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何も持たなかった王女が幸せになるまで

作者: 月森香苗
掲載日:2026/02/16

※一部不快な気持ちになる文章が存在します。

(少女への性的暴行の匂わせ、近親相姦を連想させる言動)

あくまでも主題とは異なる物の関係のある描写の為、少しでも描写があるのは無理だという方の閲覧はおやめ下さい。


※あくまでもこの作品は異世界ファンタジーによる創作世界であり、現実世界とは異なります。ご都合主義などが多々ありますがご理解の程お願いいたします。

 腐りきった果実が地に落ち潰れるように、腐敗と享楽、重税と悲劇に満ちたドラノス王国は呆気ない終焉を迎えた。

 夜毎開催される贅沢を極めた宴は民に課した重すぎる程の税を投入し、上辺だけは絢爛豪華に、しかしその下では多くの無辜なる民がその日を生きる事すら難しいまでに苦しめぬいた。

 防衛費すら削りきってまともに役割を果たさない騎士団。その長ですら手にするのは守る為の剣ではなく、濃厚な葡萄酒の注がれたグラスだった。

 数少ない良心ある貴族が他国に救いを求めるのは無理も無く、気付いた時には隣国の騎士団が王城を制圧していた。


 捕らえられた王族は多く、王妃だけでなく何人もいる側室とその子供まで数えたら両手両足では足りなかった。

 制圧の指揮を取っていたのはドラノス王国の東隣りにあるハシュミット王国の第三王子サイラスで、見た目は背は高くとも細いと思えるくらいには騎士らしくなく、髪の毛も一つ括りにしているから分かりにくいが背中の中ほどまで金の髪を伸ばしていた。的確に短い言葉で指示を出す姿は慣れているもので、部下なのだろう騎士達が容赦無く縛り上げた敗者となった愚か者達を広間の真ん中に放り投げさせた。


 この度のハシュミット王国による侵略に関し、ハシュミット王国の更に東にあるナザルス帝国を通じて周辺諸国から許しが出ていた。

 侵略の最大の理由は、ドラノス王国の王弟の息子が外遊としてハシュミット王国に来た際、傍系王族の一人を辱めた事だ。まだ十三歳の可愛らしい少女は暴行され、そのショックに首を切ったものの何とか一命は取り留めた。しかし起きていれば錯乱する為、薬で強制的に眠る日々を過ごしている。

 傍系とは言えど王族の一人で責任を追求したが、王弟の息子は自国に帰って後、知らないと言い逃れをした。

 王族の少女だけでなく、下位貴族の令嬢や平民の少女も犠牲になっていることが判明し、ただでさえ腐りきったこの国を存続させる意味は無いとして侵略とあいなった。

 広間に集められていく貴族の中で、醜く肥え太った男が国王で、多少痩せてはいるが醜悪な顔付きの男が王弟。そしてへらへらと笑ったかと思うと怒鳴り散らすのが憎くて仕方ない王弟の息子。少女しか愛さないらしく、三十手前の男の被害にあった少女達を思うと殺しても殺したりないくらいだ。


「サイラス閣下……宜しいですか」


 制圧の指揮を取ったのはサイラスだが、侵略そのもののトップは兄である王太子ルシアンで、二人が話している時に静かな声で話し掛けてきた部下を見て後、兄の許しを得た彼はホールから出た所で困った顔をした部下に告げられた。


「この王城の奥に塔があるのですが、その内の一つにどうやら幽閉されている方がいるらしく……」

「王族か?」

「一度お越し下さい。ここでは言いにくく……」


 人の出入りがまだ止まらない為、時間的にも余裕があるし見逃しは出来ないとサイラスは部下に道案内を任せてその塔へと向かった。


「閣下!お越し下さったのですね」

「ああ……そちらの女性は?」

「それが……先程の事をもう一度頼む」

「は……はい……こ、こちらに居らっしゃるのは、今は亡きフロレンシア王国の王女殿下にございます。正しくは、二十年前にフロレンシア王国より攫われたセレン王女殿下とこの国の王との間に生まれたヴェラ王女殿下でございます」

「フロレンシア王国だと!」

「わ、わたしは、侍女で、セレン王女殿下と共にこの国に攫われ、殿下が亡くなってからはヴェラ様をお育てしておりました……どうか、どうか、姫様のお命だけは……!姫様は生まれて一度もこの塔を出た事がないのです……!」


 亡国となったフロレンシア王国は二十年前に北の蛮族から侵略を受けた。小さな国ではあるが豊かな国だったと言う。王族も貴族も国民も惨たらしく殺されたと言うのだが、王女の一人が行方知れずになっていたとは噂で聞いたことがある程度。まだ幼かったサイラスには分からなかったが、国王はフロレンシア王国の亡き王太子と親しかったらしい。


「セレン王女殿下はお亡くなりになられていたのか」

「はい……十年前のことです……」

「ヴェラ王女は今もこの塔に?」

「はい」

「だが、出入りの出来る扉が見当たらないが」

「サイラス閣下。この女性は別の場所で見つけたのです。ただ、あまりにも場所が悪すぎて一旦避難したのです」


 塔の入口は地下にあり、王城の隅、それも一見すればただの倉庫にしか見えない物置からしか出入りが出来ないようになっていた。城内から移動出来るように作られているが、あまりにも悪質だ。こんな場所は知る人しか来ない。確かに幽閉するには良いのだろうが。

 丁度食事の配膳に来た使用人から受け取っている最中に騎士が踏み込んで来た。扉の鍵は使用人が持っており、侍女側からは開けられない仕組みになっていたそうだ。

 その物置に連れてこられたサイラスは絶句した。一目では分かりにくい、石で加工された扉。

 物置と言われるのがわかる、雑多に物が置かれた小部屋。ここからしか塔には出入り出来ないと言う。

 今は鍵は閉められず扉は開け放たれているが、暗い通路で奥が分からない。

 ここを往復するのにランタンは必要だと言っていたが、それもそうだろう。



「ヴェラ様は……ヴェラ様は、ああ、口にするのも悍ましい事ですが、国王の、慰み者として、間もなく召し上げられる筈でした」

「……は?」

「亡きセレン王女殿下によく似たお顔立ちで……国王は、娘であるにも関わらず、十八になれば閨に呼ぶと……なんと、おぞましい事を!」


 口に手を当て激情を抑えるように必死に大声を上げるのを堪える侍女は憎悪にまみれながら泣いていた。


「セレン王女殿下も、攫われてからヴェラ様を懐妊されるまで酷い目に合わされましたが、まさか、まさか!血の繋がりのある我が子をなど……ああ、良くぞ侵略してくださいました。これも神のお導きなのでしょう」


