⑳ 幸せの夢
「フェリシティ。おいで」
アスラン様が私を呼んでいる。
ああ、幸せな夢だ。
おかしいな。私はあの果物は食べていないのに。
こうしてアスラン様が夢に出てきてくれる。
「フェリシティ大好きだよ」
「私も大好き」
二人で向かい合って見つめ合う。
精霊王様が降臨された時、妹のカルミラは、その美貌に目をつけた。
そして、精霊王様に近づき、愛を告げた。今まで彼女のとりこになった男たちのように、自分の側に侍らすために。
純真な精霊王様は、その言葉に感激し、彼女を伴侶にすると決めた。そして、教会はカルミラを聖女に認定し、私は勤めから解放された。
「君が聖女になると思ったのに。あんな女を選ぶなんて」
「ううん。私はね、聖女にならなくて良かったって思ったの。だって、カルミラの代わりに、私がアスラン様の婚約者になれたから」
「それは僕も嬉しいよ。ずっと、君が婚約者だったらいいのにって願っていたから」
「うれしい」
私たちはそっと抱き合った。本当に幸せな瞬間だった。
「ねえ、フェリシティ。僕は永遠に君が好きだよ」
「私も同じです」
「違うよ。僕の方がずっと君を愛している。もしも生まれ変わっても、また僕を選んでくれる?」
生まれ変わる? アスラン様が?
あ、今、すごく嫌な現実を思い出した。
アーサーがアスラン様の生まれ変わりっていう噂。
そんな訳ないじゃない! 本当に腹が立つ!
ああ、だめだめ。
せっかくアスラン様が夢に出てきてくれたのに。
こんな幸せな夢の時間に、あんな嫌なやつのことを考えたくない。
「フェリシティ?」
綺麗な紺碧の瞳が私を映している。……違うよね。アスラン様はアレとは違う。
「どうしたの? 僕が生まれ変わるまで、待っててくれないの?」
寂しそうな声。大好きなアスラン様の優しい息遣い。
「私にはアスラン様だけです!」
力いっぱい告げる。私が好きなのは、アスラン様だけなんだから。
大好きなアスラン様なら、どんな姿に生まれ変わっても、きっと私には分かる。絶対に、アレは違う。
「約束だよ。僕にはフェリシティだけだから。絶対に待ってて」
「はい!」
アスラン様の綺麗な顔が近づいてきて、私の唇に触れる。
大好きなアスラン様と100年ぶりのキスを交わす。
幸せな夢は、そこで終わった。
「ああ……どうして」
どうして目が覚めてしまったの?
もっと夢を見ていたかったのに。
暗闇のベッドの中で、一人で静かに涙を流す。
「ずっと眠っていたかった。目覚めたくなかったのに……」
もしも、今、目の前に幸せの夢を見せる果物があったなら。
私は戸惑わずに食べるだろう。ずっとアスラン様の夢を見ていたい。永遠に眠っていたい。
こんなに寒くて一人ぼっちの現実に、私を一人で残さないで。お願い。アスラン様。私を一人にしないで。
……自分で選んだくせに。
今更、私は後悔している。ずっと悔やんでばかりだった。
あの時、国民なんか見捨てればよかった。
精霊に頼り切った、堕落した民たちを守る義務なんてなかったのに。
アスラン様と一緒に、逃げればよかったのに。
精霊教会で受けた洗脳に近い教育が、私に王女の務めを果たさせたの?
あの時、もしも、精霊界に行かなければ……。
それより前にも、精霊王が放った滅びの炎を防いだりしなければ……。
アスラン様と一緒に、死ぬことができたのに!
