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7 帰村と保育

 狩った獲物はある程度血抜き、解体を行い、林の外に置いていた木製のそりに載せた。猪の図体が大きく、不要な内臓を抜いても二人や三人では担げない重量だ。

 五人で力を合わせて、ずりずりと村の中まで曳いて入る。ところどころ土が露出して滑りにくくなっていたが、それでも橇がないよりはましだ。


「よっしゃーー」

「おお、着いたぜ」


 子どもを預けた家の前まで達して、みんなで大きく息をついた。

 空き地に橇を入れながら、オイゲンが声をかけてきた。


「あとは俺らでやっておくから、ライナルトは娘を迎えに行ってやんな」

「おう、頼んだ」


 子どもを預けているということではケヴィンとイーヴォも同じだが、一人まだ赤子だという配慮だろう。

 ありがたく受けて、ライナルトは両手を払った。


「肉はみんなの分に分けて、お前さんのとこにも届けてやるから」

「おう」


 かけられた声を最後まで聞かず、脇の戸口に駆け寄っていく。

 ドンドン二度叩いて、返事を待たず戸を開く。


「済まん。娘は無事か?」

「まあまあライナルトさん、お帰んなさい。たいへんだったでしょう」

「娘さんは泣き通しだったけど、元気にしているよお。お乳もしっかり飲んでたし」

「おう、ありがとう」


 世話をしていたロミルダとイーヴォの女房ライナにはほとんど顔も向けずに礼を言い、脇の毛皮の上に膝つきで屈み込んだ。

 お座りをしていた赤ん坊が顔を上げ、大きなうす菫色すみれいろの目を丸くする。

 手を差し出すと、一瞬間を置いて、ばね仕掛けのように飛びついてきた。


「んんん――ぎゃあああーーー!」

「お、おう……」


 まだ立ち上がることもできなかったはずが、信じられないほどの瞬発力だ。

 伸び上がって分厚い毛皮の胸に頭突きをし、跳ね返り落ちそうになって両手で太い左腕に抱きつく。たちまち、両手両足を絡めて力の限り密着してきた。


「ひぇぇえええーーーーーーん」

「おうおう、悪かった。一人にして、ごめんな」

「びぇぇえええーーーーーーん」

「偉かったぞ、よく我慢していたな」


 もう金輪際離れないとばかり、両手両足を左肘付近に巻きつけ、肩に号泣顔を押し付けてくる。

 ついぞ見たことのない姿勢で苦労しながら、ライナルトはその尻に右手を添えて抱き上げた。

 頭を撫でても、当分泣き止みはしそうにない。しゃくり上げとともに、何度も両腕に力を入れ直し密着を強めてくる。


「何ともまあ、必死だねえ」

「さっきまで少し泣き止んでいたんだけど、お父ちゃんを見たらもう我慢できなくなったみたいだねえ」

「面倒をかけて、済まなかった」

「いえいえ。最初は酷い泣き方だったけど、泣き疲れてひと眠りしてからは、ずっと大人しくしてたんだよ。ずっと啜り泣きは続けてたけど」

「そうか。とにかくありがとう」


 毛皮の上衣の前を開いて娘を覆い直し、ライナルトはもう一度女たちに礼を述べた。

 戸が開いて、ようやくケヴィンとイーヴォも入ってきた。

 奥からそれぞれの子どもが「父ちゃん!」と駆け出してくる。

 まだ泣き続ける赤子を揺すり上げて、ライナルトは向きを変えた。


「じゃあまた、明日も頼む」

「ああ、またおいで」


 家に戻り、暖炉に火を入れる。そんな動きの間にも、娘は左肘に両手両足を巻きつけた全力のしがみつきを続けていた。

 火が落ち着いていつもの籠に寝かせようとしても、離れない。無理に両手を解こうとすると、泣き喚きが始まりそうだ。

 仕方なく、ライナルトは赤子を片手に抱いたまま、作業を続けた。

 室内が暖まってきたところで、羽織っていた毛皮を脱ぐ。子どもの厚着も脱がしてやる。そんな動きにも小さな手に力が入って離れようとせず、難渋してしまう。

 さて、と土間の竈に向かい、ひと時思い凝らしてみた。

 火を使った炊事に、さすがにこの恰好は危ないし不便だろう。


「おい、せめて背中に移ってくれんか」

「わうーー」


 嘆願しても聞いてくれようはないのだが。一応声かけをして力を入れ、小さな両手を肘から首後ろへと移動させた。

 ただ引き離されるのではないと悟ったようで、赤子は全身のずり動かしにも抵抗をしなかった。

 背中にへばりつかせる形を安定させ、以前ロミルダから譲り受けていたおぶい紐を回して固定する。もう少し暖かくなったら外歩きの際に使おうと構想していたものだが、思いがけず早い出番になったことになる。

 自分の腰前に紐を縛り合わせると、小さな両手が喉元に回されてきた。当然力弱いので苦しさはないが、何となくの脅威めいたものを覚えてしまう。

 それでも、布で押さえた尻を軽く揺すり上げ。


「どうだ、居心地悪くはないか」

「わうわう」


 呼びかけに返る声が不機嫌そうではないので、よしとする。

 ようやく両手が自由になって、作業再開。

 竈に薪を入れ、魔法で火を点ける。


「わあ」


 タイミングよく声が上がったのは、着火作業が珍しかったのだろうか。その辺、よく分からない。確かに、こんな近距離で見せたことはなかったかもしれない。

 ヤギの乳を搾って温めているうち、ケヴィンがいのしし肉を届けてくれた。村の全世帯で分けても、かなりの分量だ。

 さっそくその一部の塊を適当に角切りにし、鍋で焼き目をつけて水を足す。葉物野菜を切り入れて、煮込んでいく。

 いつもながらの芸のないスープだが、この日は贅沢に肉が使われることになった。

 そうしてテーブルについて食事を始めても、赤ん坊はライナルトから離れようとしなかった。

 膝に載せて乳を飲ませた後、いつもなら大人しく籠の中に横たわるのだが、この日は持ち上げられを拒否して泣き出しそうになるのだ。

 仕方なく片手で膝の子どもを支え、ライナルトはもう一方の片手で自分の夕食をとることになった。

 食後の器洗いの際も、またおぶい直す面倒な手間をとる。

 少しだけ手を離すことができたのは、湯を使わす時間だけだった。ぬるま湯を入れた桶に座らせて身体を撫で洗ってやると、きゃきゃ、とこれはいつもと同じに喜声を上げている。ライナルトが絞った布で自分の身を拭っている間も、満足そうに湯に沈んでいる。

 ちゃぽちゃぽと湯を揺らし、濡れてぺったりした薄い金髪の下、桃色に染まった小さな顔にうっとり目を細めて。


「わあ、ううーー」

「そうか、気持ちいいか」


 何となくだがこの日は子どもの反応がいい気がして、話しかけの声が多くなっていた。

 思い返してみると育児経験者から、赤子に言葉の意味は通じなくても話しかけはできるだけした方がいい、と言われた気がする。生来のくちおも性質たちだが、この辺は心がけた方がいいのだろうと思う。

 身体を拭って寝巻を着せている間にも「どうだ気持ちいいか、あったまったか」などと声をかけていると、娘は上機嫌に「きゃあきゃあ」と笑い返してきた。

 床に落ち着くと、両手を伸ばして抱っこをせがんでくる。

 この日は結局独り遊びの時間をとることなく、娘は眠りにつくまで父の膝上に収まっていた。


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