① プロローグ
「アーサー様、婚約を解消しましょう」
ああ、やっと言えたわ。
今日でもう、終わりにしましょう。
「何を言ってるんだ? 最近相手をしてやらなかったから、すねてるのか?」
アーサーは不満そうに唇をとがらせた。自分の行いを反省する気はないようね。
「カレンの方がアーサー様とお似合いです。私は、身を引きます」
彼は、第二王女のカレンに夢中だ。
「何を言ってる? 俺との婚約がなくなれば、今の立場を失うぞ」
「立場ですか?」
「そうだ。偽物のおまえが第一王女でいられるのは、この俺の、ブルーデン公爵家の婚約者だからだ。おまえは、国王の本当の娘じゃないからな」
偽物の王女と言われた私を支持するのは、ブルーデン公爵家だった。私が王女でいられるのは、彼の婚約者だから。
でも……。私は偽物って言われてるけど、本物なのよね。
手の中の石を握りしめる。小さな黒い石は、ほんのりと熱をもつ。
「俺とカレンが恋仲なのが気に入らないのか? だって、仕方ないだろう? 俺たちは、悲劇の恋人達の生まれ変わりって言われてるからな」
アーサーは自分の言葉に酔ったように、薄ら笑いを浮かべて話し続ける。仕方ないので興味があるふりをして、相づちをうつ。
「悲劇の恋人達ですか?」
「ああ、知ってるだろう? 賢者アスランと聖女フェリシティだ。おまえの名は、聖女と同じだな。でも、名前しか同じじゃない。聖女に似ているのは、おまえじゃなくて、カレンだ」
「そうですね。あの絵姿は、彼女にそっくりですよね」
王城に飾られている聖女フェリシティの肖像画は、カレンそのものだ。ただし、金色の髪に紫の目という聖女の色合いを除けばだけれど。
カレンは赤茶の髪に赤茶の瞳をしている。
対して、私は王族の特徴である金髪に紫の目、そして名前も同じフェリシティだ。でも、容姿は聖女の絵姿とは全く似ていない。私は、目だけが大きくて、鼻と口が小さい。顔も小さいし、背も小さい。年齢よりもずっと幼く見られる。初めて会った人は、私をカレンよりも年下だと思うだろう。
「俺は賢者アスランに似ているからな。だからみんな、俺たち二人が一緒にいると喜ぶ。100年前に生贄になった聖女と、彼女への愛を貫いた賢者が、生まれ変わって巡り合えたって」
アスラン様の名前に、心がぎゅっと痛くなる。
その同じ目の色で、よく似た顔立ちで、アスラン様を語らないで!
私の大好きだった人を……。
「この国のための生贄だったんです。この国の民のために……」
王女として国を救うために、命を捨てる覚悟はできていた。でも……。彼を恋しく思う気持ちだけは、捨てきれなかった。あの時の痛みは、100年以上経った今でも、まだ鮮明に残っている。ずっと悲しくて、苦しい。
「そうだ! 神聖な生贄だ! 民はもっと、聖女を敬うべきだな。今、俺たちが生きているのは、生贄の聖女のおかげだからな。それから、もちろん、聖女の婚約者だった賢者アスラン、俺の先祖の力も大きい!」
あなたに言われなくても、アスラン様のことは誰よりもよく分かっているわよ。
青銀の髪も、紺碧の瞳も。悔しいくらいにそっくり同じ。顔立ちも、体形もよく似ている。アーサーは、先祖返りなのね。
でもね、頭の中身だけは全く似ていないわ。
口を開かなかったら、私のアスラン様なのに。
お願いだから、黙っててよ。
「だがな、心配は無用だ。俺はおまえとも結婚してやる! おまえは紫の瞳だからな。うん、おまえが正妃でカレンが第二妃だ! カレンは国王の本当の娘だが、茶色の目だから女王にはなれないからな」
頭の悪いアーサーは、こっちの頭が痛くなるようなことを平気で言う。
なぜ王配になる者が、妻を二人も娶るの?
自分の言ってることを分かってる?
見た目だけは気に入っていたけれど、アスラン様との違いを思い出させるだけの存在ね。もう早く駆除したいわ。
「いいえ。結構よ。あなたとは結婚しないわ」
「は? 何だって?」
アーサーは、私の言葉に激高した。
「卑しい孤児を、俺の婚約者にしてやってるんだ! 生意気なことを言うと、こうだぞ!」
彼の手が、ベルトにはさんだ木の鞭に向かう。以前の私は、何度もこれで体を傷つけられた。
でもね、今の私はもう、人形姫と呼ばれた無力な婚約者じゃないのよ。
だから……、
手の中の魔石に力をこめる。
ビシッ
鋭い音が響く。
私に向けて振り下ろされた鞭は、ぽきりと折れた。
虹色の膜が私を囲んでいる。
聖女の結界だ。
100年ぶりだから、ちょっと強くしすぎたかな?