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03.陶器の鍋と真鍮の鍋

 鍋は中世で最も一般的な料理道具だった。

 陶器製の鍋は安価で、1~3ペニー程度だった。石積みの上に載せたり、底に三脚が取り付けてあって薪をその下にくべていた。鍋が焦げてしまうので薪は鍋底に直接つけてはならなかった。また温度差で割れるので、すぐに冷たい床に降ろさず藁の上に置いて徐々に冷ます必要があった。

 真鍮や銅、青銅で作った鍋はより高価だった。最も豊富に記録のある真鍮鍋なら1~8シリング(※青銅製含む)。14世紀半ばの銅鍋は5シリングで、銀製の鍋は50シリング。15世紀フランスの鉄鍋は15ドゥニエ(※フライパンの可能性もある)、真鍮鍋は4スー2ドゥニエ。

 またピューターpewterという銅錫合金(※鉛と錫)の鍋も使用されていた。

 金属製の鍋には吊るすための取っ手がついていたり、三脚金具に載せられるようになっていた。


 真鍮は銅と亜鉛、青銅は銅と錫の合金で、どちらも銅に熱伝導率では劣るが、丈夫さで優れる。中世の頃はどちらも真鍮と呼ばれていた。ヴィアンディエやメナジエ・ド・パリによれば、中世の豊かな人々は金属製の鍋と陶器製の鍋いわゆる土鍋を併用していたが、扱いの違いについては分からない。

 陶器は落とすと割れてしまうので吊るすのには向かなかったが、安価だったし、銅の緑青が酢の影響だと考えられていたことから酸味のある煮物に使われたかもしれない。


 一方で鍋を吊るすことにもメリットがあった。

 例えばバイユーのタペストリーのように、二人掛りで支える棒に吊るしていれば、火傷をせずに持ち上げて移動させることが出来た。

 また14世紀頃から、鋸の歯のような形状の調整器具に吊るしたり、鍋の吊り下げ金具をS字フックで天井から垂れ下がる鎖にひっかけることようになった。これによって高さの調整が出来るようになり、それまで鞴や薪の量で感覚的に調整していた火力を任意に調節することができるようになった。

 都市や農村の庶民も15世紀頃からは金属製の鍋を所有するようになる。とはいえ庶民向けの金属製鍋には安価な鉛が多分に混ぜられていた。


 鍋のサイズには大小あり、普通のサイズの鍋は大体直径20cmから30cmで、2リットルから6リットル程度の容量。15~20リットルのものもあるし、直径30-40cmくらいで容量40~50リットル程度の鍋もある。特に大きいものではウィルトシャーのレイコック尼僧院に直径80cm容量60リットルの青銅大釜がある。真鍮製の大鍋は比較的高価で、10シリング前後の価格だった。鍋は購入するほかに、結婚祝いや持参品、また遺贈品として贈られることもあった。

 鍋の蓋は木製で、主に鍋でパイを作るとき(※均一に火を通すため)や、茹で肉に火を通すときに利用された。

 14世紀頃からピプキンpipkinと呼ばれる三脚と中空の取っ手がついた鍋が使われるようになった。これは熱した灰の上に置いて主にソース作りのために利用されていた。14世紀において、4.5リットル入る真鍮製のピプキンは、1シリング8ペニーだった。


 肉焼き機で肉を焼くときには、事前に鍋で湯通しすることもあった。

 スープを作るときは、卵や牛乳やパン粉、小麦粉のいずれかを加えてとろみをつけたり、骨髄や骨付き肉や牡蠣を煮ることで出汁を取ったり、ハーブやスパイスを加えて風味を加えていた。

 鍋はお玉でかき混ぜられた。お玉は木材や青銅、真鍮で作られていること以外、今のものとあまり変わらない。

 混ぜずに放っておくと鍋が焦げ付くことも知られていたし、野菜やスープ、ソースを掬いあげるのにも必要だった。鍋の中身を指でつまんで取り出すのはマナー違反だった。


 鍋から肉を取り出すときには鉤flesh-hookが使われていた。鉤爪が2-5個ほど付いていて、形状はちょうど鉤縄のようであるが、縄は無く、柄の部分を直接持って使った。柄の長さはまちまちだった。

 中世の図版をいくつか見ると、お玉と鉤を両方持つときは鉤を右手に持ち、お玉を左手に持っていたようである。

 金属製の網杓子skimmerが15世紀に登場すると、鉤はその役割を終えた(※木製の網杓子は以前からあり、ワイン造りに使われていた)。



 陶器の鍋は陶器職人が作っていた。

 パリの陶器ギルドでは、親方は何人も職人を雇ったり徒弟を持つことが認められていて、その修業期間も定められていなかった。夜勤や転売は禁止で、外国人労働者の雇用も禁止。職人は親方の窯で陶器を焼いてはならず、全ての陶器は所定の市税を支払って市場で売らなければならなかった。

