1.始まり
私、鴫野香澄はこう、何と言ったら良いのだろう。
……つまらない?
そう。つまらない人生を送ってきた。送ってきたのだ。
こうして特に誰と深い仲になる訳でも無く、恋人…なんてのも出来る事無く、ほんと、全くと言っていい程に歪みの無い、平坦な人生を送ってきた。
そう、高校二年生になった今まで、ずっとである。
しかし、不可思議な事というのは起こるものなのだと、私はこの夏に思い知らされた。
今までの平坦な線を、地震が起こった後の震度計のような、ぐしゃぐしゃな線にしてしまう程の不可思議が私を"救い出した"。
これこそ、何と言ってしまえばいいのだろうと思うのだけど、だけど、今ある最も的確であり、尚且つ適切であり、そして端的な言葉で言ってしまえば、
家の地下に図書館が出来ました。
と、だけ。
地下に図書館が出来ましたーとか言っても、そうであっても、私の家は極々普通の一般家庭のそれに等しく、全く遜色無い家に住んでいた訳で、加えて言ってしまえば、その地下空間だって元は有りもしなかったのだ。
きっかけはたまたま一階にある物置をまさぐっていた、それだけである。
我が家の両親は共にガサツな性格で、物置の整理なんて事はしない。だから、私が全ての整理を行っている訳だが、しかし、その甲斐あってこその発見だった。
物置の奥に不自然に開いた、人が一人、やっと通れるくらいの大きさの扉がある事に気が付いた。いや、勿論、見つけたその時は扉だなんて思いもしなかったが、興味本位でその扉の奥まで進んでいくと、そこにはとてつも無く広い図書館が広がっていたのだった。
さて、私も存外遺伝によってガサツな性格のようで、面倒になってきた為、ここまでの経緯のようなものをここまで語っておいてであるが、前略として置く事にして文章構造で言う"中"の部分に入ろう。
この図書館、私の押入れとは別の空間に存在しているようで、もはや広さという概念を無視したぐらいに広い。
私の押入れと繋がっているのは一階の柱のようで、聞くところによると、この図書館は三階まであるようで、そして加えて地下まであるようで、一体、そこまで広くして蔵書はどれぐらいのものなのだろうかと思うのだが、それは司書さん本人でさえも分かっていないらしい。
ここまで来て司書さんの話をする事を忘れていた。
紹介の為に居て欲しいって感じはあったのだけど、姿が見当たらない。
捜す?いやいや。
この図書館内。何処に居るのかなんて、一日中捜しても分からない気がする。というか、見つからない事も多々ある事は事実だ。
斯くなる上は。
「司っ書さーん!!本が自然発火してますよー!!」
と叫んでみる。これが案外有効なのだ。
……ほら来た。でも珍しく少し機嫌の良さそうな顔で。
というかなんだ。司書官室に居たのか。
「また迷い込んだのか?……いや、忍び込んだのか」
「やだなあ、忍び込んだなんて。私はここに居るだけで楽しいの。もう顔見知りの仲なんだから許してよ」
「僕としてはその顔見知りである事さえも人生の汚点なんだけど」
「そこまで言われると私でも傷付くんだけど」
「寧ろ傷付く心があった事に驚きだ。案外人間なのか」
この毒舌な小学生のような少女がこの図書館の司書である。服装な可憐とは遠い紺色の、布一枚、上下が合わさった膝丈のスカート。髪型はショートのストレート。これはこれで、見た目は人形のような愛らしさはあるのかもしれないが。
「案外人間とは失礼な。ちゃんと私は人間ー」
「僕にとってはそこらの虫と同じようなものだ」
この毒舌がある限り、愛らしさなんて感じる気にもなれない。
「それで今回は何の用で来たんだ。またいつもの"言い訳"を聞こうじゃないか」
言い訳。そうだな言い訳。
ここに来るのには何か理由を要求される。司書さん自身の意向らしいが。
「そうだなあ。……じゃあ図書館の見学で」
もう言い訳を考える気も失せてきた。
「じゃあ、とは、もはや隠す気も無くなったのか。それにここは図書館では無い。古書館だ。何度も言っているだろう」
「もういいじゃん?図書館でも古書館でもさ。そんなに変わらないでしょ?」
「そう判断するのだったらここから追い出さないといけない」
「ごめんなさい。私が悪かったです」
追い出されたらたまったもんじゃない。この世界、言葉は通じても書き言葉が違うみたいだし、第一私は一文無し。生きていけない。
「しかし」
司書さんがかなり機嫌の良さそうな顔に変わった。
「君は本当に良い時に来た。僕はちょっとした未来予知が出来るのだけど、もうすぐ君の立っている場所に」
機嫌の良さそうな顔のままの司書さん。
私は背中に悪寒を感じた。
あの司書さんがこんなに良い笑顔。
もはや不安分子でしかない。
「私の立っている場所に…?」
司書さんは右手の人差し指を上にピンっと立てて、
