第一章7 殺しちゃった!
森を抜け、小さな村に辿り着いてから一夜明けた。
私は紅葉を背負い、朝焼けの中で村を後にする。後ろ髪を引かれるような思いはあったが、村長の言葉を無視するわけにはいかなかった。
私はこの子をもう失いたくないんだ。
「さぁ、次は街を目指そう、紅葉!きっとスマホにマシュマロ、アイスに美味しいご飯もある!」
「天国みたいな世界が…私達を待ってるはずなんだよ…、それに、日本にだって帰れる方法が見つかるかもしれないよ」
彼女の体は依然として冷たく、どこか不安定な感覚が続いている。
けれど、私は彼女を守ると決めたのだ。
何が起ころうとも、必ず。
村を出てから数日間、私は誰とも会わずに森や山道を彷徨った。
食事も水も必要としない精霊の体ではあったけれど、精神的な疲労が私を蝕んでいく。
「紅葉〜日本に帰ったらさ、一緒に海に行かない?……聡と私、紅葉の三人で…え?泳げないの〜?大丈夫、お姉さんがリードしてあげる。ふふふ」
独り言が増えたのは、紅葉がいないと本当に孤独だからだろう。
時折、頭の中でシステムの通知が響くものの、それも決して気持ちを安らげてくれるものではなかった。
《スキル《感覚共有》の効果が発動中です》
「感覚共有って……紅葉の感情がわかるわけでもないのに、意味ないじゃない……」
ため息をつきながら、森の中を歩いていると、遠くから声が聞こえた。
人の声だ。私は急いで声のする方向へと足を向けた。
そこにいたのは、一人のエルフの男性だった。彼は長い耳に銀髪で、鋭い緑色の瞳を持ち、肩に背負った弓が旅の者であることを物語っている。
「おい、そこのお前。見慣れない姿だが……何者だ?」
エルフの男性が警戒心を露わにしながら私に問いかける。
しかし、同時に殺意を感じとり、私はすぐに紅葉を背負い直し、慎重に答えた。
「私は……ただの旅人です。この子を……安全な場所に連れて行こうとしていて」
その言葉を聞いた彼は、紅葉に目を留め、鋭い視線を向けた。
「その子……赤い髪、炎の気配。この世界では珍しいな。まさか、噂の“勇者”か?」
「勇者……?」
私はその言葉に驚きながらも、何とか平静を装った。
「違います。この子はただの……普通の子です。具合が悪いだけで」
エルフはしばらく黙った後、小さくため息をついた。
「どのみち、この森を越えれば街がある。だが……この近くには盗賊団が徘徊しているという噂もある。気をつけろ」
「ありがとう。でも、大丈夫……たぶん」
私は小さく笑って答えたが、内心は不安だった。
精霊としての力を持っているとはいえ、今は勇者の力の大半を失っているのだ。
…勇者?誰が?
エルフと別れた後、私は教えられた道を進んだ。
山道を越え、ようやく街が見えたとき、突然、茂みの中から男たちが現れた。
「よぉ、そこの女。おとなしく金を置いていきな」
「……盗賊?」
私は咄嗟に紅葉を背負い直し、一歩後退する。
「金なんて持ってないし、この子には触らないで!」
男たちは笑いながら私を囲む。
ナイフを振りかざし、こちらに迫ってくる姿に背筋が凍る。
「仕方ないなぁ。お嬢ちゃんごと持っていくか!」
その言葉に私は反射的にスキル《水流操作》を発動させた。周囲の湿気が集まり、水の刃を作り出す。それを盗賊の一人に向けて放つと、彼は倒れた。
「……?」
しかし、次の瞬間、別の盗賊が背後から私に襲いかかってきた。
私は必死に振り返り、水の刃を放つ。だが、それが盗賊の胸を貫いた瞬間、血が噴き出すのを目の当たりにした。
「……私が……殺した……?人…を?」
震える手を見つめ、頭が真っ白になる。盗賊の体が地面に崩れ落ちる音が、妙に大きく感じられた。
「あ、あいつ…やべぇよ!殺しやがった!!」
他の盗賊たちは、仲間が倒れるのを見て逃げ去った。私はその場に立ち尽くし、震える手を見つめたまま、紅葉の身体を抱きしめる。
「紅葉……私、やっちゃった……殺すつもりはなかったんだよ?」
自分を責めるような言葉が自然と口をつく。
彼らは悪党だった。
それでも、人を殺すという行為が、こんなにも重く、苦しいものだとは思わなかった。
仕方ないなんて思ってはいけない…これは罪なんだ。え??罪なんだろうか?アイツらが悪いんじゃ?
いや、違う。彼らもなりたくて"人間"になった訳ではない。彼らも歴とした"被害者"なんだ。
私が救済してあげているのだから彼らは感謝するべきだ。
どうにか足を引きずるようにして街へ辿り着いた。
街の入り口では門番が私を怪しむように見たが、病人を背負っていることを理由に中へ通してくれた。
街の中は活気に溢れている。
けれど、私はその明るさに目を向ける気力もなかった。
「……休む場所を……」
私は宿を探しながら、紅葉の顔を見つめる。
「紅葉……私、間違ってないよね……?あっちが襲って来たんだし…だよね!正当防衛だよね、ありがとう…紅葉」
彼女の穏やかな表情を見て、自分に言い聞かせるように呟く。
それでも胸の中の罪悪感は消えることがない。
ーーあぁ、気持ち悪い。
ーー吐きたい、私って何?