 侍女は生粋のフロレンシア王国人なのだろう。ドラノス王国に恩などない事がよく分かる。


「幽閉されている割に確かに部屋は広く、風呂や厠なども独立しております。ですが、塔から出る事は許されず、ずっと舌舐りされながら十八になるのを待たれる恐怖。悍ましい……なんて、悍ましい!」


 彼女はセレン王女と共に連れてこられ、そのまま二十年近くをこの塔で共に過ごしたのだろう。壮年の女性の嫌悪に満ちた声と震える体を抑え込む腕。一人目の主は陵辱され、二人目の主は穢されようとしていた。それも同じ男に。

 同性の男でも分かるその悍ましさにサイラスや控えていた騎士達も許せない気持ちになっていた。

 今の話が真実かどうかを決めてしまうのは早計だが、それでもこんな場所から早く解放してやりたい。


「何か、王女がフロレンシア王国の者だとわかる物を持っているか?」

「ございます。セレン王女殿下が攫われた時にお持ちになっていた王女の証の指輪と腕輪。それから……目です」

「目?」

「フロレンシア王国は春の女神の加護を受ける国。王族の方にはそれとわかる特徴がございます。説明するよりも見てくださった方が早いでしょう」

「それは王族だからかな?」

「……フロレンシアの民でも少しはございます……」


 言い淀んだ侍女は、それでも決意したのか唐突にシャツのボタンを外し始め、慌ててサイラスが目を逸らそうとしたが、侍女は「ご覧下さい」とボタン三つを外したところで合わせ部分を開く。

 恐る恐るそちらを見れば、何かの葉と蔦のような痣と言うにはくっきりした物があった。


「女神の恩恵です。フロレンシアの血が流れていれば体のどこかにこの紋様があります。私はここですが、手の甲や額、足の裏など至る所に出てきます……」

「分かった。だから、ボタンを締めてくれ。王女殿下の侍女だったというのならば貴方は貴族だったのだろう」

「はい。当時17歳の王女殿下に仕えておりました。私は15歳で歳が近い事もあり、たいそう可愛がっていただいておりました。母国が蛮族に蹂躙される中……その手引きをしたドラノスのあの男は……!セレン王女殿下を攫う為だけに蛮族と手を組んだのです!騒乱の中で殿下を攫った際、私が共に居たからついでと言わんばかりに……」


 ここに来て二十年前のフロレンシア王国襲撃の真相が判明した。侍女は生き証人であったのだ。


「証拠はあるのか?」

「女神の恩恵を受ける者のこの痣は【真実の証明】と言われ、女神の名にかけて告げる言葉に偽りがあれば罰が下されます。貴方様のお父様お母様世代の方にお伺い下さいませ。フロレンシア王国の女神の恩恵の話はよく知られた話にございます」

「分かった。確認しよう」


 サイラスは頷くと侍女に王女のいる場所への案内を頼む。話が全て真実ならば、王女は粛清の対象から外れるのは間違いない。

 塔の中は薄暗かった。地下は元より、上の階に登る間も窓が無いからランタンの明かりだけが足元を照らすのみだった。

 塔はそれなりの広さがある。階数でいえば三階まであり、二階が侍女の生活の場で三階に王女の居住の部屋があった。

 本来の塔は防衛の為や備蓄庫に使われるが、この塔に関しては明らかに人を閉じ込める目的が見えていた。

 その証拠に、必要の無い浴室や厠が付けられている。この国の本質が見えて嫌悪を超えた言葉に出来ない感情に苛まれる。


「ここが、ヴェラ様のお部屋にございます」


 最上階への階段を登ると扉がひとつ。鍵はない。中の部屋から浴室や厠へ行ける構造となっているそうだ。


「鍵が無いのだから逃げようと思えば逃げられたのでは?」

「……見ていただくと、分かります」


 食事の差し入れの為に一時的にあの扉が開くのだから、最悪の手段を使ってでも逃げ出せたのではないかと示唆するが、侍女は唇を噛み締めた。


「ヴェラ様、入ります」


 扉を叩いて少しして開けたそこは、これまでとは違い明るかった。

 侍女が中に入り、どうぞと言われて続いて入ったサイラスは強い衝撃を受けた。


 赤みがかった銀色の髪の毛は腰辺りまで伸びている。春の女神の加護を受けていると分かるのは、ピンクの目をしていたからだ。

 一瞥した国王の血を一切感じさせない美しい少女。サイラスは王子として多くの女性と会ってきたが、強く心を揺さぶられる程の美しい女性に出会ったことが無かった。


 そして侍女の言葉も理解した。

 王女の片足には不釣り合いな長い鎖が付けられていて、壁に反対側が固定されていた。


「ヴェラ様。こちらはハシュミット王国の方です。この国は、侵略されたのです」

「まあ……それでは、わたくしもかしら」

「ヴェラ様!」

「いえ。見て分かります。貴方はこの国の王の子であるのでしょうが、ドラノスの王女ではありません」

「そうなのかしら。この国の税を使って食事をしていたわ。このドレスだって、国王陛下から与えられたけれど、民の税でしょう?」


 産まれてからずっと幽閉されていたと思われるが、かなり聡明さを感じる。その違和感にほんの少しだけ眉間に皺を寄せると、その顔を見て察した王女がくすくすと笑う。


「マリサがわたくしの教師でもありましたの。マリサはお母様から学んだのよね?」

「はい。こちらに来て、幽閉されすることも無い日々の中、セレン王女殿下は私に様々な知識を与えてくださいました。私も貴族として育ちましたので礼儀作法などはお教えできますが、政治についての基礎はセレン王女殿下からの教えにございます」

