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新連載! 盤古片 ~司馬の章~(大嘘)

作者: 瀬戸内弁慶

 キャラクターもののスニーカーも、コートの裾も、赤い泥にまみれていた。


「はぁ、はぁっ! はぁっ」


 息を切らして少女、百地(ももち)冬陽(ふゆひ)は山中を駆けていた。


 頭上に敷設された正規の車道からは、もうもうと煙と火炎が上がっていた。その奥に、五分前に彼女が乗っていたバンがあるはずだった。

 その中で逃げ切れずに息絶えた使用人たちのことを想い、きゅっ、と唇を噛む。


「お早くッ!」


 声を鋭くして急かす護衛の声に我に返る。先導する屈強な男二人に追従する形で、十歳の少女は可能な限り走り続けた。


 山育ちの少女には荒れ道は慣れたものだった。それでも、一キロはあるかという大きな桐箱と、知らされていないその中身は確実に疲労を増大させていた。足枷となっていた。


「それは我々が」

「いや御身こそが大切。そのようなもの、捨てておきなさい」


 との申し出にも、少女は頑として受け入れず首を振った。


「『これは常に持っているように。危機の時ならなおのこと。それでもまだ……』。それが皆鳥(みなどり)からの申し出だ。……きっと何か考えがあるはず」

「しかしっ!」


 拘泥しようとする部下は、折れた。

 心理的にではなく、物理的に。


 少女の目の前で、背骨と肉体が真っ二つに両断された。


 飛び散る鮮血が、スローに見える。

 その無数の雫の向こう側で、白銀の髪がなびく。

 顔のない女鬼が、半死人を隔ててじっと冬陽を睨んでいた。


 あぁ、と娘の口から小さく声が漏れた。

 そうだ、自分たちは彼女らによって襲撃された。

 車は炎上させられた。山の中を追い回された。そして今、また知人が死んだ。


「な、なんだ貴様ら!?」


 と誰何の声をあげるもう一人も、答えを得られずに頭蓋を刀で叩き割られた。

 『それ』が肩から掛けた、薄紫の陣羽織のような布が、大きく翻った。


 血の絡む刃、鼻孔を犯す血肉の悪臭。

 それらを前にして、「浮き足立つ」という心許なさ、現実味のなさを冬陽はぼんやりと実感していた。


 それでも、幼いながら、予感しているものはあった。


 ――このままだと、死ぬ。


 高鳴っていたはずの鼓動が、鎮まっていくのがわかる。

 熱が引いて、汗血が冷えていくのを感じる。


 茫洋とした視界の中で、七つの影が緩慢に蠢いていた。


 そのゆっくりとした時空の中で、ごく普通の歩速で、進む女を冬陽は目撃した。


 高い鼻、薄く朱を差した頬。

 涼やかな美しい両眼が、優しげに微笑みかけていた。

 顔立ちは若い。施した化粧は、己を歳下に見せるためではなく、まるでませた子が親のお化粧道具を拝借して塗布したようだった。

 幼い顔立ちに似合わない肉感的な肢体を、禁欲的な尼僧の衣で包んだ女。


 冬陽は口を開き、張り付くような舌を伸ばした。

 逃げろ、と伝えようとしたのか。それとも助けて、と縋ろうとしたのか。

 それは冬陽自身にも分からないことだった。それが判然とする前に、


人工盤古片(バングゥヘン)『シルバーナイト』」


 鈴の鳴るような甘ったるい声が、聞きなれない言葉の数々をわけ知り顔に紡ぎ出す。

 そんな彼女に七人の銀鬼たちは一斉に二列に分かれ、機械的な所作によってかしずいた。

 それら一連の流れが、冬陽にこの女こそが襲撃者の首魁であるという事実を教えた。訴えを口にしようという愚を悟らせた。


「良いでしょう、これ。この性能で本来の『盤古片』の千分の一足らずの含有量というのだから、さすがは神様と言ったところでしょうか」


 彼女のほっそりとした指先には、黄金の杖が握られていた。

 歩くたびに先端に取り付けられた、鳥の羽をあしらった金属片が、しゃらん、と鈴ように鳴る。


 その音に反応したかのように、人工盤古片、とやらが再びめいめいの刃を握りしめてじりじりと接近してくる。


「君たちは……なんなんだ! 烈火派の人間か!? 樹治派の過激な残党か!?」


 自分たちと同族にして敵対派閥の代表を口にした百地家後継者候補に対し、尼僧はゆったりと肩をすくめた。


