⑩ 果樹園
……こわかった。
男の鋭い視線が。あの真っ黒な瞳が。
あれが魔法なの? 魔石の力も借りず、魔物のように魔法を使った。
おそろしいわ。魔物と同じね。黒い髪に黒い瞳。
あれが帝国の貴族。
黒い炎が燃えているような、魔物のような目をした人間。
「聖女さま~?」
人型になった精霊が、首をかしげて私を見上げた。
「ごめんね。朝ごはんの途中だったんじゃない?」
自室のベッドに座り、震える肩を自分で抱きしめて、ルリに向き合う。
精霊は、にこにこしながら空間から長い物を取り出した。細くて長くて黒い物体には、毛が生えている。
「残りは持ってきたから大丈夫~」
そう言って、子供の姿の精霊はポリポリと魔物蜘蛛の足をかじり出した。
「……それを食べてからでいいから、もう一回転移してくれる?」
「はあーい」
ルリは急いで口いっぱいに蜘蛛の足を詰め込んだ。
離宮に転移してくれたのはいいのだけれど、今日は他にも行く場所があるのだ。
王都のはずれにある小さな農園を、メイドのマリリンの親を通して購入した。物乞いに渡した銀貨を包んだ紙には、この農園の地図を書いてある。ここでは果物を育てることにしたので、できるだけ多くの人手が必要なのだ。
「こんにちは。種を持って来ました」
転移の後、鳥の姿にもどったルリをポケットに入れて、顔を見られないようにフードを深くかぶる。そして、見張り小屋に座っている中年の男に挨拶をした。
「おお。親方はあっちにいるぞ」
男が指さした先にいる老人の方へ歩きながら、畑の様子を観察する。
数日前に種を植えたばかりなのに、葉が生い茂り、すでに蕾をつけている。実を収穫できるのは、もうすぐね。赤い花が咲いた後、大きな丸い実ができる。
甘くて、とろけるように美味しいその果物は、帝国人がこぞって買い求めるだろう。
でも、絶対に、この国の民が食べてはいけない。
「こんにちは。種を持って来ました」
フードを深くかぶって顔を隠した私は、怪しく見えるだろう。
でも、金で雇った貧しい老人は、そんなことは気にならないようだ。
「素晴らしい種ですな。まるで、昔、精霊の加護があった時代のようです。何もしなくてもすくすく育つ。これは、どんな実ができるのかね?」
「赤い実です。でも、絶対に食べないでください。高級品なので、あなた方の所持金ではとても購入できませんよ」
高値で売るつもりだ。この味を知れば、どれほど値上げしようとも帝国人は買い求めるだろう。一度食べたら、もう一つ食べたくなる。そして、二個、三個と食べ続けたら……。もう、この果物なしでは生きていられない。
――幸せの夢。
ルリに頼んで、残っていた種を探してきてもらった。精霊の加護がかかっているから成長が早い。
これを育てて、帝国へ輸出する。
100年前、私の父王は、これを好んで食べ、身を滅ぼした。この実を食べると、幸せな夢を見ることができるけれど、中毒性があるのだ。幸せな夢の世界で生きるために、父はこれを食べ続けた。そして、やがて現実に戻ることをやめた。
私の国民を奴隷にしようとする帝国人に与えるには、ぴったりの商品ね。
教会で出会った魔物のような男を思い出して、わずかな罪悪感を忘れることにした。
魔物のように魔法を使う者から、私の愛する国民を守るためだもの。
これは、必要なことよ。
「もしもここで働く者が、この果物を食べたら、見せしめとして、できるだけひどい処罰をしてちょうだいね」
絶対に、国民には食べさせないわ。
私の強い言葉に、老人はびくりと震えた。
上の者の言いなりになることしかできない、愛すべき国民。
精霊の加護のおかげで、無知で純粋に育った者たち。
私は、王女として、彼らを導かないといけない。
だって、私はそのために犠牲になったのよ。
私の国民を帝国人なんかに渡さないんだから。
◇◇◇◇◇
「おい、今日も来てやったぞ!」
定例になっている婚約者とのお茶会だ。
見た目だけアスラン様にそっくりな婚約者は、ドスンと椅子に座って私をじろじろ見た。
彼が腰につけている鞭は、このところ私に使われることはなくなった。会うたびに、わざとらしいくらいお世辞を言ってあげるからだ。単純な彼は、それだけで機嫌が良くなる。
「お会いできてうれしいですわ。今日も青銀の髪がキラキラ輝いてお美しいです」
「おう、俺の髪は賢者アスランと同じだからな。我がブルーデン家の特徴だ」
「はい。アーサー様が出版された賢者アスランの小説はベストセラーになりましたね。皆が感動したと語ってますわ」
「そうだろう。全部俺様のおかげだ。ブルーデン家の収入も増えたと親父から褒められたぞ」
得意げに話すアーサーに紅茶を入れながら、私は彼の側に立っている従者を観察する。
人形姫が変わったことを彼は当主に告げたのだろうか?