「ここはすることが何も無く、この鎖で部屋の中を歩き回ることしか出来ませんわ。刺繍が出来たのは幸いかしら」


 室内は極めて簡素で、ベッドとテーブルと二脚の椅子しかなかった。ただ、部屋の隅の木箱には大量の布と刺繍糸が積まれていた。


「国王陛下に頼みましたの。その位ならと許されて。これが無ければ狂い死にしていましたわ」


 悲壮感はない。しかし何故かこの王女には欠けている物があるとサイラスは感じていた。

 鎖をどうにかしなければ出られないが、よく見ればそこまで大したものではなく、ついてきていた騎士に壊させた。足首部分は鍵付きなので、鍵開けが出来る者に外させようと考えたサイラスは兎に角ここから出なければと二人に声をかけた。


「この塔を出よう。兄上の判断を仰がねばならない」

「まあ。ふふ。外に出られるのね?マリサ、外って怖いのかしら?」

「ヴェラ様。私も二十年近く外に出ておりませんので分かり兼ねます……どうなっているのでしょうか」

「土ってどんな感覚なのかしら。楽しみだわ」


 サイラスはヴェラの何気ない一言に衝撃を受けた。二十三歳の彼にとって土を踏むというのは当たり前の事であった。それを楽しみに思った事など一度としてない。

 生まれてから一度も外に出たことが無いという意味を彼はこの時初めて理解した。当たり前の事として意識したことも無いものを知らない女性。

 高い所にあり逃げ出すことも出来ない窓の外を彼女は知らない。

 この部屋にはランタンはあるけれど、部屋を照らすほどの光を放つ訳もなく、外から人がいるとは思われなかったに違いない。


 彼女の事を知るのは侍女と国王と数名くらいだろう。攫われた王女は亡くなったという。その王女の亡き骸はどうなったのか。

 動揺を押し殺しながらサイラスはヴェラに手を差し出した。


「階段を降りたこともないのだろう。危ないから手を握っていてくれ」

「ええ。ありがとうございます。そうだ。刺繍したものを持ち出して良いかしら?マリサがおしえてくれたのよ。刺繍したものは売れると。お金という物を手に入れられるのよね?わたくし、見たことがないの。お金ってどんなものなのかしらね」


 彼女が言葉を発する度に身体の内側がじくじくと痛みを生み出す。侍女はきっと、この狭い部屋の中でしか生きていないヴェラに外のことを沢山語ったのだろう。彼女も二十年間同じように閉じ込められて隔絶された世界で生きていたのに。

 国王はヴェラの美しさを維持させる事にだけは注意していたようで、痩せ細っていることはなかったけれど体力はあまりなかった。

 階段をおりるだけで息切れをしていたので、多少危険ではあるものの、ヴェラを背負うことにした。流石に横抱きは危険だったので。


 背負われたヴェラは楽しそうに笑っているが、サイラスには何が楽しいのかすらわからなかった。


 物置から出て、一度ヴェラを下ろすとすぐに横抱きにする。暗い中、石の階段を降りるのは危険だけれど登るのはそこまで危なくは無い。


「貴方って力持ちなのね。そう言えば貴方のお名前は?」


 ハシュミット王国から来た事は侍女から告げられていたが名乗るタイミングを逃したサイラスは改めて名乗った。


「ハシュミット王国第三王子のサイラスだ」

「まあ!王子なのね。ふふ、サイラス様ね。覚えたわ。わたくし、マリサとお母様以外の名前を覚えたのは初めてよ」


 心が痛い。もう勘弁してくれと泣きたくなる。

 ヴェラが明るく話すから悲壮感は少ないが、サイラスと部下の騎士の心へのダメージは尋常ではない。


「マリサ、マリサ!すごいわ!これが、外なのね!」


 地下から外に出ると、サイラスの腕の中でヴェラが興奮しながら侍女の名を呼んだ。

 後ろで騎士に挟まれ護衛されながら着いてきていた侍女がすっと近寄ると、ヴェラの言葉に頷いた。


「ええ。これが外ですよ……ああ、空は、フロレンシア王国と変わらないのですね」


 人生の半分以上を祖国から引き離され、閉ざされた中で生きた女の子の重すぎる言葉は、サイラスのこれまでの人生を根底から覆した気がする。


「ジェイド。兄上に説明をしたいからどこか部屋を押さえてくれ」

「畏まりました」


 兄と話している時に来た騎士の名を呼んで命じれば、部下は素早く動いた。王城内は未だに人の気配が多い。この中のどれだけの命が奪われるかはまだ分からないが、王族は生存を許さない。

 ただ、ヴェラはどうにかして生かしたかった。


「サイラス様!土を踏んでみたいわ」

「わかった。足元には気をつけてくれ」


 布製の靴はすぐに汚れるだろうが、彼女の部屋にはそれしか無かった。必要が無いからと布の靴しか渡されなかったのだろう。

 ゆっくりと地面に下ろすと、ヴェラは足を踏み出し、そしてきゃあ、と声を上げて笑いながらくるくると回った。


「すごいわ!これが土の感触なのね。固くないわ」

「ヴェラ様。回ると転びますよ」

「あら、そうね。ふふ。ねえ、この緑の物が草というものかしら?あれは何かしら」


 ヴェラが知るのは部屋の中にあるものと、精々食事くらいなのだろう。刺繍の図案にある植物は本物ではない。ただ、そうだと教わったから針を刺しただけなのだろう。

 ある意味で純粋で、そして全てを奪われてきた彼女のアンバランスさにサイラスは短時間しか触れ合っていないにも関わらず心を捕らわれた。


 部下が部屋を押さえたと戻って来たのでヴェラに声を掛けると、嬉しそうに近寄ってきてサイラスの近くに立つ。

 歩くと疲れてしまう彼女を抱き抱えるのはサイラスだとヴェラは認識したのだろう。見た目は大人なのに子供のような部分があり、それがどうしてか魅力となっていた。


「サイラス様。わたくし、どうなるのかしら」


 すとん、と感情が消えてぽつりと呟かれた言葉はサイラスにだけ届いた。


「兄上の判断によるけれど、俺は貴方をハシュミット王国に連れて行きたいと思ってる」

「そう……お母様の国はもう無いものね」


 確かにフロレンシア王国は滅亡したが、国土は不可侵地帯として残っている。春の女神の加護は豊穣であり、戦う力が無かった事で滅びたと当時は言われたらしい。神は積極的に人の世界には介入出来ないので人に加護を与えることで信仰を集めると聞く。

