③ 人形姫 (覚醒前)
私が起きていられる時間は短い。
いつも眠くて、ぼうっとする。
みんなからは、人形姫って呼ばれている。
人形みたいに、ぜんぜん動かないからだって。
私の本当の名前は、そんなのじゃないのに。
だれも、呼んでくれない。
でも、……私? 私は誰だった? 名前は?
考えようとしたら、すぐに目の前が、かすんで眠くなる。
あ、また……。目の前が、暗い……。
「おい! こっち向けよ!」
ビシッ!
背中が熱くなった。痛みが広がっていく。
目の前に男の人が立っていた。
木漏れ日が眩しい。
さっきまで部屋の中にいたはずなのに。
いつの間に外へ?
逆光を浴びながら、私に鞭を振り下ろす婚約者。
大好きな人の顔をした……名前は何だった?
ビシッ。
今度は腕に当たった。
痛い。
どうして、こんなひどいことを? なぜ?
「せっかく会いに来てやったのに、その態度はなんだ! 俺様の婚約者なんだったら、もっとちゃんとしろよ! 何が人形姫だ!」
「あ、ア……」
腕を押さえて、婚約者の名前を呼ぼうとする。
もう、やめて。お願い。ア……。
あ、名前? 何だった? 思い出せない。大好きな人なのに。
「ああ、くそっ。なんで俺の婚約者が、こんなうすのろ人形なんだよ! 俺はブルーデン公爵令息様だぞ! 国王の一人娘だからって、こんなのと結婚なんかしてたまるかよ!」
木の鞭が顔にせまる。
「おやめください! 見えるところはだめです!」
男の人がかばってくれた。私をかばった従者は、代わりに鞭が当たった手を押さえている。
痛いのは嫌。
目の前で誰かが傷つくのも嫌。
やめて、傷つけないで、国民を……お願い。
「これでも陛下のただ一人の娘です。女王にさせて、アーサー様が王配になるために必要です」
従者の口から、婚約者の名前が出てくる。
アーサー? そんな名前だった?
でも、同じ。
青銀の髪も、紺碧の瞳も。
大好きな色。
あれ? 婚約者はこんな顔だった?
また、目の前が暗くなって、頭がぐらぐらする。
「ふん、俺が王配になったら、こんなやつはさっさと処分して、もっといい女を妻にしてやる」
「それでいいんです。人形姫には形ばかりの女王となってもらい、ブルーデン公爵家がこの国を導きましょう。ですから、今はまだ辛抱してください。ただの人形だと思って……」
この国を導く? そうよ。私は王女だから、この国の、国民のために……。
ああ、眠い……。声がどんどん遠くなる……。
「……ですから、奴隷貿易をわが国の新しい産業として……」
「しかし、犯罪者はともかく、何の罪もない民を奴隷には……」
「……罪はありますよ。税が払えない罪です。帝国に借金を返せないのは、税を払わない民のせいです。国民を商品にして……」
「我が国の民を、奴隷として帝国に売り払うと言うのか?」
国王の声が響く。
その言葉に、私は覚醒する。
「奴隷……?」
私の口から出た小さな声に、隣にいたブルーデン公爵が怪訝な視線を向けた。
だめ! 奴隷はだめよ!
