婚約破棄されたので、田舎で錬金術師生活を始めました
私はアリシア・エルドラン。
エルドラン伯爵家の長女です。
エルドラン伯爵家は、コルタルニア王国の建国時から存在する譜代の伯爵家であり、王国南部の豊かな穀倉地帯を支配しています。
私は、幼い頃より、コルタルニア王国第一王子であるローライトと婚約していました。
エルドラン伯爵家の家柄は申し分ないものですし、近年財政難で苦しんでいるコルタルニア王家にとっては、豊かなエルドラン伯爵家からの支援は必要不可欠なものでした。
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「……アリシア。申し訳ないけれど、君との婚約は破棄させてもらうよ」
ある日、二人きりのお茶会の席で、ローライトは辛そうな表情で、私に対して婚約破棄を告げました。
「かしこまりました」
この婚約は元々コルタルニア王家より持ちかけられたものですので、王家側は、望むのであればいつでも婚約を破棄することができます。
「ところで、私はどうして婚約破棄されたのでしょうか? ……何か、私に至らない所がございましたでしょうか?」
「いいや。アリシア、君は何も悪くないよ。ザスタレア帝国第一皇女のシャルロッテ殿下が僕に一目惚れして求婚してきたから、アリシアとの婚約は破棄するしかなかったんだ」
ザスタレア帝国はコルタルニア王国の同盟国であり、この同盟は軍事面・経済面においてとても重要なので、ザスタレア帝国と政略結婚を結べる好機が到来したのであれば、エルドラン伯爵家との婚約が破棄されるのも当然の話でしょう。
こうして、私は婚約破棄されました。
その後、私は社交界で、次の婚約者探しを始めたのですが、なぜか社交界では「私が浮気をしたから婚約破棄されたのだ」という悪評が流れており、エルドラン伯爵家の家柄に釣り合うような良い婚約者を見つけることはできませんでした。
そのため、私は悪評が消えるまでの間、悪意に満ちた社交界から離れて、田舎でのんびり生活することになりました。
私は、望むのであれば実家であるエルドラン伯爵家の領地に戻ることもできたのですが、私の顔は地元民からはよく知られていますし、今地元に帰ると婚約破棄の件についてあれこれ詮索されそうなので、私は身分を隠して、ただのアリシアとして、誰からも知られていない場所で暮らすことにしました。
私は以前より、趣味として錬金術を学んでおり、上級錬金術師の資格も取得していますので、これからは錬金術師として働いて、生活費を稼ぎます。
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私は乗合馬車に揺られて、エルドラン王国東部の開拓村であるタガラ村を目指していました。
錬金術師は手堅く稼げることから人気のある職業であり、都市部では錬金術師同士の競争が激しいですが、開拓村のような場所だと競争相手は不在であり、錬金術師の仕事に対する需要は高いので、手っ取り早く大金を稼ぐことができます。
「ほれ、着いたよ、お嬢さん。ここがタガラ村だ」
長旅の末に、ようやく乗合馬車は、目的地であるタガラ村に到着しました。
「ありがとうございます」
私は、初老の御者に、チップとして金貨1枚を手渡しました。
貴族家においては、馬車の御者に対してはチップを渡す慣習があり、このような長旅の場合のチップは金貨1枚が相場です。
「……え? い、いいんですかい?」
「はい。ここまで安全に送り届けて頂いたことに対する、ささやかな謝礼ですから、気にしないでください」
そういえば、私は貴族家出身で、金銭感覚が麻痺していたので忘れていましたが、庶民にとっての金貨は大金であり、金貨1枚あれば4人家族が1年間暮らせるそうです。
貴族家の御者の場合は、高級馬車の維持などに多額の経費を必要とするので金貨1枚のチップは妥当な額ですが、普通の乗合馬車に支払うチップとしては、金貨1枚は多すぎたかもしれませんね。
……次回からは気をつけましょう。
今の私は庶民アリシアなのですから、庶民らしい振る舞いを身に着けなければなりません。