 女神の嘆きは蛮族から豊かさを奪い取り、蛮族は飢え死んだという。

 そしてドラノス王国もギリギリのところであったのは、ヴェラが生きていたからだろう。セレン王女が攫われたことで女神の罰は与えられていたが、同時にセレン王女のお陰で最低限は維持されていた。そしてヴェラが産まれたことで、セレン王女が亡くなっても加護は継続された。


「何故、ドラノス王はセレン王女殿下を攫ったんだ?神の加護が目的か?」


 サイラスの疑問に答えたのは侍女だった。彼女はまた、感情を押し殺した声で答える。


「あの男は、加護の事など知りませんでした……ただ、一目見て気に入って、婚姻を申し出て、断られたから。だから攫ったのです。綺麗な人形を欲しがった、それだけです」


 それだけの為に、国の目を逸らすために蛮族をけしかけ、隙を見てセレン王女を攫った。騒乱の中を掻い潜り、逃げようと皆が動き回る中でセレン王女と侍女が騎士に守られていたそこにやって来て、騎士を殺し女二人を攫った。

 国一つが滅んでも心を痛めない男は、手に入れたセレン王女を閉じ込めて蹂躙した。


「大罪人としてただの処刑ではすまないだろう」


 この度の侵略は傍系王族を辱めた王弟の息子への報復であったが、それどころでは無い話が出てきてしまった。

 今のフロレンシア王国のあった地はフロレンシアに関わる人間しか立ち入り出来ない。女神の嘆きの結果であると言う。土地を周辺諸国で分割しようという話もあったし支配下にしようと言う話もあったが、どれも叶わなかったのは土地に入ろうとすると弾かれるからだ。

 今、旧フロレンシア王国は二十年前に生き延びた王国民が生活している。


 サイラスは気付いた。女神は王族の血が流れるヴェラの生存を知っている。故に、彼女の帰還を待っているのではないか。

 しかし、無知な彼女には国の統治は出来ない。直ぐに帰しても、知識がなければあっという間に国を食われ尽くすだろう。



***



「ルシアン兄上。こちらはフロレンシア王国の王女であったセレン殿下の娘、ヴェラ王女だ」

「……サイラス、説明してくれるかな?」


 部下が用意した部屋で待っていれば、慌ただしく入室して来た兄のルシアンに簡潔に紹介して、雰囲気で怒られた。

 見た目は知的だと言われるサイラスだが、回りくどく説明するのはあまり得意ではない。部下には見た目を裏切る脳筋と言われたこともある。

 応接に使う部屋なのだろう、無駄に華美なそこには一人用の椅子や長椅子が無駄にあり、部下が何とか整えてくれたのだろう、向かい合わせになるようにしてくれていた。

 ルシアンが長椅子を一人で座る、その向かいに、サイラスとヴェラが並んで座り、ヴェラの隣に一人用の椅子を置いて侍女マリサを座らせた。

 初めこそマリサは侍女だからと断ったのだが、彼女も被害者でありドラノス王国の人間ではないのだからと言い募って座る事を認めさせた。

 それに、体力がもたないだろう。


「兄上は、二十年前のフロレンシア王国滅亡は覚えておいでですか?」

「勿論だよ。当時の私は七歳だったが、父上があまりにも動揺していたし情報を集めるのを見ていたからね。そうか……貴方が行方知れずになっていたセレン王女の娘なのか」

「ヴェラ王女はこの国で産まれた、ドラノス王の子でもあるが、生まれてからずっと幽閉されていたらしい。セレン王女の侍女が詳しい」

「貴方が侍女なんだね?」

「はい。フロレンシア王国ミンターヴ侯爵家の第三子として産まれたマリサと申します。セレン王女殿下の侍女であり話し相手でありました」


 すっと立ち上がると美しい所作で頭を下げるマリサ。着ている服はお仕着せでも貴族としての強い矜恃を感じる。

 まさか侯爵家の生まれだったとは、と思いながらも、王女付きになるからには相応の生まれなのは当然かとも納得出来た。


「お話する事は構いません。ですが、ヴェラ様にお聞かせしたくないこともございます……特に、この国に来て数年の事は。ですので……」

「分かりました。サイラス、隣の部屋を整えてもらうからそちらでヴェラ王女と待っていてくれるかな?」

「分かりました。ヴェラ王女、良いかな?」

「ええ。わたくしは構いませんわ。マリサ、無理はしないでね。ええと殿下…サイラス様のお兄様?」

「申し訳ありません、名乗っていませんでしたね。ハシュミット王国王太子のルシアンと申します」

「ルシアン様ね。ふふ、四人目だわ。ルシアン様。マリサも体力があまりありませんの。無理はさせないでくださいませね」

「ええ、分かってますよ」


 サイラスが立ち上がり、ヴェラに手を差し出せば当然のように重ねられる。これらの所作はマリサが教え込んだのだろう。本の一冊もない閉ざされた部屋の中で、セレン王女の忘れ形見がいつか解放されると信じて。


 着ているドレスは国王が飾り立てる為に与えた物なのだろう。己の娘だと言うのに欲を混じえてみるなど、獣にも劣る屑だ。

 隣室を慌てて整えたのだろう。そこもやはり無駄に華美で、どれだけの税が消費されたのか。民に還元することなく自分達の欲望のままに浪費されていき、国として最早引き返せないところまで落ちきっていた。


「サイラス様。お母様が埋められた場所を見つけて欲しいのです」

「勿論だ」

「お母様からマリサに伝えられたそうなの。王族は亡くなっても加護の影響がある、と。お母様が亡くなった日、マリサから食事の受け渡しをしている使用人に伝えたら、男が来てお母様の遺体を持ち去ったそうなの。せめて土の下に埋められていたら良いのだけれど」