「火柱が立つ」
「早く言ってよおおおおおおああああ!!」
司書さんの言葉と同時、古書館の入り口から何かが飛んでくるのを視認して、私は反射的に横っ飛びをした。
と、その刹那、さっきまで私が立っていた場所に司書さんの言葉通りの火柱が巻き起こる。
古書館に火はアカンでしょ……
冷や汗ダッラダラ、鼓動バックバクの中でふとそう思ったが、加えて考えてみれば入り口から"それ"が飛んできた以上、その行為の犯人はそこに居るという事だ。玄関の方を見ると、外からの逆光に浮かぶ影が立っていた。
その影を少しの反抗と恨みで睨んでおく。
そして、ふと司書さんを見てみると、こんなあわや大火災になるような事態が起こっているのに良い笑顔のまま。
……いや、ドSの笑顔をしてる。気がする。
そういえば、いつもは呼び出してもすぐには出てこない司書さんが今日に限って…
…何となく察する。
「私にわざと火柱浴びせようとしたよね?」
「それ以外で僕が君に話しかけに行くとでも?」
悪心丸出しでニタァ…と黒い笑みを浮かべる人形ロリ。
私はそのロリに屈辱の足元からの睨みつけで対抗する。
「それよりも」
足元に這いつくばる私から目を離し、扉の外に目を向ける司書さん。まあ、間違い無くそれよりも、だ。
明らかな殺意の下での攻撃だから気にしない訳にはいかない。
「入り口の君。どんな要件かな。僕としては許されざる行為と認識せざるを得ないが」
指名されて入り口に立っていた影が揺らぐ。
「オルタナの管理人にはバレバレだってのは分かってたんだが、そちらのお嬢ちゃんにもバレてたとはねぇ」
ヘラヘラと軽い笑い声をあげながら近づいてくるその男。
様相はガラの悪い暴力団の兄貴分のような感じ。
私は睨みつけて、
「私は視認して避けただけですよ。それより謝罪です。謝罪してください」
と要求した。
「自分の置かれてる立場を理解してる?お嬢ちゃん」
「立場より謝罪です。土下座してください。そして靴舐めて」
私は人差し指を床に振り下ろして抗議する。
「ははっ。なかなか肝の座ったお嬢ちゃんだ」
男はヘラヘラと笑ったまま。
それに尚更腹が立つ。
「でもなぁ」
男が急に声のトーンを変える。
周りの空気が変わった事に私は気がついた。
「力量の差を考えてそういう事はしような?」
「よっ…!と…」
足元に強力な熱を感じて横に飛ぶ。その熱から炎が生じて私がさっき居た場所に再び火柱が上がった。
しかし学ばない私ではない。さっきとは違い、ちゃんと着地をして走り出す。
「司書さん!何処の木なら使っていい!?」
走りながらおもむろに司書さんに問う。
司書さんはニマニマとさっきの嫌らしい笑みをしながら、
「そこらの古書以外の木なら何でもいい。何より、君の"闘う姿が見てみたい"」
と言った。
その答えに私も黒い笑みを浮かべて、
「さっすが司書さん!わかってる…!」
『滑稽な姿を見せろ』と遠回しにして言う司書さんに、嫌味の意味で返答をする。
「そこら辺の木が何でも使えるなら私の領分!覚悟しなさいよ!」
「その舐めた口を溶かしてくっつけてやるのとか楽しそうだなぁ!!?」
「おっと!」
炎が男から次から次へと飛ばされてくる。
いくつかを躱し、物陰に隠れた所で一息つく。
流石に逃げ続けるわけにはいかない。
息を整えて、詠唱を紡ぐ。
「オルタナよ。オルタナが守護者に力を分け与えたまえ」
この古書館には謎の力が宿っている。その力はこの古書館が認めた者へ分け与えられ、そしてその力を以ってして、この古書館を護る義務を負う。
それがオルタナの加護。"オルタナ古書館"を守護する事を認められた者に与えられる力。
と、そう司書さんからは言われたが。
何とも解せない力である事には違いない。科学の力ではなく、魔法と呼ぶべき力なのだから。
この力は原子を操る力で、各々が特定の原子を操れるようになる。私の場合は炭素、司書さんの場合は銀であるらしい。
詠唱を終えた私の周囲にある木が力により気化し、霧散する。その一部が私の右手に集約し、二メートル程ある獲物へと変化する。
薙刀だ。
しかし自分の身長より余程長い木の刃だ。慣れるために軽く回してウォーミングアップ。そして終わりに薙刀を振り下ろし男に向ける。
「しっくりきた!反撃を始めるわよ!」
「ほう?やってみろ」
このオルタナの加護は炭素を操る力だけでなく身体能力も相当向上するようで、軽く跳ねただけでも一メートルは飛べる。
一気に踏み込んでしまえば、一瞬で距離の離れていた男の背後にまわることさえ出来る。
「何処見てるのかしらね!」
死角から薙刀を横に振るい、男の横腹に当てにいく。完全に捉えた。体勢も完璧。相当にダメージが与えられるだろう。そう思った時、
「甘ぇなァ?」
薙刀が空を斬った。
いや、男に触れた部分が消失した。
