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謙虚、堅実をモットーに生きております! 作者:ひよこのケーキ
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 円城に支えられながら、痙攣して自由にならない足を引き摺り、這うようにして更衣室に入ると、閉まるドアから掛けられた円城の「支度はゆっくりでいいからね」という声を背に、私は近くにあったベンチにばたりと倒れ込んだ。
 …もう無理。もう無理だ。一歩たりとも動けない。
 本来なら人を待たせている時は急いで支度をするんだけど、なにせ腕がぶるぶると震えてロッカーの電子ロックすらまともに押せない有様だ。知らない人が見たら、どこのアル中かと思われる。
 あぁ、疲れた。このまま眠ってしまいたいけど、さすがにそうもいかない。

「はぁ…っ」

 大きなため息を吐きながら、ベンチからのっそりと起き上がる。痩せて体が軽くなった気配はない。むしろ疲れで鉛のように全身が重い。私は鉛の体を引き摺り、更衣室に併設されたシャワールームに向かう。
 そうして体に負担のないように、ゆっくり、ゆっくりと身支度を済ませ、トレーニングルームに戻ると、シンと静まり返ったフロアに、ふたりの姿はなかった。
 …誰もいない?
 もしかして、鏑木と円城の方が支度に時間が掛かってるのかな。それともあまりに私が遅いから先に帰ったとか…。
 それならそれで別にいいんだけどと、念の為にフロア内を見渡すと…、あ、居た──。
 窓の近くのソファに、鏑木が目を瞑って横になっていた。もしかして、待ちくたびれて眠っちゃった?
 キョロキョロと辺りを確認するけど、円城の姿は見当たらない。どこかに行っているようだ。
 私はそうっとソファに近づいた。

「鏑木様…?」

 小さな声で呼びかけてみたけれど、全く反応がない。どうやら本当に眠ってしまっているようだ。
 その時、私を強い光が射抜いた。高層階のガラス窓から差し込む、燦々とした真夏の太陽の日差しだ。外は今日も焼けるような暑さなのだろう。
 私はガラス窓から差し込む強い日差しを手で遮ると、目を細めた。
 あぁ、太陽が眩しい…。
 もう一度、眠る鏑木に視線を移す。男のくせにシミひとつない肌。傷みのないサラサラとした髪が額にこぼれる。見れば見るほど、綺麗な顔をしているなぁ。
 私はしばらく無言で鏑木の寝顔を見ていた。
 空調は効いているが、窓の近くだからか、少し暑いらしい。眉を顰め、うっすらと鏑木の唇が開いた。
 これはいけない!
 空調の効いたこの室内は、ほとんど湿気がない。そんな中で無防備に寝ていたら、咽喉が乾燥して風邪をひいてしまうわ!
 鏑木の安眠と健康を守る為、私は行動を起こした。乾燥対策には保湿。
 私はハンカチを濡らしてくると、そっと鏑木の顔にかけてあげた。隙間から乾燥した空気が入ってこないように、鼻と口元を念入りに濡れたハンカチで覆う。
 でも、1枚だけでは乾燥を抑えられないに違いない。だってこんなに日差した強いのだもの。日焼けだって心配。
 私はもう1枚ハンカチを重ねた。用意のいい私は、いつだって複数枚のハンカチを常備しているのだ。まだまだ濡れハンカチはあるから、ご安心なさって!
 そしてもう1枚…。
 すると、鏑木の呼吸が荒くなり、ウーウーとくぐもった声を立てながらもがき始めた。魘されている!助けて差し上げなくては!
 暴れる鏑木の肩を上から押さえつける。鏑木様の安眠はこの私がお守りしますから、ご安心なさって!
 しかし力の差をもってして、鏑木は私の腕を振りほどき飛び起きると、顔に掛かった善意のハンカチを毟り取った。
 寝起きの鏑木は自分に何が起こったのか把握できない様子で、ゼエゼエと肩で息をしながら、握りしめた濡れたハンカチを瞠目した。

「…なんだ、これは」
「ハンカチですわ」

 私は笑顔で答えた。

「それはわかっている…。なんでこんなものを俺の顔に被せた」
「日除けと乾燥対策に、良かれと思いまして」
「乾燥対策…?」
「ええ」
「…お前、俺を殺す気だっただろう」

 鏑木は血走った目で私をギンッと睨みつけた。

「顔に濡れた布を被せて息を止めるって、大昔からある有名な水責めの拷問じゃねぇか!」

 え~っ、拷問?!やだぁ、麗華そんな怖いこと知らな~い。

「とんだ濡れ衣ですわ!」
「ダジャレ言ってんじゃねぇぞ!」

 やだぁ。言葉使い悪~い!麗華、怖~い。

「そんなことをするわけがないじゃないですか」
「実際俺は死に掛けた!」

 良かれと思ってした行為を、悪意と取られて哀しい思いをしていると、円城がやってきた。

「なんの騒ぎ?」
「こいつが寝ている俺の顔に濡れたハンカチを被せて、息の根を止めようとしたんだ」
「違います。鏑木様が乾燥で咽喉を痛めて風邪をひいたらいけないと思い、加湿して差し上げようという、心からの善意の気持ちです。鏑木様、口が開いていらしたから」