 陶器用の粘土は轆轤を使って成形した。轆轤を手で回していたのは12世紀頃までで、中世盛期の職人は轆轤台と軸で繋がっている円形の板を足で蹴り回していた。図版からは板の上を踏んで蹴ったり、板の横を蹴っていたように見える。その後、乾燥させてから窯で焼成して陶器が完成する。


 金属製鍋の代表である真鍮は古代から知られていて、かつてはオリハルコンと呼ばれていた。初期中世には真鍮と同じように金色に輝く青銅器が優勢になるが、11世紀頃から素材の取れるライン川流域やマース川流域で真鍮製造が始まった。

 テオフィルスによれば真鍮は、銅を完全に溶かした後、細かく砕いたカラミン石calaminamを何度かに分けて加えながら混ぜることで作れるという。カラミン石は亜鉛鉱石で、一般的に閃亜鉛鉱。亜鉛の沸点は銅の融点より低いので、両方を溶かして混ぜることは出来なかった。

 イングランドではまともな銅鉱脈や亜鉛鉱脈、また銅加工の技術も無かったため、鍋の材料はドイツ辺りからの輸入に頼っていた。そのため鍋は鍋職人ollariusによって基本的に輸入した真鍮で作られていた。

 パリでは当初、真鍮職人ギルドBatteurs d'archalが鍋を作っていたようである。13世紀に入ると鍋釜職人Chaudronnierが登場し、彼らが鍋を作っていたようで、1327年にはパリで鍋釜職人ギルドが結成された。ギルドの制度はどちらも同じで夜勤禁止、徒弟の訓練期間は6年間。15世紀には外国人でも職人になれるように規定された。鍋釜職人は鍋に限らず様々な銅製品を製造し、修理していた。彼らは市場だけでなく定期市でも鍋を売ることが出来た。

 作られた鍋には製作者による刻印が彫られた。刻印はどれも複数の直線や曲線からなる図形で、個人個人で異なる形状を刻んでいたように見える。



 鍋を使って調理する際には、お湯や水に具材を入れて沸騰させて煮込んでいた。前述のようにとろみをつけるときもあれば、つけないときもあった。

 味付けには塩、砂糖、蜂蜜、胡椒、生姜、酢、シナモンなどがあり、料理に応じて使い分けた。塩や酢には臭み消しの効果も期待されていた。また肉を茹でるならワインを加えて柔らかくすることもあった。

 鍋に加えるハーブやスパイスには、セージ、パセリ、ヒソップ、ディタニー、カルダモン、クミン、ナツメグ、キャラウェイ、ガリンガル、クローブ、クベブ、カッシア、ロングペッパーなど無数に挙げられている。

 またアーモンドミルクやヴェルジュースを加えたり、サフラン、桑の実、ムラサキ(※花の名前)などを加えて色を付けた。


 肉や魚などを茹でた後に鉤やお玉で取り出して、ソースを掛けることもあった。

 ヴィアンディエには鍋で煮込んで作るソースがいくつも紹介されている。生姜酢的なものや大量の砂糖を加えるもの、牛乳と卵黄と生姜を混ぜて煮たもの、調味料を肉の脂と共に煮込むものなどがある。

 普通は炒めたりするときはフライパンを使っていた。炒めてから煮る料理もあったが、炒り煮にはせず、鍋とフライパンを使い分けていたように見える。

 鍋をお湯と灰汁と藁で洗う作業は料理ギルドの下っ端や一番低い地位の召使いが担当した。洗うのは内側だけで、外側は洗わなかった。


 庶民の鍋料理はそこまで派手ではなかった。生で食べるのが良くないと考えられていて、穀物から野菜、ハーブなど育つものは何でも鍋に入れたという。あれば干し肉や塩漬け肉も入れたし、ミルクも煮たし、チーズも鍋に入れた。

 鍋を火に掛けるための薪は、都市では1本幾らで売られていることもあれば束にしてまとめて売りに出されてもいた。100束単位とか、1モル(1m^3)で、枝葉交じりのものも売られていた。産地や乾燥具合、太さは重要だった。火種には木炭も使われていて、袋売りされていた。

 薪束は荷車に載せていたようだが、図版には薪束を背負って売り歩く薪売りの姿もある。農村では領主の森で薪を取る権利を与えられていればそこで、そうでなければ村の共有地で定められた量の薪や枝葉を集めた。子供も7つを過ぎたら枝を集めていたという。

 薪を囲炉裏に加えるために火掻き棒やトングが使われた。

 鍋の火は夕方には消す決まりになっていた。農村で朝作られた鍋は夕方にも食べられた。

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