すぐ恋に落ちる先輩と塩対応の後輩〜兄の気持ち
友人のジルベールから、
「リゼットのことが好きなんだ。絶対に、確実に、間違いなく結婚したいから協力してほしい」
と告げられた時に、妹が厄介な男に目をつけられたな、と、かなり気の毒な気持ちになったのを覚えている。
このジルベール、『見た目は秀麗、中身が残念』と専らの評判だが、実際には頭が切れる方だし、目的があればそのための手間も手段も出し惜しみはしないやつだ。
普段はそういう粘着質な姿を『残念』の影に隠しているだけである。
そう、粘着質なのだ。
従って、俺に打ち明けた以上は、妹を諦めてくれる気はないだろう。
せめて穏便に事が進むよう、協力する他ないではないか。
その後、リゼット囲い込みプランを滔々と聞かされて、
「計画的すぎて引く」
と、苦言を呈したことは精一杯の抵抗として許してもらいたい。
それからは、リゼットに婚約話が出る度に情報をリークすることになった。
都度駄目になる婚約に、罪悪感が募る。
最近では、ハンカチを大量に買い込み
「ジル先輩に貸すとどうせ返ってこないので、安いハンカチをまとめ買いしてるんです」
なんて言っていた、何も知らないかわいい妹。
悪い兄ですまない、リゼ。
そっと心の中で謝っておいた。
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「どうして教えてくれなかったの、エリィ」
とある日の昼休み、中庭から戻ってきたジルベールに詰め寄られた。
「変な呼び方をするな、誤解される」
いつものごとく、失恋報告をしてリゼットに慰められる、というルーチンをこなしてきた筈だが、何かあったのだろうか。
「リゼットに婚約者がいるって?」
「……口止めされていたからなあ」
あまりに婚約が決まらない事態が続いたので、リゼットの婚約については相応の相手先にも困るようになり、今回ばかりは確実になるまでは、と、親から箝口令が出ていた。
だいたいお前がぐずぐずしてるのが悪いんじゃないか、と言うとジルベールが押し黙る。
「リゼだって親に進められている以上、断りきれないだろう。今回は相手に目ぼしい女性の影もないし、いつものようにはいかないと思うぞ」
そう言うと、さーっと青ざめてしまった。
いい機会だから、そろそろ進展させる気になってくれればいい。
しかし、この臆病者はまだ遠回りを続けるらしく、わざわざ帰り際に相手を聞き出しにやってきた。
「相手はドミニク・グラニエ……伯爵家で、確か俺たちのひとつ下じゃなかったかな?」
不穏な気配に、情報を漏らしてしまう。
俺の馬鹿。
「ふぅん、グラニエ伯の」
……ジルベールが、ろくでもないことを思いついた顔をしている。
明日、早速相手に会いに行くというので、仕方なくついて行くことにした。
校門の前で、目当てのドミニク・グラニエを待ち伏せる。
いくらなんでも「目の前で転んでみせたら、きっと立ち止まるよね」などという阿呆な案を、まさか実行するとは思っていなかった。
幸い、ドミニクがジルベールを咄嗟に支えてくれる。
「……大丈夫ですか?」
支えられたジルベールは腕に手を添えて、少ししなだれかかりながら上目遣いで、
「ありがとう」
などと秋波たっぷりに見つめている。
ドミニクを見れば、くどい色気にあてられて男相手に赤面しているではないか。
あ、そういうのアリなんだ、というのが正直な感想だ。
阿呆による阿呆な計画に巻き込まれたドミニクのこれからを思うと他人事ながら気が重くなり、ジルベールを放っておいて早々にその場を後にした。
その後『ドミニク・グラニエとジルベール・モリアが友人以上の親密さである』と囁きが聞こえてきたが、それが真実ならば、ドミニクがさらに気の毒な目にあっていることは想像に難くない。
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それから暫くして、次なる噂が出回っていた。
『2人が仲違いしたらしい』と。
裏事情を知るものとしては、ひたすらドミニクが気の毒なだけだ。
そんな折、ばったり当のドミニクにかち合ってしまった。
うっかり目を合わせてしまい、気が付かなかったふりもできない。
「……デュカス先輩、……」
どことなく覇気がない。
話しかけてきたものの、言葉が続かないようだ。
「……グラニエ、君も大変だったみたいだな」
ぽんと肩を叩き、労りの言葉をかける。
それだけ言って立ち去ろうとしたのだが、引き止められた。
「あの!……少し俺の話を聞いてもらえませんか」
断りたい。
しかし、彼がいまこんな状況に置かれている責任の一端は自分にもあると思うと、聞いてやらなくてはならない気がする。
……嫌だが仕方ない。
「あまり時間はないが」
「少しだけでいいんです、お願いします」
あんな阿呆に誑かされた挙句に振られ、凛々しい顔を情けなく歪めている。気の毒の極みである。
他人には聞かれたくない内容だろうから、少し先の、人目を避けた木陰に移動し、近くのベンチに並んで腰掛ける。
「……俺の何がダメだったんでしょうか……」
俯いたままドミニクがぽつり、とこぼした。
「それは……そもそも男同士っていうところじゃないか?」
「……っ、やっぱり、そこですかね……俺、モリア先輩があんまり綺麗で、その、そういう雰囲気を出してくるので、段々、好きに、うっ、なって、うっ、この人なら男だけどいけるかもって……」
ぽろぽろと涙を流し始めた。
なんと純真なことか。
身体は大きいが、まだ心が成熟していないのだ。
ジルベールにとっては、この歳になるまで女っ気のなかったドミニクを手玉に取ることなど、簡単だったことだろう。
「そうか、辛かったな…… なに、君に落ち度があったわけじゃない。大丈夫、次があるさ」
どこかで聞いた定型文みたいになってしまったが、心からそう慰める。
阿呆な友人のせいで心に傷を負った後輩に、近々素敵な女性を紹介してやろうと思う。
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「兄様、お願いがあります」
リゼットから頼まれごととは、珍しい。
「私の友人が、ドミニク様に紹介して欲しいそうです」
「リゼ、お前に友人がいたのか」
妹はいつでもジルの相手をしていたので、てっきり友人がいないか、いても少ないのかと思っていた。
「いますよ、そりゃ。皆さま、ジル先輩のこともご存知で、長い間快く見守ってくれてましたよ」
「それ、ジルには言わない方がいいと思うぞ」
リゼットは、わかってます、というようにひらりと手を振る。
「ドミニク様にはご迷惑をおかけしたようなので……ぜひ私の友人と良いご縁を結んでいただければと思うのですが」
なんとタイミングの良い申し出なのか。
早速、明日にでも話してやろうと思う。
「リゼはよく気がつくなあ」
感心の言葉を言いながら、考える。
男に懸想していた奴を紹介してほしいという女性が、そんなに都合良く現れるか?
……手回しが良すぎる。
「……いつから準備していた?」
「兄様たちがドミニク様に会いに行ったと聞いて、すぐに」
……妹が厄介な相手を伴侶に選んだと思っていたが、もしかしたら、俺は思い違いをしていたのかもしれない。
「ジルも苦労するな。あいつは少し痛い目を見ればいい」
「先輩は騙され上手ですから、家庭円満間違いなしですよ」
ああ、付き合いきれない。
結局、狐と狸の化かし合いなのだ。
妹のこういう部分を、ジルベールは知らない。
教えてやるつもりはさらさらない。
せいぜい翻弄されるといい、と腹の内で舌を出す。
妹と目が合ったので、激励の意味も込め、にっこり最上級の笑顔を贈ってやった。