ーー誰?精霊?
ーー勇者?人間、なんだっけ………?
まるで、内臓を脳みそに向かって押し上げている感覚に吐きそうになる。
他者が、私の中にいるような…そんな感覚が正しい表現なのか?
***
街に入った私は、紅葉を背負ったまま宿を探して歩き回った。
活気のある市場、行き交う人々、色鮮やかな商品が並ぶ店々……そんな賑やかな光景の中でも、私は自分の心のざわつきを抑えることができなかった。
「……私、間違ってなかったよね。」
「紅葉を守るためだったんだもん……て、そうじゃない!罪は罪!償わないと…その為にもっと? 人間を解放しないと…??」
誰にも届かない独り言を繰り返す。
けれど、胸の奥に残る冷たい罪悪感はどうしても拭えない。
しばらく歩いて、ようやく小さな宿を見つけた。外観は少し古びていたが、中からは暖かそうな光が漏れている。
ここなら、少し落ち着けるかもしれない。
「すみません、一晩泊めてもらえますか?」
宿のカウンターには中年の女性が立っていた。
彼女は紅葉を背負った私を見て、目を丸くした。
「大丈夫かい? その子、具合が悪そうだけど……」
「あ、えっと……はい。でも大丈夫です。ただ、少し休ませてあげたくて……」
私が答えると、彼女は何かを考え込むような顔をしてから、奥の部屋を指さした。
「空いてる部屋があるわ。休んでいいわよ。ただ、食事や水が必要なら自分で準備してね」
「ありがとうございます!」
お礼を言い、紅葉を背負ったまま部屋へと向かった。
小さな部屋に置かれたベッドに、そっと彼女を寝かせる。その顔は相変わらず穏やかで、まるで眠っているだけのように見える。
静かだ…やっと落ち着ける…
ベッドの隣に座り込み、紅葉の冷たい手を握りしめる。
「紅葉……ここなら少しは休めるよね」
彼女が答えるわけもない。
それでも、彼女の存在を感じていたかった。
そうすることで、自分がまだ誰かのために動いていると思えるからだ。
罪悪感に苛まれながらも、私は少しずつ考えを整理しようとしていた。
先ほどの盗賊たちのこと、そして初めて人を殺めたという事実。
「私が悪いんじゃない……人間を苦しみから解放する為だったんだから……」
そう自分に言い聞かせるたびに、心の中に重い鎖が巻きついていくような感覚がした。
静かな時間が流れる中、不意に扉がノックされた。
「……誰?」
扉を開けると、そこには一人の若い男性が立っていた。
彼は清潔な服装をしており、落ち着いた物腰でこちらを見ている。
「失礼します。」
「この街で医者をしています。宿の主人から、病人を連れていると聞いて……何かお力になれることがあればと思いまして」
医者――その言葉に、私は一筋の希望を感じた。
「あ、ありがとうございます! 彼女を診てもらえますか?」
「もちろんです。少し失礼しますね」
医者は紅葉の体に触れ、慎重に診察を始めた。けれど、その表情は徐々に曇っていく。
「……この子、奇妙ですね。体温がほとんどない……まるで魂がここに無いような…でも…」
「そんな……! でも、彼女はまだ生きてるんですよね?」
私は必死に訴えかける。
医者は少し困ったような顔をしながら、首を横に振った。
「確かに心臓の鼓動は感じられません。けれど、この体には何か特別な力が宿っているように思えます。ただ……私の力では何もできません」
彼の言葉に、胸が締め付けられるような思いだった。
「じゃあ、どうすれば……どうすれば彼女を助けられるんですか?」
「……街の西にある魔術師の塔を訪ねてみるといいかもしれません。」
「そこには高名な魔術師が住んでいます。もしかしたら、彼女を救う手段を知っているかもしれません」
医者が去った後、私は紅葉の顔をじっと見つめた。
彼女の髪は相変わらず赤く輝き、静かに眠っているように見える。
「……紅葉、次は魔術師の塔に行こう。絶対にあなたを助けてみせるから」
決意を新たにした私は、紅葉を再び背負った。
そして、街で必要なものを整えるために市場へと足を向ける。
市場は活気に満ちていたが、どこかざわついた空気が漂っていた。
人々の声がやけに大きく聞こえ、嫌な予感が胸をよぎる。
「赤髪の女がいるって? あの指名手配中の“勇者”かもしれないって……!」
「本当かよ? もしそうなら、大金になるぞ」
盗賊とは違うが、何やら物騒な噂話が耳に入る。私は背負った紅葉の姿を隠すように布で覆い、急いで市場を離れようとした。
けれど、道を塞ぐように現れた男たちがいた。
「おい、その赤髪の子供。見せてもらおうか」
「……触らないで!」
咄嗟に叫んだが、男たちは笑みを浮かべながら近づいてくる。再び胸に押し寄せる不安と恐怖。
「来ないで……………………はぁ…本当に可哀想で哀れな人間族だね」
私はスキル《水流操作》を発動させた。水の刃が再び形成される。
男たちの頭をグチャグチャに粉砕し、私は覚悟を決めた。その先に何が待っていようと紅葉を守るために戦うと。