第5話 とある1日(午後編)
給食の時間だ。今週は給食当番だ。しかも一番重い牛乳。億劫な気分になりながらも、給食場に向かう。牛乳を持ち、再び教室に戻る。そして、牛乳を置く。少しだけ出て来た汗を拭う。すると、誰かに肩を叩かれた。振り向くと、そこには皆美がいた。
「なっ…お前…」
「ここでは私とあなたは初対面であるという設定にして。分かった?」
皆美は間近にいる鷹端でも聞こえるかどうか怪しい声で言う。
「いや、じゃあ話しかけんなよ。誰に見られるか分からねぇぞ」
特に砂塔に見られてはまずいし、何葉に見られても何言われるか分からない。
「あれぇ?愛輝く~ん、皆子ちゃんとお友達なの~?」
噂をすれば何とやら。何葉だった。凄いニヤニヤしながら鷹端を見ている。
「いや、違う。俺はただ誰も話していないから可哀想かな…と」
「へぇ、愛輝くんってそんなに人懐っこい性格だったっけ?普通話しかけないよね…?」
「これは…気まぐれだ。ちょっと用があったからな」
「そう…ちょっとテストの答えを聞いていただけ」
皆美が機転を利かせて答える。鷹端は安堵の息を吐く。何葉は未だに怪しむような顔をして、ジロジロ二人を見つめる。
「ていうか…そういう何葉さんこそ、鷹端さんのなんなんですか」
おい、皆美。貴様、何を言っている。幼馴染というぐらい神の使いなら分かれよ。鷹端は皆美を睨みつける。だが、皆美は無表情のまま首を傾げる。なめてんのか、オラ。
「なんなのって…うーんとねぇ…彼女…かな?」
「てめぇふざけんなよおい。俺達はただの幼馴染だよバーロー」
一瞬何葉が「えっ」っと漏らす。鷹端も腑に落ちない顔をする。皆美は相変わらず無表情のままだ。
「そうですか。ただの幼馴染ですか。へー、安心しました」
恐ろしいほどの棒読みで告げる。
「いや、安心とはどういうことだよ、安心とは!」
つい、いつもの言い方で言ってしまった。何葉は少し面食らった顔になる。まずい。
「あ…安心ってなんですか…皆…美さ…ん」
「別に…何も」
それだけ言うと、皆美は給食の配膳を始めた。何葉も不満そうな顔をし、配膳をしに行く。何だか色々面倒なことになりそうだ。
給食を食べ終えると、理科のテストが始まった。理数系は得意なので、割と上手くいった。こうして、進級テストは全て終わった。やっと帰れる…
帰りの会を終え、鞄を持ち教室を後にする。そうだ、砂塔を誘おう。ごく自然な感じに…物凄く自然な感じに…そんな考えは一瞬で打ち砕かれた。
「愛輝く~ん、一緒に帰ろ?」
「はぁ…分かったよ、分かりましたよ」
「え~何そのため息!やっぱり皆美ちゃんと出来ちゃってるの~?」
「だから違うっての!誤解するんじゃない!」
鷹端は大声で否定する。何葉は驚いた顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「だったら一緒に帰ろうね~」
鷹端は別に何葉と帰ることに抵抗は無い。もう慣れているし、恥ずかしさも感じない。でも、抵抗が無くとも、今は一緒に帰りたくないのだ。幼馴染なんだから、分かってくれよ。何葉。
「今日のテストどーだった?」
「どうって…まあいつもと同じぐらいだな」
「そうなんだ。私は全然出来なかったな…」
「それ、前のテストでも聞いたからな」
何葉は笑って誤魔化す。そんな他愛の無い話をしながら、校門をくぐろうとした時だった。突然、鷹端の目の前に皆美が立ち塞がったのだ。
「うわ、何だお前!びっくりしたな…」
「鷹端愛輝さん。今から私はあなたに用があります。付いてきてください」
「いや、でも俺は何葉と帰ろうとだな…」
「そうだよ!あなた、私から愛輝くんを盗ろうとしてるの?転校生の癖に生意気な…」
