第2話 進級
完全にホームルームには遅れてしまった。始業式前にクラスにいる仮の教師には怒られ、生徒には思い切り笑われてしまった。初っ端から遅刻したせいもあるだろうが、一番は眼帯のせいだろう。こんなもの付けてるなんて変な趣味があると思われて当然だ。出席番号は10番だった。指定された席に座る。前の席には小学校からの友である『酢好』がいた。こちらに首だけ向けると、ニヤニヤ笑って、また前を向いた。好きでやってるわけでは無いというのに…休み時間になると恐らく質問攻めだろう。面倒だ。ただ、眼帯だけは外させないようにしないと。金の目が出てきたら全員ドン引きだろう。そして、遠くには幼馴染の『何葉』もいた。
ただ、そんなことより…あの砂塔が同じクラスにいるというのが、今の鷹端にとっては何より嬉しい事だった。部活でしか繋がりがなかったが、遂にクラスまで。しかも隣の席だ。逸る鼓動を抑え、軽く砂塔の方を向く。すると、それに気づいた彼女もう、鷹端の方を向き、笑って軽く会釈する。それだけで最高だった。必ずこの娘と付き合ってみせる。にやける口を元に戻し、拳を握りしめた。
ホームルーム後、当然の如く、酢好が椅子ごとこちらを向いて、爆笑しながら言った。
「おい、何だよそれ。お前も中二病にでもなったのか?」
「違う…目を怪我しただけだ」
「だったらそんな変な眼帯じゃなくてもいいだろ」
依然酢好は腹を抱えて笑っている。そこに、何葉もやってきた。
「どうしたの?その目」
「なんでもねぇよ…目をやられただけだ」
「そう…大丈夫?心配だな…」
何葉は心配そうな目でこちらを見る。幼馴染ということで、彼女の事は大体知っている。顔もいい。昔から仲も良い。最近では年のせいもあって疎遠になっていたが、クラスが一緒になったので話す機会も増えるかも知れない。ただ、別に恋心とかは無い。あくまで友達程度だ。周りから勘違いされることもあるが、あくまで友達。本命は砂塔だ。
すると、今度は砂塔までやってきて、座っている鷹端の顔を覗き込んで「大丈夫?」と言った。その一言が、鷹端の胸に刺さる。何だ、ここは天国か。これぞ青春だ。まだあいつを許した訳じゃないが、いい話題作りにはなった。感謝しなくてはいけない。鷹端は軽く「大丈夫、大丈夫」と言うと、砂塔はここから離れ、女子の集まりに入っていった。天国はほんの数秒で終わってしまった。鷹端は大きなため息をつくと、酢好の話を軽く聞き流しながら、頬杖をついた。
一体あいつは何者だったのか。魔力とは何なのか。今、この眼帯を外せばそれが見えるのだろうか。鷹端は眼帯を軽くずらすが、やめておいた。もしこの目がばれたらまずい。
「並べ」と大声で怒鳴る教師の言う通り、廊下に並ぶ。今から始業式だ。これが青春の始まりになるのだ。隊列は体育館に向かって進む。改めてクラスの面子を見直す。3年7組。生徒数35人丁度。男子を見る。前に同じクラスだった奴もいれば、一切話したことの無い奴もいる。女子を見る。結構上玉が多いじゃないか。これはいい。ただ、本命は砂塔なんだ。学園のマドンナ的存在。そいつを全男子から奪い去ってやる。鷹端は砂塔を見つめる。砂塔が視線に気付いたのか、軽くこちらを見る。慌てて目を逸らした。
始業式終了後、教室に戻る。担任は『別囃』に決まった。学校で優しいという事で有名な女教師だ。別に自分の青春に教師は関係無いのだが、少なくとも厳しい教師よりは大分いい青春を送れるだろう。そんなことを考えていると、ガラガラとドアが開く音が響き、別囃が入ってきた。慌てて立って駄弁っていた生徒たちは自分の席に座る。別囃は微笑みながら、教卓の前に立って言った。
「皆さん、おはようございます。3年7組の教師を務める別囃京子です。宜しくお願いしますね」
生徒は皆バラバラに「宜しくお願いします」と小声で言った。鷹端も軽く返事をし、俯く。そこから別囃の自己紹介が始まる。好きな食べ物は京料理だの、旧姓は若林だっただの、正直どうでもいい。鷹端は軽く首を曲げ、砂塔を見続けていた。可愛い顔だ。いつまでも見ていられる。こいつも一年後には彼女になっていることだろう。知らず知らずのうちにニヤニヤしていた。
「で…いきなりですが、大事なお知らせがあります。このクラスに今年から転校生が入ってきました」