「人が人を排除するにあたり、大まかな理由は二つあります。一つは、それによってリスクを上回る利益が得られる場合」


 教師めいた口上と共に、ツツと女の杖先が一度桐箱に向けられる。

 その先端がスライドして、少女の細首を捕捉する。


「もう一つは、それが存在することによって、度し難い損を被る場合。……貴女の存在が、後々目障りになってくるんですよね」


 その前に死んでもらいますよ、百地冬陽殿。


 置いた先で、ぞろりとその傀儡が動く。

 理不尽な死の間際に、少女の脳裏に走馬燈めいたシーンの数々が駆け抜けていく。

 その内の一瞬が混ざり込んだ刹那、閃くものがあった。




 それは、言い争いをしていた件の桐箱。少女の手にはやや余るそれが、手渡された時の光景だった。


「冬陽お嬢様」


 と、回想の男が呼んだ。

 彼の手からカーボン机に移ったその容れ物を、自分はじっと注視していた。


十神(とがみ)戒音(かいね)と会い、庇護を求めるのは至難でしょう。が、もはやここも安住ではありません。しばらくは僕がここで足止めをしておきますが」


 箱の口には札が貼られ、見慣れない剣が交差した家紋と、その下に五の字が刻印として彫られていた。


「これは常に持っているように。危機の時ならなおのこと。それでもまだ、お命に危険があるようでしたら」


 そして囁くように、甘く低く、男は自分の主に指示したのだった。



「この箱を、壊しておしまいなさい」



 その言葉を想起して、弾かれるようにして、ほぼ無自覚に。

 少女は、両手で高々と箱を持ち上げた。

 渾身の力で振り下ろされた箱は、存外に脆かった。


 太い幹に当たって木片が砕け、中からガラス片が飛び散り、内蔵されていたと思われる真紅の液体が、土を濡らす。

 血液よりも紅く、澄んだものは土に吸われることなくその場に留まり続けていた。

 その上に、頭蓋が転げ落ちた。


 一緒に中に入っていたのだろう。太いが古ぼけていて頭髪や歯や下アゴなどとうに抜け落ちていた。木箱よりも、試験管よりも脆弱に見えたそれはほぼ無傷で、吸っていた。


 ――液体を、吸収していっている。

 そうとしか思えなかった。赤子が母乳に吸い付くように、砂漠の放浪者が水筒にしゃぶりつくように、貪欲にそれは、下の液体を吸収していった。

 箱の内容物の乏しさに絶望するよりも早く、百地冬陽はその異常さに驚いていた。

 そしてそれが幻覚ではないことは、


「……盤古片『司馬(しば)』。やはりあの男が持っていましたか。だが、なんですか、この……頭部、は……まさか」


 という女の独語と、


「っ! はやく、それもろとも壊して殺してしまいなさい」


 というかすかな焦りが、証明していた。

 そして今自分が、ひょっとしたらとんでもないことをしてしまったんじゃないかという後悔が生まれた。

 そうした彼女たちの胸中をせせら笑うかのように、事態は急転を見せた。

 骨が、釣り糸もなく独りでに浮き上がる。


 骨が砕け、細分化し、粉末となって消滅した。

 だがその一粒一粒が微光を帯びて寄りあつまり、膨張し、やがて一個一人の輪郭を作り上げた。


 刀が少女の横っ面に叩き込まれようとした。だが、少女が護衛の男達と同じ運命を辿ることは、なかった。

 その前に、『その男』の形成した籠手は、銀髪の鬼の側頭部を殴り抜いていた。

 十メートルはあろうかという距離をすっ飛び、頭のひしゃげた異形は、苦笑する尼僧のすぐ横をすり抜け、山肌に激突した。


 冬陽がそれを男だと断じたのは、一八〇メートルを超える屈強な体躯からだった。顔は、見えなかった。そもそも、顔面にはパーツなどなかった。『シルバーナイト』たちと同じ、ツヤのない、黒一色の無貌。

 だが、彼女たちに銀髪が映えているように、それの頭部にかじりつくような形で、二本の角の生やした兜がはめ込まれている。それがかえって、凶悪な雰囲気を浮き彫りにしているかのようだった。


 下半身に草摺、臑当て。上半身には例の液体で染め上げたような真紅の胴と籠手。

 全体的な雰囲気としては、戦国時代後期の甲冑武者だった。


 だけど、と冬陽

 これの目的はなんだ? 敵か、味方か? そもそも理性が存在するのか、こちらの要求を受け入れるのか?


