令和の魔王様
魔界の頂点に君臨し、万物を震え上がらせる恐怖の象徴──魔王サタン。
そんな彼がいま、最大級の窮地に立たされていた。
「……ない。鍵が、ない」
魔王城の裏口、通用口の前で彼は呆然と立ち尽くしていた。
右手にはレジ袋。中身は期間限定の『冥界濃厚とんこつプリン』と、新作の『おしゃぶりスルメ・獄』。
ちょっと小腹が空いたからと、パジャマ代わりのジャージにサンダルという、およそ魔王らしからぬ格好で近所のコンビニ『デビルマート』へ出かけたのが運の尽きだった。
普段は側近が常に付き添い、門を開ける。だが今日は「たまには一人の時間が欲しい」と、思春期の娘のような理由でこっそり抜け出してきたのだ。
そして、あろうことか魔王城のオートロック魔法を解除するための『魔宝珠』を忘れた。
「……正面から入るしかないのか」
魔王は重い足取りで、勇者一行を迎え撃つためのメインストリート、死の門へと向かった。
一方その頃、魔王城・第一の関門。
そこには、魔王軍四天王の一人【冷徹なる処刑人】ゼオスが、並々ならぬ気合で立っていた。
ゼオスは焦っていた。昨今の『魔界景気の冷え込み』により、魔王軍もリストラの波が押し寄せている。最近では「勇者が来ないなら警備費用を削るべき」という財務部門からの圧力が凄まじい。
(ここで私の有能さを示さねば、真っ先にクビを切られる……!)
そこへ、一人の男がトボトボと歩いてくるのが見えた。
ジャージ姿、サンダル履き。だが、その魂から漏れ出る魔力は間違いなく、彼が待ち望んでいた『獲物』……もとい『主君』のもの。
ゼオスは確信した。
(これは抜き打ちの『防衛能力査定』だ! 魔王様はあえてあんな情けない姿に変装し、私がどれだけ本気で外敵を排除できるか試しておられるのだ!)
ゼオスは魔力を最大限に練り上げ、舞台俳優のような大仰なポーズで立ちはだかった。
「ククク……よくぞ来たな、愚かな侵入者よ!」
「あ、ゼオスか。ちょうどいい、裏口の鍵を──」
「黙れ! 私こそは最初の試練。けれど残念。ここがお前の死に場所だ! 絶望に埋もれながら、死ねええええええええ!!!!!」
ズバァァァァン! と背景で爆発(自前)が起きる。
これ以上ない、完璧な悪役の決めゼリフ。ゼオスは内心でガッツポーズを決めた。どうだ、この臨場感! これぞ魔王軍の鑑!
しかし、目の前の魔王は、氷のように冷めた目で彼を見ていた。
「貴様……どういうつもりだ?」
「(キタッ! この威圧感!)はっ、一切の手加減はいたしません! たとえ貴方様が相手でも、私は全力で──」
「このご時世に『死ね』はダメだろうがぁぁぁ!!!!!」
魔王の怒声が城内に響き渡った。
「えっ……あ、え?」
固まるゼオス。
魔王はレジ袋を地面に置き、ジャージのポケットから、くしゃくしゃになった紙を取り出してゼオスの鼻先に突きつけた。
「見ろ! これを見ろ、ゼオス! 先月の定例会議で配った『魔王軍・コンプライアンス遵守ガイドライン(第3版)』だ!」
「は、はい……」
「第4条第2項!『敵対勢力に対する過度な攻撃的言辞、特に生存権を全否定する表現(死ね、殺す、地獄へ落ちろ等)は、組織の品格を損なうため、原則として禁止とする』と書いてあるだろうが!」
魔王はハァハァと息を切らしながら、自分のスマホ(魔界製)を取り出した。
「お前、もし今のを近所の住民に録音されて、SNSにアップされたらどうするんだ? 『魔王軍幹部、パワハラ暴言で一般人(に見える魔王)を威嚇』。そんなハッシュタグがトレンド入りしてみろ。翌日には魔界労働基準監督署がガサ入れに来るんだぞ!」
「い、いや、しかし魔王様、我々は魔王軍……悪の組織であります。死を振り撒くのが仕事では……」
「古い! 考え方が昭和……いや、暗黒神話時代なんだよ!」
魔王は地べたに座り込み、頭を抱えた。
「いいか、今の魔王軍は『ホワイトな職場環境』を売りにして、優秀な魔物を確保してるんだ。最近入ったスケルトン兵たちが、お前の今の台詞を聞いたらどう思う? 『え、うちの職場、命を軽視しすぎじゃない?』って思って、即日退職代行サービスを使うぞ!」
「退職代行を使うスケルトン……」
「それにだ! 『死ね』なんて言葉は語彙力の欠如だ! もっとコンプラに配慮しつつ、相手を威圧する言い方があるだろう!」
ゼオスは冷や汗を流しながら問い返した。
「……教示、いただけますでしょうか」
魔王はビシッと指を立てた。
「例えばだ! 『貴様の存在を、当組織の管理外へと移行させてやろう』とか! 『永続的な稼働停止を推奨する』とか! もっとマイルドに、かつ事務的に追い詰めるんだよ!」
「……それ、余計に怖くないですか?」
「いいんだよ、コンプラさえ守っていれば! 訴えられなきゃ勝ち──」
その時、二人の背後でパシャリと音がした。
「あ」
見ると、城の掃除を担当していたメイドのゴブリンが、スマホを構えて立っていた。
画面には、ジャージ姿で説教をする魔王と、泣きそうな顔で直立不動の四天王。
「……あ、あの、魔王様。今のやり取り、めちゃくちゃ『上司による執拗なロジハラ』なので、本部のコンプラ窓口に送ってもいいですか?」
「………………」
「………………」
魔王とゼオスは顔を見合わせた。
「……ゼオス。今の台詞、もう一回言ってくれ」
「えっ? 『死ね』ですか?」
「そうだ。俺を今すぐ、社会的責任のない世界へ送ってくれ……」
魔王軍の真の恐怖は、勇者の聖剣でもなく、禁忌の魔法でもない。
「全方位から飛んでくる不祥事の告発」である。
その日、魔界のトレンド1位は『#魔王様のジャージ姿かわよ』と『#四天王パワハラ会議』で二分されることとなった。
(完)




