52 逡巡と旅立
領からの依頼については、村長のホラーツとも相談、検討した。
長期間の勤務となる。
来春になっても魔獣の動きが見られないなら、一応の危険は去ったと考えてよさそうで、ライナルトによる村の警護の必要も遠のくと思っていいだろう。
そうすると以前に検討したように、これに合わせてイェッタの将来を考え領都か王都に向けて移住を考える、という選択も出てきそうだ。
この依頼を受けることで、領都などでライナルトが職を得る可能性も出てくるだろう。
「確かに、お前さんにとってはいい機会かもしれんな」
「予定していたよりまだイェッタが小さいんだが、移動が無理ということはないと思う」
「お前さんにはずっといてもらいたい気もあるが、魔獣の恐れが薄くなるならここに縛りつけておけるもんでもねえ。その剣や魔法の腕にしても、領都なんかの方が活かせるんでないか」
「かもしれん。まあまだこの依頼も受けると決めたわけでなし、とにかく春の魔獣の動きを見てからのことだ。ゆっくり考えるさ」
「しっかり、後悔のないように考えてくれ。村の者たちとしては、お前さんを応援する」
「ありがとうよ」
雪が降り始め、ブリアックは領都へ帰っていった。
またいつものように、村では雪に閉ざされた一冬を超すことになる。
天気のいい日には総出で運動などをするが、魔獣の恐れが少なくなったことで、例年以上にみんなの顔は明るいようだ。また一つ年を乗せたこともあり、子どもたちはさらに元気いっぱい走り回っている。
やがて雪が溶け。
また村に、ブリアックが訪れた。前季から言っているように、この期間に魔獣が見られなければこれで最後の駐留になる予定だ。
ライナルトに挨拶をして、また追加の依頼が入っているという。
「我が領主フンツェルマン侯爵閣下からのものと同様な依頼が、ケッセルリンク伯爵領からも来ているというのだ」
「ケッセルリンク伯爵領かあ」
ライナルトにとっては生まれ故郷、父が騎士爵として仕えていたという縁のある領だ。
どうもフンツェルマン侯爵領に火魔法の強化に成功した魔狩人がいると、噂を聞きつけたらしい。
侯爵にとって、相手の領によってはそんな問い合わせも一顧だにしないという選択もある。この時勢、何処の領も覇の競い合いは常に潜在していて、武力増強に繋がる策は秘匿したいのが常識だ。
ただケッセルリンク伯爵領は古くより友好関係を続けている相手で、条件によってはそうした情報も共有する可能性が出てくる。その辺、それなりの取り引きがあったのかもしれない。
渡された書面によるとこの件もあくまで依頼で強制はない、という表現だ。つまりはライナルトの意思で決めよ、と。
ライナルトにとってもこの伯爵領は縁のある地だし、わずかながら知人が残っている関係で、完全無視も躊躇われる。
うーむ、とライナルトは腕を組むことになった。
当初の考えでは領都で務めを果たした後、一度王都に行ってみようかと思っていた。国民の誰もができるわけでもない経験、娘に首都の姿を見せたいという思いだ。
しかし今回の依頼を両方受けたとすると、まずフンツェルマン侯爵領で指導を終えた後、ケッセルリンク伯爵領でまた一定期間を過ごすことになる。事実上、王都から遠ざかる順序だ。王都からの街道はここの領都を経て北の村々の近くを通り、さらに西に向かってケッセルリンク伯爵領に至る。
ただ、伯爵領からは王都に向かう別の道順がある。フンツェルマン侯爵領の西側から南にかけてピンイン山地という地帯があるが、そのさらに西側の山道を使って王都側へ出ることもできるのだ。改めて侯爵領へ戻るよりはかかる日数も短い。それでも出発時から考えると当初の二倍を超えることになり、山道はやや険しい道どりの旅程だが、子連れでできないことでもない。
もちろん、どちらか一方や双方ともの依頼を断る選択もある。
ここはある程度情報を整理しないとイェッタと相談する段階にもならないので、しばらくライナルトは頭を悩ませた。