 ――いや……


 ……これは……誰で、何だ?


 義、義義義……と不気味な軋り声を『シルバーナイト』の一体が発する。

「義義ッ!」

 虫の蠕動を思わせる収縮の後、バネの要領で二メートル近い跳躍を見せた。


「……『魚鱗』」


 やや投げやりで、ぶっきらぼうな男の声が、兜の奥底から響く。

 え? と傍らの冬陽が反応して間もなく、籠手の先端が輝きと共に鋭さを得る。

 インドのジャダマハルを思わせる籠手と短剣と一体となったそれを、第二波、第三波と迫り来る敵に力任せに叩き込み、破壊していく。


「『鶴翼』」


 今度はその真紅の甲冑が飛翔する番だった。

 臑当てから下が変形し、猛禽のような爪が足先に生える。


 それから繰り出される一撃が首を引っぺがし、胴をえぐり、そしてためらいなく尼僧の顔面へ。


 しゃらん、と金が鳴る。

 女は長い黒髪をたなびかせ、事も無げに怪人の蹴撃を黄金杖でいなした。

 醜い残響が、木々と葉を揺らすようだった。


「出会いがしらにひどい挨拶もあったものですねぇ」

「ほざけ女狐。無理矢理叩き起こしたのは、貴様か」

「とんでもない。むしろわたしは被害者ですよ。貴方さえ目覚めなければ、すべてが丸く収まったものを」


 愛らしく口をすぼめて見せる彼女の細腕は、今なお妖魔の腹部を抉り抜く脚部の一撃を微動だにせず、受け止めている。


「それにしても貴方が幼女の味方とはねぇ……今更父性にでも目覚めましたか?」

「俺がそんなタマか。ただ生前、やり残したことがあってな」

「条件次第では、私が用立てましょうか?」

「いやいいやそれには及ばん。……ただ不老だか不死だかの無様な死に顔を、つい見忘れていてな」


 剣呑な談話を打ち切るように、男の鷲爪は光の粒子となって消える。

 支えを喪ってつんのめる小さな体躯の上で、男の徒手空拳から身の丈ほどの大弓が生み出された。


「『鋒矢』」


 藤を思わせる繊維をより合わせた黒弓。それがギリギリと引き絞られ、腕ほどの太さはある矢が尼僧のこめかみに押し当てられる。


 瞬間、力の波濤が空間に歪みを生み、次いで爆発と、轟音が生まれた。

 目をつぶり、顔を伏せ耳をふさぎ、当面の難をやり過ごした冬陽の前に、弓を手にした甲冑武者の姿があった。


「やった、のか……?」

「それを呟いたヤツに成功したためしがないな」


 初めて、男は冬陽の言葉に反応した。

 冬陽はお隣とのちょっとした驚きよりも、薄れ行く煙幕の中、五体満足で悠然と現れた尼僧に戦慄し、身を縛られた。


「まったく生き汚い婆め」

「これも功徳ゆえでしょうか」


 容赦ない武者からの罵声に、余裕たっぷりに、白々と尼僧は答えた。

 その周囲を、どこからともなく風に乗って現れた黒い札のようなものが覆い包む。


「まぁ良いです。お楽しみは最後にとっておきましょう。……ですがその命と『司馬』は、必ず取らせてもらいますよ」


 女の笑い声が遠くなる。 

 慌てて追おうとする冬陽の身柄を男の、『司馬』の籠手が押さえつけた。

 何かを含んだような笑いが尾を引いて消えていった時、ようやく少女は解放された。


「どうして止めた!? せめてあの女の正体を探らなければ、死んでいった彼らの立つ瀬がない!」


 少女が食ってかかるのを、『司馬』は露骨に手であしらった。

 その場に伏し、じっと両断された死体の着るもの、身につけているものを興味深げに見つめている。


「あれに正体などない。もはや空洞で形骸で、そんな自らの衰えにさえ気づかぬ。ただの老害よ」


 それとも、と顧みた男の姿が、一瞬闇の中に沈んだ。

 ただその中で嘲笑する気配が、冬陽は肌で感じていた。

