第14話 ぼっち・ミーツ・ぼっち
時刻は19時30分を回っている。
本来の目的である道具の片づけをすっかり忘れていた俺は、体操着から制服に着替え、グラウンドと体育館それぞれで使用した道具をせっせと片付けている。
すでに下校時刻を過ぎており、学校内に残っている生徒はほとんどいない。
視界に入るのは静まり返った校舎と一つの人影。
不知火は俺を置いてとっとと帰るのかと思いきや、俺とともに道具の片づけに勤しんでいる。
黙って作業するのも飽きたので、俺は声をかけてみることにした。
「なあ」
「……なに?」
「お前、いつからあの倉庫の前にいたんだ?思い返すと、やけにタイミングが良かったなーと思って」
俺の問いかけに、不知火はばつが悪そうに答えた。
「……アンタが、あの倉庫の陰にしゃがみ込んだあたり」
「えっ、じゃあもしかして、一部始終見てた……?」
「……まあ、大体ね。何話してるかも聞いてた。あと、念のために外から動画撮ってた。証拠が必要かもと思って」
「……」
マジか。
体育館を飛び出してから割と本気で逃げてたつもりだったけど、コイツは見失うことなく俺について来てたってことか。
あの時の俺の行動は我ながら意味不明だったと思うが、躊躇なく追っかけてきた不知火も謎だな。
ということは、俺がワタベを助けるか逡巡している姿もばっちり不知火に見られていたということになる。。。
……コイツには情けない姿を見られてばかりだ。
まあなんにしても、不知火には礼を言っとくべきだろう。
「ありがとな」
「何でよ。……アタシがもっと早くに割り込んでれば、もっとすんなり終わったかもしれないでしょ」
コイツ、そんなこと気にしてたのか。
きまりが悪そうにしていたのはそういうことか。
不知火のほうを見やるが、薄暗くて表情まではわからない。
再び俺たちの間に静寂が訪れる。
不知火はいったいどんな気持ちであの場面を見ていたのだろうか。
おそらく割り込むタイミングは何度もあったはずだ。
なのに不知火はそうはしなかった。
あの瞬間までは。
「……あのときお前がああしてくれなかったら、俺はどうしてたかわからなかった」
馬場の言葉を聞いた瞬間。
馬場に嗤われた瞬間。
俺は体中の血液が沸騰するような感情に支配されていた。
憤怒とはこのことを言うのだろう。
あの感情に吞まれて拳をふるっていれば、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
不知火は、そんな俺を止めてくれた。
「だから、俺にとっちゃ『ありがとう』でいいんだよ」
「か、勘違いするんじゃないっての!」
「おい、ブーメランだぞ。こういう時は素直に受け取っておけよ」
俺は素直に感謝の意を伝えたつもりだが、不知火は職員室での俺のようにうろたえている。
ジタバタもじもじ挙動不審な不知火。
これはこれで見ごたえがあるし、まあいいか。
「ち、違くて!あれはハグとかじゃなくて、、、そうっ!ただのクリンチっていうか!……アンタが辛そうだったから咄嗟にしちゃっただけで……。とにかく、何でもないんだってのっ!!」
「……お前なんか勘違いしてねえか?俺が言ってるのは右手をつかんで止めてくれたことなんだが……」
「……へ?」
不知火に言われて俺も思い出す。
そういやあのとき、泣いてる俺をそっと抱き締めてくれたんだよなコイツ。。。
……やばい、急に恥ずかしくなってきた。
あと気まずすぎる。
「あ、あ、アンタっ!紛らわしい言い方すんなってのっ!!」
「あぶねぇっ!」
不知火の奴、俺めがけてハンドボールをぶん投げてきやがった。
これだけ暗いのに狙いは正確だ。寸分たがわず俺の顔に着弾するとこだったぜ。
どうにか顔前でキャッチした右手をどかすと、ちょうど照明に照らされた不知火の顔が見えた。
静寂を嫌ってか、不知火は訥々と話し始めた。
「……昔、アタシが辛いときによくママ……母親がアタシをああやって抱き締めてくれたんだ。そうしてもらうと何もかもすーっとほどけていったんだ、不思議と」
不知火はなおも気まずさを隠すように、ぽつぽつと話す。
「あの大馬鹿トリオとは、前にもモメたことがあんだよ。……確か小3くらいだった。今回みたく、あいつ等は一人の生徒をいじめてた。あいつ等も、いじめられてる生徒も、アタシも、みんな同じクラスメートだった」
……不知火の口ぶりから不知火と大馬鹿トリオは面識があることは察していた。
ということは不知火も大馬鹿トリオも、少なくとも小学生の頃にはすでにここに通っていたわけだ。
「アタシはいじめのことを知らなかったんだが、ある日の放課後、クラス内であいつ等のいじめの現場に出くわしたんだ。……そん時だ。アタシはあいつ等三人まとめて病院送りにしちまった。……何でかな。いじめられてる生徒が目に入ったときには無意識に体が動いてたよ」
……俺はいじめられる側の気持ちがよくわかる。
理不尽な目にあわされているのに何もできない無力な自分に対する絶望。
それを見て見ぬふりをして手を差し伸べてくれない他人に対する絶望。
だから俺は他人に何かを期待することを辞め、自らに降りかかる理不尽を独力で跳ね返せるだけの訓練をしていたのだ。……今日まで一度も立ち向かうことをせず、結局それは現実逃避にとどまっていたが。
その生徒にとって、不知火の存在はまさしく一筋の光だったことだろう。
「いじめられて怯えたままのソイツを、アタシは抱き締めた。いつも母親がアタシにしてくれるように。……そしたらソイツは、泣き叫びながらどっかに行っちまった。アタシは頭が追い付かずその場に立ち尽くした。そのあとソイツは担任を連れてすぐに戻ってきた。……よかった、これで一件落着だと思った」
