第一章10 本物語
暗闇の中、ノープルさんの感情のない声が淡々と響く。
退屈でも大人な私はお喋りな彼女の言葉を聞いてあげていた。子守も私の仕事の一つなのだ。
『さて 水素麺野郎 あなたには 今後 この世界を窮地から救ってもらわなければならない 少なくともあなたは 精霊として《人化》のスキルを持っているのだと思う 』
「うんうん、可愛いねぇ……今何歳なの? って、え?世界を救う? 勇者みたいなやつかな? ちょっとそれは…次、聡と会った時に…」
「勇者様! カッコいい!」
「あの美人なお姉ちゃんが勇者なのかよ…こりゃ、たまげたなぁーー」
「勇者様!万歳!!」
大きな町の通りで私は馬に乗り、大手を振りながら数万にも及ぶ民衆の中を駆け抜けた。
全国民の声援が私へ向けられている。いや、全世界の人々の声援を心に感じる。
私が勇者なのだ。魔王を滅ぼし、世界を救った勇者なのだ!
その時、民衆の中から声が聞こえてきた。
「篠原…? 篠原なのか?」
「あ、さ、聡!?」
私は慌てながらも彼の元へ寄った。民衆がざわめき始めた。
「勇者様の恋人なのか?!」
「いや、妻なのか!?」
「くそぉ…羨ましいなぁ…あんな美人と付き合えるなんて」
オイオイ…だれが美人だって?(照)
「聡、ねぇ、聞いて! ふふ、この世界では勇者なのよ〜 世界も救っちゃったし、お金も沢山ある。これからは…その…い、一緒に…この世界で…け、け、け、けっこ…ぶはっ!」
『話 聞いてるの? 水蛸 私も暇じゃないんだ 真面目に聞いてくれないとパンチするぞ』
ノープルと名乗る少女にパンチされてしまった。…私が水精霊なのか、ノープルが弱いのか、痛みはないけど。
「パンチした後にいうセリフなの?それ…あと! 私の名前は篠原蜜葉!」
私はパンチされたところを撫でながら言ったが、彼女は何も反応することなく言葉を続けた。
『それで この世界を救うにあたって 大事なことは "敵は人間、エルフ、獣人、ドワーフでも魔族でもない"ということだ』
ノープルは髪の毛を捲し上げながら語った。
「そもそも、私…やるって言ってないし、しかも敵が人間や魔族じゃないって…どういうことなの?」
そもそも私には世界を救う理由が無いのだ。地球に帰ること、それだけが目的なのだから
『厳密に言えば 一部は敵になるのだが 私にはどの種族も平等かつ平穏に暮らせる世界であって欲しい という切実な 優しい想いがトイレの排水溝のように詰まっているのだ』
鼻をつまみながらノープルは語った。
「いや、それ…どんな感情で言ってるの? 例えが最悪よ」
私はノープルのジョークに苦笑いすることしかできなかった。彼女はたまに毒舌になるところがあるらしい
そこで、ノープルは指を鳴らしこう言った。
『もちろん ただとは言わない 私は ある程度の魔法とスキルを持っている この世界では知らない魔法とスキルは殆どないよ 』
私はノープルの言葉に一つの希望を得た。もしかして…
「え…!もしかして、地球に行く方法があるの!?」
『地球? うーん 大陸?…いや 別の星に渡る方法のことであれば 宇宙空間を超えた移動は スキルを持っていたとしても 魔力量的に 私が60万体ぐらい 居ないと無理な話だ』
ノープルは首を傾げながら言った。
『世界中に居る魔力を持つ者を集めても不可能だろう 命を媒体にすれば1億分の1の魔力量で済むかもしれないが 転移者に"異常"が発生する可能性は否定できない なによりその星に君達が生きる為の酸素 水 生物 重力等があるとも限らない 』
ノープルは手をグーパーしながら語る。その顔は無表情だが、真剣に話していることが分かる。
「異常って?』
『魔力の代償は"魂"だ 魂の循環を止める代わりに 魔力に変換する そうやって作られた魂の魔力は転移者の魂と馴染み 混合し 精神的な異常 身体的な異常 何が起こるのか 詳しくは知らない やりたくもないから だから…』
その魔法を使うのは現実的ではない
彼女は困り顔でそう答えた。
ーーそっか…やっぱり無理だよね。あの時、私は死んだんだよ…もしも地球に行けたとしても…理性を失っている。みたいなことになれば……それは良くない。
それに、死んだ人が生きて帰ってくる〜なんて、あり得ない話だよね!