 憂うヴェラに早く見つけてやらねばと決意をしたサイラスだが、彼女の母の行方はすぐにしれた。

 顔を真っ青にした騎士が「王の隠し部屋に、遺体が」と震える声で告げて来たのだ。そしてその騎士がヴェラを視界に入れて悲鳴をあげる。


「な、何故!さっき、確かに、あの部屋に、遺体が」

「お母様かもしれません。女神の加護の力は分からないのです」


 十年前に亡くなったというセレン王女。恐らくは二十半ばを少し越えた頃で、ヴェラの見た目とあまり変わらないのだろう。


「ヴェラ王女。貴方の母君をこちらにお連れしても良いだろうか」

「お願いします。わたくしはこの部屋から出ない方が宜しいのでしょう?」

「はい。聞いたな。その御遺体はこちらにいる女性の母君である。丁重にお運びしろ」

「かしこまりました」


 報告に来た騎士はサイラスが畏まった物言いをした事から、軽んじてはならない人だったのだと理解した。鎧の音を立てながら部屋を出た騎士を見送りサイラスがヴェラを見ると、安堵した表情になっていた。


「お母様が亡くなられたのは悲しいことでしたが、この国に置いていかなくて済みますわ」

「そうだな。出来れば、フロレンシア王国にお返し出来れば」

「残っているのですか?」

「不可侵地帯として残っていますが、国としては成り立っていません。被害を免れた貴族が生き残りを集めて生活をしているが、加護を持つ王族で無ければ王にはなれないからと統治はしていない」

「そう……お母様の家族は?」

「王族の皆は霊廟に。蛮族といえど、霊廟には手を出せなかったようだ」

「そうですか……」


 歴史の授業で習う、フロレンシア王国の滅亡。

 大罪人が判明した以上、多くの国家は揺れるだろう。

 花咲き誇る美しきフロレンシア王国。春の女神に愛された美しい土地。

 一夜にして惨劇に見舞われた悲劇の国。


「サイラス様。わたくしの目を見てくださいませ」

「ん?」

「王族の証は色だけでは無いのです。よぉく見て下さいませ」


 ぐい、と顔を近付けたヴェラに思わず仰け反るが、改めて目を見ると。


「花?」

「はい。わたくしはお母様の目しか知りませんが、女神様の加護持ちは目に花が浮かぶそうなのです」


 ピンクの目には明らかにどこかにある花を映したのではなく、何枚も花弁が重なった花が浮かんでいた。ここまで近くに寄らなければ見る事の出来ない花が美しい。


「王族はこの証なのだそうです」

「わ、分かったから、離れてくれ」


 室内には護衛として部下がいるのだが、ヴェラは人の目を気にしない。気にするほど人に触れ合っていなかったのだ。適切な距離ももしかしたら知らないのかもしれないと思うと、この国へ抱く怒りが重なりすぎて噴き出しそうになる。

 少しして棺を抱えた部下が戻ってきた。四人がかりで運んだそれをゆっくり慎重に床へ下ろす。

 過剰な程に装飾された棺の蓋を開けるように指示する。考えていなかったが、十年前に亡くなったヴェラの母であるセレン王女の遺体を見て、何故ヴェラと顔が似ていると部下は分かったのか。


「これ、は」

「失礼ながらあまりにも綺麗な状態ですので眠られているのかと思い、確認しようと手に触れようとしたら弾かれました」

「女神様の加護ね。きっと姿をそのままにする力だわ。ふふ。最後の記憶と同じ。国王はお母様を土の下に返さなかったのね」


 軽やかな笑いから一転、感情を削ぎ落とした声にサイラスはヴェラを見る。母を見る目は慈しみに満ちているのに、血の繋がりのある父への強い拒絶。それもそうだろう。己の娘を手篭めにしようとする男へ、良い感情など持てるはずがない。


「サイラス様。お母様は間違いなく亡くなっています。叶うのなら、祖国の霊廟に……お祖父様やお祖母様の傍で眠らせたいのです」

「そうしよう。この姿は女神の意思ならば、祖国に返せと言う願いなのだろう」

「良かった。お母様は、帰りたいと仰っていたから」


 同じ加護持ち同士だからか、ヴェラは棺の傍らに跪くと弾かれること無くセレン王女の頬に手を添えた。

 推測でしかないが、国王はセレン王女が亡くなってなお腐らない事に気付いて棺に入れて飾る事にしたのだろう。触れられなくても、己が欲の為に手に入れた王女を永遠に自分だけのものにする為に。

 浅ましい欲望のためにどれだけの血が流れ、命が奪われたのか。それだけでなく、北の蛮族は死に絶え、ドラノス王国の民の飢えは加速した。

 最も残酷な刑はなんだったかと考えている最中、話し終えたのか兄のルシアンとマリサが入ってきた。そしてマリサは棺の中のセレン王女を見つけると「ああ!」と声を出し、駆け寄って涙を流した。


「セレン王女殿下……セレン様……地に還されなかったのですね……なんて事を……」


 兄曰く、フロレンシア王国内であれば王族は棺の中に体を納めて霊廟に安置されるが、国外で亡くなって国に戻れない場合は必ず地に埋めるようになっているのだと言う。

 特殊な弔い方をするので覚えていたのだという。

 地に埋める事で女神の元に還るのだが、今のような状態は魂が彷徨って女神の懐への道を見失うのだという。


「ですが、良かったのかもしれません。ふふ。他国で地に埋められていたらそこから豊穣の力が流れていたかもしれません。女神様のお力で守られたから、加護の力は流れなかったのです。良かったですわ」