何葉は敵意丸出しな表情で皆美を睨む。だが、神の使いには通用しなかった。皆美は突然、鷹端の腕を掴み、体育館裏に連れ込んでしまった。何葉は唖然としたままその二人を見送った。
「いきなり何しやがるてめぇ」
「戦争が始まる」
日常生活でこんなことを告げる女子がいればただの変人である。だが、皆美が言えば、冗談にもならない。
「まだ三時だぞ。かなり明るいじゃないか」
「三時とはいえ、人気の無い校舎は普通に暗い。人気が無いから害は無いけど、暗くなればそこら辺を動き回るから。今のうちに倒しとかないと」
至極真っ当な意見なので、鷹端は返事が出せなかった。皆美が立ち上がり、歩き出す。しょうがないので、仕方なく付いていくことにした。人にばれないように、第三校舎に入っていく。生徒の教室は第一校舎に集められている。そして、第二校舎は職員室やら校長室やら教師用の施設が集められている。そして、第三校舎は、美術室や理科室など、特別な部屋が集められている。なので、生徒は基本的に授業以外では立ち入らない。
「だから、私の予想では敵のアジトは第三校舎にあると思ってる」
「まあ…あそこは常に暗いぐらいだからな。光に弱い魔力が住むには丁度いい」
校舎の玄関で靴を脱ぐ。今度は置いていかれないように靴を鞄に無理矢理詰め込んだ。
「ていうか、何で神の使いが敵のアジトも分からないんだよ。無能が」
「ただの人間ごときに無能呼ばわりされる筋合いは無い。魔力とは言えど、敵は神に等しい。だから、そう簡単にアジトは割り出せない」
「そういうもんなのか」
あまりにも非現実的すぎて何故か簡単に納得出来てしまった。判断能力が鈍ってしまっているようだった。校舎を突き進む。廊下の端には埃が雪のように積もっていた。汚い筈の光景が美しく見える。正直、こんな可笑しい空間に適応してしまっている自分が怖かった。全部この目のせいだ。
「さて…着替えようか」
「へ?」
突然、何の前触れも無く、皆美は上の制服を脱ぎ捨てた。そこまでは問題無いのだが、今度はブラウスまで脱ぎ始めた。そして、肌着まで脱ぎ、上はブラジャー一つになってしまった。真っ白な下着。
「おい、お前は何をやっている」
一周して冷静になった鷹端は冷静にツッコミを入れる。だが、それを聞くことなく今度はスカートまで脱いでしまった。真っ白なパンツが露わになる。あられもない姿だ。神の使いとは言え、見た目は普通の女子が目の前で下着姿で仁王立ちしている様はとんでもなく異質だった。
「貴様、そんな姿で…」
「そんな姿?何を言っている?この姿は所詮仮の姿。私は正直言ってこの下着の下をも見せてもいいのだが、人間の間ではそれはまずいというから、この姿で留めている」
「いや、その姿も既にダメだ。何か着ろ」
「分かっている。最初から着る予定だった」
それだけ言うと、皆美はどこからか突然マントを呼び寄せると、それを着て、フードを被った。その瞬間、皆美は消えた。
「そうか、そういうことか」
鷹端は一人納得し、眼帯を取る。そこにはマントを付けた皆美がいた。
「そのマントを付けたら人間には見えなくなるってか」
皆美は無言で頷く。頷きながら、マントの内から金の銃を取り出した。相変わらず物騒な代物だ。
「でも、それなら制服は脱がなくてよかっただろ」
「何を馬鹿なこと。邪魔じゃないか。もし走ったりの動作がある時に枷になりかねない」
「神の使いなんだから。そんぐらいどうにでもなるだろ」
「いや…制服の上にマントはかさばって気持ち悪い」
結局そこなのか…そんな会話をしながら歩いているが、魔力はまるで出てこない。皆美は銃を構え、警戒しているが、魔力の影すら見当たらない。あれ、そういえば魔力に影はあったっけ。というか、さっきまでわずかに見えた皆美の影が無くなっている。
「そういえば、この眼帯クソが付くほどダサいから変えてもいいか?普通の白いのに」
