工藤はありふれたヒロインたりえない
「恐怖に遭遇した経験ないのよ、私。孔雀王の阿修羅ちゃんが怪物に襲われた時みたいに、かわいらしく絶叫できればいいけどさ、できるかな~」
「なにその心配は」
「だって、ファミコン網羅してくうちにいつか恐怖に出会うでしょ? 今から予習しておかないとさ、ヒロインとして」
「いまさら、工藤にヒロインらしさを期待する人はいないよ。孔雀王Ⅱの阿修羅くらい容姿が端麗ならまだしも、地味で質素な顔立ちの君だ。プロジェクトQのクイズ大会にでも参加して、連続正解して、見れる顔に整形してから、ヒロインどうのいいなさいよ」
「いうわね、プロポーズしたくせにさ」
「なんのことかな~?」
「しらばっくれて、もう……それじゃあ、行くわよ、用意できた?」
「用意できたって、ただファミコンショップの店外出るだけで大げさな。ドラゴンオブフレイムみたいに、ドラコニアン討伐に出向くんじゃあるまいし」
伊藤と工藤の会話のキャッチボールは、実にテンポよく進むのだが、この時ばかりは違った。工藤が伊藤の背後に何かの異変を見つけたのだから。
だがしかし、恐怖に慣れていない工藤は、実に質素な反応を見せるはめになったのだ。
「見て、後ろ、見て、後ろ」
「え、後ろ、なんだよ工藤。いきなり冴えない顔してさ。僕の後ろがどうした? サムライソードでも背中に押し付けられたかな、あはは」
伊藤に危機感がないのも当然だ。工藤がそれらしき反応ができないせいで、伊藤は、恐怖の鉄槌を見事に食らうことになる。
「サムライソードなんて危険なものぶら下げてないわよ。伊藤の後ろに立っている店員、このファミコンショップ”魔塔の崩壊”の柄のエプロンしてるから、多分、間違いなく店員さん……は、御存知 弥次喜多珍道中のパッケージを右手に今にも振り下ろしそうなのよ……」
「は? 意味分からない。御存知 弥次喜多珍道中のパッケージって弥次さん喜多さんが楽し気におにぎり頬張ってるアレでしょ? なんで、僕がそんなコミカルな鉄槌を食らわせなければならないのよ」
いまだ安閑とする伊藤は、工藤の動揺の少なさが産んだ副産物だろうか。
「あ」
工藤がありふれたヒロインならば、大きく口を開けて、キンキン声の絶叫をあげるだろうが、工藤の驚きの声はただの一声で終結した。
「え?」
パッケージ箱にどれほどの殺傷能力があるかは分からない。ただ殺人道具には、不十分であることは明らかだ。それでも大の大人が勢いよく振り下ろし、脳天に食らわせれば、人一人眠らせるのは、さほど難しくないだろう。
「あ」
奇しくも伊藤は、工藤の発した同じ一言を持って、倒れることになった。
「きゃ~」
伊藤が倒れた現実を持って初めて、工藤はヒロインらしき絶叫する。
薄暗い眼をした店員は、工藤をじっと見つめる。工藤は、いつ自分の命が終わってもかまわないと覚悟を決めたはずなのに、恐怖に震えた工藤の動揺は止まらない。
「い、いとう~~~」
工藤は、伊藤に駆け寄って安否を確認するか、それとも逃げ出すか、一瞬迷ったあげく、伊藤が選択したのは、
「逃げる! だって伊藤が死んでるわけがない。だって伊藤と私は、神に地球の運命を任されえた身ですもの。最後まで生き残るのは、伊藤と私よ!」
伊藤は躊躇しない。開けた扉を、冷たい目をした店員を遮るように思い切り閉めると、工藤は、一目散に逃げ出した。
「はあはあ、逃げる、私は逃げる! だってファミコンソフト全網羅大作戦を遂行できるのは、私と工藤以外のどこにいるの」
店員も伊藤を追うように、ドアを開けて、店外に出てくる。たった一人店番をしてた店員が店をほっぽり出すことで、ファミコンショップ”魔塔の崩壊”は、お留守状態になるが、この終末にわざわざファミコンショップに足を運ぶ変わり者は、伊藤と工藤の他にいないのだろうから、気にとめることもないのだろうか。