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こうして、私はタガラ村で、錬金術師として働き始めました。
朝早く起きて、私は早速、ポーションを作り始めました。
普通の領地であれば結界が展開されているので、村周辺にはほとんどモンスターは存在しないのですが、開拓村においては結界は存在しませんので、開拓村の村人たちは自らモンスターと戦わなければなりません。
結界を展開するためには、まず、光マナを集めた聖域を設置しなければなりませんが、この聖域を作る作業にはとても時間がかかり、最速でも30年は必要となりますし、現実的な期間で考えると70~100年ほど必要です。
モンスターと戦う場合は怪我がつきもので、そうした場合に役に立つのがポーションですが、市販品のポーションは回復量が低いのに対し、錬金術師による作りたてポーションであれば回復量が高いです。
ポーションの場合、日持ちするようにして大量生産すると回復量が低下することは避けられませんが、錬金術師が現地で生産すればより回復量の高いポーションを作れますので、戦闘が多発する開拓村においては、ポーションを生産できる錬金術師は歓迎されます。
ポーションは、主材料であるハムイ草をベースにして、いくつかの副材料を加えることで生産することができます。
まず、大鍋を水一杯で満たし、そこにハムイ草を入れて、よく沸騰したお湯で20分ほど煮込みます。
こうして、ポーションの有効成分の抽出を終えたら、鍋からハムイ草を取り除き、中和剤を加えてさらに15分ほど煮込み、水分を飛ばして液状に加工します。
そして、風味を整えるために砂糖を少々加えてから、液状になったポーションの原料を錬金釜に投入し、錬金スキルを発動して成分を微調整して仕上げれば、ポーションの完成です。
ただハムイ草を錬金釜に放り込んで、錬金スキルを発動するだけでも低品質のポーションは作れますが、このように手間暇をかけて加工すると、最高品質で飲みやすくて美味しいポーションが完成します。
「おはよう、アリシア!」
完成したポーションを検品していると、ちょうど良いタイミングで、ヴォルフさんが到着しました。
ヴォルフさんはSランク冒険者で、タガラ村における最強戦力です。
ヴォルフさんのジョブは戦士であり、戦闘時は背丈よりも大きい大剣を軽々と振り回し、最前線で敵と戦っています。
その特性上、ヴォルフさんの場合は怪我が絶えず、いつもポーションのお世話になっていますが、錬金術師である私が来てからは傷の治りが早くなり、以前よりも楽に敵を倒せるようになったようです。
「はい。ヴォルフさん向けのポーションはこちらです。フィジカルエンチャントを付与しておきましたので、飲むと一定期間はパワーアップしますよ」
ポーションにはエンチャントを付与することもでき、エンチャント付与されたポーションを飲むと一定期間能力値がアップします。
このエンチャントの場合、迂闊に付与すると逆効果になりかねませんので、エンチャントを付与するのはよく見知った相手に限られますが、ヴォルフさん相手ならいつも調整していますので問題ありません。
「ありがとう! アリシアのポーションを飲むと、なぜか力が湧いてくるんだよ。これも、アリシアの愛の力かなぁ?」
「いえ、愛の力のようなあやふやなものではなく、エンチャント付与ですから。もう何度も説明しましたよね?」
私は、疲れたようにため息を吐きました。
ヴォルフさんはイケメンですし、身体もよく鍛えられているのですが、その一方で難しいことは考えず、直感に従って行動する傾向があり、私が何度エンチャント付与について理詰めで説明しても「愛の力」の一言で片付けてしまい、全然話を聞いてくれないので困ります。
コンマ1秒が生死を分けるモンスターとの接近戦においては、深く考えずに直感に従って行動するのは合理的なのですが、日常生活においてはじっくりと考えて行動する時間があるのですから、もう少し深く考えてほしいですね。
「アリシア、俺と結婚してくれ! 俺はアリシアのことを愛している! アリシアだって、俺のことは好きだろ?」
最近、毎日のようにヴォルフさんから告白されていますが、私は伯爵家令嬢ですので、そう簡単に結婚に応じることはできません。
