第3話 偽りの青春
制服を脱ぎ捨て、青が基調の練習着に着替えた。背中には黄色い文字で『SAMIDARE』と書かれている。部活もそろそろ引退だ。いや、大会で良い成績を残せればまだ引退はしないのだが、早ければ6月には終わってしまう。鷹端の所属している部活は陸上競技部。足の速さは中ぐらい。今からでも間に合うはずだ。狙うは最低でも県大会…そう意気込み、鷹端は家を出た。そして、すぐ家に戻る。眼帯を忘れる所だった。
五月雨中までは歩きでも五分程度で着く。まだ微妙に肌寒い。ウインドブレーカーも着ておけば良かった。肩に掛けた黒いスポーツバッグにはスパイクにタオル、水筒などが詰め込まれていた。重い。ずれかけていたバッグをちゃんと掛け直していると、ふとある人物が目についた。砂塔だ。鷹端と全く同じ練習着を身に纏い、鷹端とは違う、可愛らしいスポーツバッグの砂塔。曲がり角で二人は落ち合った。別に集合していたわけじゃないが、途中から通学路が同じだから、会うことは多い。だが、未だに突然の出会いには慣れない。一気に心臓が膨れ上がる。胸の辺りを押さえる。
「あ、鷹端くん」
名前を呼ばれるだけで気持ちが昂る。顔は真っ赤になっていないだろうか、そんな心配をする。思うように声が出ない。やっと絞り出した言葉は「よう」の一言だけだった。
「部活、頑張ろうね」
砂塔は微笑んで言う。これだけ見ると、鷹端に気があるように見えるかもしれないが、砂塔は誰にでもこんなことを言う。八方美人だと揶揄する女子もいる。だが、男子からは圧倒的な人気になるのは間違いない。別に彼女はもてたくてこんなことをしているわけでは無かろう。その端麗な容姿とスタイル、学力、体力でもモテモテだ。それに、この台詞が来たら、誰でも一撃でやられる。
「あ…ああ、頑張ろう」
割と強気な方な鷹端でも、砂塔の前では縮みあがってしまう。大したことも言えず、こんな残念な自分を殴りたくなる。一緒に歩くのも恥ずかしくなり、わざと歩幅を遅くする。砂塔は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに元の顔に戻り、歩き始めた。砂塔と鷹端の距離はどんどん開く。こんなんじゃ、ダメだ。後一年も無い。その間にこの距離が埋まる気がしない。やはり、自分なんかでは無理なのだろうか。進級当日だっていうのに、気分が萎える。
いつの間にか、校門に辿り着いていた。既に外周を走っている陸上部員もいた。熱心な奴だ。二年生の男子、宇良。二年にも拘らず、全部員で一番速い。勿論、鷹端よりも。あいつが、憎い。まず、あいつより速く走らないと。砂塔は振り向いてくれるはずが無い。やるぞ。ランニングシューズの紐をきつく締める。足が少し痛い。足も随分大きくなった気がする。身長も酢好より前まで小さかったのに、今では完全に鷹端の方が大きい。別に容姿も悪いわけじゃ無いと思ってる。
実際に何葉からはかっこいいと言われたし、実の所、中学に入ってから二回告白されている。一度目は一年、二度目は二年。鷹端は一年の頃から砂塔が好きだった。目標が高すぎたのだ。「好きです」と言われて、出た答えは全て「NO」。今思い返せば、その二人も顔は悪い方では無かった気がする。で、どうやら、その二人は現在付き合っている。もう、告白してくる事は無いだろう。あれを受け入れるのが正解だったのか、間違いだったのか。今でも悩んでいる。あの時は即答だったのに。
走る。走る。走る。日本でもトップクラスの敷地面積を持つ五月雨中。外周も半端無く長い。普通は皆一周程度で終わらせるし、それ以上やろうともしない。でも、宇良は五周はする。これが差。鷹端たち一般人との違い。だったら。その差を埋めるには…最低でも五周はしないといけない。一周を終える。まだだ。不思議と今日は疲れない。永遠に廻っていられそうな感覚だ。ちなみに、砂塔はいつも三周している。鷹端の少し前を走る砂塔。徐々に砂塔のスピードが落ちる。砂塔と鷹端の距離が縮まっていく。そして、並ぶ。砂塔は少し驚いた顔をしたが、すぐ元の表情に戻る。そのまま、鷹端は砂塔を抜かし去る。また、距離が離れる。目だけを後ろに向ける。だが、砂塔は見えなかった。
