれた。
『優しく抱いてくれますか?』
『それ、女子が男に言うやつ』
冗談を言える位には余裕があるのかもしれない。いや、余裕が無いから冗談を言って落ち着こうとしているのかもしれない。
その日私達は初めて体を重ね、そして一緒に眠った。
クリスマスの夜から私達は、夢中になってお互いを求めた。まさに溺れるとはこのことだろうと思った。好きだと何度も伝え合い、何度もキスをして、快楽に溺れた。まるでドラッグの様で、まあ、ドラッグをしたことはないけれど、求めても求めても飽きなかった。
でも彼はコンドームの箱から一つを取り出す度に、何かを考えている様な素振りを見せるようになった。一度だけ『どうかした?』と聞いたけれど、『何でもない』と誤魔化されてしまった。
お金が掛かるからだろうか。
使い心地が悪いからだろうか。
それとも何か他に?
聞けないまま年末年始の休暇に入った。
今年は彼も居るしハチもまだ小さいので帰省はやめた。東京のこのアパートで過ごすことにした。
二人で部屋の大掃除をして、お正月はスーパーが休みになってしまうので年末に沢山買い込んで、好きな物だけ詰め込んだ小さなお節を作って、年越し蕎麦を食べた。
二人で過ごす休暇は、穏やかで楽しかった。
そして明日からまた仕事だというお正月最後の日、彼が出掛ける準備をしていた。
『もう、いい加減ちゃんとしないと』
私と目を合わせずに俯きがちに言った。
『何かバイトが入った?』
ちゃんととは、仕事のことだろうと思った。クリスマスはバイトが入ったけれど、それも終わってしまい今はアパートの清掃だけだ。もっと働いてちゃんとしたいということだと思った。
彼は私の質問には答えずに少し遠慮がちに笑みを向けた。
ここのところ何か考えているなとは思っていた。バイトでは無く定職に就く為に考えていたのかもしれない。詳しく聞きたいけれど、遠慮がちな笑みがこれ以上聞かないでと言っている様だった。
『……また、あとで言うから』
『うん……』
彼の中でその時期が来たら話してくれるのだろう。
『少し行ってくる』
そうして玄関の扉をいつもの様に優しく閉めて出掛けて行った。
その日、日付が変わっても彼は帰って来なかった。翌朝目が覚めても、彼は戻って来ていなかった。そして仕事から帰って来ても、そのまた翌日になっても彼は帰って来なかった。連絡も何も無かった。
数日経って家主さんから、彼が年末のアパートの清掃を最後に辞めさせて欲しいと伝えられていた事を教えて貰った。
私は何も知らなかった。
***




