柳
寄らば大樹と言うが、死んだ人は何故柳を好むのか。生きていて普通に話ができる人に尋ねるには、余りに馬鹿馬鹿しい話。私はただ幼い頃を思い出す。
艶やかな黒の長髪に、白い服の女の人……と言えば、更に胡散臭い事だろう。でも、私は幼い頃に確かに見た。白い服に長い黒い髪の女の人を。
「おねえさん、何でいつもそこにいるの。」
ほんの子供だった私には、どんなに背伸びをしても女の人の表情は見えなかった。その人は柳の幹を見上げるばかりで、こちらを振り向いてはくれなかったのだ。私の声は彼女の耳に届いていたのだろうか。その時の小さな私に見えたのは、女の人の透き通るように白い首筋と耳まで。髪と服の裾を流れるような柳の葉と共に揺らす、直立不動で無言のままの女の人。幼かった私には、どうしてその人がずっと同じ場所に立っているのかがわからなかった。
友人と川岸の広場で雨宿りをしながら慣れ親しんだ景色を眺めていると、その人に一方的に話しかけていた日々が鮮明に蘇ってきた。
雨が止みそうな気配はない。広場からは川に沿って並ぶ柳たちが見渡せる。一際大きな木こそが、あの女の人がいた柳だ。どんなに目を凝らしても、今では人影すら見えやしない。
馬鹿馬鹿しくなって、私は濡れた顔を拭く。昔のことがなんだというのだ。手にしていたハンカチを見やると、急な雨で崩れてしまった化粧の色が移っている。鏡を覗く気にすらならない。全く憂鬱だ。
あの女の人がまた見れたらいいのに。幼い頃には無理だったが、今なら幹を見上げる顔も覗き込めるだろう。今でも気になるのだ、あの人はどんな顔をして柳を見つめていたのだろう。
「柳が好きなの、」
友人が尋ねてきたので、私は柳を眺めたまま適当に頷く。馬鹿馬鹿しい昔話までする気はない。
「わたしは苦手。柳はね、水も雪も風も、人間だって相手にしないんだから。」
彼女の意味深な言葉に、私は興味半分に振り向いて「どういう意味、」と逆に尋ねる。
「昔ね、あの柳のどれかで首吊り未遂があったらしいの。でも縄が幹から外れたから未遂。女の人はそのまま川にドボンっ、誰にも見つからないまま溺れて亡くなったんだって。」
わたし達が産まれる前の話。と、私が見ていた柳を横目で眺めつつ続ける彼女。背筋がスッと冷えた。
「それ本当、」
「多分……。小さい頃、姉さんに散々この話で脅されてね。だから今も柳が苦手なの。何も相手にしないなんて怖いよ、生きてないみたい……、あ。こんな話、人にしないでよ、」
口止めされる迄もない。
柳は水も雪も風も人さえも相手にしない。女の人はそんな柳相手に、何を思いどんな顔をしていたのか。
「そろそろ怪談の季節だね。」
「やめてよ、今でも怖いんだから。」
真顔の私に友人は慌てて視線を逸らした。友人のメイクも酷く崩れていて、滲んだアイラインは黒い涙の様に頬を伝っていた。見たこともない幽霊の顔より、目の前の友人の顔の方が、私は少し怖い。
死化粧を自分で施しながら、柳にすら相手にされなかったが為に、川で溺れた女の人。案外、今の友人と私と似た様な顔をしていたのかもしれない。そんな想像をした時、何故か私は笑っていた。全く、馬鹿馬鹿しい話だ。
執筆 2009/8