転校生?辺りがざわめきだす。別囃がドアの方に手招きをすると、ガラガラとドアが開き、髪をポニーテールにした少女が入ってきた。少女は黒板にチョークで何やら書き始める。『皆美皆子』と書かれると、少女はこちらに向き直し、笑顔で言った。
「今年から転校してきました皆美です。まだ分からない事だらけなので、皆さん宜しくお願いします」
淡々とした感情の無さそうな声で言った。が、顔はなかなかいい。男子からはヒソヒソ声が聞こえだす。しかし、この声。どこかで聞いたことがある気がする。それもつい最近。どこだっけか…鷹端が唸っていると、既に皆美は指定された席に座っていた。真っ直ぐに伸びた背筋からはどことなく自信を感じさせた。一体何の自信だろうか。まあ、自分には関係無い。鷹端は皆美から目を逸らした。別囃は話を続けているが、全て聞き流す。そういえば、明日は進級テストか。きっと砂塔は頭のいい高校に行く。自分もそこに行くのだ。だから、テストでいい点を取らなくてはいけない。その為に春休みは猛勉強したのだ。今こそ成果を果たす時だ。
今日は進級初日ということで、11時には帰れる。別囃と挨拶を交わし、生徒たちは次々と教室から出ていく。一応部活はあるが、一度家に帰ってからの再登校だ。さて…通学路は途中まで砂塔と同じだ。今日こそ一緒に帰るのだ。まずは砂塔を誘うことだ。いや…大して話もしてないのに誘うのはおかしいか…自然な流れで一緒になって帰るか…そんなことを考えて唸っていると、突然背中に衝撃が走った。軽く前のめりになる。後ろを見ると、そこには笑顔の何葉がいた。
「一緒に帰らない?」
「お前と一緒に…」
もう何葉と一緒に帰るのは日課のようになっていた。思春期真っ只中だというのに、こいつは何も感じないのか。確かに彼女は可愛い。だが、正直、今は邪魔でしかない。よく付き合っていると勘違いされることだってある。いい迷惑だ。そんな感情に何葉は一個も気付かない。でも…砂塔とくっつけば、恐らくこいつとは離れ離れだろう。そうしたら、今度はこいつの笑顔が見れなくなるかもしれない。何だか、それが急に怖くなってきた。
「ああ、分かった。帰ろう」
「ほんと?やった!最近一緒に帰れてなかったしね!」
何葉は鷹端を凄く仲のいい友達と思っているはずだ。それは鷹端も同じだ。でも、決してそれ以上にはならない。大きく厚い壁が二人の間にあるようだった。こんなことを思う自分は我儘だろうか?砂塔も何葉も求めて…これでいいのだろうか…
「今日の5時から…朝に会ったトイレで集合」
突然くぐもった声が耳元で聞こえる。気付くと、鷹端の隣を皆美が通り過ぎていた。朝に会ったトイレとは何のことだ…鷹端は急いで朝を思い出す。そうだ、朝に自分は目をやられて…それにあの声。やっぱりそうだったか。皆美は朝のフードの人だ。あいつが神の使い。やっぱり面倒なことになるのか…この目のせいで。進級当日だっていうのに。どうやら、何葉はさっきの声に気付いていないらしい。「行こ」と軽く言うと、教室を出て行った。鷹端も続く。5時となると、丁度部活が終わった頃だ。あいつはそこまで考えているのか?
学校を出る。『五月雨中学校』と書かれた校門を一瞥し、前を歩く何葉に駆け足で追いつく。
「いや~今回のクラスは凄く良かったな~友達も沢山いるし、何より愛輝くんもいるしね」
愛輝とは、鷹端の下の名前だ。女っぽい名前を彼は嫌っている。愛が輝く…何故こんな名前にしたのか分からない。皮肉な名前だ。
「まあ…俺も酢好とかと一緒だし…良かったかな」
「え~?私は?私もいるじゃん!」
「うん…そうだな」
何でこうも何葉は積極的なんだ。こっちが恥ずかしい。鷹端は顔を赤くする。何葉はそれに気付き、ニヤニヤして彼の前に振り向く。
「どーしたの?顔赤くしちゃって~もしかして…私に気があんの?」
「い、いや…そんなことは…」
「照れちゃって…可愛いなぁ」
何葉は鷹端の頬を指で突く。ますます顔が赤くなる。まさか他に好きな人がいる…なんて言えるわけがない。それを言ったら何葉はどうなるか。何葉の笑顔を見る度に怖くなるのだ。昔は彼女と一緒にいて楽しかった。今は違う。息苦しい。幼馴染という名の微妙で曖昧な立場を恨みたい。
