第15話 二匹の一匹狼
「お前たちは間違っている」
「「⁉」」
「いや、正確には”正しくはない”かな」
俺と不知火は互いに顔を見合わせる。
闇に閉ざされたグラウンドには俺と不知火のほかには誰もいない。
深淵が俺たちに語りかけているとでもいうのか。
「不知火。お前は暴力に頼ることを辞めろ。腕力が強くて困ることはないが、それに頼って手に入るものなどタカが知れている」
おっ。
さすが深淵サマ、不知火のことをよくわかっている。覗き魔っぷりはダテじゃねえな。
もっと言ってやってください。
「うっさい!知った風なこと言うな!アタシにはこれしかないんだっての!」
「お前が気づいていないだけだ。すでに因子は芽吹いている」
なおも深淵は俺たちに語り掛ける。
「根倉。お前は思想と性根がねじ曲がりすぎだ。それが態度や立ち居振る舞いに表れている。何よりその目にな。まるで冷蔵庫の片隅で腐臭を漂わせる魚のようだ」
「何だって⁉俺がそんなにDHA豊富そうに見えるってのか!」
……どうやら深淵サマ、俺のことはよく見てくれていないらしい。
なんだか不知火の時と打って変わって、俺は内面と外見の悪口を言われただけな気がする。
「だから私は、お前たちを管理下に置いて矯正することにした。どこに出しても恥ずかしくない人間にするために」
俺たちを見透かすかのような物言いに俺は寒気を覚えた。
「誰だ!どこから話しかけてきやがる!そもそもアル中にそんなことできるのか!まずは自分の人間性を矯正してみたらどうだ!出てこい化け物!」
「私だ馬鹿者。お前、気づいててわざと私に悪口言ってるだろ」
気づけば時刻は19時を過ぎていた。
早く飲みに行きたい曙先生が、しびれを切らして俺たちを探しに来たようだ。
「お前ら片づけにどれだけ時間をかけるつもりだ?これ以上私の貴重な華金を侵すのは許さんからな」
「そんなに言うならアンタも手伝ってくれよ……」
先生の自分勝手な言い草に、俺もついつい言葉使いが荒くなる。
「ほう?根倉、お前のこと厳しくチェックしてやるから覚悟しとけよ?今後の学校生活が楽しみだなァ」
「今更でしょ。もう片づけが早く終わるんなら何でもいいっすよ。てか、さっきの管理下に置くってなんすか?」
「もう遅い。詳細は追って宣告する。今は片づけに集中しろ」
宣告とはまた物騒なワードが出てきたもんだ。
なに?俺は死刑でも宣告されるの?
まあ曙先生からの命令なら俺にとって死刑か無期懲役と同義ぐらいの案件がきても何ら不思議じゃあないか。
曙先生も加わり、ぎゃあぎゃあ言いながら俺たちは道具を片づけた。
学校生活において、自分がこんなに誰かと関わりあうなんて、全く想像もしていなかった。
俺の目指す平穏な学校生活とは程遠い。
不知火と衝突し、曙先生に目を付けられ、学校の闇を垣間見て、自分の過去と対峙して。。。
それもこれも全部コイツ、不知火小雪と出会ってしまったせいだ。
……だが、それも今日で終わり。
土日を挟んで来週からは全て元通り、俺は平穏な学校生活を送るために邁進する。
不知火と関わるのも、今日が最初で最後だ。
こうして俺の長い長い一日は、ようやく終わった。
翌週。
俺は週の頭で憂鬱な気持ちを必死に引きずり、どうにか登校した。
「根倉くん、おはよう!」
俺の後方はるか頭上から、はつらつとした声が降ってくる。
……なんだ?