「亡くなっても、加護の力は続くのか?」

「永遠ではありませんわね。大体二十年とお母様は仰ってたわ。あ、ハシュミット王国にお母様を埋めないで下さいませね?」

「いやいやいや、そのような事はしませんよ。セレン王女殿下は、祖国に戻りたいのでしょうから」


 ヴェラが釘を刺すとルシアンは即座に否定した。女神の怒りを買うなんて馬鹿げたことを誰もしたいと思うはずがない。


「これからこの国の王族や貴族の処断をしますが、ヴェラ王女には申し訳ないのですが、共に来て頂きたい」

「構いませんわ。国王がフロレンシア王国からお母様を攫った生きた証ですものね」


 ヴェラは美しく笑う。

 笑顔と感情を削ぎ落とした真顔、この二つしかサイラスは見ていない事に気付いていた。



***



 王侯貴族の処断に際し、多くの貴族は喚き散らしたが、ヴェラが姿を見せると一気に静まり返る。

 ルシアンは普段の柔らかな話し方とは一転、非常に厳しい表情と口調で糾弾を始めた。


「こちらにいらっしゃるのは、そこの国王が二十年前にフロレンシア王国から攫ったセレン王女との間に産まれた姫である。国王により十七年間、一度たりとも幽閉された塔から出たことの無い姫だ」


 ざわりと空気が揺れ、貴族達の視線が国王に集まる。国王は呆然とした顔でヴェラを見ていたが、ヴェラはそちらに目を向けることは無い。

 ここにいる中には、二十年前のフロレンシア王国にいたセレン王女の顔を知っている者もいるようで驚愕に満ちた表情を隠さない。

 花咲き誇る美しきフロレンシア王国の花姫とも呼ばれたセレン王女の絵姿は他国にすら広まる程であった。


「そして、フロレンシアの滅亡のきっかけとなった蛮族の侵攻を唆したのも、その国王である」


 さらなる追撃に、ヒッ、と誰かが声を上げた。フロレンシア王国の滅亡は衝撃を持って大陸に広まった。春の女神の愛する国は永遠とも言われるほど、どの国も憧れを抱いていた。

 それを、自国の王が踏み躙った。

 腐敗に満ちた国ではあるが、それでもフロレンシア王国の特別さは分かっているし、年老いた者の中には旅行の一環でフロレンシア王国に訪れるのは特別だと思っていた者もいる。


「故に、国王は周辺諸国並びに帝国により刑を定められる。

唆した理由は、セレン王女を攫う為、それだけの為だ。その結果、一つの国が滅んだ。フロレンシア王国は春の女神の加護を受ける国であり、不可侵とされていたにも関わらず、この男はそれらをすべて破った。死刑などの生温い罰で終わらせるわけにはいかない」


 そこで一度言葉を切ったルシアンは、ぎゅっと拳を握ると怒りに満ちた顔で誰よりもきつく縛り上げられ投げ捨てられた男を睨みつける。

 あまりにも強い怒りに捕らえられた貴族達は言葉を発することが出来ない。


「そして、王弟の息子は我が国の王族の姫を辱め、多くの貴族令嬢をも辱めた。我が国で裁く。生きていられると思うな!お前が欲のままに穢したのは、年端もいかぬ少女達!親の庇護を必要とする子供達を食い物にしたお前は必ず報いを受けさせる!そしてそれを庇った王弟!貴様も同罪と知れ!」


 王弟の息子の性的な対象が少女という噂は水面下で知られていた。この国でも被害にあった少女達は多いが、全ては王弟の力で揉み消されていた。

 集められた中には同じような少女趣味の者がいて顔色を悪くしている。


「また、その他の王族並びに貴族は帝国より身柄を預かりたいとの申し出があり、周辺諸国の許可も出ている為、移送となる。帝国では奴隷が不足していると言う。無実の者は救われると聞いている。精々無実が証明されることを祈るが良い」


 怒り冷めやらぬと言った状態のルシアンはサイラスを手招くと彼にヴェラを預ける。


「王女を」

「はい」


 言葉を発すること無く立っているだけ。それだけを求められたヴェラはサイラスの手を取り何の感慨もなくその場から立ち去る。国王が何かを言おうとしたが、口に布を挟まれていて呻き声しか聞こえない。


「そうだ。貴様が攫ったセレン王女の御遺体は我が国から丁重にフロレンシア王国の霊廟へとお連れする。貴様の隠し部屋は悍ましいな。王妃、貴方の夫は亡くなって尚セレン王女を土に還すことなく愛でていたのだぞ。女神の加護で腐敗が無かったからだろうが。まあ、触れもしなかったようだが」