「他には何か金になることはないのか? 他にも俺様の優秀な先祖の話は?」
アーサーの紅茶にたっぷりと砂糖を入れながら、私は少し考え込むように話を切り出した。
「そういえば、メイドの知り合いが、おいしい果物を作っているそうですわ。一口食べると夢中になる、甘くてみずみずしくて、とろけるような舌触りの真っ赤な果実を」
「なんだそれは? 食べてみたいぞ。すぐに持って来させろ」
アーサーは甘すぎる紅茶をごくりと飲んで、私をせかした。
「それが、この国の民は決して食べてはいけないそうです。なんでも、幸せの夢という名前だとか」
「!それは!」
声をあげたのは、アーサーの従者だった。糸目の男は、目をさらに細めながら、私につめよった。
「大災害の前、国民が大勢眠りについたというあの魔の果実ですか?」
すぐ隣で、大声を出されたので、私は怖がったふりをして、耳を押さえる。
「どこで見つけたのです! 危険だ。そんなものが再び出回れば、中毒者が!」
「きゃぁ」
私の腕をつかんだ従者に、悲鳴を上げる。そして、助けを求めるようにアーサーを見上げた。
「おい! 無礼だぞ! そいつは仮にも王女だ」
身分を重んじるアーサーは、従者を叱りつけた。
「申し訳ありません。しかし、その果物は麻薬以上の危険があります! すぐに処分しなくては!」
「でもっ! 帝国人だけに売るって言ってましたわ! 帝国人から国民を守るためだって!」
私は涙声でアーサーに訴えた。処分なんてさせない。これは、わが国の切り札にするのだから。
「どういうことだ? そのうまそうな果物は、麻薬なのか?」
事情が分からないアーサーは、苛立ちながら従者に聞いた。
このままだと、またアーサーが癇癪を起して暴力をふるうかもしれない。彼は、自分には分からない話をされると怒りだすのだ。
私は、か弱い王女を演じながら、説明した。
「麻薬ではありません! 体に害はないんです。一度食べたらやめられなくなるだけです。魔物のような帝国人にだけ食べさせるんです! 彼らは借金の代わりに、国民を奴隷にしようとしています。だから、このおいしい果物を売って、借金を返せばいいって思いましたの」
「ああ、忌々しい帝国人め。いくら我が国の民が美しいからと言って、奴隷にして手に入れようとするなど、汚らわしい! しかし、果物ごときで借金が返せるのか?」
「この果物は、一度食べたら、夢中になって、止められなくなるんです。だから、高いお金を払っても、買い続けるようになるから、大儲けできるって言ってました」
私の言葉に、アーサーはにやりと笑った。
「つまり、中毒性のある果物を憎き帝国人に売りつけて、大金をむしり取ろうってわけだな! おもしろい! おい、それは俺が売ってやる。全部よこせ!」
……かかった。私は心の中で黒く笑った。二大公爵のブルーデン家が輸出の中心となれば、この計画はうまくいくだろう。でも、単純なアーサーはともかく、彼の頭脳役はどうだろうか?
糸目の従者は、考え込むような仕草で頬を押さえた。
「その果物の栽培所はどこですか?」
私は、従者にメイドのマリリンの名を告げる。マリリンの口から農場のことを知らせるだろう。これで私はもう関わらないで済む。
本当は、こんなものを栽培したくはないのだけれど。
「よし、それで大金を稼いだら、今度は俺を主人公にした小説を出版しよう。どんな話がいいかおまえも考えろよ」
アーサーは、もうこの話は飽きたとばかりに、テーブルの上のクッキーをバリバリかじりながら、新しい小説のテーマを語りだした。
「魔物みたいな帝国人を俺様が倒して、奴隷にされた美女を助け出す話はどうだ? 美女はいろんな種類を出そう。胸が大きいのとか、やたら若いのとか、女だてらに剣を使うような生意気なやつもいいな。人妻も捨てがたい……」
妄想の世界に入り込んだ婚約者を横目で見ながら、従者を観察する。
彼は、糸目をさらに細めて、ぶつぶつと一人で何かつぶやきながらうなずいていた。