私は自分に言い聞かせるように言った。もう大丈夫…
「うん…教えてくれてありがとう。ノープルさん…………いつか…また会おうね。聡」
私は手を合わせながら天に願った。
ーー彼が幸せでありますように
私は地球で死んでこの世界に来た。彼には地球で新しい彼女を築いて、家族を作って欲しいと思っている。
ーー死んで欲しくない
ーー死んだ私に囚われて欲しくない
ーー幸せになって欲しい…
私は新しい世界で生きて行こうと決意し、同時に"地球に行く"という目的を失った。
『どういうこと? 聡…って? その地球という星には生物が生きていける環境があるの? それをどうやって知ったのか 水篠 あなたについて知りたい』
ノープルら私の肩を揺さぶりながら言った。彼女は言葉と行動が本当に合ってない。
地球の話〜なんて長くなるだろうし説明が面倒くさいので誤魔化すことにした。
「あわわわ…って言うか本当に…可愛いなぁヨシヨシ、私の名前は篠原だよ〜ヨシヨシ」
私はノープルの髪をぐしゃぐしゃに撫でまわしながら決意した。
「いいよ!この世界、一緒に救おうよ!」
私は満面の笑みでそう言った。
『そう じゃあ 取り敢えず 現世に戻ろうか』
ノープルはこれ以上追及することなく、指を鳴らしながらそういった。
《エクストラスキル:精神支配無効を取得しました》
精神支配無効の効果
・精神や感情を操る一切の外的干渉を受け付けなくなる。完全耐性。》
***
目を覚ますと洞窟の中だった。
薄暗い洞窟…酷い匂い…
あぁ…ここは…
「紅葉が居た場所…いや、まだ居るんでしょうね…」
私は…彼女を…
『早く洞窟を出て あなたが彼女に出会えばまた 幻想に侵される』
「うわっ!?脳内に響く…ノープルさん?」
機械的な声で警告を受けた。いや…脳内に喋りかけるのは"システムさん"だけの特権で合って欲しかった。何かのスキルなのだろうか
『悠長にしていると…はあ…もう逃げられないね』
腐敗臭が急に強くなった。
真後ろにいる。
耳元で息が聞こえる。
怖い…
いや…違う…これは試練の一つだ。恐れていてはいけない。
「ふぅ…………」
《水流操作!》
《水成形!》
私は《水成形》で刀を作り、 《水流操作》で足元に波を作った。
勢いに任せて、私は紅葉…いや、その亡骸に刀を振り下ろし、両断した。
『どういうことだろう』
私は篠原蜜葉と名乗る少女が意図も容易く"人間の中でも勇者と呼ばれてきた最強の存在"を殺す瞬間を見ながらそう呟いた。
まず、最初に疑問に思ったのが彼女はどこから来たのか?と言うことだ。
ある日突然、強力な魔力を纏いながら彼女が現れた。
彼女の魔力の波動からして、人間族や魔族でもない精霊族だと言うことは火を見るよりも明らかなのだが…魔力の質が違った。
まるで上位精霊…うん 間違いない 彼女は上位精霊だ。
実はそれだけじゃない。ゼロからイチを生み出す様に、何もない場所から現れた。
それは超常的存在の関与を疑うに足る案件だ。私には信仰心は無いのだが、この世界を作り出したとされる創造の神"ルニファス"が実在する可能性を肯定する。彼女はそんな存在なんだろう。
そういえば…創造の神であるルニファスは不死でありながらも死んだ。と聞いたことがある。
不死であるなら死なない。死ぬのであればそれは不死ではなかったと言うことだろうな…いや、そんなことを考えている場合ではない。
そんなことを考えている間に彼女は《人化》を取得したようだった。それも言葉を喋り、小さな精霊と会話をしている。
精霊が意志を持っていると言うことを知れたのは大きな発見だ。
何より、彼女には服を着る…という知性がある。
生まれたばかりの子供が服を着る…?本当に分からない。
そうして、精霊と話していた彼女は突然走り出した。
『どこにいくのだろうか』
彼女は水辺の洞窟の中を見つめている…。あそこには勇者の残骸が居たはずだ。怪物となってしまった。哀れな生き物。
" 「はい!」"
彼女が突然叫んだ。
その瞬間
私は驚きのあまり私は無気力な声を出した。
『は?』
彼女の体に実体が生まれた。いや…確かに水の精霊のはずだった。
しかし、それには色があり、弾力があった。彼女が水で作った物に実体が生まれる。まさしく、"異次元な能力"
『はは これは上位精霊なんて言葉で表していいのか』
それに、知らないスキルで化け物…いや、勇者と呼ばれた生き物を回復させた。…化け物に裸体を見られた際には恥ずかしがるそぶりさえ見せた。
それは人族で言うところの思春期と呼ばれるものに近い反応だろう…が、彼女には感情がある…?
そうして、気になった私は自己空間に彼女を呼び出し、会話を交わしたがやはり、彼女の感情や心は読めなかった。
それは彼女が私よりも強い、もしくは互角となる存在であることを示しているのだ。
そうして彼女に世界を救う使命を託し、様子を見ることにしようと思っていたのだが早速彼女は……勇者…化け物に捕まってしまった。
私はもうダメだ、と思っていた。
しかし、精神を支配されているはずの彼女は物怖じもせず、最恐の怪物を剣のような物で両断した。
ーー一体どうやった?精神支配を克服する方法など…スキル以外には…
スキルを入手するには果てしない努力が必要だ。それも、精神支配のスキルはエクストラ級…生まれたばかりの精霊では持つことは不可能…
ーー面白い
『これからが本番だよ』
私は作り笑いでそう言った。