 怒りとも寒気とも思えるものが去来していた。


「名分がご立派というだけで、なんの益もない殺し合いの継続を、お姫様はお望みかな? どこの世であれ、頭の悪い貴種はいるらしいな」


 『銀夜(シルバーナイト)』の残された頭部を蹴り転がしながら、男は起ち上がった。

 再び月夜に浮かび上がった男には、整った目鼻がついていた。きちんとした、人の姿をしていた。

 外見年齢は三十ほどか。

 真紅の甲冑はどこへやら。黒いスーツ姿を模倣し、短い黒髪を波打たせ、切れ長の目に挑発的な態度を不遜に滲ませている。


「で」と。

 人間に化けた『司馬』は改めて、少女と対面した。

「お前か。人の身体に面白いことをしでかしてくれたのは」

 冬陽に怖じているヒマも余裕もなかった。


 とにかく、彼という戦力が得られたことは幸運だった。あの執事、皆鳥ケイがどういう意図と関わりをもってこの死者の復活を促したのかは不明だ。だが、少なくとも彼と友好的な関係を築き、協力を仰がなくてはならなかった。あの妖しい尼僧が今夜で襲撃を諦めたとも思えない。

 ……それしか、道はなさそうだった。


「そ、そうだ。だから君には蘇らせた恩が私にある。違うか。だったら」

「迷惑きわまりない。死にたくて死んだわけでもないが、生き返りたくて生き返ったわけでもない」

「……の、望むままの報酬も、与えるけど」

「金で釣ろうという魂胆が気に食わんし、どうやらこの身体は飲まず食わずでも生きていけそうだ」

「じゃあ……じゃあっ、この身を捧げ」

「鏡見て出直せ」


 文字通りに我が道を行く男の、広い背にかける言葉は、十歳に少女としてはあまりに乏しかった。

 唇を噛みしめ、うつむく。

 だが、諦めるわけにはいかなかった。



「じゃあ……じゃあ、私が、君の生きる意味になってあげる」


 単身、再び闇に埋もれようとした男の足を、破れかぶれのその一言が引き留めた。


「君、首と胴が離れるなんて、どうせマトモな死に方じゃなかっただろう。その性格だと、マトモな生き方もしてこなかっただろ。だから今度は……困った女の子ひとり、助けるぐらいの人助けをしたら、ちょっとは胸を張った生き方ができるじゃないか」


 箱の中に首だけでいた男は、再び肩で笑った。

 やはりそこには嘲笑の気配があった。だがかすかに……冬陽が前向きに見て辛うじて、角がとれたような笑いではあった。


「余計なお世話だ」

「もうそれ、肯定と受け取るよ。良いよね、ハイ決定!」


 アホか、と苦く呟き進もうとする男。その彼をどう呼び止めて良いかわからず「あのぅ」とおずおず冬陽は声をあげる。


「君のこと、なんて呼べば良い? 名前は?」


 男は振り返り、唇の形を丸くした。

 aの母音を持つ言葉だったと思う。そのままわずかな逡巡を見せてから彼は、自らが封じ込められていた桐箱を、そこからちぎれ飛んだ札の紋を見下ろし、



「『第五(ダイゴ)』」



 短く呟いた。

「死してもなお、俺を縛る言葉の響きだ。まぁ司馬でもダイゴでも好きに呼べばよかろう」

「うん」

「反応するかは俺が決めることだしな」

「……色々分からないことだらけだけど、君やっぱり性格悪いよね」




 ……それは、私、百地冬陽が誰にも語っていない、もう一つの盤古片事件。もう一人のダイゴの物語。

 あの人がどこから来て、どういう存在であったのか。それは分からないけれども、けれども私に人の上に立つ意味を教えてくれた。


 これは、偏屈で生きづらい男が、救われるための物語だ。

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