その後は適当に何葉の話を受け流していた。いつの間にか家に着いていた。鷹端の家の隣はすぐに何葉の家がある。自分の部屋の窓を開ければ、何葉の部屋が見える。昔はよく窓を開けて話していたものだが、最近はそんなことはしない。お互い受験勉強も忙しいだろうし、何より恥ずかしい。話したとしても、スマホのチャットでやる程度だ。窓は、二人の関係のように閉め切られている。
「じゃあね~部活、頑張れ!」
「ああ。お前もな」
お互い別れを告げ、家に入る。親は共働きなので、誰もいない。小学五年生の妹は、既に家に帰っているらしいが、きっとどこかに遊びにいったのだろう。ランドセルだけがある。相変わらず暇な奴だ。こいつは学校生活を楽しんでいるのだろうか。きっと楽しんでいるのだろう。羨ましいもんだ。
そんなことを考えながら、洗面所に向かう。そして、鏡を見た。眼帯を付けた自分の姿を一瞥する。やはり、変だ。中二病と言われても仕方ない。眼帯を取る。そこには、間違いなく金の目が映っていた。『偽りの眼』…本当にこれで生活していくのか…親からは何て言われるか。意地でも隠し通さなければならない。
鷹端は眼帯を手に持ち、金の目を晒しながら二階の自分の部屋に向かう。秘密がある、というのは辛い。隠したい、けど言いたい。この年特有の意味不明な感情が渦巻く。自分の部屋の扉の前に立つ。辺りは真昼間だというのに薄暗い。扉を開ける。そして、鷹端は腰を抜かした。
「な、な、何で、お前が、ここに…」
そこには腕組みをして仁王立ちしている皆美がいた。昼の制服姿では無く、朝のフード姿だったが。
「どうやって入った!不法侵入だぞ、不法侵入!」
「私は神の使い。世界を創造せし神の使いに不法侵入なんて概念は無い」
「どういうつもりだ。何故転校してきた」
「五月雨高校の魔力について詳しく知るには…直接潜入すればいいから」
「お前は普通の奴には見えない筈だろ。何故皆が認識できる」
「神の使いなんだから、出来ないことは無い」
この目の前にいる女子が神の使いという実感はまるで湧かない。だが、事実なのは確かだ。自分の青春を破壊してくる存在。何葉よりも…こいつが邪魔だ。何故、青春を邪魔する。やめてくれ、自分はただ普通の青春を過ごしたいだけだ。それなのに…鷹端は鋭い眼光を皆美に向ける。ただ、皆美は一切動じず、話を続けた。
「あなたはまだ見ていないだろうけど、あの学園には既におびただしい量の魔力が潜んでいる。早く倒していかないと、学校中に魔力が広がり、生徒や教師は狂い、そのうち、日本中、世界中まで魔力が拡大する」
「なんで五月雨中が選ばれたんだよ」
「五月雨中は日本トップクラスのマンモス校。魔力を拡大させるには手っ取り早い所だった」
「誰が何の為に…」
「今は…そこまで知る意味は無いと思う。ある程度…魔力について知ってから」
「ふん…人に頼みごとをしておいて、言わないことは言わない…随分勝手な神様だな」
そう吐き捨てると、皆美はやや面食らったようだ。だが、少し笑うと、すぐに鋭い眼差しでこちらを見据えた。思わず鷹端はたじろぐ。
「とりあえず…出てけよ。安心して飯も食えやしない」
「分かった。では、また5時に落ち合おう」
それだけ言うと、皆美は一瞬で消え去った。瞬間移動か…本当に何でも出来るのか…あいつは。不気味だ。まあ、いい。とりあえず飯を食おう。眼帯を勉強机に置くと、一階の台所に戻る。棚からカップ麺を取り出し、蓋を開け、かやくを入れる。そして、お湯を沸かす。そういえば、昔は親がいない時は、何葉が家に来て飯を作ってくれた。どれも美味しかった。親が作る物より。でも、中学生になってから、鷹端が何葉の訪問を断った。それを何度も繰り返していると、もう来なくなっていた。それから、カップ麺ばかり。妹は料理が苦手だ。鷹端も作れない。作れるとしたらカレー程度だ。
鷹端はカップ麺にお湯を注ぎ、三分待つ。そうだ。眼帯を買おう。普通の柄の無い物だ。あんなもの付けてたら目立ちすぎる。三分経った。蓋を開け、液体スープを入れて、かき混ぜる。透明な液体が赤く染まっていく。いい加減担々麺も飽きてきた。そろそろ別のラーメンを買ってくるか。鷹端はそんなことを考えながら、麺を啜る。まだ一日の半分も過ぎてないというのに、豪く疲れた。5時から一体何が起こるっていうんだ。
これから部活。鷹端は一旦邪念を全て取り払った。今から砂塔に会える。だが、部活に入って二年経ったというのに、まだ砂塔を直視出来ない。こんな自分は情けないのだろうか。
鷹端の青春はまだ始まったばかりだ。