淡々と話し続ける不知火の言葉に、一滴、また一滴と、悲しみが募っていく。
不知火の表情は見えない。
「ソイツは泣きながら、アタシを指さしてこう言ったんだ。『あの子がやりました』って。担任はパニックになって叫んでた。まあ、教室内に血まみれで倒れる3人の生徒を見たら、そうなるのも無理ないのかもしれない。……アタシは、別に正義感でやったわけじゃない。誰かに褒められたかったわけでもない。ただ、辛そうにしてる奴を放っておけなかっただけ……。だったんだと思う」
……なんだか右手が無性に痛むと思ったら、右掌から血があふれ流れ出していた。
おかしい。
倉庫の一件以降、血は止まって傷もふさがっていたはずなのに。
唐突な脈絡のない不知火の話は、なおも続いていく。
「次の日、アタシがやったことは学校中で噂になって、みんなから避けられるようになった。いじめにあっていた生徒からも。それ以降、アタシは誰にも近づかないように心掛けるようになった。……まあ、もともと友達が多いタイプではなかったけどね」
不知火は軽い自虐でおどけて見せた。
ぽたり、ぽたりと、地面に落ちるしずくは勢いを増していく。
……バカ野郎が。お前にそんなキャラは似合わねえんだよ。
「アタシはそれでも平気だった。……そんなアタシを、母親が毎日抱き締めてくれたから。……学校から帰ってきたアタシを毎日抱き締めてくれたから!……今はもう、いないけど」
「え……」
「アタシが中学に上がる前に母親は死んじゃった」
不知火も早くに母親を亡くしていたのか。
「母親はよくアタシに言ってくれたよ。『小雪は間違ってない。ただ力の使い方がわからなかっただけよ』って。でもアタシは、その言葉をすんなり受け止めることができなかった。アタシに助けられたあいつの怯えた顔。あれはいじめっ子に対して向けられたものじゃない。あれは、アタシに向けられた顔だった」
俺には不知火の言っていることがわからなかった。
不知火のしたことが間違ってるって?
「アタシは必死に考えた。あの時どうすればよかったのかって。力の使い方もアタシなりに必死に勉強した。今だってしてる。……でも、いまだにわからないままだ。アタシには時間がないってのに……。今日、アンタを見てて思ったよ。やっぱりあの時、アタシは間違えちまったのかなって」
「間違ってるワケねぇだろ!!!!!!!!!!!!!!!」
反射的に、俺は声を上げていた。
それは咆哮となって誰もいない校舎に轟いた。
持っているハンドボールを不知火に放り投げる。
何をバカなことを言ってるんだコイツは。
絶望に打ちひしがれ、孤独に苦しみ、自分の人生を傍観するしかない状況で。
不知火のやったことが間違っているはずがない。
間違ってるって言う奴がいたら、俺がそいつを否定する。
全身全霊でもってお前はバカだと言ってやる。
たとえそれが不知火自身であってもだ。
「おまえが!この学校の奴らが何と言おうが!!日本、いや世界中の奴らが何と言おうが!!!俺が断言する!!!!お前は間違ってない!!!!!お前は正しい!!!!!俺が保証してやる!!!!!!!!!!」
言葉とは裏腹に緩やかな弧を描いて放たれたボールは、不知火の胸に当たってゆっくりと地面に落ちる。
不知火はただ漫然とその様子を見ていた。
今もただ、下を向いて地面に転がるボールを眺めている。
肩を震わせながら。
「……いっ、てぇな。……っ顔に、っ当たったっての。っ覚悟、できてんだろうね」
ボールを拾い上げた不知火からまたしてもボールが飛んでくる。
その軌道は、さっきの不知火とは打って変わってひどく弱弱しく、狙いもめちゃくちゃだ。
俺はそれを難なく受け止める。
「オラァ!」
「うおっ」
不知火はボールを投げると同時に距離を詰め、俺に殴り掛かってきた。
「ちょ、待て!待てって!」
「うっさいうっさい!いいから黙って殴られろ!!」
拳を振り回しながら前進する不知火と、後退する俺。
「ちょ待て!やっぱりお前はもっと力の使い方を考えたほうがいい!だから!いま!考え直せ!」
「アンタ、さっきと言ってること変わってるっての!」
近づいてきた不知火の顔がライトに照らされた。
俺の目には、不知火の少し赤みがかった頬が濡れているように見えた。
教室で受けたラッシュに比べれば、今の不知火をさばくことは容易い。
だが……。
「ぐえっ」
ボディに放たれたアッパーを、俺は甘んじて受け止めた。
腹に一発入れて満足したのか、不知火はそれ以上追撃してはこなかった。
「……さっきのは反語よ。……アンタにそんなこと言われなくたって、アタシはわかってる。勘違いすんなっての」
さいで。
しっかり受け止めたはずのボディブローは、遅効性の毒のように俺の内部を侵す。
「でも……。でも、アンタさっき自分で言ったこと、忘れるんじゃないよ。……忘れたらただじゃおかないんだから」
振り向きざまに俺に投げられた不知火からの言葉。
ライトに照らされた不知火の顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
……おかしい。
この程度のボディブローで、ここまでダメージを負う俺ではないはずだ。
なのに、ドクドクと、いまだに俺の内臓はのたうち回ったままだ。
人生で味わったことのない感覚。
俺の鍛え方が甘かったのだろうか。いや、そんなはずは……。
不覚にも不知火の顔に見惚れてしまった俺は、結局何も言い返すことができなかった。