俺の記憶では、朝から挨拶を交わすような仲の人間は家族以外にいない。
恐る恐る振り返ると、俺の目の前には学ランの第二ボタンが。
「お、お、おはょぅす」
とりあえず俺も挨拶を返しておく。
学校で誰かと挨拶を交わした経験がなさ過ぎて、キョドりまくってしまった。
にしてもこいつ、でっけぇな。
見上げるとそこには、五厘に刈り上げられたまん丸の頭。
「……ぉう、ワタナベか」
「ワタナベじゃなくて、ワタベだよ!」
俺のクラスメートのワタベ。
先週、偶然こいつがいじめられている現場を目撃し、成り行きでいじめっ子らを退治するという一件があった。
「先週は本当にありがとう!ちゃんとお礼が言いたくって!それにしても根倉くん、先輩たちをまとめて倒しちゃうなんてすごいね!なんか格闘技とかやってるの?」
ワタベの声量と勢いに圧倒される俺。
スポーツマンでいかにもいい奴って感じだ。
まっすぐな言葉に俺は気後れしてしまう。
不知火みたいな奴だったら、適当にあしらってどうとでもできるんだが。
「あっ、いやっ、別に気にしなくていい。そんな大したもんじゃないし……。それより、あれから何か進展はあったか?」
ワタベは俺に話を濁されても嫌な顔一つしない。
「あ、うん!今日バスケ部の朝練があったんだけど、あの先輩方は1週間の停学とバスケ部の強制退部になったって、顧問の先生が言ってたよ!」
「……そうか。ひとまず安心だな」
あの大馬鹿トリオ、ひょっとしたら退学処分になるかと思って期待してたが、そうはいかなかったか。
学校側としても多額の寄付をしてくれる生徒をみすみす手放すようなマネはしたくないのかもしれない。
逆恨みで報復されないとも限らないし、注意しておかなければ。
「うん!また何かあったら、今度から根倉くんに相談するようにするね!」
……な、なんでそうなる。
お断りしたいが、ワタベの押しの強さとまっすぐな瞳に気おされて反論できない。
俺が何も言えないでいると、ワタベは何か意を決したように口を開いた。
「ねえ根倉くん」
「……な、なに?」
「どうして、僕を助けてくれたの?」
「そ、それは、ただあそこを通りがかったから成り行きで……」
「それだけ?」
「……それだけっていうのはどういう……」
「あのとき僕が根倉くんの立場だったら、ただ成り行きで同じことができたかわからない。……ううん、きっと怖くて何もできなかったと思う。だから、聞きたいんだ。……ねえ、どうしてあの時、僕を助けてくれたの?」
……どうして、か。
よくもまあ恥ずかしげもなくこんなことを聞けるもんだ。
俺だったらこっぱずかしくて無理だ。
だがワタベは至極真剣な面持ちで、まっすぐな瞳で、俺を捕らえて放してくれない。
はぐらかすことは、難しそうだ。
「本当に、ただの偶然だ」
「……そう」
「だが」
「?」
「……俺はスポーツ観戦が好きなんだ。バスケも観る。……お前を見た時に思ったんだ。こいつはプロになる可能性があるって。生半可な鍛え方じゃその身長でそれだけの筋肉量はつかないから、お前がどれだけ真剣にバスケをやってるのかが分かった」
きっとワタベは、これまでの人生の大半をバスケに捧げてきたに違いない。
「……それが、あんなしょうもないことで台無しにされると思ったら、無性に腹が立った。真剣にやってる奴を虐げる輩が許せなかった」
お前が、昔の自分に重なった。
昔の自分を助けなきゃと、俺は思った。
そしてそれは、俺にしかできないと思ったのだ。
「そう思ったら自然とあそこに行ってた。だから、ただの偶然なんだよ。本当に」
ワタベは俺が話している間ずっと、そのまっすぐな瞳をそらすことはなかった。
だが、ここにきて初めて俺から目をそらした。
「……うっうっ」
ワタベはその端正な顔を前腕部分でごしごしぬぐった。
「お、おい」
「ごめん。つい。……でも、ありがとう。根倉くんのおかげで、僕はバスケを続けることができたよ」
こんな、どストレートなお礼を言われた時、人はどういう表情をしているのが正解なんだろう。
そんなことを考えてしまう俺は、これまでと変わらず真正ぼっちのコミュ障だ。
「……だったら、頑張ってプロになってくれよ。それこそNBAで活躍するようなプレーヤーに。そしたら俺も自慢できるしな。……まあ、俺に自慢話を聞いてくれるよーな相手がいるかはわかんねぇけどな」
俺にはこんな風に、卑屈な自虐で返すのが精いっぱいである。
でもワタベは、そんな俺に笑顔で答えてくれた。……ほんとにいい奴だなこいつ。
「うん、頑張るよ!だから根倉くんも頑張って!」
「……ああ、せいぜい一人くらいは友達出来るようにがんばるよ」
「……?あ、いや、そうじゃなくて!」
「?」
「根倉くんがすごい人だって、僕は知ってるから。だから、頑張ってよ!僕もいつか、根倉くんのこと自慢したいし!……あ、でもバスケでは負けないから!」
……こいつは俺のことを何もわかっていない。何を勘違いしているんだか。
まあ、ほんの数日の付き合いでわかるはずもないし、何なら他人から理解された経験なんて俺にはないけどな。
何はともあれ、ワタベがこうしてバスケを続けられることは、よかったと思う。
俺の現実逃避の日々とその副産物として身についた能力に、一つ意味を持たせることができた。
と、言っていいのかもしれない……。
高まることのない自己肯定感、ネガティブな性格、コミュ障。
お前には生きている意味なんてないんだと言われたこともある。
自分自身、生きている意味はあるのかと自問自答する日々である。
でも結局のところ、俺は俺のまま生きていくしかないのだ。
だが今回の一件で、こんな俺の生にも何かしらの意味を持たせることができるのかもしれないと、そう思えた。
ゴスッ。
唐突に、リュックサックを小突かれるような感触が背に伝わってきた。
なんだと思って振り返ると、艶やかな金色の長髪をなびかせたソイツは、そのまま俺の横を通り先に行ってしまった。
「……忘れたらただじゃおかないんだから」
「?」
すれ違いざまに何か聞こえたような気がしたが、俺にはうまく聞き取ることができなかった。