 口を開けて寝ていたと指摘された鏑木は、言葉に詰まった。

「乾燥対策だけなら、口元にだけハンカチを被せれば良かったのでは?」
「ごめんなさい。不器用なもので…」

 生憎、私の手は偶蹄目の蹄なものですから。

「あくまでも吉祥院さんに悪気はなかったということだね?」

 裁判官の円城の質問に、「もちろんです」と答える。
 円城は笑顔を絶やさず頷くと、

「でも吉祥院さんはあれだけ雅哉にしごかれたのに、雅哉の健康まで心配してあげるなんて優しいね」
「いえいえ、そんな」

 微笑みの円城がじぃっと私を見つめる。その視線に私はジワジワと追い詰められる。

「もう一度聞くけど、どうして?」

 私は遠い目をして、降りそそぐ日差しを見上げた。

「太陽が眩しかったから…」
「ギルティ」
「有罪だな」

 あぁ、なんという不条理!



 異邦人ではない私はなんとか有罪を免れようと、連絡して持ってきてもらったメロンをふたりに手渡した。

「これ、北海道旅行のお土産のメロンです。よろしかったら召し上がってください」

 ふたりはありがとうと受け取った。メロンと円城の取り成しにより今回の件は不問となった。

「吉祥院さん、北海道に行っていたんだ?」
「ええ。お友達と夏の小旅行に行ってきたんです」

 可愛い動物を見たり、大自然の空気を胸いっぱいに吸い込んだり、おいしい物を食べたりと、とても楽しかった。
 やっぱり旅行は気心の知れた仲良しの女友達と行くのが一番だ。
 映画や小説でよくある、旅先での素敵なロマンスなんてものは一切なかったけれど、私は女友達には恵まれていると思う。

「友達ってあの、吉祥院がいつも一緒にいるメンバーか」
「え、そうです。瑞鸞のお友達の、風見芹香さんや今村菊乃さん達です。あ、ピヴォワーヌの芙由子様もご一緒いたしましたのよ」

 鏑木が私の友達を認識していたとは、意外だ。私の人間関係なんて興味ないと思ってた。
 まぁ、それだけ私が常に学院で芹香ちゃん達と一緒にいるってことなのかな。佐富君曰く、一部の生徒から吉祥院麗華と五人囃子と言われているくらいだもんね。思えば、芹香ちゃん達とは初等科からの仲だから、10年以上の友達なんだなぁ。
 まだ素の私を見せられてはいないけど、それでも芹香ちゃん達は大事な友達だと思っている。できればこれからも末永く仲良くしていきたい。
 …ただそんな芹香ちゃん達だけど、ひとつだけ不満というか、困った点がある。
 芹香ちゃん達はちょっと閉鎖的すぎる気がするのだ。特に男子に対して。
 何度も言うけど芹香ちゃん達のことは大事な友達だと思っているし、ずっと仲良くしていきたいと思っているけど、ここだけの話、共学に通っているにも関わらず、私にいつまで経っても恋愛のチャンスがないのって、あの子達が原因なんじゃないかなって…。
 ほら、彼氏がいない子同士で固まって遊んでいると、出会いがなくて彼氏もできないって話があるし。それってまさに恋愛ぼっち村だよね。
 私が恋愛ぼっち村の村長ならば、芹香ちゃんと菊乃ちゃんは恋愛ぼっち村副村長だ。
 私としてはもっと他の村と広く交流をしてあわよくば卒村という思惑もあるのだけど、厳格な副村長達はそれを是とせず、脱村者が出ない様、お互いを見張り合いながら鎖国ならぬ鎖村を強いている。
 蔓花さんにインターナショナルスクールに男友達がいることが発覚した時、芹香ちゃん達は合コンをふしだらだと一斉に批判した。
 あの剣幕たるや…。
 その時、一瞬だけど思ってしまったのだ。…こいつらダメだ。モテないオーラが強すぎるって…。
 はっ!いけない!友達に対して、そんなことを考えるなんて!私は友情に厚い女!モテない友達だっていいじゃないか。いざとなったら老後は恋愛ぼっち老人村を設立して、共同生活をする覚悟がある!おかきをバリバリと齧りながら、恋愛に浮かれる若者達の悪口を言い合う老後ハッピーライフ!

 その後、軽食を摂ろうと3人でカフェに寄った。
 私はサラダだけを注文したけれど、ドレッシングのカロリーの高さに目を見張った。

「どうかした?」
「カロリーというものは、消費するのはあれだけ苦労するのに、摂取する時は一瞬だなと…」

 ここにもダイエットの不条理が…。

「それより、吉祥院。猫背になっているぞ。もっとしゃんとしろ」

 そうしたくても、疲労で体が言うことをきかないんですよ。
 帰り際、「今日食べた物をすべて記録しておけよ」という鏑木の命令に益々背中が丸まりながら、ふたりと別れた帰り道、閉まった銀行の前に辻占いが立っていた。
 その前を通り過ぎようとすると、占い師の女性がハッとした顔で私を呼び止めた。

「そこの貴女、老婆の霊に取り憑かれていますよ!」

 違います。鏑木式スパルタトレーニングによる、ただの筋肉痛です。
+注意+
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