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02.テーブルナイフとキッチンナイフ

 中世の頃、誰もがナイフを持ち歩いていた。女や子供もナイフを持ち歩いていたし、修道士も夜間以外はナイフを携帯していた。携帯ナイフは鞘に入れられていて、ベルトから吊り下げたり、バッグの中に入れていた。衣服にポケットが無かったからだ。

 ナイフの用途は食事用や作業用だけでなく、羽ペンを研いだり羊皮紙を削るためのペンナイフ、外科、狩猟、決闘、殺傷、髭剃り、またハサミが主流になる前には爪研ぎにも使われていたし、男用のファッションとして鍔が二つのボールの形状をしたものもあった。


 14世紀頃にはナイフの中子を柄に差し込むタイプが一般的になった。柄には、柄を刀身に差し込んでヒルトの部分で固定するものと、刀身にある複数の目釘穴で柄を固定するものがあった。

 中世パリのギルドに関する史料は、当時ナイフを製造する鍛冶ギルドとナイフ柄の製造ギルドが別々に存在していたことを示している。ナイフ製造の鍛冶職人は、ナイフの柄職人から柄を買い付けてナイフを製作していた。刀身にはナイフ製造職人のマークが刻まれた。

 柄には木材や骨、鹿の角が使われていたが、高級な柄は象牙や黒檀で作られていて、銀や金メッキ、ルビーやダイヤモンドなどの宝石で装飾されていた。また真鍮で作ってはならなかった。中世パリではナイフ柄の製造ギルドが象牙製のナイフ柄の製作を独占していた。

 鞘は仔牛の革製か骨製や木製で、高級なら象牙や貴金属で作られていた。


 鍛冶職人の徒弟期間は少なくとも6年間。大抵のギルドと同じように親方は一度に一人しか徒弟を雇えなかった。

 職人は棒状の鉄塊や搔き集めた屑鉄から鉄製品を作った。ときには製錬炉を持ち、鉄鉱石の精錬も兼ねていることもあった。

 鉄塊は鑿とハンマーで切り取られた。両手で使う10kgほどの大型のハンマーと片手で使う3kgほどのハンマーがあり、鑿の先端には鋼鉄が使われていた。

 鉄は炉で加熱されて溶接された。炉には鞴を使って人力で送風し、必要な温度を確保していた。

 水車で動かす鞴は13世紀にはフランス、14世紀半ばに低地国家で導入され、15世紀にはイングランドにも現れた。水車の導入は大型の鉄塊の精製を可能にし、プレートアーマーの製造に繋がったようだ。燃料には主に木炭が使われていて、火掻き棒とスコップと熊手が利用された。露天で掘れるイングランドのように石炭が使われることもあった。

 熱された鉄をトングで挟みながら、職人はハンマーとフラッターを使って二人がかりで鉄を叩いた。そして薄く延ばした鉄板を複数の鉄板で挟んだり、一枚の鉄板を巻き付けたりして必要なだけのサイズを確保し、強度を上げた。ときには熱い鉄用の鑿を使って細かく調整された。

 形を整えられた後、鋼鉄ならば柄の部分以外を粘土で覆ってから炉で加熱され、炉から取り出したら粘土を取り去って水に浸して冷やし、再び加熱して焼き入れした。が、ナイフの場合、大体は鉄製だった。

 鉄製品は最後にやすりで磨かれて完成した。


 地位の高い者は職人から特注のナイフを買い付け、農村では村内の鍛冶屋を利用し、都市部では鍛冶屋の店舗や行商人から買ったり、ときには何でも取り扱うような地元の小売商から買ったりなどしていた。

 14世紀フランスの国王や貴族たちに献上されたナイフの価格は2対で50~100パリ・リーヴルで鞘は6パリ・リーヴル。15世紀トゥールのテーブルナイフは15スー。

 また14世紀イングランドの地方市場の取引価格は8ペニーから1シリングで、大型のものは1シリング2ペニー~1シリング9ペニー。16世紀の英国王ヘンリー八世のためのテーブルナイフは40シリングだった。



 元々テーブルナイフは食卓の共有物だった。二人で一つの皿を分け合い、ナイフは必要な人が必要な時に利用していた。

 個人で食卓用ナイフを携帯する習慣はフランスでは13世紀頃に現れる。また領主や特別な客には持参せずともテーブルに食卓用ナイフが用意されていた。時代が下っても身分が低ければ皿は複数人が一つのものを分け合っていた。

 食卓用に使われていたナイフの刃の長さは5~7cmほどで、現代のテーブルナイフよりずっと鋭利だった。ナイフは切るだけでなく、肉に突き刺して口に運んだり、塩入れ台から塩を取るのに使われていた。