「別にいいけど…偽りの眼は隠せるからね」
「偽りの眼『は』って何だよ、『は』って」
「ただし、魔力は見えてしまう。人間が作った程度の眼帯では偽りの眼の力を封じることは出来ない。いいのかな?楽しく青春している時に周りに魔力がうじゃうじゃ見えても…」
「ああ…眼帯はこのままでいいよ。ったく…」
皆美の冷静な対応には反論する気も失せる。これからずっとこんな眼帯を付けて生活しないといけないのか。世間体というのもある。かなり辛い。
その時だった。この第三校舎の中では珍しくも無い、何にも使われてない教室。そこを横切ろうとした時、突然その教室から大量の魔力が閉め切られた扉をすり抜けて現れたのだ。全長三十㎝程の紫色のスライムのような物体。気の弱い女子が見たら失神しそうな気持ち悪い物体が。
「ここにいたの…戦争、開始」
皆美は無表情のまま、しかしわずかに凛々しくなった目で銃の乱射を始めた。金の弾丸が魔力を貫き粉砕する。鷹端は、ただその様を傍観するだけだった。三分ぐらい経っただろうか。魔力は出現しなくなった。
「やはり、こういう空き教室を住処にしているということなのね。この校舎に空き教室は後五つ。そこら辺を虱潰しにすれば」
「しっかし、魔力も大したことねぇな。これなら後一週間もあれば殲滅出来るんじゃないのか?」
冗談のつもりだったが、その言葉に皆美はかなり敏感に反応した。鷹端を睨みつけるその目は、敵意を持ったものだった。鷹端は思わず後ずさりする。
「魔力を甘く見ていると、いつか痛い目に遭う。今倒している魔力は所詮、自分の力だけでは這いずり回ることしか出来ない雑魚。魔力は神にも等しい存在。上位種は他にも沢山いる。それに、こんな雑魚も一度憑りつくと、なかなか離れないし、しつこい相手になる」
「そ、そうなのか…すまん」
これの上位種がいるのか…鷹端は考えるだけでげんなりする。皆美はまたいつもの無表情に戻り、歩き出した。鷹端も付いていく。しかし、これじゃただ付いて行っているだけだ。攻撃手段をくれないものなのか。見えるだけで攻撃出来ないというのは何とも歯がゆいものだ。
再び空き教室に辿り着く。やはり、魔力が出てきた。皆美は一切の躊躇無く銃をぶっ放す。すぐに魔力は全滅した。そこから空き教室を渡り歩き、魔力を倒していった。ほぼ無抵抗の魔力を容赦なく撃ち殺していく様は少し恐ろしい画だった。皆美のその無表情の顔は狂気を感じさせた。これだと、どっちが悪者か分からない。空き教室の扉には大量の紫色の液体が飛散していた。
「グロいな…」
「そんなこと大の男が言ってるんじゃない」
「大の男って…俺まだ中学生だぞ」
「ふん、どちらにしろ、この程度で怖がっているようじゃ女の子は振り向いてくれないよ」
「!?」
そうだ。鷹端はお化け屋敷とか気持ち悪いのは嫌いだ。こんなんじゃいけないとは思っているのだが。
「まあいいや。今日の仕事は終わり。銃弾も底が尽きてきたし」
「銃弾ぐらい神の使いなんだからすぐに取り出せるだろ」
「金の銃弾は特注品だから。意外と手に入りにくいわけ。だから、一発も無駄にせず倒さないといけない。それに…人間の体というのは、如何せん重いし、疲れる。体力も減ってきたし」
そういえば、さっき皆美は『仮の姿』と言っていた。神の使いというのも、人間に憑りついているのだろうか。だとしたら、魔力とやはり同類ということなのか。
「じゃ、帰りますか」
皆美は呟き、マントの内側からさっき脱ぎ捨てた制服を取り出した。そして、今度はマントを脱ぎ捨てた。そして、再び下着姿を晒しだした。
「だから、ちょっとは隠れろよ。見てる方が恥ずかしいんだよ」
「…もしや、あなた、童貞なの?」
「はぁ!?いきなり何をっ」
「事実を言ったまで。全裸を見せているわけでも無いのに、そこまで怯えるなんて、どう考えても童貞」