「今日の練習は…」部員を集めて、顧問である可愛が大声で練習メニューを告げる。部員は五十人。三年男子はたったの五人。全学年で一番少ない。三年女子は十二人もいる。ハーレム状態になってもおかしくない筈だが、決してそんなことは起こっていない。最近よく図書館で借りるライトノベルの話なんて、嘘でしかない。あんなこと、起こりえない。鷹端はそっとため息をつく。
走る。走る。走る。鷹端の専門種目は100m走。流しと言われる走り抜けを何度も繰り返す。やはり、疲れなかった。頭がいっぱいいっぱいで、疲れを感じる余裕すら無くなっている。
練習は、いつの間にか終わっていた。時刻は四時五十分。後十分。朝に会ったトイレで集合。鷹端は一瞬で身支度を済ませた。
「おい鷹端、一緒に帰ろうぜ」
部活の友達、那賀乃と億之が鷹端を誘う。彼らとは今年は同じクラスでは無かった。今年は女子は良いのが多いが、いかんせん男子が微妙だ。酢好がいるからそこまで問題でも無いのだが。
「ごめん…今日は用があって。っていうか、暫く一緒には帰れないと思う」
「へぇ…もしかして…何葉と帰るのか?」
「ち、違ぇよ。病院だ、病院。目の治療だ」
鷹端は眼帯を付けた方の目を指差して言う。何葉は女子テニス部。丁度彼女も練習が終わった時間だ。更衣室に何葉が入っていくのが見える。ちなみに、酢好は男子テニス部だ。
軽く「じゃ」と言うと、スポーツバッグを荒く掴み、トイレに駆ける。トイレのドアを思い切り開ける。何も、見えない。そうか、と一人頷き、眼帯を外す。するとそこには、皆美の姿があった。朝に見た服装で。
「五時ぴったり…五分前集合が基本」
「仕方無いだろ。十分前に終わったのに、五分で支度しろってのが無茶だ」
「ま、遅れるよりはいいけど。さ、魔力退治に行きましょうか」
皆美はトイレのドアを開け放ち、外へ出る。鷹端は、平気で男子トイレから出て行って大丈夫なのか?と思ったが、すぐに普通の人には見えない事を認識し、鷹端も外へ出た。危うく眼帯を付け忘れる所だった。慌てて付ける。とりあえず、那賀乃と億之に会わないようにしよう。皆美はすたすたと校舎に突入していく。鷹端も人に見えないように建物の影を縫って進んだ。鷹端も校舎に入った。
「うようよいるな…」
「は?何もいねぇだろうが」
「眼帯を外して。ほんとに、うようよいる」
言われるがまま、眼帯を取り外す。そして、言われる通り、うようよいた。
「こ、これは…」
そこには確かに、さっきまでいなかった紫色の物体がうじゃうじゃいた。消火栓の上、廊下の中央、教室の扉に這いつくばり、階段を上り下りする紫色の物体…魔力がいた。夥しい数だ。思わず鳥肌が立つ。こんな所でずっと生活してきたのか…
「こ、こんなのを倒すのか…」
「そう。でも、今のあなたには難しいかもね。たとえ魔力が見えても、魔力には触れないのだから」
「あ…」
鷹端は皆美の背中に触れようとする。しかし、すり抜けてしまった。すっかり触れるものだと思っていた。
「でも、平気で相手は触れてくる。ていうか、普通の人間は触れられると憑かれる。気を付けて」
「そんなん危険すぎるじゃないか。こんなに魔力がいたら、今頃ほとんどの生徒が憑かれて…」
「それは無い。魔力が活動を始めるのは午後の…丁度この時間。生徒が帰ってからだから」
「おかしいだろ。魔力が活動範囲を拡大したいなら昼に活動すれば…」
「魔力は極端に光に弱い。ちょっと光を当てれば消える。だから、触れなくても倒すことは容易」
「ふん、だったら簡単だな」
「そうとは限らない。魔力は素早いし、瞬間移動したり、色々飛び道具を放つ事もある」
「やっぱり危険すぎるじゃないか…」
「だから、屋内で活動する美術部や吹奏楽部などの文化部が餌食になることが多い」
