第2話 偵察
洛外の芳功寺から少し歩いて、賑やかな室町をそぞろあるく涼と理沙。
ほんの学校から修練場までくらいの距離であったから、二人には遠いとは感じなかった。
出発前に徳庵和尚から、銭を預かってきていた。これで饅頭を買ってきてくれとお使いを頼まれたのだ。残りの銭で何か食べてもよいという事なので、つまりはこの時代の銭を持っていない二人の為に小遣いをくれたようなものだった。
「和尚さん、優しい方でしたね」
理沙がニコニコと上機嫌で涼に笑いかける。
「そうだな」
町には托鉢の僧、町人、商人、武士などたくさんの人が行き交っていて、大通りの両端には、見世を広げた商店が並んでいる。他にも、魚屋、花屋などの棒振りも往来で立ち止まっては、商売をしていた。
「おう、十蔵。今日は違う嬢ちゃん連れてんのかい?」
通りがかった茶店の暖簾の下で、町人の男に声を掛けられたが、涼は自分に話し掛けられたとは思っていない。ふいっと前を通り過ぎると、背後から舌打ちが聞こえた。
「ちぇ、なんだよ。琴に言い付けてやっからな」
店をひとつずつ覗くようにして、二人は室町の風景を肌で感じ、楽しんだ。
頼まれ物の饅頭を買い、二人もひとつずつ饅頭を買って食べてみる。
現代の饅頭と比べるべくもないが、これはこれで美味しいと思った。
さあ帰ろうかという時、貴人の輿の行列に行き合った。
周りの町人が平頭の姿勢を取るので、二人もそれに倣う。
魚屋の棒振りの棒に押されて、僅かに理沙が大通りの方へ転がり出た。慌てて理沙が戻る。
二人の前を行き過ぎるかと思われたが、貴人を乗せた牛車は二人の前で停まった。
周りの町人達もそれは予想外だったらしく、平頭しながらも驚きは隠せない。
輿の御簾がそっと僅かに持ち上げられた。
「そこなおなご。月舟のよい土産じゃ。付いて参れ」
持ち上げられた御簾から突き出された扇子の先は理沙を差していた。
周りの町人からは憐みの視線が送られた。
理沙が帯刀している従者に脅されながら強引に腕を引かれて無理に立たされ、馬に引き上げられるのを、涼は混乱した頭で見ていた。無意識に理沙を取り返そうと立ち上がりかけたところを、後ろから誰かにぐっと頭を下げさせられた。
涼が立ち上がりかけた気配に、腰の刀に手を伸ばし掛けていた従者達も、後ろの男に押さえつけられ再び平頭に戻った涼を見て、睨みを利かせながらも、ようやく刀から手を離した。
理沙を乗せた馬と貴人の牛車は往来をゆるゆると過ぎて行く。
涼の頭はまだ押さえられたままだ。
ギリっと涼の奥歯が鳴る。やがて貴人の行列が過ぎ、町人が動き出した時、涼は後ろから頭を押さえていた人物を睨みつけた。
「おっと怖いなぁ。余計な世話をして悪かったな」
日本人に珍しい飴色の瞳をしたその男は、怖いと言いながらも怖がっている様子は無く、ひょいと大きな荷物を担ぐと、歩き出そうとした。
「待ってくれ、教えて貰えないか。奴は誰だ」
飴色の瞳の男は、ひょいと器用に片眉だけを上げると、心底驚いたように口を開いた。
「三条嵩靖さ。あのお嬢ちゃんには悪いが、相手が悪い。諦めろ」
「諦められるか。理沙は俺の女だ」
「……相手は貴族だぞ。子どもでも分かるだろ。それとも何か、助けに行くっていうのか」
飴色の瞳の男が、呆れたように言った。
「助けに行くさ。俺はあいつを護る。一緒に帰らなければならないんだ」
「……勝手にしろ」
涼はもう一度、飴色の瞳の男を睨むと、貴人が消えた方向へ牛車を追ってひた走った。
■ ■ ■
涼は三条家の牛車が、とある大きなお屋敷の門の中に入って行くのを見届けると、屋敷の周りに張り巡らされた築地塀の周りをぐるりと歩いて回った。もちろん屋敷の大きさを測る目的であるから、歩数を数えることも忘れない。
そうしながら、主人が出入りする門とは別に、使用人が出入りする勝手口を見付ける。
涼は、懐に入れてあった頼まれ物の饅頭を取り出すと、ほとほとと使用人出入り口の木戸を叩いた。
中から現れたのは、貴人の屋敷勤めらしい身なりをした下女だった。
「なんだい?」
面倒くさそうに現れた女は、涼の顔を見ると途端に頬をうっすらと染め、はだけてもいない胸元の襟を掻き合わせた。
「最近この辺に商いに来た者なんですが、お姉さん、このお饅頭を買ってもらえませんか?」
涼がにっこり笑ってそう頼むと、女は良い笑顔を返した。
「いいよ。いくらだい?」
涼は女から銭を受け取ると、世間話の様な顔をして女に尋ねた。
「このお屋敷には、どんな方がお住まいなんです?」
「こちらは三条様のお屋敷さ。詳しくは知らないけどさあ、結構偉い人らしいよ」
女は涼の質問に訝しげることなく、求められるままに答えて行く。
「月舟という方のお屋敷では、ないのですか」
「あんた、それ誰に聞いて来たんだい」
女はケタケタと笑いだした。そして、声を潜めると……。
「月舟ってのはね、いやしい画家さ。三条の旦那様が気に入って、このお屋敷に住まわせているが、いやらしい絵ばかり描いてるって噂だよ。さっきもさぁ、旦那が毛色の変わった娘を町から攫ってきて、南の対屋に連れて行ったのさ。今頃二人で何をしてるんだか。それよりさぁ~」
女は急にシナを作り始めた。
「今夜忍んでおいでよぉ~、待ってるからさぁ」
くすりと涼は艶めかしい笑みを唇に描いた。
「こんな素敵な女性から誘われるなんて、光栄ですよ。今夜必ず」