無表情で人を馬鹿にしてくる皆美はやはり狂気に満ちている。
「だったら、あなた、今、私の全裸を見たら失神するんじゃないの?」
そう言うと、皆美はパンツに手を掛ける。それを鷹端は大声を上げて静止する。その大声は誰もいない校舎にこだました。
「さっさと制服着やがれアホが」
「神の使いをアホ呼ばわりとは…恐れを知らない人間だな」
「大体、お前見た目はどうみても普通の女子だろ。それを神の使いだと実感しろと言われても無理があるだろ」
「そう…だったら真の姿を見せてもいいけど…片方の普通の目は潰れ、偽りの眼もほとんど見えなくなるけど…いい?」
「ふっざけんな、いいわけねぇだろ。神の使いなんだからそれぐらい分かれ」
その台詞を聞き流しながら、皆美は制服を着込む。それに合わせて、鷹端は眼帯を付ける。皆美の姿は普通に捉えることが出来た。
「じゃあ、私は帰る。そういえば、あなた、部活は?」
「今日はテストがあったからな。部は無い」
「そう…まあどうでもいいけど」
「じゃあ何で聞いたんだよ」
その質問には答えずに、皆美は瞬間移動で消えていった。薄暗い校舎に鷹端はただ一人残された。今度は家に帰してくれないのか。別にいいのだが…そのまま鷹端は校舎の玄関に向かって歩き始めた。そして、校舎を出て、校門に向かう。既に学校に生徒はほとんどいなくなっていた。だが、校門には一人いた。
「何葉…」
「もう…どんだけ待たせるの…」
何葉はすっかりご立腹だ。逆に、鷹端は何葉が待っていたのに驚いたのと同時に、何故か酷く安心した。
「悪いな。ちょっと用事があったんだ」
「愛輝くん、皆子さんとどういう関係なの…?」
「別に、つい一日前初めて会った奴だ。学校についてよく分からないから教えてくれと言われただけで」
「そういうのさ、普通いきなり男子に言うもんじゃ無いと思うけど…」
「だったらあいつは普通じゃないんだ。別にいいだろ、それで。あいつとは変な関係、何も無い」
鷹端は歩き始める。何葉も慌てて付いていく。何葉の顔はいつもの元気なものでは無く、やや暗いものになっていた。そう、普通じゃない。普通じゃないんだ、あいつは。女子かどうかも怪しいし、そもそも人ですらない。その帰り道、二人は一切喋らなかった。喋った事と言えば、家に着いた時に「じゃあ」と言ったぐらいだった。これが喋った内に入るかどうかも怪しい。
「あ、お兄ちゃんお帰り~」
家の扉を開けると、すぐに妹が迎えてくれた。妹がこの妙な生活の唯一の癒しだった。今の所は。
「お前、もしかして今日も遊びに行くのか?」
「いやいやお兄ちゃん、愛香もそこまで暇じゃないんだからね?結構宿題出てるしね」
「そうか?小学生なんか中学生に比べりゃ物凄い暇だろ。少なくとも部活は無いし」
「?お兄ちゃん、部活楽しくないの?」
あんなもの楽しいわけが無い…と、心の中で呟く。口に出さなかったのは、妹の夢を壊したくなかったからだ。妹の青春を壊したくなかったから。
「そういえば、愛香。お前は、学校、楽しいか?」
「え?当たり前だよ。お兄ちゃんは楽しくないの?」
まるで呼吸でもするように、至極当たり前のように言った。首を傾げる妹に、何故か安心した。
「ああ…俺も楽しい。楽しいさ…」
自分に言い聞かせるように呟いた。そして、妹の頭を無茶苦茶に撫でまくった。
「え…へへ…痛いよぉ、お兄ちゃん」
妹は恥ずかしそうに顔を赤らめる。鷹端は、自分の妹に抱き着きたい衝動に駆られた。での、やめておいた。近親相姦になりそうだからだ。今の自分の状態じゃ、抱き着くだけで終わらないかも知れない。撫でるのをやめた。妹の髪はすっかりぐしゃぐしゃになっていた。
「…ありがとう」
何に対して言っているかも分からないお礼を呟き、二階へと上がっていった。とりあえず、落ち着きたかった。




