ここは異世界
カランカラン。ドアの鈴が音を立てる。
英希里、バッキンガムならぬパレスに戻ってきました。
「いらっしゃいませ…あ、あなたは」
さっきレジしてくれた店員つまり異世界がどうのと言っていた彼が来た。ダークブラウンの髪とヘーゼルの瞳の上品な感じのナイスミドルだ。俺の他に客はいないようだ。店内は静かである。
「どうかしましたか?お忘れ物でも?」
ヘーゼルの瞳が俺を見つめる。
「いや、少し聞きたいことが…」
少しどころが全部聞きたいところなのだが。なんせ俺は今の状況を何一つ理解できていない。
「私でお役に立てることなら。そうですね、もう今日は客も来ないでしょうし店を閉めます。そちらに座って少し待っていてください」
にっこり微笑んで客席を勧めてくれる。申し訳ない。
「お待たせしました。私は店長のジロウ・ファーガスです。お名前をうかがっても?」
彼が名乗る。なるほど店長だったのか。ジロウって日本人みたいな名前だな。
「キリです。キリ・ハナブサ」
とりあえず名前だけ名乗った。ジロウさんが話を切り出す。
「それで、話とはこの世界のことですか?」
「!」
「そうみたいですね。君は異世界から来たのでしょう?」
「異世界かどうか、はよくわかりません。ただ、ここは俺の知らないところです」
本当にまったく知らない場所だ。俺が言うとジロウさんは頷いた。
「ここはアロンという街です。この街、というかこの世界には時々異世界から人が迷い込んできます。君のようにね」
「異世界から…?」
「そうあることではありませんけどね。しかし確かに異世界人はいますよ。今の王家に仕える騎士の一人は異世界人らしいですし」
驚いた。どうやら本当にここは異世界らしい。俺は異世界から来た異世界人か。しかも他にもいるとは。時々異世界から人が来るってどんな世界だよ。
「…元の世界に戻ることってできたりするんでしょうか…?」
ここが異世界なら気になるところはここである。
「さあ?残念ながら異世界人が元の世界に帰ったという話は生まれてこの方一度も耳にしたことがございません」
「それは…」
「戻れないでしょうね。残念ですが」
まじか。
絶望的な表情を浮かべたであろう俺にジロウさんが申し訳なさそうな顔をする。いやあなたは悪くない。そんな顔しないで。
「どうしよう…」
ほんとまじでどうするよ。ゆっくりどっか行くつもりが異世界来ちまったよ。
明日も明後日も撮影あるのに。
「とりあえず、ケーキはいかがですか?甘いものを食べると落ち着きますよ」
ジロウさんが微笑みながらシフォンケーキを出してくれた。
* * *
客のいない店内。
テーブルには俺とジロウさんが向かい合って座っている。ケーキ美味しい。
「それでですね、キリくん」
いまだ絶望の中美味しいケーキを無心に頬張っていた俺にジロウさんが何やら切り出した。
「君、どこか行くところはありますか?」
そんなのないに決まっている。ここでは俺は孤独な異世界人だぜ。
「ないです、けど」
ないと答えるとジロウさんはにっこり微笑んだ。
「だったらうちで働きませんか?」
「え?」
「行くところないならうちで住み込みで働けばいいのです。まあうちの店員が一人やめてしまって人手が欲しいというのが正直なところですが、君にとってもいい話でしょう?」
ジロウさんが正直にぶっちゃけた。でもそれは確かに俺にとっても願ったり叶ったりな話だよな。ジロウさんいい人そうだし。
「いいんですか?俺で」
「もちろんです。歓迎します。若くて見栄えのいい店員がいたら客入りも…おっと本音が。失礼」
ジロウさんが下を出してウインクする。やばいこのおじさんがやるとすごい様になる。
なるほど俺にとってもジロウさんにとってもいい提案。乗った!
「じゃあ、お世話になります!」
「どうぞ、いらっしゃい。これからよろしくお願いしますね」
英希里、二十歳。職業、俳優。
異世界でカフェの店員になりました。