12 練習してみよう
朝食や朝の日課を終えて、父は剣や弓矢の点検を始めた。
もちろん手入れなどは昨日のうちに終わっていて、必要分揃っているかといった最終確認だろう。
この後、自分とあたしの服装を整えて外に出ることになる。
「狩りで遠出をするのはとりあえず今日までの予定だから、今日だけまた他の子たちと我慢していてくれよ」
昨日までと違ってある程度は言葉が伝わることが分かったせいだろう、噛んで含めるように断りを入れてきた。
早朝でまだ頭ぼんやりのあたしは、黙ってそれに頷く。
ここ二日の例だと、出かけるまでここで少しは時間を置くはずだ。
考えて、昨夜寝る前のことを思い返した。
父から魔法についての説明を受けて、自分でもできないか試したい欲求が膨らんでいたんだ。
赤ん坊籠から少し上体を乗り出して、下を見ると剥き出しの板床。もしもの場合もたいへんな事態にはならないだろう、と思う。
右手を前に突き出して、
「ひ――」
呟いてみたけど、何も起こらない。
向こうで、父が顔を上げた。怒られるか、と首をすくめる。
「火を試してみたのか?」
「うん」
「まったく何も出ないなら、火の適性はないんだろうな」
「うん、じゃあ――みず――」
指先に念を込めると、反応があった。
爪より少し上の空中に、小さな水の球が膨らみ浮かぶ。
わあ、と驚いていると、その球はすぐに膨らみを止めて床に落ちていった。
小さな赤ん坊の指の長さにも足りない、大きさだったけれど。生まれて初めての経験に、感動を覚えてしまう。
「わ、わ――」
「そうか、イェッタの適性は水か」
笑いながら寄ってきて、布で床を拭いてくれる。
本当にその気になれば簡単に発現してしまうし、こんな赤ん坊に対して大人が驚くこともないらしい。うっかりお漏らしをしたのと同じ程度の感覚か。
「ちゃんと扱うには、もっと練習が必要だからな。後で俺が付き合ってやるから、無闇と出すんじゃないぞ。世話をしてくれる人たちに迷惑かけるからな」
「うん」
相変わらず何処まで赤ん坊に通じると思っているか分からない注意だけど、素直に頷いておく。
預けられて座った場所で水を出したら敷いた毛皮を濡らして迷惑をかけるのは明らかだし、下手をしてお尻の近くに落ちたら妙な誤解を生まないとも限らない。
相手の言うことはかなり理解できるようになったけれど、自分から意思を伝えるのはまだまだ困難だ。説明や言い訳に苦労する以上、よけいな手間がかかることはやめておくべきだろう。
その後すぐ、いつものように毛皮に包まれて、あたしは外に連れ出された。
これで三日目、また二人の女性の世話に預けられる。
ロミルダという人はずっと同じ。もう一人は一日交替らしく、また初日の人に戻っていた。
また定位置に座らされ。
この日は変わらず周囲の会話に耳を傾けながら、もう一つの目標に向けて励むことにした。
毛皮の上で俯せの姿勢をとって踏ん張り、両手足に力を入れてみる。
何とか、はいはいができるようにならないか、練習に努めるんだ。
――ふん、ぬううーー。
あたしの踏ん張りに気がついたらしく、女の人二人は微笑みを向けてきている。文字通り、微笑ましい赤ん坊の動きということになるんだろう。
こんな気になったのも、昨日の女の人たちの会話からだ。
「イェッタちゃんは、まだはいはいもしないんだねえ」
「少し遅れているみたいだけど、もう間もなくかもしれないねえ」
正確なところは聞きとれなかったけれど、そんな話だったと思う。
つまり、生後十ヶ月くらいだとこれ、できて当然というわけなのか。
人より遅れているというのは、癪に障る。
――ならば、頑張るべし。
ということで、昼前はそんな運動に時間を費やした。
