46 避難と足止
柵の木戸を抜けて入ってくる四人を、ライナルトと女二人で迎えた。兵士二人は脚や上半身のあちこちを負傷しているらしい。一人の片脚は骨折していそうだという。
村の若者の肩を借りて気丈に歩きながら、「みんなを避難させろ」とくり返す。
「とんでもない魔獣だって?」
「ああ、話にだけ聞く『三ツ目鬼』という魔獣だと思う。人や猿に格好は似ているが、背丈は二階建ての家よりもでかい」
「何と」
「大昔の記録に残るだけで誰も見たことはないはずだけどな、あの大きさと眼が三つある見た目は、まちがいない。本当に伝説にしかない窮奇や應龍に次ぐ脅威とされている存在だ」
三人の兵士は、山の登りに差しかかった辺りでその巨大な魔獣の接近を目撃したという。明らかに一頭だけで、周囲には恐れをなしてか他の獣たちの気配さえない。
ずん、ずん、と地響きのような足音を立てながら、紛れもなく村の方へ向かっている。
今はゆっくりした足どりに見えるが、記録によれば、走り出したら人間の数倍に及ぶ速度になるという。すぐに村人たちを避難させるべきだが、その気になれば避難途中ですぐに追いつかれることになりそうだ。
そう判断し、兵士たちはこの付近で少しでも足止めを図ろうと頷き合った。
まともに剣や弓矢を向けても、歯が立ちそうにない。ここしばらくの山行で見つけた小規模な谷の上に誘き寄せて転落させよう、という打ち合わせにした。
そうして三人それぞれが囮となって誘導し、長い革紐で足を引っかけて、巨体を転落させることに成功した。
しかしその間の攻防で三人とも全身傷つき、一人は魔獣と共に谷底へ転落することになった。
まちがいなく、人間は助からない。一方の巨大魔獣はほとんど負傷した様子もなく、すぐに動き始めていた。さほど時もかからず、谷を抜け出してこちらへの接近を再開するだろう。
考えたくもないが、犠牲となった兵を餌として、少しでも進行を緩めてくれればありがたい。
「犠牲となった兵士には、気の毒なことをした。それを無駄にせず、すぐにみんなに伝えよう。ライラとフェーベ、走っていって村長に話してくれ」
「はいよ」
「分かったよ」
ライナルトの指示に、女たちはすぐ村に向けて駆け出した。
男二人にはそのまま兵士たちを連れていくよう言って、重ねて確認する。
「一刻も早く避難を始めるべきということになるが、それでもそいつが全速で追ってきたら、逃げ切れるか分からないわけだな?」
「何とも、分からん。悲観的だと思うべきかもしれん」
「それなら俺はその魔獣の様子を見に行って、少しでも足止めできないかやってみる」
兵士の返答を聞いて、ライナルトは仲間たちに告げた。
オイゲンが頷きを返す。
「そうしよう。俺たちも共に行く」
「征伐するのは難しいだろうし、無事逃げ切れるかの保証もないぞ。俺は長い魔狩人活動で、ある程度慣れているが」
「それでも、ライナルト一人に任せるわけにいかんさ。この村の護りは、この五人でやる約束だろう」
「おうさ」ヨッヘムに続いて、ケヴィンも声を上げた。「俺たちも、この人たちを送り届けてから跡を追うぞ」
「そうか。しかしくれぐれも命を粗末にしないこと、約束だぞ」
「お前さんもだぞ」
ヨッヘムが大男の肩を叩く。
若手の二人を見送って、娘を背負ったライナルトと中年の二人で山へ向かった。魔獣を転落させたという谷から抜け出してくるだろう経路については、村人たちが熟知している。
いくつかの経路を確認して歩くうち、若い二人が追いついてきた。
村人たちは全員南へ向けて避難を始めた。兵士二人は伝書鳩で駐留隊に救援を請う報告を送り、簡単に傷の手当てをして村に残るという。
「あと、コンラートがこっちの組に加わりたがっていたが、お前には避難途中のみんなの警護を任せる、と言いつけてきたぞ」
「おお、ありがとうよ」
イーヴォの報告に、父親のマヌエルが感謝を返した。
村人たちはうまくいけば半日程度の逃避行で、領兵に保護されるだろう。それまでに魔獣に追いつかれないために、数時程度は足止めを図りたい。
確認して、五人はさらに足を進めた。
しばらく森の中を歩いたところで、ライナルトは背中の娘に肩を叩かれた。
「オータ」
「ん、何だ」
「あっち、音する」
「ん?」
幼女の指さす右奥方向へ、男たちは耳を澄ました。
確かに、バキ、バキ、と木の折れるらしい音が遠くに聞こえるようだ。
「あれらしいな」
「おお」
頷き合って、五人は足を速めた。
わずかに木立が切れ、百ガターあまり先にまた木々が生え立つ間の空いた草むらに出る。そのまま進んだ先が目指す谷からの昇り口の一つで、明らかに近づく破壊的な音はそちらから聞こえていた。
「来るぞ」
「おお」
相手は、木々をなぎ倒しながら前進しているようだ。大木の密集した森の中ではその倒壊を避けるだけで気をとられかねないので、この草地で迎え討とう、と五人は頷き合う。
ますます破壊音が近づき、ほどなく高木の上に突き出したものが目に入ってきた。
ギウアアアーーーー。
蒼天に突き出す紛れもなく魔獣の醜怪な頭部が振られ、咆哮した。
瞬間、森のすべてが、顫えた。
あたかも、腰にも届かない草木から遥か見上げる巨木まで、その場のすべてが骨の髄から恐れ戦いた、かのように。
びりびりと顫え、地の底から戦慄が迫り上がってくるようだ。
男たちの足が強ばり、手の中に汗が握り締められる。
「何だ、あれは……」
呻き呟いたのは、イーヴォか。
残りの面々も声出せないまま、同じ思いだ。
これまで、さまざまな魔獣と相対してきた。小鬼猿の親玉や狼魔獣など、とても人の手に負えそうもない脅威にも立ち向かってきた。
しかし目の前にした巨大な存在は、一見しただけでそれらをはるかに凌駕していると理解せざるを得ない。
まず、その大きさ。
二十ガターほど先まで迫ってかなり全貌が見えてきた巨体は、大人の男三人分ほどの背丈で、見るからに剛強な二足で大地を踏みしめ太い腕を右に左に振り回している。
人型を巨大化し、貌も全身も獣に近づけたという様相で、とりわけ特徴的なのはその顔面だった。
眼が、三つある。
その外観から『三ツ目鬼』と呼ばれるこの魔獣は領兵などからの情報によると、その体躯の強さでこの森に留まらず北方一帯の王者として君臨しているはずの存在だった。
まずまちがいなく、これまで対してきたさまざまな魔獣はこの王者と敵対するなど考えようもなく、その移動に合わせてこちら南方へ下りてきたはずだ。
剣や弓矢など、かすり傷を負わす役にも立たないと言われる。
大猿や狼魔獣に比べても力弱い人間など、何十人束になってかかっても敵いようはないはずだ。
ごくり、と男たちは固い唾を飲み込む。
それから顔を見合わせ、頷き合う。
自分たちの目途は、この絶望的な脅威の征伐ではない。少しでもその足を止め、村人たちの避難を助けることだ。
ここで彼らが足止めを果たさなければ、村そのものと人々が滅びを迎える仕儀に到るのは火を見るより明らかだ。
そう目配りで確認し、向かい直る。
いつものようにライナルトを中心に、左右二人ずつやや広がり構えをとる。
そこへ。
ギウアアアーーーー。
再び、地を震わす咆哮。