ただ一人生き残ってしまうなんてことを、避けられたのに。
今なら、彼の言っていたことが分かる。
愛する人のいない世界に、たった一人でいることのつらさが。
それなら私は、……。
◇◇◇◇◇
「これね、ちょっと口がピリピリするけど、おいしいんだ」
青い髪の美少年が、大きな蛾の羽をぺろぺろと舐めて、満面の笑顔を見せた。
「ピリピリするって、毒があるんじゃないの?」
飴をしゃぶるように、巨大な魔物蛾を味わっている精霊に問う。
「うん。人間は、ちょっとさわったら、動けなくなるよ」
私に答えてから、ルリは、舐め終わった蛾の羽を束ねて、黒くてぷくぷくした胴体に、がぶりとかじりついた。黒い体液がどろりとこぼれ出る。
「うぇ」
いつ見ても慣れない鳥精霊の食事風景だ。
真夜中に運ばれて来たプレゼントを、ルリは大喜びで受け取った。
王妃がレドリオン公爵に頼んで、領地に出た魔物をわざわざ私の部屋に入れさせたのだろう。
危険な魔物の輸送は大変だっただろうに。
王妃は、魔物による不幸な事故で私を殺したいらしい。こうして離宮に魔物が届けられる度、精霊が大喜びするだけなのに。
「ねえ、帝国にはあの果物の飴は広まった?」
「うん。果物と違って、飴は安いから庶民も買ってるみたいだよ」
「そう……」
あの飴が手元にあったなら、口に入れたい衝動に逆らえなくなるだろう。誰だって、幸せになりたいのだ。愛する人の出てくる夢が見られるなら、ずっと夢の世界に浸っていたい。
最近、よくアスラン様の夢を見る。
ついさっきも、ルリが魔物蛾を捕まえて目が覚めるまで、私はアスラン様と一緒にいた。手をつないで、綺麗な花園を歩いていた。
とてもとても幸せな夢。目覚めたらあっけなく終わってしまう儚い夢。
現実はとても醜い。
「レドリオン公爵家は、今はどんな感じ?」
「うん、帝国のね、王様の弟が来てるよ」
「帝国の皇弟が?」
「うん。何かね、公爵夫人の弟なんだって」
「え?! レドリオン公爵夫人の弟が、皇帝の弟なの? 待って、それってつまり、皇帝と公爵夫人が兄弟ってこと? え?」
レドリオン公爵夫人は社交には一切出てこない。平民出身だって言われていた。でも、帝国人だったの? しかも、皇帝の妹? そんなこと、初めて聞いた。国王はそれを知っているの? なんで隠してるの? 外国人だから?
じゃあ、公爵夫人の娘の王妃は、半分帝国人で、その娘のカレンも帝国の血を引いてるってことになる。
カレンは純血種じゃない。
そうだろうなとは、思ってた。
だって、赤茶色の目をしているから。
建国女王の血筋なら、どんなに血が薄まろうとも、紫に近い瞳の色を持つ。
でも、純血種じゃない時、つまり、外国人の血が混ざった時は、それに当てはまらない。
建国女王が守るのは、この国の民だけだ。
外国人と交われば、この国の民とはみなされない。
カレンの赤茶色の瞳は、純血種じゃないことの証明だった。
レドリオン家は帝国との結びつきが強い公爵家だ。
公爵はひそかに帝国の皇帝の妹と結婚していた。彼は、この国の民を奴隷として帝国に売りつけようとしている。いずれはこの国も、帝国に渡すつもりかもしれない。
――奴隷たちは渡さない。この国の民は私のもの。
頭の中で声が響く。
「ねえ、ルリ。農園の果物をもっと増産しましょう。ちょっと行って、成長を速めてきてくれるかしら? ついでに、その効能も強めてくれると嬉しいわ」
「そういうの、あんまりうまくできないけど、やってみる」
「ありがとう」
手についた魔物蛾の黒い血をぺろぺろ舐めてから、青い鳥精霊は姿を消した。
ブルーデン公爵家は、帝国の借金をどれくらい返せたのだろうか? このままでは、レドリオンの思いのまま。この国の民はいなくなってしまう。
……? でも、なぜ?
なぜ、この国はなくなってはいけないの?
ふと、そんな考えが浮かんだ。なぜ?
そんなこと、考えちゃだめだ……。
頭が痛くなる。
――民を愛しなさい。私の国の民を誰にも奪わせない。
ズキズキ痛む頭を押さえて、私は床にうずくまった。
なぜ? どうして守らないといけないの?
彼らは私に何もしてくれないのに……。
――私の愛する奴隷たちを、彼らを守るのです。
いやよ。どうして、私がそんなことをしなきゃいけないの? どうして、私ばかりが……。
目の前がくらくらする。紫色の炎が燃えている。
炎の中の紫の瞳が、私にせまってくる。
ああ、彼女が私に……。
本当は、大嫌いなのに。
私は、本当は、この国の民を全然愛してなんかいないのに……。
――私の国民を守るのです。誰にも渡さない。愛しなさい。
紫の瞳の女の人が、あの日、私にそう命じた。