「あっれ!?」
「木で火に勝てると思うなよ?」
再び足元に熱を感じて横に飛ぶ。身体能力の上昇によって先ほどよりは安全に逃げる事が出来た。
物陰に隠れて再び一息つく。こうなるはずじゃなかったのだが。
「君、元素固定出来ないのかい?半人前だと思っていたがそれ以前の問題だったか」
いつの間にか横に立っていた司書さんがジト目で見上げて文句を垂れ流す。
「いつもは出来るんだけど…何でか効かなくて」
オルタナの元素を操る力の一つが元素固定。他の元素と結びつくのを阻止し、一つの形を保たせるテクニックだ。
古書館に来ている時にひたすら練習し続け、やっと出来るようになったと思っていたのだが、どうやら中途半端な出来だったらしい。
「張り合いねぇなあ?いつまで引っ込んでんだ?」
「はぁ…」
男の言葉に司書さんは頭を掻きながらため息をつき、
「僕がやるしかないか」
と懐から取り出した銀の棒を手の中でクルクルと回しながらあの男の前に出た。
「しょうもない前座は終わりか?早いとこ終わらせたかったからありがたいぜ」
「君のその減らず口、僕が銀糸で縫ってあげようか。今よりずっとマシな人間になれるよ」
「しょうもない童女に言われたい言葉じゃねぇな」
その間、おそらく一秒さえかかっていない。
男の左脚膝下に、まるでそういう金属細工であったかのように細長い銀が幾重にも突き刺さり、地面に固定されていた。
いうまでもなく、司書さんの能力だ。
「がぁ…」
男にとっても相当な痛みであろう。無事な片脚で踏ん張り、何とか耐えていた。
「君のような浅はかな人間よりか、何百年と生きている僕に対して童女とはこれ如何に。古宝である古書館に火を放つだけでは飽き足らず、その直属の管理者を侮辱とはいい度胸だ」
恐る恐る司書さんを見る。
「司書さん、それ、その顔でしたらいけない顔…」
司書さんはまさに怒り浸透といった双眸で男を睨みつけ、一歩、また一歩とどんどん近づいていく。
「ぐ……クソッ!!」
苦し紛れで男が火炎の弾を次へ次へと司書さんに投げつけるが、
「この程度か」
司書さんは造作もないといった様子で最小限の銀の壁を作り、火炎の弾を防ぐ。
その間にも司書さんは男へと歩を進める。
「せいぜい苦しんで死んでいってくれよ」
そう司書さんが呻いたと同時に四方八方から鎖が伸び、男の四肢や胴体に絡みつき、男を拘束した。そして、鎖はだんだん引き絞られ、男が無理やり大の字にされる。
「後生だ。君にこの仕事を命じた人間を僕に教えてくれるのなら、苦しみを軽減してやろう」
動きを止めた司書さんは、片手間にさっきの銀の棒をいじりながら不服そうに問う。が、男は、
「契約を破るわけにゃ、いかないだろ…」
と最初のヘラヘラとした態度を崩さず、あっけらかんと答えた。
「そうか」
司書さんのその一言を合図とするかのように、男の四肢の端、指の先から血飛沫が舞い始めた。
「い…っ!」
私はその光景から思わず目を逸らし、耳を塞いだ。
司書さんの後方から何か光を反射する物体が無数に男の身体を貫通するのが一瞬見えた。おそらく、指先からだんだん心臓へと目標を移していく、という流れだろう。想像するだけで気持ちが悪くなる。
男の断末魔が耳を押さえていても鼓膜に届いてくる。
私はそれをひたすら耐えるしかなかった。
「何故耳を塞いで、目を瞑って塞ぎ込んでいる」
男への処刑を終えたようである司書さんが本棚の裏に隠れていた私に声をかけてくる。
「人間にはなかなかキツイものだったから…」
思わず言う声が震えてしまう。
「………はぁ」
司書さんは私の様子を見て、またため息をついた。
「君は僕を何だと思っているのか。人間を躊躇いなく殺すような存在とでも…」
「今そこで実行してたでしょ…!あの人、跡形もなく…」
さっきまで居たはずの男は紅い血糊を地面に残し、その影は一切分からなくなっていた。
「ああ、この話はまだしていなかったか」
「何の話…?」
しまったと言う司書さんに聞き返す。
「オルタナへの贄」
「に、え…?生贄…?」
「生死は問わず、"神の書籍庫の代替"であるオルタナ古書館の守護神への贄。これによって僕たちの能力が約束されている」
司書さんは何処か寂しげな声で続ける。
「別に僕は人間を殺す事に抵抗の無い無慈悲な存在ではない。必要な犠牲に彼になってもらっただけだ」
それだけ言って、司書さんは後ろを向いて歩き出す。
「そう言われても…」
理解の難しい語群に動揺が隠せるはずもなく、私は言葉を選ぶ事が出来ない。
その私の言葉に、司書さんは立ち止まり、もう一度こちらを見て、
「ついてくるといい。古書館の深層を見せてやろう」
司書さんは郷愁を漂わせる表情で私にそう言ったのだった。
思いつきで書き始めたら、鬱描写が入ってしまった。
できるだけ書き続けられるように頑張ります。