手で上体を躙り出すみたいな感覚は掴め始めていたけれど、足の力の入れ具合がもう少ししっくりしない。いずれにしても、惜しいもう一歩、という感じだ。
疲れてきたところで、乳を飲ませてもらう。
その後目を開いていられなくなり、ひと眠り。
目覚めたときには、どのくらいの頃合いか分からなかったけれど。少し周囲の喧噪が変わっている感じがした。
見回すと、人の数が増えている。
小さな子どもが五人遊んでいたところに、もう少し大きな子どもが加わっていた。
男女合わせて二人、のようだ。どちらも十歳を超えたくらいか。
こうした集まりに預けられるほど幼くはないけど、大人と同じに働くにはまだ早い、という年回りだ。家の仕事なんかをしていて時間が空いたので、子守りの助けに出てきたというところだろうか。
何しろ見た目やっていることは、子守りの手伝いそのものだ。
小さな女の子二人は、その年かさの女の子の隣に座って一緒にお手玉をしている。
男の子三人は、大きな男の子に代わる代わる飛びかかっては投げ捨てられている。中でも五人のうちいちばん年長に見えていた男の子が、何とも嬉しそうだ。
大人の女の人二人も、笑ってそれを眺めている。
「やっぱりコンラートとツァーラが来ると、みんな元気になるよねえ」
「本当に。特にうちのホルガーは、小さい子の相手ばっかりじゃ退屈しちゃってるからねえ」
――ふむふむ。
今日初お目見えの男の子がコンラート、女の子がツァーラ、今までの最年長の男の子がホルガーというらしい。
昨日も思ったように、ホルガーはロミルダの息子のようだ。
確かにホルガーはいつももっぱら小さな子どもたちに飛びかかられる役回りのところ、今は逆に年長者に組みついていけるのが嬉しい様子だ。
ひとしきりばたばた暴れ回り、小さな男の子たちは床に尻餅をついて息を弾ませていた。
その中でもホルガーは元気を残していたようで、数回肩を上下させただけでまた立ち上がっている。
「コンラート兄ちゃん、魔法、また魔法教えて」
「いいけど。お前、火の球大きく出せるようになったのか」
「カンペキさあ」
「ほんとかあ? ロミルダ姉ちゃん、火魔法使っていいかい?」
「ああ、あっちの土間に向けてならいいよお」
「よっしゃ」
コンラートが土間との境の方へ寄っていき、ホルガーがそれを追う。
他の子どもたちは大人しくそれを見ているようだ。
「見てろよ」と断り、コンラートは少し腰を屈めた。右手の四本指を伸ばして、左肘の外に構える。
ほどなくして、その指先に火が点った。見る見るうちに、掌の大きさほどの球の形に膨らむ。
「行け!」
低い声を発して、コンラートは左から右へ腕を振った。
指先から、ビュン、とばかりに火球が飛び出す。
たちまち、戸口横の石壁に衝突。パアッ、と弾けてすぐに消えた。
「わあ、凄え!」
「凄い凄い!」
ホルガーの歓声に続き、後ろの子どもたちも手を叩いた。
あたしも、初めて派手っぽい魔法の使い方を見て、ある意味感動だった。
加えて、ロミルダたちのような大人にとっても、こうした火を屋内で飛ばすことに警戒はないらしい。まだ小さな子どもたちに見せたり、試させたりすることにためらいもないようだ。
それだけ、魔法が身近にあるということなんだろう。
それに。
せっかくこうして見せてくれたものに、ケチをつけては申し訳ないのだけれど。
昨日父が説明してくれたことにまちがいはなく、危険を覚えても不思議はない火魔法でさえこの程度、たいして威力がないので警戒の必要もないということらしい。
石壁と土床の空間に飛ばす程度なら何のまちがいも起きようがない、ということだ。
実際、今し方火が衝突した石壁には、何の痕跡も残って見えない。離れて見る限り、ちょっとした焦げさえもつけることがなかったようだ。
――凄いような、凄くないような……。