第12話 根倉一の闇堕
……こんなもんだったのか。
俺を縛り付けていたものって。
ワタベを助けてこいつらを懲らしめれば、俺の中で何かが変わるんじゃないかと思っていた。
あの時一歩を踏み出したことで、人生が変わるんじゃないかと少し期待していた。
だが、何も変わりはしなかった。
いま俺の中にあるのは虚無感だけだ。
俺は投げやりな口調で地面に転がしたABを煽る。
「どうっすか?落とし前はつけられました?俺にこの学校のルールを教えることはできました?」
どうにか声を絞り出し、Bが答える。
「……てめぇ、ぜってぇ許さねえかんなァ。てめぇなんか大津が来たら終わりだ」
「誰っすかそれ?……そんなことより、これに懲りたらもうワタベには手を出さないでくださいね。もしあいつのバスケを邪魔するようなら次はこんなもんじゃ済まさないし、学校にも報告しますんで」
「……ククッ、勝手にしろ」
今度はAが答えた。
コテンパンにやられたくせにまだ笑う余裕があるとは、意外と豪胆だな。
それにしても、本当にがっかりだ。
長い間、俺の背に重くのしかかっていたものを取り払えたはずだ。
俺の心を縛り付けていた鎖を断ち切れたはずだ。
なのに、晴れやかな気分には全くなれない。
過去に怯え続ける臆病な自分ではなくなったとは、到底思えないのだ。
あのときぽっきりと折られ何かを諦めてしまった自分は、いまだ確かにここにいるのだ。
こんな風にあっさりと片付くなら、いじめが始まったその瞬間にこうしておけばよかった。
そしたら俺は、きっとコミュ障にもぼっちにもなっていなかった……はずだ。
一度歪められてしまった心は、もう二度と元には戻らないということなのだろう。
俺は一生、これが自分だと受け入れて生きていくしかないのだ。
『負けるんじゃねえぞ』
あの時親父はそう言っていた。いじめなんかに負けるなと。
今日、俺は勝つことができたのだろうか。
そもそも最初からいじめがなければ、こんな意味のない戦いはしなくて済んだのだ。
俺は長年ずっと気になっていることがある。
本当に純粋な疑問。
もう大勢は決している。
この際だから、俺はこいつらに聞いてみることにした。
「あんたら、何でワタベをいじめてたんすか?……あんたらのことだから、きっとワタベ以外にもいろんな奴をいじめてきたと思いますけど。。。何でそんなことするんすか?」
俺にはどんな心境になったら他人を虐げようと思うのかが理解できない。
例えば、こいつらいじめっ子の言う”気に入らない”というのが、悔しいとか、不快だとか、そういう感情に端を発していると仮定したとする。
俺は、他人に対して悔しいと感じることがあれば、俺はその分野を極め、そいつに勝とうとするだろう。
俺は、他人に対して不快だと感じることがあれば、俺はそれを視界に入れないようにするか、目に余る場合は直接言葉にしてそいつに伝えるだろう。
決して俺は、徒党を組んでそいつをいじめようとは思わない。
なぜ寄ってたかって一人の人間を虐げることができるのか。
なぜあの時俺はあんな目に合わされたのか。
直接いじめっ子に聞いてみたかったのだ。
「……ぷふ、ははははは!っゲホゲホ……」
俺の質問を聞いて、Aが急に笑い出した。
そしてAはひとしきりせき込んだ後、俺の目を見てこう言った。
「……そんなの、面白いからに決まってるだろ?……理由なんて、それ以外にねぇよ」
そう答えるAの顔は、おそらく不気味な笑みを浮かべているんだろう。
だが俺は、確かに奴の顔を見ているはずなのだが、奴がどんな顔をしているのか、まったくわからなかった。
……は?
面白いから?
俺は、そんな理由であんな目にあってたっていうのか??
……こいつはおかしい。こいつらは危険だ。同じ人間じゃない。
殺さなきゃ。
「その顔、お前もしかして昔いじめられてたのか?ははは!だから同情でワタベのこと助けたってのか!」
殺さなきゃ。
「クククッ、安心しろ。今度からワタベと一緒にお前にもやってやるからよ。さぞ楽しいだろうなァ!!」
今すぐ殺さなきゃ。
体中の血液が沸騰して頭に集まっていく。
目のまえがだんだんと真っ赤に染まり、赤を煮詰めた不気味な黒に変わっていく。
そんな感覚。
そして俺の視界には、赤黒く塗りつくされた世界と、その中で醜く佇む化け物しか映らなくなった。
掌から滴り落ちる血。
俺は自分の掌の表皮を突き破るほど強い力で、無意識に拳を握りしめていた。
憎悪と憤怒に支配された脳の命令に従い、俺は固く握った拳を振り下ろした。