全ての質問に即答される。思わず身じろぎする。しかし、光が苦手なら…鷹端はスポーツバッグに突っ込んでいたスマートフォンを取り出し、懐中電灯のアプリを起動する。本来は学校に持って来てはいけない物なのだが、別にそんな校則、守る意味も無いし、守るつもりも無い。
「安心して。最初だから私が大方処理する」
そう告げると、皆美はフード付きのコートのポケットから突然金色の銃を取り出した。どう考えても入る大きさでは無いのだが、これも神の力だろうか。
「これはM4。でも、それは見た目だけ。銃本体は普通の人には触れないし、弾丸は普通の銃弾だと魔力には当たらないけど、これは当たる。それに、魔力以外の物を破壊しない。神の特注品」
「神にしては物騒なもんだな」
鷹端は金の銃を構える女子の姿を一瞥する。何とも異質な光景だ。ここだけが異世界のようで。現実と完全に切り離された世界のようで。鷹端が目指す青春とは真逆の世界が広がっていた。
魔力がうごめく。徐々に徐々にこちらまで近づいてきた。それに合わせて、鷹端も退いていく。だが、皆美は退かなかった。
「戦争、開始」
皆美が呟く。退いていた鷹端にはよく聞こえなかった。そのまま皆美は消火栓の上の魔力目掛けて銃をぶっ放す。魔力のど真ん中にに金の弾丸が命中した。魔力はぐらぐら揺れながら、紫色の液体を噴出して消え去った。
「うわ、汚ね」
「魔力も仮にも生き物だから。この調子で行くよ」
その後、皆美は銃を乱射し続けた。どんなに素早く動く敵も確実に狙い撃った。まさに百発百中。恐るべき狙撃手だ。鷹端も近づいてくる魔力にライトを当てて退かせる。だが、逃げるだけで、やはり倒せない。見るに、魔力は皆美を狙わず、鷹端ばかり狙っているようだった。やはり、人間だけに憑りつくというのか。
最終下校のチャイムが鳴らされる。どうやら魔力は音にも弱いらしい。魔力は一瞬大きく退いた。だが、チャイムが終わると、またすぐにこちらに向かってきた。どうしようか、チャイムが鳴っても帰っていないと教師に怒られる。というか、教室でバカ騒ぎしてたら尚更だ。教師には魔力は見えないだろうし、狙撃しまくる皆美も見えていない。見えているのは一人で騒ぎ、ライトをその場で照らし続ける変な男子、鷹端。そろそろ見回りが来るかも知れない。
「おい、これいつまで続くんだ!」
「後ちょっとで終わるよ。ここら辺を一掃したら、ね」
確かに魔力はみるみる減っている。魔力が消えた後には、汚い紫の液体が飛び散っていた。魔力は見える範囲では後二、三体しかいなかった。魔力は劣勢と判断したのか、徐々に退いていく。次は鷹端たちが前進する番だった。皆美は躊躇すること無く、魔力を撃つ。そして、魔力はいなくなった。
「さて、掃除、終了」
掃除という割にはっきり言って、来た時よりも汚くなっている。だが、他の人には見えないのなら問題無い。
「さて、見せたでしょ?今回は一番弱い部類だったけど…これが魔力退治の方法。分かった?」
「分かったも何も、銃が無かったら俺は倒せないじゃないか。魔力が見えるだけで倒せないなんて…」
「大丈夫。魔力本体の退治は私がやる。あなたには…憑かれた人から魔力を取り出す仕事をしてもらう。それはあなたしか出来ないこと」
「そんなに憑かれた人がいるのか?」
「いる。その金の目があれば、判別出来る。だから、お願い」
「そんな…どうやってやるんだよ」
皆美は鷹端の顔を指差して言った。
「自分で考えて」
「んな無茶な…」
すると、遠くから足音が近づいて来るのに気付いた。見回りだろうか。光も見えてきた。
「じゃあ、今日は私が家に送ってあげるよ。じゃあこれから宜しく」
それだけ言うと、鷹端目掛けて皆美は掌をかざす。すると、突然眩い光が鷹端を襲う。
そして、気が付くと、鷹端は自分の部屋のベッドの上にいた。これから毎日こんなことが起きるのだろうか…自分に出来るのだろうか…様々な思いが交錯する。鷹端は皆美の顔を思い出し、そこから砂塔の顔を思い出した。果たしてこれで青春なんて…出来るのだろうか。
これじゃあ、まるで人の為の青春じゃないか。それが、偽りの青春のように思えて、鷹端はそのままベッドに蹲った。