「な、なんですって!」


 夫の仕出かした事を理解しきれていない所に更に付け加えられた言葉は、堕落しきった貴族達ですら信じ難い言葉。

 死者への冒涜を行っていた男へ向ける視線は最早恐怖に満ちていた。


「この国は腐敗しきっているが、当然だ。罪人が国を治めていたのだ。そしてその毒を平然と飲み干していた貴様らも同罪と心得よ」


 武力は無く、助けの手もないドラノス王国に未来はない。この国はハシュミット王国が半分、そして残りを周辺諸国が分割する事で話がついている。

 民の救出を急がねばならず、王侯貴族達はそれぞれに分けられて運ばれる事となった。



***



 ヴェラは閉ざされた世界で生きていた。

 七歳までは母とマリサが居てくれたけど、七歳の冬に母は風邪を拗らせ亡くなった。

 食事は与えられ、風呂に入ることも出来たがそれだけ。

 月に一度来る男の気持ち悪い視線を浴びながら早く母の許へ行きたいと願っていた。

 マリサはヴェラに王女としての最低限の振る舞いや知識を与えてくれたが、役に立つ気がしなかった。

 十八になれば、実の父なのにそんな事を気にせず母の面影を追う男の閨に侍る日が来るだけで。


 そんな日が突如終わった。

 扉の向こうから入って来たのは国王ではなく、金色の髪の毛に淡い紫の目をした男性。顔の美醜は分からないけれど、国王よりも好感が持てた。

 その人は足に付けられた鎖を切り落とし、ヴェラを外の世界に連れ出してくれた。

 土の感触、風、マリサの刺繍でしか知らなかった樹という植物。

 全てが目新しく、何て広いのだろうと思った。


 サイラスと言う名前を教えてくれたその人は、ヴェラを気にかけて出来るだけそばに居てくれようとした。

 する事が沢山あるのだから放っておいても良いのに、彼はそれは駄目だと言って許してくれなかった。

 サイラスは足首に着いていた枷を全部とってくれた。正しくは鍵開けの出来る騎士がしてくれたのだけれど、手配をしたのはサイラスだからサイラスのおかげと言って良いはず。

 ずっと、ずっと足に着いていたそれが無くなっただけでとても軽くなって嬉しくてくるくる回ったらマリサに怒られたけれど、嬉しかったのだから仕方ない。


 生まれた国は国として成り立っておらず、民は苦しみ食べる物も無いという有様。それは国王がヴェラの母を攫った罰なのだが、何も知らない民には関係の無い事だろう。

 雨が長く降っていないのも原因だと聞いて、ヴェラはそっと手を重ねて祈った。


 春の女神よ、どうかこの声を聞いて下さい。

 もう罪人はいません。

 ここにいるのは哀れなる人の子です。

 恵みの雨を、慈悲を。

 どうぞ、貴方の赦しを民にお与え下さい。


 程なくして雨が降り始めた。女神はただ一人になった加護を持つヴェラの声を聞き届けてくれたのだ。

 馬車の中からそっと外を覗くと、雨が降りしきる中を民が泣きながら手を掲げて喜んでいた。

 もう少し早く気付いていれば良かったのだろうけれど、外を知らないヴェラには無理な事だった。


 今乗っている馬車はハシュミット王国へ向かう物で、母の眠る棺は別の馬車で丁重に運ばれている。

 態々一台をヴェラとマリサの為に空けてくれた騎士にお礼を告げたら、サイラスに、と言われた。勿論彼にもお礼を告げた。

 サイラスは馬に乗ってこの馬車を守ってくれている。

 唐突に降り始めた雨で移動を中断することになったけれど、丁度休憩をとるタイミングだったから良かったな、と言う声が聞こえた。

 サイラスは王族だから、とこの馬車で休ませたいと騎士に言われてもちろんと入ってもらった。

 マリサが渡してきた布でサイラスの濡れた髪の毛や服を拭うと、きょとんとした顔をしたサイラスは可愛いなと感じた。

 サイラスは優しい人だと思う。気持ち悪い目を向けてこないのもだし、ヴェラを尊重してくれる。

 ヴェラは自分が無知であることを知っている。血筋だけならば王族だが、片や滅亡した国の血、片やこれから消える国で尚且つ母の国を滅ぼした血。

 何も知らず、頼れる者もいない、マリサしかいない女がどう生きられるのか分からない。

 サイラスはハシュミット王国への道中で考えれば良いと言った。でも、何も知らないヴェラは考えることすら出来ない。

 文字はマリサが機転を利かせてくれて刺繍を使って教えてくれたけれど、本とやらを読んだこともない。

 ヴェラに出来る事は何かも分からないのだ。


「サイラス様。わたくし、ずっとお母様の許に行きたいと思っていたのです」


 マリサがぎゅっと手を握るのが見えたけれど見ないふりをした。だって生きていて欲しいと願う彼女への裏切りの言葉だから。


「ですが、外に出て空を見た時に思ったのです。わたくし、生きているのだ、と。わたくしにとって世界はあの部屋だけでした。あの中で生まれて死ぬと思っていたのです」


 母が亡くなった時に人の死を知った。

 悲しくて泣いて泣いて、成長して羨ましいという気持ちになった。母はあの日々が終わったのに、ヴェラはまだ続くのだから。


「わたくし、何も知らないの。サイラス様はこれからの事を考えてと言ったけれど、何があるのか分からないし、常識も分からない。だから、わたくしはまず知りたいのです。わたくしは何も知らないから」


 サイラスは布の下で唇を引き締めると、「分かった」と返してくれた。


「そしていつか、お母様の国に行きたい。お母様の棺を送る時にわたくしはついていけないでしょう?」

「何故そう思った?」

「だって、わたくしとお母様はそっくりだもの。フロレンシア王国にはまだ人がいるのでしょう?きっと彼らはわたくしに望むと思うの。王族として率いてくださいって。でもね、それは無理だわ。何も知らない者が王になっては駄目よ」


 サイラスは悩んだ顔をした後に頷いた。それはヴェラの考えを肯定したものであった。

 ヴェラはフロレンシア王国の王族の血を強く引いている。当時の生き残った貴族が見れば間違いなく祭り上げられるだろう。

 だが、政治とはそんな簡単なものではないことをヴェラはマリサから教わっていた。


「サイラス様、そんな変な顔をしないでくださいませ」


 サイラスの眉間に寄った皺を伸ばすようにヴェラは指を伸ばして撫でる。マリサの次によく見る顔が怒ったような困ったような顔は嫌だ。

 一度も笑顔を見ていないけど、色々と人に話しかけている時の表情が好きだ。


「サイラス様。わたくしね、マリサの次にサイラス様を信じていますわ。あの部屋から連れ出してくれたのはサイラス様だもの。ふふ。ハシュミット王国に着いたらわたくしとマリサに色々なものを見せてくださいませ」

「分かった。すぐには無理かもしれないけれど、必ず」

「約束ですわ」

「ああ、約束だ」



 それは約束。

 ヴェラが初めて母やマリサ以外と交わした約束。



 これを始めとして、ヴェラはサイラスと約束を交わし、叶え、そしてまた約束を繰り返していくことになる。

 ヴェラはサイラスの元で様々な「初めて」を見て体験した。激しく降る雨の中を駆け回る事や、一面が水しかない海というものを見る事や、騎士たちの訓練の様子、真っ白に覆われた雪の冬も、全部サイラスと共に知って行った。

 狭い部屋の中しか知らなかったヴェラは、世界はとても広いのだと。生きている間に全てを知ることは出来ないほど広大なのだと知った。


「サイラス様。わたくし、長く、長く生きたいわ。沢山知りたいの」


 作ったような笑顔に感情がこもり始めたのはいつの頃からだったか。サイラスはヴェラが怒り、悲しみ、泣いた時に無性に嬉しくなったと言っていた。ヴェラは自分の中の気持ちが溢れるということも知った。


