Ⅶ 孤独
「キリスト教は、愛の宗教なんだっけ?」
高校一年の半ばくらいだろうか、まだ彼女の母親が事故に遭う前のある日、やはりいつもの礼拝堂でぼくがそうつぶやくと、彼女は少し意外そうなカオをこちらに向けてきた。
「ええ、そうですけど……」
「ぼくがこんなことを聞くのはおかしいかい?」
「いえ、あなた自身がおかしいとは思いませんが、何故かわたしが変な気持ちになります。違和感があると言えばわかるでしょうか」
「君は正直だね」
ぼくは苦笑を浮かべ、彼女をそう評価した。彼女は基本的にウソをつかない。基本的に、というのは、他者のためになると思ったときにはウソをついたことがあるのを知っているからだ。今日も彼女は真っ白だった。
「それで、それがどうかしたのですか?」
「ああ、キリスト教は愛の宗教だって言うけれど、逆に孤独を教えてくれる宗教だとも思わないかい?」
「何故です?」
「人間は独りでは生きていけない。他者とともに生きるには、程度は違えど愛が必要だろう? でも、ぼくは一人だ」
神様曰く「人が独りでいるのは良くない」らしい。だから、神様はアダムからイヴを創り、男と女で支え合っていけるようにしたのだ。もちろん、そこには男と女の愛も、人と人との愛も存在する。つまり、人間が生きていくためには他者と愛が必要なのだ。
(……ごめんね)
だけど、ぼくは親に捨てられて、独りだった。愛なんて、知らない。
「何を言っているのですか。あなたには、わたしも、母も、神様もついているでしょう? あなたは独りではありませんよ」
にこり、とキレイに微笑む彼女の背後に見える十字架は、まるで彼女が聖人であるという証のようだった。そうして彼女は罪人に手を差しのべ、人々を神へと導くのだ。
しかし、ぼくはそちら側へ行くつもりはない。
「君は、誰か一人を愛さないのかい?」
「愛していますよ。わたしは、神様の愛する人間一人ひとりを愛しています」
「そうじゃなくて、恋愛としてだよ。別にシスターになるつもりはないんだろう?」
これは、ただの負け惜しみかもしれないが、わずかな望みでもあった。
――だけど、ぼくは知っていた。
「それは、考えたことがありませんでした。確かに、今のところシスターになるつもりはありませんが、結婚願望もありません。現状に満足しているのかもしれませんね」
そんな望みは、自分をさらに絶望に突き落とすだけだと。
すると、幸せそうにはにかんでいた彼女は何かを思い出したようなカオをして、こんな質問を口にした。
「そういうあなたはどうなのですか?」
ドクン、と心臓が大げさなくらいに跳ね上がる。これは、ぼくの真っ黒な欲望で、真っ白な彼女を穢すチャンスだろうか?
――だけど、ぼくはやっぱり知っていた。そんなことはできないと。それならば、せめて。
「すきな人は、いるよ。もちろん恋愛対象としてね」
「へえ、どんな方ですか?」
「やさしくて、キレイで、純粋な人。でも、決して手に入れることはできない、叶わない想いなんだけどね」
「え……」
それを聞いた彼女は好奇心に満ちた表情から一変し、ばつの悪そうなカオをしてうつむいてしまった。多分、恋人がいる人をすきになってしまったのではないか、とか、そんなことを考えているのだろう。――その相手が、自分だとは夢にも思わずに。
ぼくは薄い笑みを浮かべ、黙ってしまった彼女の代わりに口を開いた。
「やっぱり、ぼくは孤独なんだよ。君にはきっと理解できない」
「……確かに、わたしには母も神様もついていますから、孤独ではありません。でも、」
少しの間を置いて紡がれた清らかな声。彼女は下を向いたまま、ひざの上できゅっと拳を握り、先を続けた。
「今は、あなたもいます。もしこの先、母がいなくなったとしても、あなたがいればわたしは独りではありません。逆に言えば、あなたも独りではないのです」
ゆるりと顔を上げた彼女はぼくの目を真っ直ぐに見つめ、にこ、と聖母のように穏やか笑みをたたえた。
「だから、あなたが独りにならないように、わたしがずっとそばにいます。そうすれば、あなたは独りではないでしょう?」
彼女は基本的にウソをつかない。もしかしたら、これはぼくのためを思ってついたウソかもしれないけれど、ぼくはこの言葉を信じていたかった。それが、ぼくに残された唯一の希望なのだから。
――だけど。
そう言っていたのに、彼女は死んだ。いや、実際のところ、死んだかどうかはわからないけれど、ぼくの前から姿を消したということは、死んだも同然だ。
(あなたとはこれでお別れです)
母親が死んだとき、彼女からは神もいなくなり、彼女は「独り」になってしまった。ぼくがいると言っていたくせに、ぼくでは彼女を支える「もう一人」にはなれなかったのだ。ああ、神様はこの世で一番残酷だけれど、君も同じくらい残酷だね。
本当に、決して叶わない想いになってしまったけれど、それでも、ぼくは。