 15世紀に幾つか書かれた貴族の子供たち向けのマナーの本によれば、ナイフで歯の隙間を掃除してはならないし、肉以外にナイフを突き立てることはマナー違反で、シロップまみれでなければ指で摘まんで食べた。指はテーブルクロスで拭いてはならずナプキンで拭く。塩を取るならナイフで肉を取る前に塩入れから塩を取ってトレンチャーに置く。また食後はナプキンでナイフを拭く必要があったが、テーブルクロスで拭いてはならなかったし、パンで拭くことも勧められなかった。


 ナイフの刃は主に鉄、ときおり鋼鉄で作られていて、銀製の刃は17世紀まで無かった。中毒対策に銀を使うという俗説も無かったようで、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンは銀食器を使っても何の有益性も無いが健康を害することも無いと書いている。

 食卓用ナイフの携帯は中世の間は流行っていたが、15世紀の終わりごろからは食卓でめいめいに配られるようになった。配膳のときは、食べる側から見てスプーンとナイフは右側に、トレンチャーは手前に、そしてスープなどの大皿が奥に置かれた。


 パン製の皿であるトレンチャーは給仕用のテーブルで専用のナイフによって長方形に切り分けられて3~4枚ずつ配られて並べられていた。3枚のときは2枚を並べてその上に1枚、4枚のときは3枚を三角に並べてその上に1枚。トレンチャーは下の部分が煤だらけなので上半分が領主や特別な客に提供されて、肉や塩を載せる皿として用いられた。領主のトレンチャーは最も新しくて作ってから1日経ったもの、そして身分が低くなるに応じて古いトレンチャー(※古くて4日)が提供されるようになっていた。メナジエ・ド・パリでは披露宴のために4日前のトレンチャー36枚をパン屋から買い付けるように指示されている。

 トレンチャーは基本的には食べないが、食後に集められて飼い犬の餌にしたり、ソースに浸されて貧しい者に配られたりした。トレンチャーは中世の終わり頃からパンではなく金属の皿に代わった。



 中世後期の食卓には、個人用だけでなく肉切り係Carverが使うナイフもあった。彼は食卓に提供された肉や鶏、魚を切り分けて領主や特別な客に提供する役割を与えられた料理人だった。肉は一口大の大きさに切り分けられて客に振舞われた。

 あくまで当時としてとはいえ清潔さに無関心ではなかったので、清潔なナイフを使うことは時々訓示されていて、光沢が出るくらいに砥石で磨きナプキンで拭かれていることが理想だった。


 まな板は昔からあったとも言われるが、大抵の絵画史料では木製の机の上で直接食材を切っているように見える。またホールで肉切り係が丸いトレンチャーの上で切っていたような描写も確認できる。



 食卓だけでなくキッチンでもナイフは使われていた。ピーラーが20世紀に登場するまで野菜の皮むきはナイフで行っていた。ナイフにはいろいろな種類があり、皮むきナイフだけでなく、牡蠣の殻を剥がすナイフや、胡桃の殻を割るナイフ、魚を切るための鋭いナイフ、そして大型の肉切包丁が使われていた。


 料理人がキッチンで加工する食肉は多種多様で、一般的な家畜だけでなく狩猟の獲物の調理法も身に付けなければならなかった。

 牛肉は肉屋から買い付ける場合は、大きなものを除けば丸ごと、大きなものはフィレやロースなどの部分に解体されたものを買った。ブリスケには価値が無かったという。牛肉は貴族のレシピにはあまり書かれないが、パリのブルジョワが書いたメナジエ・ド・パリには豊富に見られる。 牛タンから牛足まで様々な部位が調理の対象になり、薄切りにしたり、輪切りにしたりした。


 豚肉は大抵は保存食になった。14世紀イングランドの料理書で多く触れられているが、切ったり潰したりしてミンチにされていることが多い。

 肉屋では吊るして保存され、牛と同様に解体されて売られた。

 多くの時祷書では、12月の農村で豚あるいは猪が斧やハンマーによって屠られている。そして血抜きや保存食への加工をする際にはナイフが使用された。抜かれた血は柄杓や鍋に注がれて、ブラッドソーセージboudinの材料になった。基本的な作業は男が担当したが、血液を掬う作業は女が担当することもあった。


 ヴィアンディエのレシピは鳥の肉料理に最も多く触れている。鶏だけでなく白鳥やヒバリなど貴族が狩猟で獲得する様々な鳥が調理対象だった。調理の最初には羽を毟るが、その後、ナイフで頭部や足を取り除くかどうかは扱う鳥によって異なった。

 魚は皮を剥いだり、臓器を抜いたりすることはあったように見えるが、料理書ではナイフを使った調理には特に触れない。

 魚屋は魚市場で取引した魚を市場で卸売りするとき(※自分で釣った魚を市民に販売してはならない)に捌くこともあったようだが、基本的には捌かず売られていたように見える。


 野菜をみじん切りにしたり、皮を剥いたりするのもキッチンナイフの役割だった。料理書において、玉葱はよくみじん切りにされたし、キャベツは芽キャベツを食べることもあったが、外側の葉を取ってから刻むこともあった。

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