突然、視界がはっきり開ける。ここは、王宮の大会議室。
大臣たちが集まり、国の重要事項を決定する場。
私は、形ばかりの次期女王として、この場に座らされていた。人形のようにそこに置いてあるだけ。今までは。
「国民を、奴隷には、しません」
突然発言した私に驚いて、大臣たちが一斉に目を向ける。
「なんだ?」
国王が不快そうな視線を向ける。私は彼をまっすぐ見つめ返して答えた。
「我が国は帝国から逃れた奴隷を守るために、精霊王の力を借りて建国されました。初代聖女の建国女王は、奴隷からの解放と保護を約束しました。この国の民を再び奴隷にすることだけは、絶対に許されません」
そうよ。私は、そのために精霊界に……。
「ははっ、どうしたのだ、突然。陛下、王女は頭がおかしくなったようです」
レドリオン公爵が笑いながら言うと、まわりの大臣たちも追従して嘲笑をうかべる。
「ははは、王女様は、何かにとりつかれたか?」
「精霊だと? この国は精霊に見捨てられて100年以上経つと言うのに」
「陛下。やはり紫の瞳の持ち主が王座につくいう法律は、見直す必要がありますぞ。次の女王がこれでは……ははは」
笑いの渦のただ中で、国王はいらただし気に机をたたいた。
「おまえはもう会議に参加しなくともよい。下がれ」
私に向けられた視線は冷たい。国王は一人娘をうとんでいるのだ。全く自分に似ていない不気味な人形姫を。
立ち上がろうとしたら、いつものように、また眠気が襲ってくる。目の前がぐるぐる回って……。
待って、今は眠っちゃダメ! これだけは、言わないと。
「……私は、王女フェリシティは、決して国民を奴隷にはしません! どんなことをしても守ります!」
ああ、限界だ。また、暗くなる……。
次に目覚めたのは、きらびやかな部屋の中だった。
私は固い木の椅子に座っていた。
目の前のソファーに座っているのは、女の人と男の人。王妃とその父親のレドリオン公爵ね。
二人はグラスに入った真っ赤なワインを飲んでいる。
私の前には何も置かれていない。
喉が渇いたわ。
「例の、紫の目を持つ者だけが王になれるという法律を変えようと思う」
「! 何を今さら! だったら、はじめから、あの子でよかったんじゃないの!」
赤いドレスを着た王妃が、立ち上がって大声で叫んだ。
「私の娘を、こんなどこの馬の骨かも分からないような子供と入れ替える必要なんて、なかったじゃないの!!」
王妃は、憎々し気に、赤茶色の瞳で私をにらみつける。
「あの時は仕方なかったのだ! 法律は絶対だった。紫の目を持つ赤子が必要だった! それに、当時は先王の権力も強かった。だが、今の国王は腑抜けだからな。我がレドリオン家の力があればどうとでもなる」
「だったら、はやく私のカレンちゃんを王宮に戻してちょうだい。かわいそうに、帝国なんかに送られて」
「心配するな。あの子にはたっぷり金をかけて、ちゃんと教育してある。これよりもずっと良い女王になる」
「こんな人形よりは誰だっていいわよ。ほんと、気味悪いわ。きっと貧民の親に捨てられたのよ。不気味な娘だからって」
「しかし、……。あの時は、メイドがちょうど良い時に、紫の瞳の娘を連れて来たと喜んだのだがな。王族でもないのに、紫の瞳とは……。もしや先王の隠し子か」
「そんなの、もうどうでもいいわよ。今はこの国は、私達レドリオン公爵家のもの。法律なんて変え放題よ」
「そうだな。後は、ブルーデン公爵家をどうするかだが、婚約は破棄させるか? それとも、カレンの婿にするか?」
婚約、破棄?
あの方と別れる? 大好きな紺碧の瞳をした私の婚約者と?
「いやっ!」
たまらなくなって、叫んだ。
言葉を発した私に驚いて、二人はこっちを見た。
そして、王妃が手に持った扇を私の顔に振り下ろした。
「うるさい! 偽物! だまってらっしゃい!」
バシッ
痛い。
顔を手で覆ったら、ぬるりとした感触があった。
鼻から血が……。
「私のカレンちゃんの居場所を奪って! 許さないんだから! 薄汚い捨て子の分際で! おまえなんか!」
バシッ! バシッ!
何度も振り下ろされる扇を避けて、私は椅子から床に転げ落ちた。
ガンッ
頭に衝撃がはしった。そして、いつもより深く眠りについた。
いつもより深い闇の中で、私はやっと記憶を取り戻した。精霊宰相によって封印されていた記憶を……。