「わたくし、あなたの事が好きなのね。サイラス様。わたくし、あなたが好きよ。他の方と違うの。貴方と一緒にいると嬉しいわ。貴方が他の人と仲良くしていると胸がムカムカして悲しくなるの。貴方がわたくしを見てくれるとドキドキするわ。サイラス様、わたくし、あなたを愛しているのね」


 満面の笑みを浮かべたヴェラ。

 海を好んだヴェラの為に、避暑としてやってきた海辺の町がある王領。サイラスと共に浜辺を歩いている時、唐突にそう告げてきたヴェラは彼の手をするりと解いて向かいに立つ。

 感情が欠けていた頃とは違う満面の笑みに、サイラスは泣きそうな顔をしながら「俺も、貴方を愛しているよ」と返して抱きしめた。




 それから数年の後、かつて行方知れずとなったセレン王女の亡骸を納めた棺がフロレンシア王国に戻って来た。彼女の忘れ形見であるヴェラ王女とその伴侶と共に。

 ヴェラはあまりにもセレン王女にそっくりであり、またその目に王族の証である春の女神の加護を宿していた事もあり、フロレンシア王国に残っていた民はヴェラが女王になる事を望んだ。しかしヴェラは女王になることは断った。


「わたくしは王族の血を持つからこそ女神様の加護を頂いています。しかし、この国で生まれ育った訳ではなく、愛着もございません。それよりも、貴方がたの方が余程この国を愛している。仮に国を復興させるとしても、従来の王家主体では無く、民主体でその中から代表を決める議会制を取り入れてみてはいかがかしら」


 制度として成り立つまで、代表となるのは構わないけれど。そう告げるヴェラに国民は裏切られたような気持ちになるも、生まれてから一度も足を踏み入れた事すらないのにその地を治めろなど言えるわけもないと言う気持ちもあった。

 セレン王女とヴェラについてはハシュミット王国経由で貴族から国民に経緯が全て詳らかにされている。その為、ヴェラが自由の無い幽閉生活をしていた事も理解はしていた。しかし、その顔を見ると期待してしまったのだ。

 王族としての教育を何一つ受けていない王女に国を治める事など出来ないのに。


 サイラスを隣にヴェラは美しく微笑みながら、生き残った国民の手で修繕された王城の会議室の最も高貴な人が座る席で宣言した。


「この国は一度滅んだ。だからこそ、新たに生まれ変わるの。皆の手で、国を作り上げるのよ」


 未だに王家が絶対的な力を持つ国がほとんどだが、小国から共和国へと転換し始めている。フロレンシア王国は、滅亡したのだと数少ない貴族達は漸く受け入れた。二十数年前に、セレン王女が行方知れずとなり、王族全てが殺されたあの日。国は滅んだのだ。ただ、生き残った者たちが女神の恩寵により悪意から免れていたのもあり、中々受け入れられなかった。


 その日を境に旧フロレンシア王国は国民主体の国へと変わるために動き始めた。国王のいない、国民による世襲ではなく投票により代表を決める在り方に戸惑いもあっただろうが、それでも数年かけて準備し、法も整備して新たなる国「フロレンス共和国」として生まれ変わった。


 ヴェラとサイラスはその日を彼らの間に生まれた子供と共に、歴代王家の人々が眠る霊廟のある王城の近くに建てた家で迎えた。

 幼い我が子を抱き上げあやすサイラスを見ながら、ヴェラは過去を振り返る。


 ドラノス国王は女神の怒りを直接受け、死にたくとも死ねない体になった。多くの人々の恨みを買った彼は今なお死よりも恐ろしい罰を受けていると言う。

 侵攻のきっかけとなった王弟の息子は被害にあった娘達並びに家族の要請により、二度とそのようなことが出来ないように処置され、島流しの刑に処された。彼はそう長く生きられなかったそうだ。

 他にも多くの罪人が刑に処された中で、極わずかな罪の無い者たちは帝国や周辺諸国で平民として生きる事になった。

 そうしてドラノス王国は地図の上から消えた。


 彼女が十七年生きた王城にある塔は完膚無きまでに壊されてもう無い。


 あの部屋から出た時、ヴェラにあったのは未知なる世界への好奇心だけ。己の置かれた環境に対しての不満や怒りは無かった。否、知らなかった。怒りや悲しみといった感情をヴェラは知らなかった。

 それをゆっくり丁寧に教えてくれたのがサイラスだった。彼は彼で不器用なタイプだったが、それでも根気強く付き合ってくれた。今では怒ることも悲しむことも分かる。

 夫となったサイラスへの愛と、我が子への愛の違いも分かる。

 良き出会いを得てハシュミット王国で結婚したマリサへの気持ちも分かるようになった。


「ねえ、サイラス。わたくし、生きていて良かったわ。貴方と出会えて良かった。この子が産まれてくれて本当に嬉しいわ」


 いつの間にか眠っていた我が子。サイラスの腕の中で幸せそうな顔をして眠る姿に愛しさが溢れた。

 何も持たない空っぽだった一人の女は今や両手から溢れんばかりの大切な物に満ちている。

 これからも彼女は多くの大切なものを得ていくだろう。心を寄り添わせることの出来る最愛の人と共に。

これでも一部を削除したのですが、それでも長くなりました。

本当は辺境伯家に立ち寄ったり国王と王妃に対面する流れもあったのですが、長編レベルになると思い削除しました。


当初、ヴェラは女王になる予定でしたが、生まれ育ってない国への愛着が無いのに治められるか?となり、ないな、と変えました。

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― 新着の感想 ―
王子と結婚して女王になるのだろうなと思っていましたが、ならなかった理由が妥当でありなおかつ、王女がそれを自分で考えて決められるだけの学ぶ場と時間を王子が与えてくれたのだなと想像できて、とても温かい気持…
とても面白いお話でした。「知らない」とはどういう事かを丁寧に書いておられて、それが悲劇の中の大きな部分を占めていて、興味深かったです。こういう、目立たない悲劇に光を当てるような内容の面白さ、好きです。…
【フロレンシア王族の加護】について夢想した(o・ω・o) ヴェラたん(フロレンシア王家)ゎ《女神の血》でも引いてるのかなぁ? 例えば初代フロレンシア王と女神が結ばれその子共達が代々《特別な加護》を受け…
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