ヴォルフさんはSランク冒険者であり、Sランク冒険者は、社交界においては男爵家に準ずる地位として取り扱われますが、伯爵家令嬢である私とはまだ釣り合いません。
「そうですね……私も、ヴォルフさんのことは嫌いではありませんけど、私と結婚したいのならば、最低でもSSSランク冒険者になってから来てくださいね」
冒険者業界の最高峰であるSSSランク冒険者であれば、社交界においても伯爵家に準ずる地位となりますので、伯爵家令嬢である私との結婚も現実味を帯びてきます。
「俺は、これまで狙った女は全て落としてきたけど、アリシアはガードが硬いなぁ……。まぁ、アリシアはお姫様だからなぁ。他の女とはやっぱり違うよなぁ」
私は一応庶民を自称しているのですが、既にヴォルフには、私が貴族家出身であることはバレているようです。
Sランク冒険者であれば貴族家との付き合いもありますし、貴族家との付き合いがある者であれば、私が身に付けている礼儀作法から、私が貴族家出身であることまでは分かるでしょう。
「私の、好みのタイプをお教えしましょうか? 私は、浮気性ではなく、私だけを見て愛してくれる人が好きです」
「分かってるよ……。俺だって、最近は他の女は口説かないようにしてるさ」
そう言って、ヴォルフさんは照れたように視線を逸らしました。
「ヴォルフさんにプレゼントです。こちらは、プロテクトリングで、嵌めるだけで防御力が大きく上昇し、各種状態異常耐性が上がり、即死攻撃を防ぐ効果があります」
私はヴォルフさんに、指輪状の形状をしたプロテクトリングを手渡しました。
「……え? こ、これは、婚約指輪かい?」
プロテクトリングを見て、ヴォルフさんは動揺したような表情を浮かべました。
「違います。プロテクトリングです。実用品ですので、婚約指輪のような象徴的な意味は一切ございません」
「ああ、分かった。アリシアは素直じゃないなぁ。左手の薬指に付けておくよ」
プロテクトリングには形状変化能力が備わっており、装着した場所に応じて伸縮してジャストフィットする仕様となっておりますので、ヴォルフさんが左手の薬指にプロテクトリングを嵌めると、すぐに馴染んでちょうど良いサイズになりました。
「アリシアは凄いなぁ。いつ、どこで俺の左手の薬指のサイズを知ったのかい?」
「それは……いえ、なんでもないです」
私はプロテクトリングのジャストフィット機能について説明しようかとも思いましたが、どうせヴォルフさんには分かってもらえないでしょうし、この場の雰囲気を壊すのも申し訳ないので、曖昧に笑ってごまかしました。
「俺からも、アリシアに贈り物があるんだよ。はい、これ」
そう言って、ヴォルフさんは、SSSランクモンスターであるエメラルドドラゴンの素材を私に手渡しました。
「……もしかして、ヴォルフさんがエメラルドドラゴンを狩ったのですか?」
「ああ。相性が良いから楽勝だったよ」
ヴォルフさんは「楽勝」と言っていますが、いくら相性が良くても、普通のSランク冒険者だったら、SSSランクモンスターであるエメラルドドラゴンには勝てないはずです。
……ヴォルフさんは、本当にSSSランク冒険者まで昇格するかもしれませんね。
将来有望な婚約者候補は、キープしておいて損はありません。
「はい。こちらは、ヴォルフさん用のお弁当です」
私はヴォルフさんに、ポーション作りと並行して作っていたお弁当を手渡しました。
「おお、愛妻弁当だな!」
「いえ、私は妻ではございませんので、ただのお弁当です。今日のおかずは、ヴォルフさんの好物であるプラミアフィッシュの塩焼きですよ。栄養バランスを整えるために、お野菜も多めに入れておきました」
「えー……野菜は嫌いなんだけど」
「子どもみたいなことを言わないでください。ヴォルフさんはタガラ村で一番強い冒険者なんですから、健康には気を遣って頂かないと困ります」
「はいはい、分かったよ。アリシアがそこまで言うなら、頑張って食うからさぁ」
諦めたような表情で、ヴォルフさんはお弁当を受け取りました。
「それじゃ、今日も冒険に行ってくるよ。夕方ごろに帰るから、よろしくな」
「はい、いってらっしゃいませ」
こうして、私はヴォルフさんを見送りました。