生まれは別だが、イェッタはこの年齢までほぼこの村しか知らない。ここへの思い入れもあるだろう。
すぐに日々は過ぎ、雪がすっかり消えても魔獣たちの気配はない。
決断を迫られる思いで、娘に事情を話す。
「オータの生まれたとこと、ずっといたとこ?」
「そういうことになるな」
「行って、見てみたい、どっちも」
「そうか」
「王都も、行きたい」
「旅が長くなって、大変だぞ」
「頑張って、歩く」
「そうかあ」
イェッタは歩く気満々だが、そうそう続けられるものでもないだろう。しかし荷物を少なくすればほとんどの旅程を負んぶで通すことも難しくはない、とライナルトは結論づけた。
結局村長や兵士との確認で、魔獣の脅威は消えたという判断になった。
ブリアックの駐留任務が終わることになり、今回の依頼を受ける返事を持ち帰ってもらうことにした。伯爵領にもその旨伝えてもらえるようだ。
村人たちにもこれを伝えて、旅立ちの支度を始める。
すっかり親しみ共闘の経験も積んだ仲間たちは、大いに名残惜しみながら前途を祝してくれた。
荷物は極力減らして、野営に使う必要物程度に留めることにする。
そうしていると、ヨッヘムとマヌエルが訪ねてきた。小型の荷車を修理して使えるようにしたので持っていけ、と言う。
「ある程度荷物を積めるし、イェッタを乗せていけると思うぜ」
「それは助かる」
元は大きかった荷台を使える部分だけ残して小さくしたので、本当に子ども一人とふつうに背負う荷物を載せられるかという大きさだ。それでも押して歩く把手など使いやすく整備され、工作が得意な二人の精一杯が詰められているようでありがたい。
「喜んで使わせてもらう」
「子ども連れの旅が、少しでも楽になればいいな」
無愛想に車の最終調整をするヨッヘム爺の傍らで、マヌエルが感情を抑えるように短く言った。
それでもイェッタが「ありがと」と声を返すと、二人とも年輩の顔を笑みに崩している。
ついでにイェッタはヨッヘム爺に、木剣の調整を頼んでいる。
他の村人たちも何かしら持っていけと提案してくるが、荷物量の関係でありがたいながら断るしかない。出発当日はロミルダが弁当を作ってくれるというのを、感謝して受ける程度になった。
その朝には、村人全員が揃って送ってくれた。
ホラーツが短く送別の言葉を贈ってくれた。
「二人にはいくら感謝してもし足りない。ずっと無事を祈っているぞ」
「俺たちもさんざん世話になった。ありがとう」
「イェッタちゃん、元気でね。身体に気をつけるんだよ」
「あい」
明るく声をかけるロミルダの後ろで、ホルガーとヨーナスがふてくされた顔で外方を向いている。
イェッタが先日別れを告げると、バカ野郎行くな、と騒ぎ立てていたらしい。
「ホルガー、ヨーナス、またね」
「ふん、バカ野郎」
一通り挨拶を交わして、父娘は歩き出した。
イェッタにとっては事実上の故郷を、これで離れることになる。
万感を込めて何度も振り返り、小さくなる人々にくり返し手を振る。
そうして村が見えなくなると、ライナルトは並び歩く娘の頭をくしゃりと撫でた。
「これで後は、二人きりだ。よろしく頼むな、相棒」
「あい」
にっと笑い、イェッタはタタタと軽快に足を進める。背中に斜めに括りつけた愛用の木剣が、やや重たげに揺れる。
もう少し故郷に未練を残すかと危ぶんでいたが、この娘はただ未来だけを見ているようだ。
「領都、あっち? 早く行こう、オータ」
「落ち着け。急いでも疲れるだけだぞ」
「平気平気」
笑って、ますます足を速めている。
まあ疲れたら荷車に乗せるだけだ、とライナルトも気楽に構えることにした。
何処までも続く土の道に、娘に合わせて足を送っていく。
以前に「第1章終了の感覚」とした部分と量的整合性が今ひとつなのですが、ここで言わば第一部の終了とさせていただきます。
応援してくださっている方々には申し訳ありませんが、今後の更新についてはしばらく休ませていただきます。しばらくお待ち頂ければ幸いです。